2013年4月30日火曜日

静岡日本平動物園

SPACの本拠地は日本平にあり、山の上です。そこへ行くには車しか入れないパークウェイなる道路を通っていくのですが、そのふもとにあるのが日本平動物園。
なんと静岡には動物園が一つしかないらしく、この日本平動物園に静岡中から人が押し寄せます。ましてやゴールデンウィーク。

車文化の静岡らしく、駐車場までの道のりは大渋滞。昨年までもひどかったのですが、今年は動物園よりも上のエリアに新しく駐車場ができたこともあり、そこまで渋滞が続くようになりました。15分ほどでつくはずの道のりが1時間たってもまだつかないという悪夢の状態になります。
日本平に起こしの際はご注意を。

こんな状態なので毎日通うだけでも大変!子ども達は静岡各地からやってくるため、遠い子は2時間以上の道のり。


こんな日本平動物園ですが、私は未だいったことがありません。大抵お休みになる日は休園日で同様に県立美術館(SPACの裏側の道沿いにある)もなかなか伺えず。とても気になっています。当然今日も休園日でした。珍しく静かな日本平。


今日は練習がお休みということもあり、ニヤカムさんがくるまでに食料の調達と、コールシャンティさん(巣鴨教会の合唱団)用振付を考えたり、授業の準備をしたりしています。なぜか静岡に来るとものすごく眠くなるのですが、私だけでしょうか。新緑の緑がなにか悪いものを浄化してくれているのだろうか、と思ったりもします。

タカセの夢2013スタート

タカセの夢4期目がスタートしました。
静岡生活も4年目。すっかりなれて、宿舎についたときには「ただいま」と声が出てしまうありさま。
このシーズンは2年区切りなので、昨年と同じ子ども達が勢揃い。しかし1年でまた大きくなって、しかも久々に会うものだから異様なテンション、さらなるパワーアップです。
とりあえず衣装さんはほとんど全員の衣装を作り直ししなければいけないのではないか?という勢い。
みんなで振付の思い出し作業をし、明日以降の練習に備えます。(今日はゴールデンウィークの中の平日ということもありお休みになりました。)ニヤカムさんは今日到着。早速スタッフのミーティングです。

本番は8月。
今年は韓国(!)、大阪、静岡での上演を予定しております。お時間ある方はぜひお越し下さいませ。

2013年4月28日日曜日

杉劇リコーダーず

杉田劇場リコーダーずの定期演奏会に行ってきました。
かれこれ3回目。
ちなみに初回はきの作品「こどもたちのうまれるとき」の発表があったこともあり、お手伝いに伺ったのですが、今回は完全にお客さんとしてお邪魔してきました。
子ども達はますます大きくなり、小学生だけのグループだったはずが中学生になり、高校生にもなってしまって、すっかりおとなびていたり。
ゴールデンエイジもますます元気に活動していたり(昨年よりアンサンブルの稽古をはじめたせいか、各個人ががんばっているような気がする)。中村牧元館長が移動になった後も着々と成長を続けている様子でした。

今回はなんと子ども達がアドリブとかなんとかいいながら動きを考えたシーンがあったり(ドレミの歌)して、それもちょっとよかったです。
最後に赤い屋根の歌(きの作品「かめりあ」にも使用されているリコーダーずの代表曲)を演奏してくださったときには涙がでてきました。みにいけてよかった。またがんばらなければとおもうのでした。

矢田部さん(追記4月26日)

矢田部英正さんという姿勢研究のひとがいる。http://www.corpus.jp/

まだヨーロッパに行く前の頃、彼のもとに通っていた時代があり、いろいろダンス的身体の使い方を話したり、逆に日本人の身体についてきいたりしていたので私にとっては「日本的身体づくりの先生」である。(密かに博士論文の時にあまりにまにあわなくてきのが被写体をしたりしている)「IchI」、そして「しづ」を踊るときの身体の使い方はこの人の影響が大きいと思う。

