2010年3月20日土曜日

from 静岡

現在、静岡は舞台芸術公園にいます。
SPACのスパカンファンというプロジェクトに関わっていて、この4日はオーディション中。
毎日アフリカンダンスの日々です。

大きな公園に劇場と宿舎(海外等のカンパニーが滞在できるように)があって、そこの一部屋に暮らしています。東静岡から車で10分か15分くらいですが、バスが1時間に一本しかなく、しかも五時には終わってしまうため、買い出し等すべて誰かに車をだしてもらわなければなりません。食堂もしまっていて、電磁コンロはあっても鍋がないため、自炊もできず、かなり厳しい状況が続いています。(次回くるときは鍋、米、調味料他ちゃんともってこようとこころに誓った)しかし逆に創作活動にはいい環境で、かなり専念できます。

ニヤカムさんはいい人で、子供たちもすばらしくのりがいいです。
私がフランスにいたのも(だから少しはフランス語を理解できる。話せないけれど)、アフリカンダンス好きだったのもきっとこのお仕事のためだったのだろうと思うくらい、楽しく過ごさせていただいています。ありがとうございます!
フランス語も英語もチャンポンですが、たのしんで。よく遊びよく学ぶ。

2010年3月19日金曜日

ミシン

バンカートでは今日から食と現代美術展がはじまります。
黄金町までの横浜の町並みを歩きながら、食べながら展示を見て回るという企画で、今も準備が続いています。

多くのアルバイト/スタッフが働いていますが、驚くべきことにミシンを使えるのは現在私しかおらず、(私だって10年ぶりくらいにミシンを使った)昨日はのれんをひたすら縫っていました。ねえ、みんな小学校で家庭科やったよね???
最近のミシンというものは進化しているもので、ボビンケースないし、上糸掛けないし、驚くことばかり。展覧会いってのれん見たらあ、きの仕事と思ってください。まがっているけれど。

本日より静岡に行ってきます。SPAC、メルランニヤカム作品の振付け助手?のようです。?がついているのは通訳にしては英語力に難あり、助手にしてはアフリカンダンス専門じゃないし。しかし興味深いプロジェクトなので(もちろんアフリカンダンス好き)楽しんでいってこようと思います。では!

2010年3月16日火曜日

川崎

日曜に椿昇展をぎりぎりで見に行く。川崎のThink Spotという工場の体育館を利用して作ったスペースで、バンカート以上にとにかくでかいたてものどーんという感じのところ。
作品も様々なジャンルを駆使していて、ボリュームのある、しかもヘビーな内容も含むものだった。

ただ、その日私の中で衝撃的だったのは川崎の変貌ぶりであった。
と、いうのも今から10年ほど前、友人が住んでいたこともあり、このエリアよくきていたのだが、こんなに駅周辺がかわろうとは。(そもそもその友人がすんでいたのもThink spotの近くで、いってみて驚いた)えらく巨大化している。そして迷子になる。当時もわかりづらいバス乗り場だったが、より一層わからない。というかビル巨大すぎ。
町田も衝撃的だけれど、川崎はだてに知っていただけにちょっとショックだった。

そうか、もう10年くらい(もっと?)たつのかと思って感慨に耽った。


なお、現在は川崎にいくことはめったにない。
ましてや浜川崎。(JRだと一時間に2本くらいしか電車がない)懐かしい限り。

求むポルトガル情報

友人がなぜか突然ポルトガルへ行くといいだしました。
なぜポルトガル。
物価が安いとか気候が温暖とかいろいろあるのですが、そして私の好きな歌手さんも確かポルトガルでしたが、なにぶん疎いです。ポルトガルに詳しい方募集してます。
ラッセル公演中にも一度も行かなかった土地です。
ダンスという点でも今ひとつピンときません。強いていえばルイホルタ(SOAPはダムタイプS/Nと並んで大学一年のときに見たもので一番面白かった作品でした)、ポルトガルです。たしかダンスセンターもっているはずです。しかしダンスよりは普通にすんでいた人、お声をおかけください。

老人ホームリミックス

ゼミでお世話になった野村さんの老人ホームリミックスをみにいく。
ひのうえさんというさくら園の名物おじいちゃんがみにきていて、お話ししてくれてとてもお得な(というかその語りがすべてを物語っていた)会でした。
簡単にいうと野村さん(そしてワークショップオーガナイザーである吉野さつきさん)は10年くらい老人ホームに通っていて、音楽を作ったり、遊んだりしながら時をすごしていたのだけれど、ある時、その音楽を通じて作品を構成できないかと考え、実行に移した「ポストワークショップ」作品。正直にいえばいいときばかりではないし、亡くなる方もいらっしゃるし(10年の間にほとんどのメンバーは入れ替わったといっていました)、しかしそれでも続けてきたからこそ見える、関係性のようなものがかいま見れる、とてもすてきな会でした。

