2019年8月31日土曜日

今後の予定(20190901)

今後の予定


◎鳥取銀河鉄道祭2019年11月に開催します。
出演者の募集は終了しましたが、美術部、運営に協力してくださる方は今でも募集しています。
自由市場(フリーマーケット)出店者も募集しています!
チケット販売始まりました!





https://www.facebook.com/Gingatetsudou.Tottori/
HPを作ったら、どうもインターネットエクスプローラーだと動かないらしいということが判明。グーグルクロムなどでご覧ください。
https://scrapbox.io/gingatetsudou-tottori

同時開催のケンタウル🌟自由市場のチラシも現在作成中です。




わらべ館即興音楽とダンスのワークショップシリーズ
夏至祭の時に踊るの楽しーと思った鳥取の皆さんに即興の面白さを定着させるべく2ヶ月に1度の即興音楽とダンスのワークショップシリーズを継続します。(助成:文化庁大学を活用した文化芸術推進事業)
次回は9月29日です。
7月以降の会はファシリテーションを学ぶための講座と並行して行なっていきます。こちらのファシリテーション講座は実際のワークショップの前後に講座の説明や注意点、またそれらの振り返りを行いながら、どのような形でワークショップを進行していくと良いかを講師とともに考えていく会です。継続的に受講していただき、最終的にワークショップのファシリテーションも行なっていただければと思っています。
ワークショップといっても様々な方法があります。それらを学びつつ、アイデアを出しながら作る作業を体験していただければと思います。



この事業は鳥取大学芸術文化センターのアートマネジメント人材育成事業の一環でもあります。昨年のHPと報告書ができました。
http://www.tottori-artcenter.com/artmanagement2018/




2019年8月30日金曜日

頼ることができるよりも一人に認めてもらうことは大事だったりする

田中信太郎さんの訃報を聞く。

越後妻有の赤とんぼの作家さんと言えばわかるだろうか。
私のイメージでは十字架の人で、この作品の中で踊りたいなあと思った記憶がある。
一度妻有でお会いして、そのせいかBankartでの公演を観にきてくださった。「静」だったはず。

なんだかすごい喜んでくれて、久しぶりにいいもの見たとニコニコしていた。
踊りを踊って喜んでもらえることはなかなかないのですごく嬉しい。(アンケートなどに色々書いてくださることは多くあるけれど、大概終演後会えないことが多いので)基本批判と否定の中では珍しいことでだからかすごく覚えている。
その時に言われたのはあなたの踊りは引き込む踊りだからという。
普通ダンスとか踊りっていうものは出すものなんだけれど、あなたは引き込む、引き寄せるんだという。土方もそうだったという。
私は土方さんの作品を見たことないので(映像はあるけれど)あんな自己主張型作品と思ってしまうが、衰弱体を選んでいったところあたりだろうか。だいぶんタイプは違うよなあと思いながらお話を聞く。


そう言えばしずかさん(IchIのセットデザイナー)にも
さいこちゃん、踊るべきだよ。大器晩成型だから時間かかるかもしれないけれど踊らなきゃダメだよと言われたことを思い出す。

時々そうやって励ます人がいる。だからなんとか続いてきた。


8月終わりは夏休みが終わるということで(大学的にはやっと夏休みに入るくらいだ)学校にかよえないプレッシャーから自殺する子供が増えるという。昨年同僚がテレビ番組用映像を作っていたが、そろそろ学校というものの形を根本的に考えなければいけない時期なのかもしれない。夏休みのように大きい休みがあるべきなのかとか、朝から晩まで授業は本当に必要なのだろうかとか、学校に通わない学びの形がもっと増えてもいいはずだ。
学校での学びも大事だけれど、大切な時にその一言を言ってくれる人が一人いればちゃんと生き延びれるのだけれどと思う。