姿勢研究が高じて椅子をつくるようになり、気がつけば服飾文化を学び、気がつけば女性芸能史の研究(美貌の美学、中公文庫)まで幅広い。長らくお話ししていないのに活動範囲がリンクする面白い方。まさか女性芸能史にいくとは思っていなかった。残念なことに白拍子は入っていないが、次にあったときには話してみようと思う。

昨年お世話になった東大駒場UTCPで4月20日に講演とワークショップがあります。
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/events/2013/04/memory_and_human_body_1/
(別に私がよんだわけではありません)
私のものと同じシリーズで今後もかなりかわった身体について語る人がくることになっているらしいので、ご興味ある方はぜひ。

(追記:4月26日)
矢田部さん講演いってきました。
久々にお会いしましたが、突然上虚下実のモデルをさせられたのには参りました。かなりの無茶ぶりです。10年ぶりくらいなのに。恐るべし矢田部パワー。
お話自体は一般の方にもわかるようにと著作の内容をふまえてのものでしたが、普段からだから離れている哲学系の方々にはとても興味深いないようだった様子。



2013年4月13日土曜日

1ダンス1鬼ごっこ

もう一個教えにいっている「幼児体育2」の授業が始まりました。
こちらは既に「幼児体育」として幼稚園の先生に必要な基本的な運動は学んだものの、もっとからだを使った遊びについて学びたい!という学生さんにむけたもの。つまり応用編です。大学の先輩にあたる先生といろんな遊びを紹介していきます。
毎時間1ダンス、1鬼ごっこ。
実は幼稚園の指針として様々な運動に慣れ親しませるというのがあり(子ども達の体力、運動能力向上のため)、いろんな遊び(いろんなからだの使い方)をさせましょうとなっています。で、遊びのモデルは鬼ごっこ。できるだけシンプルなルールで、しかし没頭できるもの。さらにその応用をめざし、毎週鬼ごっこを行います。
今週ははじめの1回目だったのでオリエンテーション。名札のかわりに張っていたガムテープを使ってのテープ鬼、とペアバスケット。
恐るべし鬼ごっこ。体力の衰えを感じます。

そんなわけで鬼ごっこに詳しくなりつつある私ですが、日本全国各地の鬼ごっこについてかかれた本を発見。伝承遊びの歌などが変容している(タカセの夢で発覚した静岡版はないちもんめのように)のはしっていましたが、鬼ごっこもかなり幅が広い。子どもの遊びはおもしろいです。


おまけ
はないちもんめ「相談しましょ、そうしましょ」
静岡版はないちもんめ「丸くなって相談、ちょっとまってね!べー!」
タカセの夢にはそこからさらに進化した?ニヤカム版はないちもんめがでてきます。


シュラフ

教えにいっている学校の学生さんが卒業記念にくれたものはなぜかシュラフ。
比較的若い世代の先生が多いとはいえ、シュラフを使う人はあまり多くなさそう。(すべての先生に渡したらしい)でも私にとってはわざわざ買いはしないけど密かに欲しくて気になっていたものNo1であったので、ちょっとうれしい。
これはシュラフ抱えて旅に出よという思し召しだろうかと本気で思う。

2013年4月11日木曜日

生まれかわることはできないわたしたち

SPACさんより6月の演劇祭のお知らせが届きました。
今年はタカセの夢公演は8月で演劇祭には参加しません。ただこどもたちにどんどんみせてあげたい演目が続くため、練習を所々入れながらみんなで見に行こうと思います。

毎年宮城さん(芸術総監督)は自筆で言葉を書くのですが、今年は「生まれかわることはできないわたしたち」とかかれておりました。「つまりいまこそ、人間と社会を継続性の中でみなければいけない時」と。

ご興味のある方はSPAC HP:http://www.spac.or.jp/fuji2013_index.htmlを。

宮城さんの新作は「黄金の馬車」なのに室町時代(?)の田楽一座。劇中劇は古事記。いったい何がおきているのでしょう。とりあえずこの前お会いしたときにあめのうずめの話しをしてもりあがった理由がわかりました。なるほど。