赤れんが作品のプラン、正直変えようと思ったのですが(スクールでお話して以来ずっと思っています)、もう半年以上前から動いちゃっているので、変えるに変えられません。短い時間で、しかもダンスというわけのわからないジャンルで、何ができるか。考えなければです。

アルテリオの皆様にあい、寅雄さん(手塚さんの旦那様)にあい、吉本さん(ニッセイ、ロンドンのシンポジウムでご一緒して以来時々お会いする)にあい、なんだか異様にリンクしそうな空間でした。

2010年3月13日土曜日

至急!

至急!
今日の夜ですがダンテ神曲の放送があるらしいということがわかりました。
きののために録画(できればDVD)してくれる人いませんか?

私はルスなだけでなく、そもそもレコーダーすらない状況で。
でも、みたいですー
ぜひぜひよろしくお願いします。

きののためでなくても、ぜひぜひごらんくださいませ。ただしテレビで見ても面白いのかはとても疑問です。あとあのどうにもきわどいのNHK流すんでしょうか。それも不安です。

本日は川崎アルテリオクラウンワークショップ見学、その後李さんと打ち合わせです。キムさんごめんなさい、すごい近いところにいるのにみにいけません。。。。例によって公演日間違えていました。

2010年3月11日木曜日

おめでとう

塩ちゃん(わかる人にはわかるけれどわからない人にはわからないきの教え子です)が在研にうかりました!おめでとう!
事業仕分けに伴い厳しくなったといわれる在研、よくうかったものです。
まじめな彼女は、しかもずっと前からイスラエル熱を抱えている彼女は、きちんと勉強してくることでしょう。楽しみです。
私がいった2004年からはや5年以上。次の世代が旅立つようになりました。うれしいものですね。

それからアシュフォードさんがEUグラントとれました。おめでとうです。昨年落とされたその理由聞いています。(それをだしにいったのも覚えています。私もそうですがかなり惜しいところでだめでした。)2年越しだから余計にうれしい。定年退職後の仕事自分で作っているようなもん(英国には天下りみたいなシステムはないのです)だから余計にうれしいに違いないです。日本語のブログ読めないに決まっているけれど、かいちゃいます。本人18日から日本にくるそうです。みかけたらおめでとうといってあげてください。

2010年3月10日水曜日

現社の三井氏

私が卒業した札幌旭丘高校は山のお上のお猿の学校。
当時1年の現代社会を担当してくれていた三井氏はとてもかわった先生だった。先生ではなく氏。それもまた三井氏らしい。
たった1単位か2単位の授業なのになぜか卒論を書かねばならない。何の題でもいいのだが。仕方がないので、今まで見てきた舞踊について論じた記憶がある。能藤先生の公演にはじまり、リンゼイケンプやら大野一雄やら、札幌にいる割に結構見ている。演劇鑑賞会にはいっていたのも大きくて、演劇もあわせれば伝説的(?)作品を結構見ている。小学生のときに見た大野さんの公演(赤れんがホール)なんかは現上司(溝端さん)が照明兼舞台監督をしていたという。狭い世界だ。
演劇鑑賞会というのは札幌独自で、高校生は1800円で毎月舞台を見ることができるシステムで東京あるいは関西の演劇を地元によぶ活動をしている(大人は高いんです、ありがとうです)。山海塾の卵熱もはじめて見たのはその場だった。(なお、今でも山海塾の一番の作品は卵熱だと思っています。ラッセルさんなんて写真集もっていました。)
その時、なぜか見にきていた三井氏が、市村さん(当時山海塾制作)を紹介してくれたのを覚えている。大学時代の親友だという。ひょんなかたちで紹介されてしまった市村さん、なかなかあうことはなく、私は覚えているにしてもさすがに向こうは覚えていないだろうと高をくくっていた。
そしたら、今日アルテリオ(打ち合わせでした)で遭遇。「いやー気にかけていたんだよ、どうしたかなあとおもって」とのこと。17年くらい前にあったときのことを話しはじめ(ちゃんと覚えているので驚いた)、ついでに三井氏の話しをはじめ、懐かしく思う私たち。新百合ケ丘に知られる三井氏。。。
今はどうしているだろうか。

