2012年10月30日火曜日

35歳未満限定イスラエルの奨学制度

イスラエルはコンテンポラリーダンスの国である。
今年もバットシェバとインバルピントというビッグカンパニーが日本にやってくるが、とにかくダンスに熱いのだそうだ。
イスラエル大使館内田さんよりこんなお知らせが。
私は既に年齢オーバーですが、ご興味のある方ぜひしらべてみてください。


今年も募集しています!イスラエル政府奨学金 締切は1130日。
今年の目玉は奨学金支給対象機関にThe Jerusalem Academy of Music and Dance (エルサレム音楽ダンス学院?)が入ってきたこと。応募資格は4年生大学学部卒業以上35歳未満です。細かい条件などご興味ある方は大使館文化部までご相談ください。

2012年10月28日日曜日

山田せつ子さんの講演

山田せつ子さんの講演を聴きにいく@東大駒場
東大駒場のUTCP総合文化研究課共生のための哲学研究センター
(http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/)主催
そもそもこんな団体があること自体が知られていない。
なので参加者もあまり多くなく、かなりびっちり中身の濃い内容で面白かった。

その昔学生運動の話しや舞踏に出会った頃のこと、作品の作り方など様々な話しがあった。そして後半はワークショップ。
個人的にはソロからスタートしてなぜグループを率いることになったのか、教えることについてどう思うかなどもっと突っ込んでききたいところだったが、あっという間すぎて聞きそびれてしまう。
そしてもっともきいてみたかったのはなぜダンスだったのか、そしてなぜジャンジュネの話しを「ダンス」にしなければいけないのか。

誠実に、そしてダンスがとても好きな人なのがよくわかった。
またものすごい信念のようなものを感じた。

私、大丈夫なのだろうか。。。ますます不安。(次回12月は私が講演します。)


おまけ
ジャンジュネ、一応フランスにいたこともあり、きにかかって読んでみる。またその周辺の作家も結構よむ(でも日本語で)。


おまけ
今日ワークショップでやったもののうち、指から感じるワークがかなりやばい。正しくは私は既にそのことを知っているし、だからコンタクトワークが苦手なのだけれど、ちょっとくんだ相手があっていたのか(逆にまずかったのか)、「きちゃったねー」という感じになる。その感じはどうにも伝えれるものではなく、さらに再現性もないだろう。でも確実にやばい。



個人の記憶

Sound live tokyoをみる
本当は山下残さんのSTで見れなかった作品を見に。
でも個人的にはティムエッチェルスの展示が気になる。

個人の思い出に残っている曲をメッセージとともに紹介してもらうプロジェクト。
それぞれに青春の思い出だったり、父との対話だったり、ペットの猫のことだったりが語られる。

社会を取り上げる上で、私は個人の記憶や思い入れにフォーカスをしそれをつないでいくという手法をとるしかないような気がしていた。AMANOGAWAプロジェクト(https://sites.google.com/site/amanogawaproject/)から巣鴨教会「からたち」への流れはそういうことで、AMANOGAWAを舞台で発表するためには私も自分のことを語らねばならなくなったということだった。(それも個人のことを語りつつ、しかし深くしないで一般的な経験につながるところを選んで述べるという荒技)

たまたま今日の演目にはfryday(工藤冬里)というある金曜日に起きたことをのべていく曲というのがあり、それもまたつぼ。

社会、世界はひとりひとりの全く異なる人間の集合体であるというあたりまえのことに目を向けるということ。

それもまたまなざしだと思う。

帰りがけ上本君(AAPA)とともにAMANOGAWAについて話す。
AMANOGAWAは一般の人が参加しているという点でコミュニティダンスと思われる。しかし大きく違うということ。それはその人の言葉が大切で、それをえるための身体ほぐしでしかなく、最終的にそれぞれの人のための作品であるところ。
楽しく踊るということではない。でも確実に何かがある。そこが私の作品であるところ。
なおかつ「みる」ものとして成立させるということ。

AMANOGAWAは私の作品であり、確実に意思が働いている。



先日アジアのダンスについて語る会をダンストリエンナーレの一環で見てきたときに
「個人的な物事を追求しても社会にはつながらない」という言葉が出てきた。
そしてアジアの各国には社会問題を解決するために踊らねばならない事情があるということも見えてきた。その昔(それこそ今日の山田せつ子さんの話しによれば)日本もそうであったわけで、その時代に生まれた舞踏やパフォーマンスはやはり強烈なものであったわけで。
しかし現代において何ができるかといえば、私は未だ見えてこない。
社会を切り取るために個人を突き詰めていくことでしかないような気がしている。
私の記憶を利用しつつ、他者の記憶と並列していくこと、そして視点を広げさせること、「からたち」で起こしたことはそういうことだった。
私から家族へそして社会へ。

