2018年9月6日木曜日

死者の書再読@城崎4日目

死者の書再読@城崎4日目

昨日火災報知器が鳴り続け、止めることができず、解除していた件は解決せず。色々あって寝るのが遅くなり寝たところでやって来た北海道地震。
北海道は地震が少ないことで有名で、私がまだ小学生だったくらいの頃、震度5位を体験しているのですが、それからずっとない。つまり慣れていないところに来た地震。
木野実家のライフラインは回復したそうですが、規模が大きかったこともあり、ダメージは様々なところに及んでいます。今回初めて感じたのは北海道でっかいけれど、やっぱり島という事実。全道停電、結果空港閉鎖、JR地下鉄休止、となった時にどこにもどうにも動けないという。助けにもいけない。1日でかなり復旧しましたが(おかげで木野実家は電気もついたし、水も出るようになった。千歳空港に近いエリアなので早かったのかもと思う)それでもまだ停電地域は残っており、全道(特に石狩や旭川、滝川などに私の友人は多い)の木野知人の様々なSNSのつぶやきを聞いていると、その大変さが見えてくる。
まずは自分の暮らしが立て直せるよう、祈ります。助けようもない。そういうことが見えてきた感じがします。
2015年Amanogawaプロジェクトというタイトルでワークショップと映像政策を札幌で行なっています。その時にも泊のことを含め様々なディスカッションを行いました。きっと大丈夫(札幌圏の方が多い)と思っていますが、その時話していたことが現実に起こりうることなんだということが結構ショックです。
滅びゆくこの世という感じがどうしてもしてしまう。


それにしてもこのしばらくの台風や地震といった災害の多発、何か神(?)の怒りのようなものを感じます。時代の変化と、人々の暮らしの変化はあるけれど、もう一度見直しなさいと言われているような気がしてしまうのは私だけでしょうか。

今日はペイント実験とその処理、杵屋さんの到着に合わせての音響系セッティング。作品の方向性やスケジュールの確認などを行いました。明日は前半戦滋賀津彦と郎女それぞれのキャラが決まっていきます。これまで何回かやぶさんと模索していていますが(鳥取リハ)、杵屋さん登場で新たなバランスが生まれます。

杵屋さん、四谷三丁目茶会記であった時から只者ではないと思っていました。そういう人は実は何人かいて、総じて”〇〇ばか”であるという。古典に惚れ込んで、キチガイ扱いされようと何だろうと自分の興味関心を大切にし、突っ走ってきたその感覚。何か同じような気配を感じ、異ジャンルとはわかっていてもこの人なら大丈夫とお呼びしてしまいました。ガムランと長唄、ぜんぜん違う、でも何か通じてる。そしてそれが出逢いつながっていく。

とりあえずこの人たちは大丈夫。(自分はさておき。むしろ一番ゆるすぎてやばそうなの自分)そんな予感。楽しみ。そして、この合宿だからこその感覚はここでしか見れないと思います。ぜひ。



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