野村ゼミ終了

野村ゼミ終了しました。
サマリーをここにのせるのもありかもしれません。とりあえず作品を作る上でもっと自由でいいんじゃないかという勇気をいただきました。もひとつ、単純に楽しいなあという感じと訳の分からないけれど巻き込まれている感じとちょっと痛い感じはとても近い感じがしています。(個人的に痛いと快楽は近いと思います。でもマゾとかではありません)
個人的にはヴェクサシオン(サティの長曲マラソンイベント)のころ(つまり2003)から噂に聞いていたご本人にお会いできてうれしかったです。しかも、老人ホーム、、、。いろんな意味でリンクしていきそうな予感がしました。このスクール(しかも私のお仕事の火曜日に)設定してくれたバンカートの皆様ありがとう。
野村さんはバンカートで日曜日に「老人ホームリミックス」を発表予定。その次の22日には野村誠vs北斎を発表(アサヒスクエア)予定。大忙しです。北斎話もはじまったら止まらなくなり、とても興味深いですが、とりあえず静岡なのでいけません。。。ご興味のある方ぜひどうぞ。

2010年3月9日火曜日

最近うけた(あるいは依頼された)お仕事

いろんな人がいろんなことをいう。
きのさん、こういうのあいそうとか、こういうのやってほしいとか、実はいろいろある。
お仕事といっても金銭が派生するものばかりではないが、新しい自分を発見する可能性があるから、できる限りうけるようにしている。機会があれば。
例えば
昭和の事務服で踊ってほしい(その後ナース姿でに変更された)、ビア樽ポルカ、パラパラの動作解析をしてほしい、静御前の舞いを鎌倉の寺で、三崎口でマグロと踊ってほしい(?)、ウトナイの森の精、アフリカンダンス振付け助手、ガルシアロルカ(ベルナルドアルバの家)、役者としてでてほしい(なお、既に3件)、、

まじですか。
しかしこれはすべて結構まじめな話しだったらしく、既にいくつかは現実化しつつある。私をみて何を連想してしまったのかはわからないが、それもまたすてきな出会いだろう。
何事もチャレンジ。

野和田さんという人

たまたまその日、
私は良平さんではないけれど、JCDNからセッションハウスへとはしごをしました。
そもそも大学同期がでている舞台を見に行ったのですが、その2つを結んでいたのは野和田恵里花さんというダンサーさんでした。
良平さんは10年前、野和田さんと作った「小さな恋のメロディ」という作品で参加して、(小樽大遅刻事件は起こしたけれど)それからずっと踊り続けています。「10年。10歳歳をとったよ。野和田さんずるいよね、若いまんまなんだもん。絶頂期だよ。」という良平さん。
セッションハウスの演目も野和田さんの記憶を踊るもので、野和田さんの映像満載。
私は野和田さんとそれほど近くはなく、(しかし大学4年のときに一度共演しているのです。とてもすてきなダンサーさんです。)しかし、今でも、これだけ思われるとはなんて幸せなことだろうと思いました。

個人的にここ何年も自分の記憶について考えていて、おそらく次の作品も記憶と向き合わねばならないと思うだけに、興味深く拝見しました。

一方でマドモアゼルは既に未来をみているとおもいました。
よくも悪くも既に前に歩いている。
それもまた時間というものなのでしょう。

踊りにいくぜ10周年

踊りにいくぜ(JCDN)は10周年だそうです。
記念の会があって見に行くと、札幌の高橋さん(照明さん)にあう。だけではなくて、全国各地の皆様に会いました。
たまたまだがその前々日くらいに清水フミヒトさんにあい、北海道ダンス会を開きましょうという話しをしたばかりで、とても盛り上がりました。
注:清水さんは函館教育大のコーチ。その昔神戸のコンクール(all Japan)の特プロでうちの学校の学生さんをみるべく待っていたら、隣にいた人が北海道人で盛り上がり、後日教えにきていただきました。とってもいい人。今回7年ぶりとかでお会いしましたが、なぜか事務服と白衣姿(笑)。またお会いしましょう。
10年の間に日本のダンスに及ぼした影響はとても大きく、特に地方発信のダンスが生まれたのはここのおかげです。私は1回目だけれど。佐東さん、水野さんありがとう。
でも10年を機にシステムを変えるのだそうで、札幌も参加が難しくなっているのだとか。実は札幌では、制作やろうかなとか、自主企画でやろうかなとかいう人がでてきていて、形が変わっても何らかの形でできるのではないかと踏んでいます。私もがんばらなきゃ。

山下残さんに「(札幌ダンスの)次に何を作るのかがとても楽しみ。あれだけ自分だした分、次がないと」といわれました。はい、その通りです。
きっちり作らなければね。

会そのものは全部はみれず(その後セッションハウスにダッシュしました。たまちゃんをみに。)、しかし伝説の身体表現サークルがみれたこと、あとほうほう堂が元気にはっちゃけて踊っていたことが楽しかった。ほうほうは二人ともよく知っていて、怪我(首をねじったらしく今回は作品はできなかった)をしていても、ほうほうぶりは健在。ラブリーでした。
後はマチネとソワレのセッションハウスの公演を抜けてきた近藤良平さん。ありえない。でも札幌高橋さんの証言によれば1回めの踊りにいくぜで、当日リハすっぽかして小樽いっていたんだから、それもありか。相変わらずというかキレのある踊りをみせてくれました。

