2019年6月30日日曜日

スタジオマキノ


今日はスタジオマキノのクロージングへ。私がダンスを始めたのは3歳の頃で、小学校時代の3年くらいと大学2年からお世話になった稽古場。もともとは都立大にあり、(川崎市)高津へ移り。海外に行っていた時代もあり、ずっといたわけではないけれど、ここで稽古をしていた時代がある。先生がなくなって5年半。私が鳥取に来て3年半。
長くハンダイズミさんが中心となって守っていたクラス(スタジオ本体はキッズガーデンという彼女の妹さんの経営する団体が管理)があったものの、撤退することになったという。
多くの関係者が集まり、同窓会のような状況になった。
そもそも私が鳥取にいるということすら知らない人も出てきて、結構説明は面倒臭い。。。

過去の先生の作品を見ながら(それは私が関わる前の彼女が踊っていた頃のものも含まれる)、あるいは自分が踊ってきた彼女の作品を思い出し、懐かしいのと、当時からいろんな疑問と不可解を抱えながらずっといたことを思い出す。その違和感は私が作品を作ることにつながり、全く異なる形で現れるようになっていったけれど、とりあえず放っておいてくれた。
放っておいてくれたというのは例えばEdge(横浜ダンコレ2003)も見ていない。IchIも。でもそれでよかったのだと思っている。

海外に出て、帰ってきて、でも体を動かす場所は必要で稽古にはいき、そんな暮らしをしていて、とにかく動きは体に合わないし、どうしようかと思っていた。
彼女が亡くなり、彼女の作品を踊る必要がなくなった時点でバレエの稽古をやめ、独自に身体づくりを始めることにした。でも逆に言えば、おそらく私でなければできない領域があると思っていたし、身体を作るということが作品を作るということだと私は今も思っていて、彼女のために待っていてあげることができたのだと思う。
江口隆哉の最後の弟子にあたる彼女、そして幼少期に受けていた邦系の身体育成法、それは無意識にでも体に残っているある種の財産だと今は思う。(そしてダンスハ体育ナリ?につながっていきます)

ラッセルワークも、ニヤカムさんワークも今でも私の体に染み付いているけれど、(特にラッセルさんが木野の無意識下で行なっていることを発見し、言語化してくれたプロセスによって、私はかなり意識的にその現象を扱えるようになった)もともとはそうやって作られてきたもの。
古いアルバムから小学生の頃に踊っている自分の作品が出てきた。また大学の頃作ったソロ作品の写真など。(「壺の中の鳥」なんと忘れていたけれど鳥作品あったんです。でも北京ダックからヒントを得た結構暗い作品。)亡くなった時の遺品の整理では大学時代に撮ったプロフィール用写真が出てきて驚いたが、今回は妹の写真も一緒に出てきた。昨日ちょうどあったところだし、送ってあげることにしようと思うのでした。

2019年6月24日月曜日

鳥取夏至祭2019

鳥取夏至祭2019とりあえず無事に終わりました。

それまでずっと晴れの日が続いてしまい、梅雨にも入らず、どうしたものかと思っていたのに、まさかの雨になってしまう。(でも帰る頃にはやんでしまう)ある意味雨乞いの踊りにはなったのかもしれない。滋賀津彦きちゃったんだねと思うことにする。本当は晴れ女のはずなのに、ここしばらくは雨(雪)を呼び寄せている。楽器や照明、準備は大変なことになったけれど、なんとか乗り切ることができました。
ちなみにその翌日からもまだ晴れが続き未だ梅雨入りしていない中国地方。(6月26日現在)実は過去最遅だそうです。

写真や映像はまた後日にはなりますが、プログラムの言葉を転載します。


 写真:田中良子


ごあいさつ
わたしたちは踊りたいから踊り、奏でたいから奏でる。音楽もダンスも美術も。今、ここで作り出されるその瞬間を楽しむために、プロもアマチュアも垣根を越えて、ただ遊ぶところから、全ては生まれるのだと思います。