それぞれの人が自分の記憶を大切に思えるように。




2012年10月25日木曜日

あざみ野ギャラリー

あざみ野ギャラリーにて山下残さんの大行進をみる。
この作品KAATで前にみたはず。
今回ギャラリースペースに展示を行い(美術カミイケタクヤ)、平日はほぼ毎日パフォーマンスをするのだという。酒井幸奈ちゃんと梅田宏明くんの作品もあり、毎日誰かが何かをしている(どうも一回いったら全部見れるというわけではない)。
踊りにいくぜ札幌以来、結構な確率で見続けている作家さんの一人。京都在住なのに、ほとんどの活動が横浜というのも不思議。(てっきり横浜に移住してきたんだと思ったらそういうわけでもないらしい)
作品は即興的に話しているみたいだけれど、実はすべて決まっていて、このこはここ、このこはここという置き場所(作品みればわかります)もすべて決まっている。
またきてね、といわれて、内容とか中身知っているとこの作品の場合どうなんでしょう、ネタバレでは?ときくと、山下さんは「お客さんが違うと間合いとか雰囲気とかがかわる」のだそう。来月11日まで。また行けるのかな。平日限定だから、普通の人はなかなかいけなさそう。


2012年10月24日水曜日

牧野先生踊る!

私の経歴には牧野京子に師事という言葉が入っています。
実際にはお世話になった方はたくさんおり、牧野先生だけに師事したわけではないのだけれど、まあかなり古くから知っていてくれていて、しかも札幌出身なこともあり孫のようにかわいがってくださっている先生です。

先生は滅多に踊らない。
稽古でも適当なことを言って(すみません!)こんな感じで伝達してしまう。
万が一踊ろうとも、そのビデオごと封印してしまうため違うシーンで踊っていた自分たちの映像すら見れないまま、近い弟子ほど先生の踊りを見ることはできない状態がつづいていました。
そんな中、冴子ちゃんの作品の中で久しぶりに踊ったのです。
私が最後に見たのは「銀狐」という笠井叡さんの作品(当時60歳以上のダンサーを集めてつくられたある意味伝説の作品。そういえばその中で中心となって踊っていた牧野先生の先輩、若松美黄さんも亡くなってしまった)以来。本当に珍しいこと。

先生はやはり美しく、いい舞台でした。
手の作り出すラインが全く異なるのです。
「死んで生き返ってが何回もあって大変なのよ」とか「自分の死ぬときの練習みたい」とか散々いっていましたが(そして先生も振り覚えがあまりよくない方で私たちはドキドキしながらみていました)よくぞ踊りきったものです。
そしてみせて下さいました。

いいものをみました。
先生がつくってきた作品にもMother、緑の茎など母への思いを綴るものがあり、それを踊ってきただけに、感じ入るのかもしれません。
とりあえず弟子(うちの稽古場の人全員集合な勢い)たちは涙がとまりませんでした。

適度な距離感のある冴ちゃんだからこそつくれる作品。
そして今だからこそ出来上がった作品。
これもまた出会いなのだろうと思いました。



しづ照明下見

本番は11月30日だけれど何と昨日が照明下見1回目。@国立青少年オリンピックセンター(おそらく八木さんがこの環境にびっくりしていたので、きっとBlogにアップしてくれています。森の中にこんな施設が!でも都内!という驚きの環境です。)
照明下見というのはスタッフさんにこんな作品ですというのを見てもらい、それを参考に照明プランなどをたてていただくための場。今回私の作品は照明を三浦あさ子さんにお願いしているものの、全スタッフさんにお見せしなければならない。
本日「しづ」ブレーンすべての方がお集り下さいました。
照明三浦あさ子さん、衣装宮村泉さん、そして八木さん、旦那さまのMarkさん(音響にとても詳しいです。なんと当日もスピーカーを持ってくることになりそう)。心強い皆様です。終ったあともああでもないこうでもないといろいろ話し、イメージを膨らませ、次へ向かいます。

しかし八木さんが本当に強力です。
がんばらねば!