最近読んだ本に人に頼ることができない子供たちという話が出てきた。子供に限らず、大人にも言える。自己肯定感が極端に低く、自分が全ていけないのだと感じ人に頼ることができない。また、頼ることができないので、優等生であらねばならない。大学の学生さんを見ていてもそう思うし、私自身もそういう傾向はある。基本的に信用しきれないし、全て自分で行わないといけないことになる。途中助けようとする人が出てこないわけではないが、それゆえに命を落としたり精神を病んだりする人も多くいて、申し訳なさすぎて自分で回していくようになった。銀河鉄道のようなものが特殊事例で、今非常に苦労しているし、やっぱり申し訳なくて、仕事を辞める方法しか考えられないくらい鬱化する。
でも逆にいうと、頼らないで全部自力でやって生きていくこともできる。


たとえどんなに大変であっても、他のところで認めてもらえていればなんとかなる。たとえそれが孤独との戦いだったとしてもそれでもそこに新しい価値が生み出される。自己肯定感が低い人にとってはただその一言をちゃんと言ってもらう(受け取る)ことで生きていけるようになる。


それぞれの方法論があっていい。それぞれがちゃんと生き延びれますように。


2019年8月28日水曜日

自然災害が続いています

自然災害が続いている。

九州の大雨もずっとここのところ続いているので心配だ。
鳥取も雨が降っている。でもここしばらくあまりにも雨が少なすぎて水不足だったこともあり、仕方ないのかもしれないと思って静かに見守る。
世界の水の総量は同じだとして循環しているのだとすると水があふれるところがある分水が足りなくなるところがあるということだ。シベリアやアマゾンで大量の火災が発生したり(これらは人災といったほうがいい状態)しているのがこういうところで流れ込んでいるのではないかと思うことがある。
パンドラの箱みたいなの開けちゃったんだな、と思うこともある。明らかにバランスが崩れた。

つまり良いことと悪いことはだいたい同じだけ起こる。大気のエネルギー量は循環していて、どこかで滞ったりするとどこかが崩れる。だからその流れをよくしてあげる必要がある。普段の生活でできることは、せめて少し丁寧に過ごし、これ以上の開発を望まず、経済的な成長以外の成熟の方法を模索することくらいだろうか。歩いたり自転車で移動することも、土地のものを食べることも、食べ物を無駄にしないことも短でできることの一つ。「雨にも負けず」みたいなことになってきた。
短い時間での成果や結果を求めていてはいけないということは少し立ち止まればわかることなのになぜできないのだろう。それを行ってきたのがかつての暮らしだったのではないだろうか。
文明はあまりにも便利になりすぎたのかもと思う。
こうしてコンピューターの恩恵を受けているけれども。

大学に実は古墳があって同僚が調査し始めた。(一応考古学の先生がいるのです)
弥生時代まで戻る必要はないけれど、でも生き物としては少し昔に戻ったほうが豊かな暮らしだったのではないかと思うことがある。(飢えの問題はある)
自然の美しさ、その恵みをちゃんと受け止めて生きていたらきっと人は全てを制覇できるなどと思わないはずだ。この世の中のすべてのものが循環しており、私もあなたもまたその中の一部でしかない。
雨は大変だ。
でもそういう自然とともに生きるということで、人は人として大切なことを思い出すきっかけとしているのかもしれない。

静かにしのぐ。
そして受け入れる。
きっとそういうことなのでしょう。

2019年8月26日月曜日

久々にバレエる。

この5年近く、バレエから離れていた。
ラッセルのところを離れ、牧野先生が亡くなり、年齢も年齢なので、おそらく今後バレエベースになる何かを踊ることはないだろうと予測し、それであれば日本人としての身体をもう少し考えようと思い身体を変えることにした。

だいぶん重心位置が下がってきた。足首の形が変わってきた。特にこの半年くらい、死者の書関連で色々模索した結果でもある。ただ、俗にいうダンスを踊る時の身体からは離れ、下手になってると思って反省する。

上手い下手はあまり考えていないのだけれども、ショー的に見栄え良く魅せる必要がある時とかにこの人プロだと思わせるというか、ダンサーだと思わせる必要がある時に差が出るのが普段の身体訓練だと思う最近。バレエやコンテは明らかに普通ではない身体なので、パッとそういう人とわかっていただける。
一応学校の先生をしていて、全くダンスを知らない人にある程度見せながら説明してあげなきゃいけない都合上、やはりそういう部分を残しとかなきゃいけないんじゃないかと思い、バーレッスンを久々に再開してみる(一応誕生日を機会にしてみた)。
こういう時にさらさらとバーの中身を作れる程度には学んでいたことに感謝する。