見に来てくださった皆様へ
 3回目の鳥取夏至祭は。学生も参加し始め、少しずつ広がりを見せています。「何もないから何でもできる」と何も知らないまま勢いだけで始めてしまったこのお祭り、昨年より学生さんが手伝い始め、参加する鳥取の人も増え始めています。そして夏至祭以外の時期に再び鳥取を訪れるアーティストも出てきました。
なぜアーティストたちが度々鳥取を訪れるのか、それはこの土地がまだゆったりとしたおおらかさを有しているからではないかと私は思います。空きスペースや公園、河川など使用するために説明に伺うと、面白そうだねえとおっしゃり、物を置いたり通行を塞いだりしなければ大丈夫と認めてくださいます。(首都圏などではまずあり得ません。なのでパレードのようになったり、警備員を配置したりしなければいけない)そのようにみなさんの善意を縫うようにしてこのお祭りは開催されています。
年々規制や取り締まりは厳しくなりつつあります。全国的にも、全世界的にもわからないものは認めない、排他的な動きが加速しています。実際この3年でも表現や言論の自由が何度も問題になり、3回の夏至祭の間にも許可申請の書類数はどんどん増えているのが現状です。さらにイベントは経済効果や集客数で評価されるようになってきており、多数であることが力を持つようになってきています。鳥取県は人口最小県。そんな中どうやって立ち向かったらいいのかと悪戦苦闘しているのが現状です。移住者増やそう、観光客増やそう。
でも、数が全てではない。便利さが全てではない。鳥取にはゆったりとした時間とおおらかさ、そして様々な表現を認める優しさがあります。障がいを持つ人も含めたインクルーシブなダンス、アート活動も盛んです。あまりにもいろんな物事が進むスピードが速くなりすぎている今、丁寧にくらす鳥取のあり方にひかれて、皆再び、三度と集まってくるのでしょう。
もともと多くの芸能はマイノリティによる言葉になりきらない声でした。経済効果による競争や戦いに進むのではなく、自らの暮らしを豊かにするための表現です。様々な表現を認め合うことで、私たちはきっと納得して生きていくことができるようになります。終わった後少しずつ話してみてください。それもまた一期一会。素敵な出会いがありますように。
 
出演者の皆さん、今回訪れることができなかった昨年の参加者の皆さんへ
 3日間は鳥取を知るには短すぎます。なので、また是非お越しください。鳥取はゆっくりゆっくり、でもその分熟成させてお待ちしています。いつ来ても変わらないものって本当はすごく素敵なことなのではないかと思います。またあそこ行かなきゃ、あの人会いに行かなきゃ、そう思える場所が一つでもあればそれはそれで幸せなことだと最近思います。鳥取がそんな場所になりますように。


追記
鳥取夏至祭2019レポート第1弾あげました。
https://tottori-geshisai.jimdo.com/%E9%B3%A5%E5%8F%96%E5%A4%8F%E8%87%B3%E7%A5%AD2019%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/report2019/

2019年6月18日火曜日

コンテンポラリーとは。


今この世の中のあやうさ、やばさ。
インターネット世代の人たちは薄々気が付いている。

香港のデモの凄まじさ。
皆必死だ。自分たちの生活を守るために。生きるために。あの小さな島で200万の人が集まる。最後かもしれないと命をかけて。
本当は日本でも同様に起きてよかったはずだ。例えば安全保障法制、秘密保護法、テロ等準備罪問題あたりは似たような話で、死ななければいいということではないと思う。また、沖縄問題や、自衛隊派遣、そして改憲など市民感覚的には理解ができないことが多数おきている。祖父が議員だったこともあり、本当に悲しく、残念に思っている。

それ、認めていいんでしょうか。
しかしこれまでの生活に慣れてきたそして、メディアにより情報が入りにくい高齢者層は気がつくことができない。選挙に確実にいく彼らによって全ての政治は動いている。

そしておそらく私の世代の多くはそういうものと思っているか、日々の生活に忙しすぎて気がつくことができていない。だって仕事して子育てして、ですよ。しかも多くの家が独立していて、親や親戚、地域の力を借りないで暮らしていて。確実にかつての子育てとは背負っている重さが異なります。

さらに今の若い人たちも教育のせいか気がつくことができない。
私たちの頃も受験だなんだと現代社会は後回しにされてきた。明治維新の意味、昭和初期の時勢を知っていたらきっともう少し違っていたと思う。
私がそのことに気がついたのは鳥取大で教員になってからで(正しくは2016年のダンスハ体育ナリかもしれない)、学生さんはとてもとてもいい子達で、素直で、従順で、あれ?と思ったのでした。教員になってからの3年でも学生の質は大きく変わりました。なんでかな、と思っていた時、仲野先生(元地域学部教授、残念ながらお亡くなりになってしまいましたが)の言葉を思い出しました。年々意欲を持つ学生が減ってきている。外へ出るきっかけが必要だ。
新しい世代の子達は、ぶつかってきて当たり前だと思っていたので、すごく変な気がしました。反抗期や親との軋轢や反発がない子達。ある程度偏差値が高いから余計にそうなのかもしれません。優秀です。でも、それは既存の価値に対しての優秀さ。
現在の教育システムは新しい時代を作るのではなく、今の時代に合わせる能力を育てている。

本当はいろんな生き方がある。公務員になったり、大企業を目指して就職活動する生き方もあっていい。でもちょっと今の時代に合わなくても、周りを変えていくことができる人であればきっと生きていくことができる。その多様性こそが社会の豊かさにつながるはずです。