2012年10月21日日曜日

八木リハ③

八木美知依さんとのリハーサルも3回目になり、来週の音響照明合わせにあわせて、いくつかの変更を行いつつ、再び試す。
振りの一部を固定しつつ、即興のところもあり、また戻すところもあり、毎回通しをするごとに録画し、見返していく。youtubeにあげ(限定公開モード)でシェアしていく。
IchIのころからyoutubeとスカイプのお世話になってきたが、便利な世の中になったものだと思う。ドイツやフランスにいる友人と映像も交えて話すこともできる。(振り付けをみせたりもできる)今起きていることをライブあるいはそれに近い形で伝えることができる。ちょっと前まではビデオを送ろうにもPALだNTSCだともめていたわけで。日数もお金もかかっていたわけで。ありがたい限りである。
その一方でその便利さにより失ったものもあるのではないかという牧野先生の声もある。
見た印象はその観客の記憶になって残る。美化されようとなんだろうと。それにより広がっていくものもある。

つくっているものは超アナログ、むしろ世間の流れに逆行。
でも今だからできる作り方。
そんなのもまたコンテンポラリー。

2012年10月20日土曜日

一生懸命

一生懸命に演じるということ。

今日某短大の学校祭にいって指導している学生さんたちのダンスをみてきました。およそ30分の演目を60人近くで踊る演目が2種。それぞれに趣向を凝らし、テーマに基づいて一生懸命つくってきたもの。中心になっている学生だけではなく、みんなで作り上げた作品。
私は週に1、2度しかも最後の追い込みの時期に関わっただけなのですが、つくってきた過程を知るだけになかなか感動的な時間でした。

しかしながら一つ残念なことを言うと、そのような小さな学校祭であっても、怪しいカメラをもった人がいる事実。立ち入り禁止の中に入り込んで着替えを撮影しようとした人がいたり、明らかに盗撮をしようとした人がいたり、私が学生のときからそういう人がいないわけではなかったのですが、(私の学校が女子校だったせいかもしれません)非常に悲しく、残念に思いました。

必死に踊ることができるということ。
それだけでもとてもすてきなこと。

2012年10月19日金曜日

着物の着付けを学ぶ

「しづ」のこともあり、前々から友人と行く約束をしていた着付け教室にいってみる。
たっぷり4時間半、帯は結べないが、おおよそ着物を着ることができるようになった。
(すべて一気に教えていただけるので、ありがたい)
成人式にも、卒業式にも結局着物は着なかったし、今回もタンスに眠っていた母もしくは祖母の着物をお借りしたのでちょっと外に着ていけるかんじではないが(もし外に着ていこうとするとすべて買い直す必要がある。草履などもふくめ)合わせの感じ、着崩れないようにする工夫など学習。姿勢が変わるなあと実感。
前から浴衣の着方はしっていたけれど、細かいチェックポイントがいくつもある。
そもそも襦袢ってなんですかというところからスタートだ。大変だった。

着物を着なかった理由はいくつかあって、私のサイズはなかなかないということも大きい。いくつかきさせてもらったものでも、裄、丈ともに出さないと(それでも通常のお店に並んでいるものでは出し切れないことが多い)とか太っている方用の特注反物でつくらないととか、いろいろお話を伺う。ふむふむ。
私の身長は169cmくらい。今の時代だとそれほど「すごい背が高い」わけでもない。それでこんななのだから、世の中の背が高い皆さんはどうしているのでしょう。

ともあれ、着方を忘れないよう、しばらく毎日練習。
まあ、これも歩き方、立ち方の稽古の一つ。




2012年10月16日火曜日

10月27日山田せつ子さんの講演が東大であります

10月27日山田せつ子さんの講演が東大駒場であります。
なんと無料、ワークショップ付き(ただしワークショップ内容、講演ともに東大の学生、研究者向けですが、外から来た人も参加できます。)というお得な企画です。
実はこのシリーズつづいていて12月にはなんと私もなにか話すことになっています。(来年1月か2月に山崎広太さんの会もあるらしい)今日はその打ち合わせに備えて、木野過去作品のリストアップとテーマの変遷および近年の方向性を紙にまとめる作業をしてみました。私に関していえば心配ですが、山田さんはよき先生(京都造形大客員教授)なのでぜひおすすめです。
この企画を立ててしまった内藤さんは元美術作家、昔はダンスとのコラボレーションもよく行っていたらしい(広太さんとはバイト仲間でもあるらしい)ですが現在はばりばり研究者という変わり種です。





教養学部付属「共生のための国際哲学研究センター」(UTCP
20121027日(土)14  
入場無料
東京大学駒場キャンパス  東京都目黒区駒場3-8-1
コミュニケーションプラザ   身体運動実習室1
大学生協の建物3
かんたんなワークショップがあります。着替などの必要はありません
 