図書館

少し前のことになるが、母校の図書館を卒業生は利用できるということを知りました。
しらなかった。卒業して1うん年、衝撃を受ける。
さらに今時の図書館はネットで蔵書検索もできるということを学習した。
よんでみたいなと思いつつほったらかしてあった論文を読むことができるようになってちょっとうれしい。それに伴い白拍子の資料などを入手したりもする。

ついでに大学時代の民族舞踊の先生がプロフェッショナル志向のダンスとコミュニティ形成のためのダンスについてケチャと日本の伝統芸能をもとに書いていて、アジア圏の傾向がこんなところにもと驚かされる。しかもついさっきブログに書いたとおり、同じようなことをアシュフォードさんと話したばかりだ。まさか1うん年もしてこんなところで話題になろうとはきっと先生も思ってもみなかったことだろう。いい先生でした。

さらに調子に乗って(?)国会図書館にもいってみて、さらにすごいことになっていて驚く。カードをつくったら、そのカードをパソコンにセットして文献検索と資料の引き出しと、複写依頼を行う。このカードすごい!まだ導入されたばかりなようで、しかしつくるのもスムーズにできることから未体験の方はぜひ。
(ただし複写は結構高いので要注意)
一度登録すればあとはおくってもらったりもできます。

論文検索の仕方など普通はみんな知っているのかもしれませんが、衝撃をうけました。(私が学生だった頃はまだここまでネットが普及していなかったのです。それでもmedlineは使っていましたが、OPAC、Ciniiを使っていなかったのではないかと思います。)そして知とは財産だと思いました。
(あまりにばかっぽい感じがしてブログにのせるべきか迷ったのですが、それくらい感動したのでのせてしまいます)

アシュフォードさん再び

ちょっと前のことになるがアシュフォードさんがオーストラリアの帰りに日本によってから帰ったのでおしゃべりをする。(奥さんが日本人なので本当によく日本にいる)
オーストラリアの人とカナダの人と打ち合わせが難航して結構苦労しているらしいです。

その中で
日本では既にネットなどで「踊ってみた」「歌ってみた」、漫画や小説の投稿など自分で表現をする文化がどんどんはやり、プロフェッショナルなものにお金を支払うという発想が抜け落ちてきているという話しをした。特にアニメや漫画は顕著で、本当に上の方のプロと呼ばれる人をのぞいて総アマチュア化というのだろうか、皆そこで利益を求めようと思わず趣味なのだけれどすごいハイクオリティという現象がおきてきている。
ダンスもあちこちでワークショップが行われ、裾野が広がり、踊る人口はふえてきていると思う。がそれがプロフェッショナルなダンスを見に行くことにつながっているのかは実は疑問だ。
たくさんコミュニティダンス作品ができる、そしてその作品をつくるのには作家(振付家)が必要だというのはわかる。でも実はダンサーは自分で自分の首を絞めるのではないか?それでもつくりつづけていくことが大事なんだよね、というような話しをした。
単純に踊ること自体に力があり、下手な作品を見ているよりは自分で踊った方が楽しいのは確実である。スポーツとしてダンスをとらえれば健康効果もあげられる。すばらしいことづくめ。
逆に言えばあえてそこでプロフェッショナルというのであれば、あるいは発表会ではなくお金をとるというのであれば、そういうのを圧倒的に上回る力量みたいなものが必要で、ハードルは高くなる。

選ばれた人のための選ばれた人によるダンスから、すべての人ためのすべての人によるダンスへと時代は向かっている感じがします。

身体表現法2013

毎年某大学のなぜか国際経営学部で開講されている身体表現法の授業を担当しています。経営になぜ身体表現?という声もある中、何十年と続く授業。海外にホームスティ、短期留学をする学生が多いため、言葉に頼らないコミュニケーション能力を身につけてもらおうという目的でつくられたのだそうです。美術家の先生と半分ずつクラスを担当します。毎回異なるダンスを体験しながら、その背景にある文化的側面を学び、最終的にレポート課題をかくという形式です。
大学の先輩の話しによれば、過去バンブーダンスを踊った年(私の友人がその昔うけたらしい)、バリ舞踊があった年、カポエイラのあった年など様々です。
実際言葉あまりできなくても生きていけた私が授業を担当するのだから、みなさまぜひお越し下さい。(とはいえそこの学生でなくては授業を受けることはできません)