あなたが生きやすい社会へ自分で変えていくということです。

鳥取夏至祭は多様性のあるコンテンポラリーダンスというジャンルをこの鳥取に紹介するにはどうしたら良いかと思って3年前に始めました。私がいくら踊っても1つの色しか見せれません。本当は純粋に楽しかった時代があったはずだと、即興で遊んでいた頃を思い浮かべました。
3年目になり、学生さんたちに触れながら、今伝えたいと思うのは、自分で自分の世界を作ることができ、それによって社会を変えることができるはずだということです。

パフォーミングアートは劇場を飛び出して、社会と繋がっていくことでしょう。ソーシャリーエンゲイジドアートという言葉はありますが、社会問題に、あるいは人を救うために、外へ出ざるを得ない。鳥取夏至祭は出会いの場でしかない。そして多様な社会を見せるための仕組みでしかない。しかし、そこから新しい生き方を作り出す人が生まれることを私は祈ります。



2019年6月16日日曜日

コンペティションについて

私自身が横浜ソロデュオコンペティションの出身であり、その受賞によって確実に人生が変わった一人であることをまず述べておきます。
その時に審査委員に得点は高かったんだけれど、フランス人の審査員受けが悪くてという話を聞いて、フランスのダンスを知ろうと在外派遣研修員に応募し、海外へ出ました。それまで海外で活動することなど一切考えたことがない中学高校の保健体育教員がです。
この時であった高谷さんや石川さん、榎本さんなどの押し出しがなければ私は海外でダンサーという仕事に就くことなど一切考えなかったことでしょう。そもそもこのコンペも(当時何もなかったので)即興で踊った3分30秒の映像を送ったからこそ選んでもらい、20分の作品を上演する機会をえ、それまでの制作環境と全然違う環境に触れることになったので、貴重な、そして奇跡のような出会いでもありました。(その後、その関係で玉川大のミュージカルの振り付けに関わったり、韓国など海外も含めた公演機会を得ることができました)
なので、若い人(うちの学生さんも含む)にはとにかく出してみたらと話します。
いい悪いは私たちが決めることではない、とにかく今自分ができること、自分が思う新しい世界を提示してみる、ただそれだけのことです。

しかしながら、そのいい悪いというのはどう決めることができるのだろうとずっと思っていました。私の年は岡本真理子さんが「まばたきくぐり」を出した年で、私は正直すごいと思いました。かなり緻密に作られた美術作家とのコラボレーション作品でした。(ちなみに彼女はその翌年「スプートニクギルー」という作品に昇華させ、フランス大使館賞を受賞し、木野が住んでいたアパートに滞在します)そんな中私(「Edge」生贄をテーマに据え即興のまま枠組みを作り体を放り込む)やステージに姿を現さないマトロンさんの作品が賞を取ってしまった。(ただしマトロン作品は私は今でも結構画期的だと思っています。その後の経緯で今彼はダンス業界に見えないけれど、物の見方が全然違っていた。ちなみに翌年作成した箱女の映像を担当してくれました)ちなみに当時の審査員によれば私の作品は結局ダンスは身体性に戻るしかないのではないかということが評価されたと聞きます。


そうした時に、何が良くて悪いのか決めるのは審査員であるという当たり前のことに気がつきました。彼らが捉える方向性にあっているかあっていないか。今の時代を切り取る若い世代の感性を重鎮たちがみる時にその基準値は何になるのでしょうか。売れる可能性?重鎮たちの年代にも伝わる見せ方?演出の多様性?

コンペは話題になります。そして多くの人が賞を取ったんだったらと思う基準になります。実際私自身も受賞以前と以後とで周囲の触れ方が変わりました。今の仕事に就くことができたのもおそらくこの受賞のおかげでしょう。
そして競い合いを入れることで、作品はさらに磨かれていくことでしょう。
しかしながら、今、この世の中で本当に必要なものはそういうコンペや戦いや争いではないのではないかと私は思います。正しくは、そういうことをせざるを得ない人がいたとしても、私はそうではない価値観を作りたいと思うのです。

スポーツは競い合いの遊びから発生しています。(カイヨワでいうアゴン)
ダンスは眩暈と模倣の遊びから発生しています。(カイヨワでいうイリンクスとミミクリ)
私たちは戦うことではなく、多様性を認め合うところからできないのでしょうか。
プロデューサーの自由を考慮しながら大きな枠組みを作るところでとどめ、順位をつけることを避けたアシュフォードの思想を思い出し、またこの現在の世界の危うさを思うと私はコンペティションは時代遅れではないかと正直思っています。

勝ち負けではない、その先の世界へ飛び立つために、私たちは多様性を受け入れるそんなビジョンを提示すべきではないか。鳥取夏至祭は小さいけれど、そういう意識を持っています。辺縁だからこそ見えることもある。

あやまった道に進まぬよう。
なぜ、これを今あげなければいけないか。わかりますよね?