山田せつ子( ダンサー・コレオグラファー )
明治大学演劇学専攻在学中、笠井叡主宰「天使館」で即興舞踏を学ぶ。独立後、ソロダンスを中心に独自のダンス世界を展開し、日本のコンテンポラリーダンスのさきがけとなる。1989年にダンスカンパニー枇杷系を主宰。2000年~2009年、京都造形芸術大学 映像・舞台芸術学科教授をつとめ、次世代のコレオグラファー/ダンサーを育てる。現在、同大学舞台学科客員教授、舞台芸術研究センター主任研究員



ダンサーは身体をどのように知覚していくのだろうか?
コンテンポラリーダンサー・山田せつ子氏の講演と
舞台映像・ワークショップから解体していく

2012年10月15日月曜日

10月なのに日焼け

10月も半ばになりました。
が、丸一日外で学校祭のマスゲームの指導をしていたら顔が真っ赤っか。日焼けしました。皆さんに指摘されるほどになってしまいました。情けない。そしてちょっと痛い。
幼稚園の先生になる学生さんたちということで、テーマもLife( 人の一生を赤ちゃん、学童期、成人期、老人に分けて表現)とか、様々な国(なぜかアメリカ、アラブ、ブラジル、フィンランド)が日本を助けにくるとか非常に明確で一生懸命つくっています。ただ、なにぶん大人数での作品制作なのでTA( teaching asistant) が入り手助けもしています。今度の週末が本番、最後までがんばって!

気がつけば右ももも痛いです。
Pieceのときにのりさん代理としてたたき続けていたせいかと思っていたのですが、どうもそうでもないらしい、、、。痣はないけれど、麻痺にちかい感覚のロスがあります。無意識かでたたいているんだろうか。。。

青山の合唱団(追記10月16日)

青山子供の城、青山劇場、青山円形劇場の閉鎖はコンテンポラリーダンス業界では大きな影響を与えているが、ひそかに青山子供の城の合唱団の話しをしたい。
子供の城には音楽や造形のセクションがあり、音楽セクションに属してある青山こどもの城児童合唱団。吉村温子先生の指導のもと元気に活動している。
ダンストリエンナーレ最終日には川村美紀子さんの振り付けで踊りつつ、歌っていた(川村さんが作詞作曲する。かなりシュール。でも面白い。個人的にパラパラの歌はぜひパラパラを踊っていただきたかった)。吉村先生元々ミュージカルをなさっていることもありかなり柔軟で、こどもたちもすくすくのびのび育っている。(でもちょっと緊張していて、もうちょっと練習させてあげれていたらよかったかもとか空間移動とか工夫できたかもとか密かに思う。)
杉劇リコーダーずのこどもたちを思い出す。(杉劇もそうだったけれど練習期間が限られていたりしてなかなか難しいのもよくわかる。でもとにかくおもしろかったです)

青山のミュージカルも何度か見せていただいていて、ウィーンの少年合唱団に入った子がいるなどお話をたびたびきいていて、こういう歴史というかつづいてきたものもなくなるのかと思うと正直残念に思う。

場所を変えて残っていくなどの可能性もあるだろうが、ここまでそだててきたものがなくなってしまうのかと思うと残念でならない。高谷さんの声が聞こえるからだろうか、このような人のつながりは大切にすべきではないかと思う。

追記
青山署名運動はじまりました。
詳しくはこちらを。http://www.change.org/kodomo-aogeki




2012年10月13日土曜日

八木リハ②

八木美知依さんとのリハはつづいています。
毎週あうたびにいろんなお話をし、いろんな模索もしています。
前回はとうとう歩いていただきました。簡単なストレッチと身体のほぐし方、歩き方講義(笑)、のりさんにつづき、みせる音楽家になっていただきます!
八木さんBlog:箏の次第(http://michiyo-yagi.cocolog-nifty.com/)にちょっとずつのせていただいています。ありがとうございます。

八木さんの旦那さんマークさん(ジャズの評論家さん)が友人の三宅冴子ちゃんをしっていてびっくり!世の中狭い。八木さんも過去に石村弘子さん(実は小学校時代の私の先生)、加藤文子さん(現在はシカゴに在住のダンサーさん、作品に出させていただいたこともあります)と様々にダンスの方と作品作りをしているせいでしょうかどんどん人がつながっていきます。

そもそも今回なぜ「しづ」というタイトルなのかといえば静御前の舞いにヒントをえて。2009年に響庭で由比ケ浜のギャラリー(招山)でパフォーマンスを行ったことに起因しています。またご一緒できることを感謝して。毎回のリハを大切に過ごしたいと思います。

ぜひみにいらしてくださいね!