今年は
1マッサージ、ストレッチ、筋トレの仕方など→基本的な身体の使い方を学ぶ。
2クラシックバレエ→身体の引き上げ、ターンアウトなどとシンメトリーやストーリー性への言及、バレエ団の構造について。
3コンテンポラリーダンス→脱クラシックとして生まれたモダンダンスと、その後さらに自由に身体を動かすために進化した方法論、特に重力、運動力学を利用した動きについて。(こういうところがヨーロッパ的)
4舞踏→言葉やイメージによる運動の無限の広がり、死や老いなどのネガティブなイメージの受け入れと昇華(消化)。
5日本的な身体の使い方とコミュニティダンスとしての盆踊り→座り方、礼の仕方、すり足と盆踊り(おそらく郡上踊りより)、さらにパラパラへとつながる日本人の傾向について。
62人で踊る→おそらくサルサをもとに相手がいることで成り立つ踊り、言葉を超えて伝わってくるもの伝える方法を考える。

という内容を予定。実際には学生さんの様子をみてかわる可能性もあるのですが、楽しみです。

2013年4月2日火曜日

代々行をしてみて思うこと

少し前になるが、稽古場の先生のかわりの人のそのまたかわりの稽古を受け持った。稽古場というのはだいたい週に1、2回お世話になっているモダンダンスのお稽古場。何をやってもいいらしいが、一応普段の稽古を念頭にいれてプログラムをたててみる。
ちなみにそこのお稽古場では
一人で行うストレッチ(20−30分くらい、定型がきまっている)
バーレッスン(クラシックバレエベース)
フロアーでの動き(モダンベース)

あらためて、せっかくだからなにか違うことをしてみようと思い、ストレッチをものすごく時間をかけて丁寧にやるクラスとスイングリリースベースのクラスを行ってみた。

通常ダンスのクラスを担当することはあっても、学校や一般の方向けの短期のワークショップなため、大切なのは短時間である程度わかる、つかむということではないかと思う。身体をとにかく解放させて動くことの楽しさを伝える、1回のワークショップではそれで十分。

しかし毎週あるいは毎日続けていくということになると、目標は変わる。
ある程度同じことを繰り返していくことで、身体の異変に気がつけたり、徐々に身体を理想に近づけていく作業を行っていくため、いろいろあれもこれもやるのではなく、できるだけシンプルな課題の方が好ましい。

なので、稽古場で行っていることは残念ながら私の学校や一般向けのクラスには全く応用されていない。

さらに個人的に自分の中で課題とし、毎日行っているトレーニング内容は稽古場の稽古とも全く異なっている。
歩行速度をどんどん落としていく、立ち方をかえてみる。
筋肉の緊張を見つけそこを支点に動く
気配とともに動く
結構床にねっころがっている時間が多く、あまり稽古をしているように見えないところが情けない。
実験段階なので、自分の身体でいろいろ試していく他はなく、いまのところ個人で行っている作業。ただ、これをすることで自分の身体とはなす時間をとることができているのではないかと思う。フランス時代の先生のクラスはフェルデンクライスベースでそれにも近い。でも私がしていることは「私の身体でなにがおきるのか」を探る作業。
特に「しづ」のこともあり、着物を着たり、すり足の時間をつくったりもしている。(「しづ」は再演を目指すので継続)のちのち影響が出てくるのではないかと思う。



自分がやっていることと人に教えること、人から学ぶことに差異があり、そこがとても気持ち悪いのではないかという気がしてきた。全部かねあわさって私の表現ではあるけれど、自分のやっていることに自信を持ってぜひ皆さんでやりましょうとはならない実際。
非常に地味だと思う。