2019年6月15日土曜日

鳥取は雨です。


大雨のせいか動けなくなり、学校に行って、夏至祭の準備をしなければいけないのに倒れてしまう。低血糖や貧血みたいなものかと思い、甘いものを食べてみるけれど、やっぱりダメで、今日は何もできず1日が終わりそう。やることはたくさんあるけれど、こんなに動けないことは珍しい。
時々雨は滋賀津彦の魂よばいだなと思い、大抵はしとしとしていて、私が外へ出ると止んでくれるのだけれど、時々大雨になってしまう。怒ってるのかもしれない。ちなみに怒っているときは逆に晴れるパターンもあって、晴れ女的に私が晴れさせているときの晴れと、怒りの晴れ(2、3日前、ちょうどアシュフォードさん滞在中はかなりやばい感じの晴れ方でした)はだいぶん違う。
天気操ってるんだろうか。

ともあれ、梅雨突入。夏至祭は21日から。晴れるか雨かで内容がだいぶん変わるので、実行委員会でも2種類の案を作り中。これまで晴れ女木野だけではなくやぶさんがいたのが今年は一人。負けないで頑張れるかな。

アシュフォードさん3


アシュフォードさんの作ったAerowaveについてはSprig back Magajinで見ることができるようになりました。
そもそもこれがどういう仕組みかというと
⑴若手振付家がビデオで応募する
現在は600くらい(本当は規定に合わないものを入れると700を超えるんだとアシュフォードはいう)
⑵それを欧州劇場ネットワーク(そもそもはサロンとしてアシュフォードの友達が集まっておしゃべりしながらヨーロッパのダンス傾向を知ろうとしていたグループ、25団体、およびそれをサポートする団体を合わせると40)でシェアする。なお、ショートカット版のビデオを過去はアシュフォードが作っていた。(5分程度にまとめたもの、確かに全部は見る気しないものね)
⑶会議を開き推しメン20団体を選ぶ。
⑷欧州劇場ネットワーク(25カ所)は各劇場プログラムに3団体以上を招聘する。その際の費用はEUグラントから半額助成できるようにする。(残りは各劇場や団体が地域に助成申請する)
⑸20団体の選ばれた団体はおおよそ3-5回の公演機会を得ることができる。
⑹そのため各国の助成金を得られやすくなる。
⑺これらの経緯を経て作品上演を繰り返したものをSpring Forwardで上演。このフェスティバルには世界中からディレクター。プロデューサーが集結。
⑻その作品をウェブ上で公開、レビューなどを掲載し、さらにその作品の上演機会が増えることを目指す。
⑼そのレビューをかける人を育てるべく、若手レビュワーを募集、フェスティバルを見てかいてもらったものをガーディアン、タイムスなど新聞のダンス専門記者(そういう職がイギリスにはまだあります。限られた枠ですが)にチェックしてもらう。
⑽レビューをかける人を育てる講座は継続し、彼らが食べていくための仕組みとしてSpring Back Magajinを立ち上げる。

私がイギリスにいた頃拡大版が生まれ、そのときの応募は400程度だったことを思うと確実に成長しています。そしてダンサー、振付家だけではなく批評家を育てようとしているところがアシュフォードさんのオリジナリティでもあるかと思います。彼はTime outの演劇の記者だったんだそうです。(今でも演劇も好き。なぜダンスに行ったのかの話も結構面白いです。)
牧野先生も言っていたのはダンスは消えてしまう。しかしそこから文字化し、記録する人がいることでその先に広がる可能性がある。批評家とダンサーがともに社会を作っていくと。彼女は舞踏の初期から見ているので、そういう意識を持っているのだと思いました。そこの部分、日本では抜け落ちているところかも。

いかにして残すか、広げていくか。
ダンスアーカイブ構想でダンスハ体育ナリシリーズを作らせてもらって思うのですが、今の時代を切り取りつつ、過去を振り返る。どんなに小さな作品でもちゃんと社会に投げかけるそんな作品でありたいと思います。

汽水空港


地域調査プロジェクトという授業で移住者のインタビューをとる練習として森哲也さん(汽水空港)に大学に来ていただきました。
汽水空港は松崎(鳥取県中部湯梨浜町にある鈍行しか止まらない小さな駅)の古本屋さん。関東から移住してきて、ゲストハウスたみに滞在しながらDIYで作ったそう。そのできた当初にたまたまたみに泊まった(採用面接できたときに、もう鳥取なんてくるの最後かもと思い、観光がてら立ち寄ったんです)時にお会いして、木野DVDを投げ込んで驚かれた、そしてそれが招いてくれたのか鳥取に来れたというローマの泉のような存在です。
あれから4年。一時期閉じていた時もあるけれど、結婚、お店も拡大拡充、着々と根を張り活動しています。
今回お話を聞いていて倉吉のパープルタウンの映画館で、すごい攻めた映画の上映をしていた話が出てきました。おそらくミニシアター系だし、コナンや鬼太郎ではない、ポケモンでもない、俗にいう売れない映画なのに、ここでやっている意味。映画好きのスタッフの熱い想いに感動したと森さんは言います。
正直にいうと鳥取は本当に人口も少ないし、お金もない。だから個人のボランタリーな活動、もっというと寄付というか投げ込みがあって成り立っているところがある。お金ないけれどゲストには少しでも出してあげたいと頑張る個人的な努力によってこの県の文化は成り立っています。