アトリエラーノとモノクロームサーカスWS

私は相模原市にすんでいる。
政令指定都市になったものの、ダンス公演やダンス仲間はあまり多くない。その相模原のとてもご近所にいたAAPAの永井・上本夫婦の紹介で(実はこの10月より都内に引っ越してしまいすごく寂しい。せっかくの踊り・呑み仲間だったのに、、、)アトリエラーノさんに出会うことになった。
ラーノはエスペラント語で「かえる」。
主宰の橋本さんは作曲がメインなのだけれど、気がつけばモノクロームサーカス公演で踊っていたりするらしい。(愛知芸大で教えていることもあり、なぜかオービタルリンク@名古屋もみたらしいことがあとから判明)家の近所の「おださがプラザ」でワークショップを開くというのでいってきた。
個人的にはコンタクトワークは苦手である。
ラッセルカンパニーがコンタクトインプロを基本テクに入れていたこともあり、基礎はやっているものの、できればさけたいと思っているが、「コミュニケーション」のためのダンスを考える上で触れざるをえない内容。勉強になりました。
なぜコンタクトワークが苦手かといえば触れることで相手の思念がきてしまうこと(これがわかる人はあまり多くないのだけれど)と相手によってちょっと気持ち悪い(例えばセクシャルな)触れ方をされること。ちゃんとわかっている人たち、なれている人なら問題はないけれど悪いエネルギーをもらって動けなくなるみたいなこともあって個人的にコンタクトワークはさけて通っているところもある。
本当に導入が大事だなあと実感したワークショップ、面白かったです。
でも多分一般の人(学生やこどもたち)にはもっとシンプルなことでいいのかもと思ったり、ヒントをたくさんもらって帰ってきました。

橋本さんの奥さんはフォルテピアノの奏者(楽器が実家にあることもあり実家近くにアトリエを開くことになったらしい)。ますます音楽家のひとつながりが増えそう。
(橋本さん自身もSentivalでお世話になった鳴海さんの劇団に音楽提供していたり、意外に縁がある人なのです。逆に言えば世界が狭いとも。)


アジアのダンスとブラジルのダンス

ダンストリエンナーレが開催中である。
お世話になったこともあるが、興味深いプログラムが山積み。時間があれば青山に行くという状態がつづいている。
ある日、青山で開かれたアジアダンスを紹介するフォーラムとブラジルから来た振付家リアロドリゲスさんのワークショップを続けて受けた。(ただしワークショップは通院の都合もあり2日のうち1日しか参加できず、ちょっと残念)
正直まだまだ貧しい地域が多い。今回の話しでも都市部の中にスラム街が620もある(ブラジル)などの現状を受け、それ故にダンスを「しなければいけない」、ダンスを「広めることで社会を変える」という意識が高い。
実際にリアさんは学校をつくるなどの活動を行っているし、フィリピンのマイラさんはフェスティバルを開催している。
さて、日本で、そこまで切羽詰まって「ダンスをしなければいけない」人がどこまでいるのだろうか。社会の情勢、世界との関係、そのぎりぎりのところにいるだろうか。
アジアやアフリカ、南アメリカのダンスの面白さの本質はそこにあるのではないか。

同時にオリエンタリズムというか異国性の話しも話題に出た。
日本の独自性、面白さ、ヨーロッパの資本に合わせるならばもっとわかりやすく日本を打ち出した方がいい。でもそれでいいのか?ということ。(例えば伝統舞踊をアレンジしたり)

つまり最終的に「人(私)はなぜ踊るのか」ということと関係してくる。
「楽しいからおどる」それだけでいいのか?
今の日本にいてつくるもの、つくらねばならないものとは何だろうかと考えさせられる。


たまたまだが、舞踏の初期の頃の話しを牧野先生と話し、あの時代は戦争が終わりそれまでしめつけられていたものが一気に自由になり飛び出したという話しをしていた。当時必要としていたものと今必要なものは違う。今何をしなければいけないだろうか。