2013年4月1日月曜日

ピアノの発表会

ピアノの発表会をみにいきました。
前にワークショップを行った障害を持つこども達も、普通におとなも参加しての発表会。
昨年の白鳥ダンス(即興ではありますが、クラシックの音のせいか評判はいいのです。youtubeにだしています)の演奏をしてくださった先生が中心になって行っている会です。
素人ではありますが、それぞれに目標を持って、誠実にきちんと演奏する姿勢がとても心を打ちました。
友人のクラリネット奏者さんが、出産直前の身重でありながら参加していたり、お母さんと連弾したり。お医者さんから学校の先生、4歳の子まで!途中でつまづいたりすることもありながら、でも応援しながらきいてしまういい演奏会でした。

わが町新百合ケ丘をみたときにも思ったのですが、
素人とはいうけれど、きちんと丁寧に作り上げたものは見応えがあり、心をうちます。
また遊びにいきますね。

コールシャンティ

巣鴨教会は昨年公演をした時点でも多くの合唱団が練習に利用しているということはきいていましたが、牧師先生をしたってかれこれ10団体ほどが練習している合唱に強い教会さんです。
(教会の牧師さんの得意分野にあわせてそれぞれ強いジャンルがあるのだそうです。たまたまですが、渡辺牧師はオルガニストとして海外留学までした経験を生かし、音楽に特に力を入れていたわけですね)
昨年「からたち」で受付をしてくれた小島さんは「かすかに聞こえてくる合唱の声が木野さんの踊りにとてもあっていると思った」そうで、合唱の方々と何かできないものかと思い牧師さんに相談をしてみました。
渡辺牧師の指揮するグループもあるのですが、ちょっと面白いグループを紹介していただきました。

コールシャンティさん。http://shantey.net/
50年も巣鴨教会を中心に活動している、合唱団さんです。人数は少ないけれど(老若男女、20代から70代まで)実力は確か。巣鴨教会のクリスマスの礼拝のときにも合唱しているグループとのこと。
ここの特色はウォームアップに体操をするグループ。体操だけならともかく、ボイストレーニングの一環で縄跳びとか(指揮者の野本先生曰く「リズム感を養うんだ」とか)かなりの体育系。杉劇リコーダーずと同じにおいがする!
今日も上野でコンサート。寒い中、がんばる皆さん。
これはなにか関わらなければなりません。とても楽しみです。


杉劇リコーダーずはその後「こどもたちのうまれるとき」をレパートリーとして何度も再演してくださいました。このグループも演奏前にウォームアップとして肩まわしからストレッチ一通り行います。(コールシャンティさんは月に2回トレーニング専門の日があったりする)今年も定期演奏会みにいけるかな?



2回目のイースター

巣鴨教会で2回目のイースターを迎える。

私はキリスト教信者ではないものの「からたち」以来ちょくちょく通いつづけており、再演(改訂)にあたりいろいろ取材をしています。
毎週は難しいものの、ちょくちょくいくうちに、だんだんなじんできて、信者の方々のお話を聞かせていただいたりするのです。(=巣鴨教会の思い出話や自身の生活について)

キリスト教団信仰告白(キリストの復活、神の存在を信じるという文章を皆で読み上げる。キリスト教徒であるという宣言のようなもの)や聖餐式は参加しないでみています。(ぱんと葡萄酒を分かち合う儀式、葡萄酒はアルコール度数のないもの。なお、これを信者ではないのに飲み食いすることは罪であるとはじめに話される。ヨーロッパにいる時、よく知らなくて、たべろたべろといわれ、もらってしまって反省)
こんな変な立場のまま(それを許してくださっているのが巣鴨教会の度量の深さかもしれません)かれこれ1年、懐かしい限り。
ちょうど昨年のこの時期に巣鴨教会に出会い、ちょくちょく通うようになったのでした。

2000年続く教会の歴史、
ここまで広がり続いているのだから「何か」があったはずだと聖書をひもとき語りつづける牧師さん。2000年のうち何十年かは通いつづけ、毎年この時を迎える信者のみなさん。

私がみている時間はあくまでほんのわずかですが、いろいろ学ばさせていただいています。