銀河鉄道では佐々木友輔さん(同僚です)が鳥取の映画人を調査してくれていますが、昨年の美術人(筒井宏樹さんによるスペースプラン)、演劇なども含め自分の知ったこと、見たこと、好きなこと、愛することをなんとかして地元の人に伝えたいという愛情表現の形であることがわかります。細々と映画上映会を続ける人や、地元の人と映画を作るひとと映像作りをしようとしているひと、フェスティバルをしようとしている人。それらの活動をまとめていくことも大学人として重要なお仕事かと思います。

森さんの自然体は学生たちにも衝撃を与え、様々な質問が出てきました。
いろんな生き方がある。そしていろんな生き方があっていい。
松崎に移住者が増えてる理由がなんとなくわかる気がしました。



アシュフォードさん2

そんなわけで
アシュフォードさんが津波のように押し寄せ、かなり色々ぶっちゃけた話をしまくって去っていきました。エネルギー量が高いのでもはや津波です。

ちょうどAerowaveの前身でイギリスのResolution!(若手のための作品ショーケース1ヶ月で100作品ほどを紹介する)に20作品くらいのヨーロッパ各国の作品を紹介していた頃から私は知っていて、その後EUにアプリケーションを出し、現在の形に立ち上げ、さらに次の世代に引き継ぐべく新しい仕事Spring Back Magajin を初めてしまう。74歳、パワフル。元気そうで、あと30年くらい生きるんじゃないかと思うけれど(なんなら私の方が先に倒れそうな気がする)それでも自転車通勤をやめたり、食べるものを変えたり、色々していて、所々に老いは見えます。ああ、あれから10年経つんだなあとしみじみ思いました。

イギリスのコンテンポラリーダンスの中核的存在だったThe Place(元々はローザスなどを紹介したのもここでした)が、学校との連携で、若手育成に力を入れるようになり(それゆえにできたResolution!やPlace Prize)そこに引っかかって、私はイギリス時代にいくつかの作品を作らせてもらいました。元々はそんなに公演をしたい人間でもないので、その時自分の中にある問題を一個一個解決するべく、1年に1作くらいの形で行なっていきます。
Edge,OvO,Angel's bone,The Three cornered world, IchI。The three corneredとIchIは好評をえ、改訂版の再演もさせていただきました。この創作活動があったからこそ、私はあのイギリスの暗いなかを暮らしていけたのだと思います。
また、ラッセルワークで仕事がなくなった時にThe PlaceとSadler'sがビザの発給先になってくれて、その間にThe Three corneredとIchIは作ることができました。そしてその作品を作っている頃、アシュフォードさんは仕事の定年をまじかに控えていて、エディに任せてお外にお散歩に行くようになり、木野の人生相談を聞いてくれました。またAerowaveの構想を話してくれました。実際にアプリケーションの応募が間に合わなくってポストに走ったのも覚えています。(大きい小包でした)

2008年ー9年くらいのイギリスのダンス業界、経済状態の激変は結構すごくて、その後のコミュニティダンスへのシフトチェンジにつながっているのですが、その最中、私はどうしようかと迷っていました。イギリスのダンスに興味のある人はいない。でも今から他の国に行って開拓するのか、それとも日本に帰って日本の環境を変えるのか。イギリスで何ができるんだろう。そんなつぶやきを言葉にしていきました。それを聞いてくれる人がなぜカンパニーの仲間とかではなくアシュフォードさんになってしまうのかが謎ですが、命の恩人でもあります。
こうして話す人がいたから私は日本に帰ろうと決めることができたし、おそらく、私の友人が亡くなったりしたのはそういう逃げ口が見出せなかったからだろうと思ってもいます。
その代わり、あまりにも色々イギリスダンス業界の裏が見えてきてしまったこともあり、早々近づきたくないし、早々売り込もうとは思いません。(アシュフォードさんに売り込んでもらうとかはしないんです。絶対)

ちなみにアシュフォードさんは木野の作品はそんなに評価をしていなくて(ちょっと残念)、彩子が踊るんだったら良い、という言い方をしています。もともとがおそとダンスを気に入った人なので、のびのび踊っているのが一番だと思っているようです。誰かに振り付けて見てはとは言いますが。ただ、死者の書は全て投げ込んできたというのがわかるらしく、それを心配してくれていました。こうして見続けてくれている人がいるのも作家としては嬉しいことなんです。


まさか10年経って鳥取で会うなんて。次の10年後はどこでしょう?