おまけだが
リアさんのワークショップで最も興味深かったのは
話すことが既に作品作りだということ

マルティンナッハバーさん(ドイツ)のワークショップで最も興味深かったのは
ドイツ表現主義を今の身体でやってみること
また、それはとても舞踏の感覚に近いということ


2012年10月7日日曜日

Pieceなみなさま

Pieceに参加してくださった皆様を勝手に紹介、というか感謝の気持ちをこめて。

音:田中徳崇(ドラム)
見に来た皆様に「どこの人!どこでみつけたの?」ときかれるのですが、そもそものきっかけはIchIの青山トリエンナーレ再演のときにパーカッションがいなくて探していたときのこと。おそとダンスとAMANOGAWAの上地君とアメリカシカゴにいる加藤文子さんの紹介でした。その後ユーグ(フランス人チェリスト)、八木さん(箏)などともつながり、即興世界狭いぞというのを実感しました。3年前青山リハで「段ボールたたこうかな」とか言っていたのりさん、今回も面白い言葉をたくさんのこしてくれています。(そういう言葉は作品のヒントとなるので内緒です)
「1+1=3」というトライアルピースをアルテリオでつくったときに関わってもらっていて、その上演ができていないので、今回再度お願いしたのですが全く異なる作品となってしまいました。さらにとうとう舞台上を歩くことに。
普段舞台の上を歩くことはないわけですごーくすごーく悩ませてしまった気がします。ゆっくり歩くを「ここからここまでが約10歩で1分かけるには1歩あたり6秒で」などと分析をするところ、ただ者ではありません。(思えばドラムという楽器は1秒をいかに分節していくかというところもありとても数学的なのかもと思います)そして悔しかったのか隠れて練習してきたりするところもちょっといいです。(九州男児は負けず嫌いです)
でも本当は
「1から100を演奏する人はたくさんいるけれど、1から0の無限の可能性を表現しうる人はなかなかいない」
という言葉に言い表されているような気がします。
尊敬と信頼をこめて。


光:戸井香織
私のヨーロッパにいた時代(彼女は札幌に住んでいた)をのぞいて、ほとんどのきの作品に関わるきのブレーンの一人、かつ大学時代からの親友。
彼女自身は踊らないが(在学時もそんなにばりばり踊る方ではなかった)、一貫して冷静にみつめつづけるその姿勢はとてもありがたい。今回人がいなくてたまたまという以上に、もしも光という役をつくるなら戸井さんしかいないと思っていた。
観客が見るすべてのダンスは光りあればこそ。光によって観客の視点はコントロールされる。タイムキープも含め重要な役割であり、彼女なくしてはこの作品は成り立たない。
感謝をこめて。

動き:oeuf
oeufウッフ、フランス語で卵の意味。大学時代の友人は10年近く踊らず隠れていて、同したかなと思って掘り出してみたら卵になっていた。その間出産、育児様々なことがあり、しかし今回のリハーサルでたくさん話し、また今回の舞台でスパークし、「踊ろう」と思ったらしい。今のウッフさんは生きなきゃと踊らなきゃが一緒のとてもいいとき。それを紹介しなければと今回の作品になったところもある。
作品冒頭の光をあてるところ、目をぱっちり開けるとき「目覚め」だと思う。
後ろに回って背中に光をあてるところ「天使のはね」だと思う。
どこまでもとんでいけますように。
終演後他のダンサー(主にkentaro!と瑞丈くん)たちに触発されたのか、名古屋オービタルにも乱入。これからが楽しみ。
希望をこめて。

付け加えてくとウッフさんは「きのさんの専属ダンサーですか?」ときかれるらしいのですが、そんなことはないです。きのさん普段ソロがほとんどです。ウッフさんにご興味のある方ぜひ踊らせてください。きのも別に自分の作品以外でも踊ります。ダンサーとしての依頼も受け付けます。(ただし練習期間など要相談、振り覚えは悪いです)

ウッフ、戸井、きのは大学同期(濃いなあ。でも私や戸井さんは大学内では薄い方だったので他のメンツはさらに濃い)、のりさんも一個違い。心強い同年代です。本当にありがとう。

オービタルリンク


オービタルリンクについて。
初名古屋で書いたオービタルリンクについて補足説明しておきます。

2012.10.03@名古屋

正式名:オアシス21開業10周年・愛知芸術文化センター会館20周年・愛知芸術文化協会設立20周年記念イベント オービタルリンク名古屋セッション(でも覚えられないよね)
1998年に名古屋から始まり、岐阜、大阪、京都、フランスとめぐり、実験と出会いの場として機能してきた即興の会、オービタルリンク。今回は、くじびきによるダンスと音楽、映像の予測不能なトリオ集。
木野彩子(ダンス神奈川)
黒子沙菜恵(ダンス大阪)
長谷川哲士(ダンス)
Ray Nakazawa(ダンス三重)
Oeuf(ダンス埼玉)
稲葉雅巳(映像東京)
小野浩輝(electronics)
矢野司空(尺八)
臼井康浩(ギター)
佐藤シゲル(ベース他)
長田康子(サックス三重)
アカノシバヒト(サックス)
平尾義之(サックス他)
浦沢さつき(琴)



