2009年12月14日月曜日

なぜ人は死ぬとかなしいのでしょう

ある朝、禅問答のようにはじまった会話。
喪失感ともう二度とあえないという感覚がそうさせるのだろう。そしてその感情を浄化させるために人は泣くのでしょう。
そしてその喪失感を緩和するべく(解決?)宗教は生まれ、それが拡大していったのでしょう。
その翌日みにいったロメオカステリッチの神曲はそれをずばり取り上げたともいうべき作品。
(その質問をしてきた本人にみせたかったと心から思うが、間に合わなかった)
40人もしくはもっと多くのエキストラが登場する。行なうことはたつこと、歩くこと、倒れること、起きて再びあるくこと、誰かと抱き合うことそして倒れること。その繰り返し。
いやいくつかのシーンがあってそれぞれに意味が深いのだけれど、していることはとてもシンプルだ。
なぜ人は殺しあうのでしょう
なぜ人は戦争をやめることができないのでしょう
なぜ私たちはいきているのでしょう
その日のなぜなぜ問答(ちなみに上記はすべて質問された言葉)に答えはなく、
その答えをいつか見れるのではないかと私たちは生き続けている。
ただもっと大きな時間の流れがあり、私たちはその中の1つのいのちでしかなく、いろんなことがありながら、ただ生きてただ死んでいく。

そのなぜなぜ問答の前日に、これまたたまたま友人(別人)が資本主義を進めていけば戦争へいくことは目に見えている、それをさけるには中国のコミュニズムしかない、しかしそれでいいのかという話しをしていたところだった。そのときにも私はやはり人は増えすぎたと話した。人は増えすぎた。多くのことを得すぎている。極端にいえば戦争がおこるのも自然や地球全体を見てみれば必然ともいえるのではないか。そんな話しをしていた。

たまたまだが、この作品は、そのままの世界をみせてくれた。
それはまた厳しい現実であり、しかしだからこそ救いでもある。ただそれだけのことでしかない。ただ生きてただ死んでいくこと。

アフタートークでロメオさんは演劇はセラピーではないけれど、僕が生きていくのを助けてくれているという話しをした。彼はこの作品を作ることで、世界を見、考えるのだろう。

ひさびさに直球ストレート
私は自分で見てよほどよくなければおすすめをいわないが、今回は何人かに即メールを送った。それくらい出会えてよかった作品でもあった。

しかし、私の友人たちは皆やんでいるんだろうか、、大丈夫だろうか。ブログに書いてみてちょっと思う。


2 件のコメント:

  1. ずいぶんとまた哲学的なお題ですね。
    自分は嫌いじゃないけど。。。(笑)
    「忘却とは忘れ去ることなり(BY君の名は)」
    ひとは忘れ去ることで前へ進むことが出来る。
    しかし決して忘れてはならないものがある。
    それを心に刻み付けるのが感情である。
    哀しい気持ち・うれしい気持ち・愛しい気持ち
    こういった思いにのせて刻み付けることで「思い出」として残し忘れられないようにすると自分は思う。
    不特定多数な人が戦争で死ぬより、身近な1人が死んだ方が悲しみますよね。
    それは、その人を忘れてはならないという思いが強いからでしょう。だけど時が経つにつれ悲しみは消えていく。それが前に進むことなんじゃないかな。

    宗教はあくまで死後の世界の話。現世のことを戒めるものでしかない・・・あくまで自分の見解でしかないけどね。

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  2. こんにちは
    再びコメントありがとうございます。
    しかし、どうしてこんな会話になってしまったのかはわかりませんが、たまたまとはいえ、立て続けにきて、考えさせられます。
    記憶については実はかなり前から気にかけていることで、おそらく次も人の記憶ということから作品を作ろうとしています。いつかは消えていくもの、しかしのこしていくことはできないか。それを形化できないか。それは人の身体をとおしてできないか。
    悲しみはきえていく、しかし忘れてはいけないものだと思うのです。少なくとも私が生きている間は。そういうものを私は大切にしたいです。(本人の記憶力はかなり問題なんですけれど。。)

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