もう一人の恩人ラッセルさんも日本に来た時には会いにいきますが、さすがに鳥取に来てくれる予定はないですねぇ。



2019年6月12日水曜日

アシュフォードさん

アシュフォードさんはイギリス時代の恩人です。韓国のフェスのついでに鳥取に(正しくはメインは城崎)立ち寄ってくださいました。40年前、若かりし頃安部公房の研究をしていた頃から砂丘に行きたかったそうです。「砂の女」の映画を見たそうで、それ以来日本を愛し、(ちなみに奥さんも日本人)日本の文化をヨーロッパへ伝えようと努めてきました。
明日は学校の授業が予備日という謎のシステム(クォーター制に切り替わったため)で授業が消えたので、鳥取観光に付き合う予定です。
うちのリアル両親ですらまだきていないのに、イギリスの父(祖父?)きた。


13日のトークではaerowaveという彼の作った劇場ネットワークとロンドンオリンピック前後のイギリスダンスの変化について伺います。(オリンピック前は反対だったけれど、今は良かったんじゃないかと思うんだよねと話している)日本のコミュニティダンスはイギリスを目指しているので、ある種の指標にはなるのではないかと。今回私の通訳じゃ怪しいので、専門の方をお招きしています。英語が苦手な人でも是非。アシュフォードさんは英語ネイティブでない人に対しゆっくりわかる言葉で話す人でもあります。
http://hospitale-tottori.org/program/talk037/

いきましょう、一緒に


踊るたびに悲しみがこみ上げてくるとしてもそれでも踊らなければいけないのは、私がこれまで預かってきたものゆえのこと。
なにぶん3歳から続いているゆえ、多くの人が関わり、多くの人に支えられ、守られてきた。そして託されてきた。
あの黒いボールを受け取った時もそう思いましたが、今も一緒に歩き、対話をしている。思考がシンクロし、同じようなことを話し出す。たとえ、誰も理解できなくとも。
メビウスの輪のように表と裏であっても、あるいはずっと交わることのない平行線の轍のようなものであったとしても、私はともに走るのでしょう。

生きてと言われたその一言で今の所私は生き延びている。
いきましょうは今年のテーマ。私も一緒に走るから。

2019年6月11日火曜日

芸術入門2019

芸術入門2019の最終回。
これまで七回だった授業が八回になり、クラシックバレエ、モダン・コンテンポラリーダンスで西洋の舞踊を紹介し、それに対する舞踏(今年は大野慶人さんからみた土方さん、大野一雄さん)、伝統芸能(能狂言歌舞伎)の次に民俗芸能(花祭と竹富島の芸能を中心に)を紹介。最後の講義は盆踊りとコミュニティダンス、そしてその先へという内容にしました。そう、今日の講義は一回追加になった分できたスペシャル講義。
昨年までは夏至祭を見た後に授業が一回あったのですが、夏至祭を見ない子もいるのとカリキュラム変更でこのようになりました。
盆踊りは郡上おどりを中心に。
前回の民俗芸能で過疎化などで衰退している現状を説明、何ができるだろうかと学生さんたちに考えていただいて、出てきたアイデアを実践してきたようなお祭りなので。(アニメとのコラボやテンポアップ、観光客の呼び込みや遠隔地での宣伝など)
他にも鳥取で開催されているしゃんしゃん傘踊りや大山わわわ音頭を紹介しつつ、山中カメラさんの創作盆踊りや池袋ニュー盆踊りなども紹介。
一方でみんなでワイワイ踊っていた時代と見る人と踊る人が分かれ、なおかつパレード化していくお祭りの話もしました。柳田國男の「日本の祭り」の頃から言われていることでもあります。このように変化していく民俗芸能、ステージ化やパレード化のなかで衣装がきらびやかになっていったり、動きが大きくなるなどの変化が起きている事実も伝えました。これは民俗芸能に触れる人はわかることかと思います。保護により、また保護を受けるために変わっていってしまう芸能は伝統・伝承と言えるのか。しかし芸能はあるいは芸術は常に変わり続けるものではなかったかという疑問の投げかけをしました。
近代以降さらには戦後に作られたお祭りは行政のサポートを受けるとともに、そこに管理されている傾向があります。徳島阿波踊り問題にも触れました。
その上で鳥取夏至祭と鳥取銀河鉄道祭へと向かっていく思考を鶴見俊輔「限界芸術論」と宮沢賢治「農業芸術概論綱要」をもとに説明しました。ソーシャリーエンゲイジドアートの考え方を紹介しました。

昨年までだとここまでだったのですが、1時間のゆとりのおかげでその先を話すことができました。

ここまでだけだと、楽しく、そしていろんな分野をつなぐことができるアートの役割が見えてきて、鳥大アートマネジメント講座の価値が見えてくる内容です。実際ここまでで、学生たちも納得していました。