オービタルリンクはフランスにいた頃に知り合った友人の中沢レイがはじめた音楽とダンスのくじ引きセッションイベント。元々はくじ引きではなくだらだらやっていたらしいが、最近はフォーマットが固まりつつある。

①ダンサー、音楽家が集まる
②くじを引いて3人を選ぶ
③3人はソロを3分ずつそれぞれ行う(もってきたネタを行ったり、ゲストを招いてもいい)、その後5分間その3人でセッションを行う

という14分のセットを何回か行うというもの。
詳しくはhttp://orbitallink.sakura.ne.jp/参照のこと。
レイさん自身が子育て中ということもあり、最近おとなしかったものの、再び復活。三重の津から名古屋まで登場。(かくいう私も神奈川から登場!他にも遠くからきちゃった人がたくさん)
写真を見るとパブリックな場所でこんなアングラなこと!と言う気もしますが250人以上の観客もいたそうです。ちなみに練習中からくぎづけになってしまったのかおじさまが3時間ちかくみてくださっておりました。
http://www.youtube.com/playlist?list=PLmSGZABQpWFxmCMzdTDUrcotyAFPOfZOB

でも個人的にこういう即興やると反省点がとてもみえて、まだまだだわ私と思うのです。
キャラ薄いわとかここでとまっておけばとか、、映像見てもこのときの感じわからないんですけれど。(そもそもこわくて映像みれません)

それでもこのカオスな面白さは東京でも是非と思っています。ご興味のある方ぜひご連絡ください。

門仲天井ホールのピアノの話しとダンストリエンナーレ

先月方波見智子さん(マリンバ)のお誘いで踊りにいった門仲天井ホール。
先月末で終了したものの、今日ピアノの搬出があるというので再び伺いました。
8階の、ビル最上階にあるスタンウェイのピアノ。強引にクレーンで運ぶ大事業でした。記録をする人を募集してて、でもなんとなく気になったので、伺ってみたら、外からとる人がいなかったらしく、そのままi phoneでとることに。以下映像です。

終ったあと、記録にきていた音やカメラ、映像の皆さんと黒崎さん(オーナー)としみじみとホールの話しを聞きながら。
小さなホールの中にたくさんの歴史と思い入れが詰まっていることを感じました。また、学校の卒業があって入学があるように再び新しい出会いがある、またここから新しく進んでいくんだという意思がものすごく強く伝わってきて、本当に優しい気持ちになりました。


今日はそのあと伺ったダンストリエンナーレ、ヤスミンゴダールで大学の先輩白井麻子さん、そのあと青山でお世話になっている温子先生にお会いしました。思い出話に涙が出てしまう一日。
温子先生10年10色みてくださっていたそうで、どんどん踊りなさい!踊らなきゃだめ!と励まされました。ソロでとご指定。はい、またがんばります。
ダンストリエンナーレは本当に盛況で。いいプログラム(外れない)がそろっていることもあるけれど、これまでの種まきがつながっているような気がしました。高谷さんがやっていたのは10年早かったんだよという温子先生。でもその種まきがあったからこそ、今がある。感謝して。喜んでみてくれているだろうなあと思いつつ。
高谷桜も見にまた韓国にもいかなきゃ。




八木リハ1回目

数日前になりますが、八木美知依さん(箏)とのリハを行いました。
八木さんやはり強力です。
前の響庭のときも面白かったですが、そのときは決まり事も結構あったし、練習はほとんどなかったので、(顔合わせでいくつか軽く踊ったくらいであとは現地でリハみたいな形)話しながらリハを行うのはほぼ初めて。しかし先日の10年10色を見に来ていただいたこともあり、話しもはずむはずむ面白いです。
(ちなみにドラムののりさんは八木さんのバンドでもたたいている)
おおよその曲の流れというか構成のようなものを決め、ちょっと動いてみてビデオを大量にとり、それを分析しつつ動きをピックしていくというような作業になりそう。即興も曲も何でもOKな方なので音楽方面はかなりお任せしつつ、私は私でどんどんつめていくという感じになりそうです。
お家で練習に励みます。

八木さんリハのときに開脚で座っていたらえらく驚かれ写真までとられました。詳しくは八木さんBlogでご覧下さい。

2012年10月4日木曜日

夜叉ケ池(SPAC中高生鑑賞事業)

SPACでは中高生鑑賞授業というのを行っていて平日の昼間に中高生を招いて公演を行っています。昔は学校の体育館などに劇団がきて演劇、古典芸能などを行っていたが、それを本当の劇場で行ってしまうというちょっとすてきな会。
今回名古屋の帰りに「いくなら今日しかない!」とおもい強引にいってきました。10月6日までなのです。