2010年3月2日火曜日

アルテリオ

新百合ケ丘アルテリオ
クリエーションサポート事業、継続支援をいただくことが決定しました。
平成22年度中にワークショップをはじめ、リサーチをし、翌年23年に公演を行ないます。
地元(おそらく家から最も近い小劇場でしょう。といってもきのの作品規模からすれば十分大きいのですが)ということで、張り切っています。さあ、がんばりましょう。

勤勉さについて

早起きの人(黒沢美香)をみる。@テルプシコール
とても美しいシーンがいくつかある。
そしてとても美しくまとまっている。過去の薔薇シリーズの中でも(といっても私はすべてをみたわけではない)最もわかりやすく(それがいいことではないが)、最も納得しやすい作品でもあるのではないか。
水に当てた手、震える水
黙々と食べ尽くして、そして流れる沈黙、
一歩引き下がる瞬間、
暗闇の中降り続けるほうき、そして永遠に永久にそれは続く。

しかしなぜパンケーキを焼くのだろう。
実は妻有で(それも能舞台だ。私はそこでなぜか後見のように台をおさえるはめになった)梅若さんがオムレツを作ったのだ。なぜ、オムレツ(あるいはパンケーキ)なのか。そしてなぜそこで食べるのか。当たり前のことのように展開していくが、とても不思議。しかし食べることはそのまま生きることなのかもしれないと少し思う。

「怠惰にかけては勤勉な」がモットーの黒沢さん。しかし私はとても勤勉なその人が見える舞台だったような気がした。ものすごくきっちりおさえた舞台だったと思う。

人形と中性性について

結城座バッカイをみる。
ここしばらくのところ人形について考えていました。
ある日バンカート上司(とよぶのだろうかビミョウですが)に「ダンサーは操り人形なのですよ」といわれたことがきっかけなのだが、これは確かにその通りともいうべき言葉だと私は思っています。
単に振付家のいうままに動くということだけではなく、良きダンサーというものはその人を無にしていろんなものを受け入れてしまう要素があって、巫女さんとかもそうですが、何かがつきやすいものだと思うのです。いろんなものを引き寄せてしまうとかそういう感じ。いろんなものを引き寄せるにはやはり無個性なものになっていくような気がして、男だとか女だとかそういうものを飛び越えた存在になっていくようなイメージはありました。そしてでてきた人形という言葉。
先日みたKAMPもそうですが人形だからこそできる表現というのがあります。クナウカも人形化させることで超越しようとした試みでした。(なお、バッカイには美加理さんがでていて、それはそれは美しかったです。白く小さな小鳥をイメージしました)
多分、勘としてはついていると思います。
ただ私自身が女性化しているような気がして残念です。いや、別に遊び歩いているわけではないんですけれども。

TPAMスタート

TPAMスタートしました。
今日はブースの設置とレセプションに参加。ショーケース(音楽)をみて、ついでにロンドンから来たストークニューイントンダンスカンパニー(?)のパフォーマンスをのぞいて帰ってきました。
しかし、やっぱりバブリーな企画です。
しかしもっとバブリーなブリティッシュダンスエディションをみているだけにまあ、そんなものかとも思います。
簡単にいえば作品を売りたい人と買いたい人が集まるんですが、買いたい人も普通はこない。なので英国なんかは(話しではフィンランドも、ケベックも、、、)ホテル代、航空費すべて国持ちで呼んだりします。TPAMはそこまではしません。なせいか海外人も売りたい人(笑)。売りたい人だけがあふれているマーケット、、、。恐るべき自体です。
なお、今年はフィンランドと英国が驚くほど力をいれていて、特に英国は無料パフォーマンスも多く催しています。アーティストの旅費ととかはもちろんブリティッシュカウンシル持ち(略してブリカン)。今後ブリカンとしてはBDEに多く人をよぶよりも出張を増やしてその波及効果を狙う策にでたそうで、”本気で売りにだしにきています”。
私もJOU姉さんに誘われなければでなかったことでしょう。しかし団体様でいけば怖くないとお邪魔しながらみんなで学校祭モードでブース作ってきました。私の資料なんて手コピーです。。。

ともあれ、よろしくお願いします。
水曜日はいます。ついでにちょこっと踊っています。さらについでに大野さんワークショップお手伝いだそうです(上司命令?)。
ちなみにTPAM会場に入るにはパスが必要です。詳しくはウェブを確認してください。