そこに追加して、私は個人的な話をしました。あるとき受け取ってしまった真っ黒いボールを引きついで、私はそれ以降さまざまな神(?)の啓示を聞くことになったこと、言葉にできないそのようなことを顕すべく暮らしていることを話しました。生きていく上で楽しいことばかりではない。能・狂言の時代から芸能者は河原乞食でありました。何らかの不器用さや、難しさを抱えているそんなマイノリティーと呼ばれる人々が発する声でした。
自分の周りを変えていくための声、既存の価値観を変えようとするある種の革命。
それが元々の芸術であること。
人が死なない革命。
マイノリティと呼ばれる人が、声を発せれる場所を作るための活動であり、さまざまな表現が生まれていく必要があると私は考えます。

俺すごいだろ、かっこいいだろ、というのもわかります。そういうとんがった人たちがいてもいい。
一方で私は集団性を持たないし、今後も個人的な活動を続けていくと思います。静かに粛々と。小さな人のまま、その言葉が大事だと思うんです。さまざまな価値観が現れるためにも、個々人が重要だと私は思っています。私は、そしてあなたは何を思いますか。

すべての人が芸術家である。
大きな流れに乗るか乗らないか、お金になるかならないか、よりも重要なのはそれぞれの人がどのように生きていきたいか、そしてどのように死んでいきたいかということです。


すべての人が幸せにありますように。

最後に1曲踊りました。これも昨年までしていなかったこと。
学生さんたちは3分ほどでしたが衝撃を受けたようでした。これ観れただけでこの講義とってよかったと思っただって。おべんちゃらだと思うけど。
私にとって踊ることはこれまでのさまざまな記憶を思い出す作業であり、涙が止まらない。
踊りながら涙が溢れ出てくる。どんな曲でも多かれすくなかれ。
しかしそのエモーションは何年経ってもつながっているものなのだろうと感じています。


悲しさやそれを振り払おうとする感じを指摘したり、表情の力を指摘する子がいました。そんな中、興味深かったのは「体全体から粉のようなものを散らして、周りの雰囲気を変えていってるなと感じがした。でも粉の分だけすり減っている感じがした」とか、「命の雫を受け止めている感じ」とか言い始め、言語化できない難しさを感じながら、自分の感じた何かを言語化してくれました。
芸術を受ける人次第、でもその人たちが言葉化しそれを広める、だからこそ芸術は無限だ。という子も。世の中にはバレエを始めとして多くの団体が存在しているが団体として何かをすることなどはもっと自由でいいだろうと私は個人的に思っています。



2019年6月10日月曜日

パンダ

野村さんワークショップウィークの週末。
鳥取少年少女合唱団、音楽メンバーとのワークショップ、鳥取西高合唱部とのワークショップ、翌日も音楽メンバーに追加して市響メンバーが加わってのワークショップと盛りだくさんの日。
たまたま今日野村さんの着ていたTシャツがパンダ柄だった。
やぶさん(死者の書の演奏を担当してくれていた)がタイで購入したものらしいが、パンダがグリコマークでポーズしているのに、お腹にパンダと書いている。どこまでアピールしたいんだろう。。そしてなぜか「生きなさい」というメッセージがついている。

私は芸能者はパンダのようなものだと思っていて、実際、イギリス時代に言葉も通じないままいた時の感じは転がってても可愛いパンダのようでした。自分が可愛いというわけではなく、うまくはないけれど、愛嬌でカバーという意味です。ラッセルは手を広げるだけで違うんだと言い張っても、同僚や奧さんには理解されない。(そういう関係性はなく、でもいろんな意味で誤解されました)

日本に帰ってきてからも単にラッセルなんて知らないだけならともかく、お前は身体が良かっただけだとか、ちょっと寝て引っ張ってあげれたらいいのにというディレクターさんがいたり(完全にセクハラですが、すでに故人なので言ってもいいと思う)、海外公演で皆の前で明らかに上の立場の人に口説かれたりして、私はこの世に生まれてきたことが嫌になりました。
そこで気に入られてお金や尽力をつぎ込まれ、でもうまくかわしてニコニコしながら生きている自分が耐え難く、自立できるすべを模索しました。その度に足が腫れる事件や潰瘍や色々起こり、自分の体を自分で壊していく感じを味わいながら。