ちなみに一般のお客様にも公開しており、
特典としては
①元気な中高生の素朴な反応(暗くなって大騒ぎとか、意外なところで大笑いとか)をみれる
②特別のパンフレットをもらえる(解説つき)
③公演後に役者、スタッフからの解説がある
があげられます。お時間に余裕のある方はぜひおすすめです。(他の演目も同様に開催されているのでHPなどでご確認ください)

③スタッフの仕事の解説かなり面白かったです。(スタッフさんたちが個性豊かで面白い人たちだというのもあります)学生たちもかなり興味深かったはず。おそらく劇場というもの、スタッフワークを知ってもらうと演劇はよりいっそう面白くなります。最近はバックステージツアーなども開催されていますが、ちょっと違った見方ができるといいなあと思いました。

夜叉自体は過去にみている演目ですが、結構舞台セットとか天守物語とごっちゃになっていたらしく、改めて見直した感じがしました。
11月の舞台には役立たないだろうなあ、、、。でも和物やっぱり好きだなあとつくづく思いました。日本人です。

初名古屋

初名古屋。
通りがかることはありつつ、はじめてちゃんと名古屋に行きました。
三大都市だけあってやっぱりでかいです。おのぼりさんしちゃいました。皆様ありがとうございます。

そもそもオービタルリンクに参加するべくきたものの、夜行バスでいったため早朝につき、名古屋城をお散歩。その後れいさんと合流して、れいさんの古くからの友人(オービタルではクロノズなる怪しい3人衆を演じてくれた)とれいさんヨガクラスを受け(現在ヨガトレーナーとしての研修をうけているそう)、オービタル集団に巻き込まれ、カオスのときを過ごすという盛りだくさんの1日。(ちなみに翌日の今日は静岡SPACに立寄、夜叉ケ池をみてきました)

名古屋の印象
①名古屋の人はとても人なつこい
コンビニのお姉さんが「大きいにもつね、どこいくの」と話しかけてくる。東京だとあり得ないです。
②手羽先はおいしい
手羽先おいしかったです。でも長谷川さん曰く2種類あるそうで、「やまちゃんってのがあるんだよ。」とのこと。そこで話しが途切れてしまい、非常に気になっています。次はぜひ。
③名古屋広い
名古屋まじで広いです。
東京ほどじゃないのかもしれませんが、かなり迷子でした。駅の中とかわかりづらい!
④名古屋のダンス人はあついです
打ち上げにも参加してくださったハポンダンスの皆様。なんと「10年10色」もみてくださったそう。しかもどうやら「かめりあ」もみているらしい。なんとわざわざはるばる!ありがたい限り。自分たちでもイベントを起こしつつ、外へも学びにいく姿勢見習わねばです。私もフットワークを軽くしなければ。
⑤オアシスの広場がすてきです。
10周年記念とかいう名目で特設会場なる舞台がつくられていたけれど、そんなのがない方がすてきな空間です。あの天井の光といい、個人的には別件で踊りにきたいです。

オービタルは相変わらず強力なイベントで、とてもカオスでした。
あんだけパブリックな場所であのアングラ状態が許されるそのことも驚きです。しかしそれがオービタルの良さなのでしょう。近日中に映像などもアップ予定です。
10年10色でテンションあがっちゃったウッフ(ふみのさん)ビル君と一緒に乱入など、本当に楽しい会でした。
れいさん、おつかれさまでした。


ウッフの兄貴、長谷川さん、きのの個人的に選ぶ昨日のMVPです。
なぜか「俺の名前は芝刈り機ー」と叫びはじめ、踊り狂い、凄まじかったです。(先日の10年10色で瑞丈くんと山崎広太さんの話しをしましたがそれを思い出しました。近い何かがあります)しかしその後舞台から転げ落ちたときに頭をぶつけたせいかその記憶はいっさいないそうです。さすが、兄貴。


おまけ
帰りがけにうどんをたべてて歯が欠けました。
ちょっとありえない展開でショック。



2012年10月2日火曜日

明日名古屋

明日名古屋へいきます。
いつも通ることはあるけれど、実質初名古屋。楽しみです。
おとといの10年10色でテンションあがちゃったウッフ(小山)もきちゃうらしい。SPAC関係者3人集合。ちょっと濃いーオービタルです。
名古屋周辺の方どうぞよろしくお願いします。
おまけですが、帰りにSPAC夜叉ケ池もみてきます!