誤解されるのは結局あまりにもうまくなかったからいけないんだと思って、色々練習をしたし、それでも運動は苦手な方なので、パンダなりにできることを考えました。発想じゃないかとか、巫女的ひらめきを追求しようとか、あともう一つは自分の体の持っている繊細さを出そうと試みてみました。私が私でなければできないものを持つなら誤解もなくなるのではないか。
もしくは私が私というものをこだわらず、すべてを受け入れてそしてすべてを捨てて生きていくことができればそれはそれで良いのではないか。筒井筒、静など日本の舞を調べる作業を通じて芸能者の存在を考えれば、それが当たり前であり、むしろそういう人の感情を利用して生き延びていくパンダ族として生きる覚悟を持つべきだったのではないかと考えたり。
私はいろんな人に支えられて暮らしてきて、(今でも大切な人たちだけれど、)自分がいることでプロジェクトが起こり、そして壊れていく過程をいくつもみてきました。作品が壊れるだけならともかく、人の生死に関わるとき、精神を病む人が現れたとき、私はそこで「だって仕方ないよね」と言い切れなかった。パンダ族としての覚悟が足りなかったのです。皆で生き延びるにはどうしたらいいだろうかと考えた結果、距離を置き、静かに穏やかに祈るために逃走することになりました。だから転々と。どれだけ拠点を移してきただろう。色々あって流れ着いた鳥取。

パンダが生きなさいと言っている、そして走っている。たまたまのTシャツなのにその時点でかなり色々考えさせられました。

やぶさんは過去に木野祭と描かれてて、しかも鳥のえが書いてあるTシャツをくれたことがあり、どこからそんなネタのようなTシャツ見つけてくるのかわかりませんが、時々センスを超えた何か力を発揮してくれます。夏至祭の服決定だな。

2019年6月5日水曜日

倉吉銀座鉄道の夜

倉吉でとりアートメイン事業部会。
進捗状況を説明し、なんだかわからんと散々言われ、へこんで、バスを待ちつつ、夏至祭のチラシを撒きつつ暑い中を歩いておりました。
昭和レトロなそのお店に立ちよったのですが、(モダンさんという鳥取では結構知られたお店です)銀座商店街の中にありました。プロジェクター抱えてフラフラ歩いていたので、お仕事ですかと聞かれ、実はとりアートというので銀河鉄道の夜を作るんですけれど、その報告会だったんですとお話をすることに。聞いてみると、昨年から商店街で土曜夜市の際にミニSLを走らせるイベントをし始めたとのこと。その名も「銀座鉄道の夜」。
そして今年の開催日は7月20日とのこと。もしかして倉吉スペシャルワークショップの日ではありませんか。倉吉でスペシャルな銀座鉄道の夜、それはワークショップ後に繰り出さねばなりません。(ちなみにまだチラシとかもできていない状態)
ここで出会ったのもある意味運命。鳥取で銀河鉄道が流行りつつあるのかもしれません。

表現の自由について

天安門事件から30年になる。
ちょうど表現の自由について授業を組み立てなきゃという節目だったこともあり、気にかけて見てみる。

大学のメールサーバーがG mailを利用するようにしますと会議で出てきて、中国人留学生への連絡や中国出張があった時にメールを見られないという問題が起こりうるという指摘が出てきた。gmailに限らず情報の操作ある種の検閲が行われているのは事実で、google groupで中国に向け検索サイトとして再参入をしようとして社員から反発が上がるなどの問題が上がっている。

中国だからね、と私たちは言えるのだろうか。
メディアによる情報の偏りが指摘され、ポストトゥルースという言葉がはびこり、政治と現実社会の体感にかなりのズレが生じている今、本当に私たちは知ることができているのだろうか。


鳥取夏至祭では様々な屋外、公共施設を使用するが、それぞれに許可を求め、またお話をしに行く。思想はアヴァンギャルドであっても、大学教員なだけに、一応ちゃんとしている。しかし一方で、もっと街中でいろんなことが起きればいいのに、と思う自分としてはなぜここで一つ一つ使用許可が必要で、場合によってはお金を払わねばならないことに少々疑問を感じる。そして3年目だが年々厳しくなってきているということも感じる。
ヘブンアーティスト制度は大道芸の人たちにチャンスを与えたように見えるが、実は多くのそれを目指す人たちを封鎖することにつながる。そこに住んでいるホームレスの人たちを追い出して立派な公園を作る政策にちょっと似ている。
つまり保護や支援、援助を行うためには線引きが必要になり、そこに排除が生まれる。

すべての人に表現の自由がある。
そして多くの発言する方法が現代では生み出された。SNS,ツイッター、youtube。しかしその表現が正しいかどうかの保証はなく、また何が正しいかという基準すら薄れている。そうした時に線引きをしようとした時に多数の人に支持されているかという基準で選んでいいのだろうか。中国の例は極端なようだけれども、その一つの形であり、一箇所に権力を集中しようとした結果であり、ある意味効率が良く、そして強い国にしていくためのものであった。そして多くの人が政府の与えている情報に従ってそれを支持している。

しることの権利と、表現の自由はおそらく生存権に等しく、人として非常に重要な権利であるにもかかわらず、死にはしないと軽視されているような気がする。