どこがどうなっていて、というのがすごくわかる。身体がいかに変化したのかとても面白い。
それは面白いけれど、今するべきはやっぱりこっちではないんだなというのが1週間ほどしての感想。


ちょうどバスクからマリアが鳥取に来ていたので(昨年鳥取に来ていた子が再度アーティストレジデンスで滞在)話をしに大山まで会いにいく。定期的にやっていた仕事(ダンサー)がなくなって、定期的に体を動かすことがなくなって結構鬱になっていたりしたという。彼女と話をしていてもちゃんと体の声を聞いたり、背骨を広げたり、ゆっくり歩いたり、俗にいうダンスになる前の身体作りのことを指している気がする。
踊り以前の身体作りがいかに大切か。
体育におけるダンスもコミュニティダンスと呼ばれるものも思えば運動としてのダンスで動きを覚えて踊るとか、動きを作ろうとかそういうことを行うが、あるいはコミュニケーションのためのダンスなどの言い方をするが、その前段階が私は好きなんだなあということを久々に思い出した。
ラッセルやジョゼのもとでやっていたフェルデンクライスもそうだが、自分の感覚と身体を結びつけ、それを拡張させていくこと、その気持ちよさ。この知覚系もうちょっとちゃんとやったほうがいいと思う。BMCの勉強会(体育系大学教員の有志による科研費研究)もおそらくその目的で作られているけれど、身体の声を聞ける人は宇宙が内在しているのがわかるから多分そんなに死ななくなると思う。

バレエでも宇宙には繋がれる。でも鏡を見て外から見えた目線を持ってしまうと、身体の中に意識を向けにくくなる。できれば鏡のない状態で、中をみ、動くうちにだんだんと自分の認識が作られていったほうが繋がりやすくはなる。かつての伝統芸能、民俗芸能は鏡のない場所で稽古をしてきた。そこに他者(観客)は関係ない。
宇宙って?って言われるかもしれないし、全ての人にわかる話ではないのかもしれないが、多分そういうことが私なりの踊りであり、「農民芸術概論綱要」なのだと思う。死者の書はそういう意味で結構なミラクル技でそれを見出したような気がする。でも再演はできないけれど。


ものの見方

にんげん研究会の発表会で学生さんの発表を聞く。
鳥取大、立教大、ICUの学生が鳥取(松崎)で半合宿をしながらにんげんについて考える。東京の学生さんにとっては1時間に2本しか汽車がない!ことから驚きという。

自分の見ている世界の感覚が人と違うので、それをそのままアニメーションにしようとした学生さんと話をし、そこから考えたことをまとめる。

私たちは同じものを見ていても同じように認識しているとは限らない。
例えば同じ赤いリンゴを見てもどこに着目するか、またその時にいる場所、その時の体調などで変わってしまう。絵に描いてみても明らかに違う。
その差異を少しでも減らそうとして人は言語化し、共有できるようにしようと試みてきた。これはリンゴ、赤い、と言い表し、食べられる、かたいと説明を通じて共有してきた。
しかしそれでも差異はそこに残っているわけで、その人のものの見方をあきらかに顕し出すのが美術作品だと思う。

例えば私はおそらく見えないはずのものが見えてしまうときがある。
身体をうまく引き伸ばしていくとその手が先に導かれ動き始めていく。そのとき周りに気配のような何かをまとい、その何かが現出される。
その何かが現れ出やすくしていくことが振付であり、ある種の儀式に似ている。でもそれは絶対ではないし、同じように繰り返してできることでもない。そこで枠組みを作りどれだけ自由度を残すか、あるいは自分を追い込んでいくのか、みたいなことを試みながら、身体の声を聞く時間を作る。それが稽古。
なので、私がともに踊っている何ものかがお客さんに見えるかどうかはわからない。
ただそれを繰り返していく(つまりそれがクリエーション)ことである種の当事者研究と等しく、せざるを得ないことではある。

それは私がみているものを共有してもらうためにしているわけではなく、このようなあり方があっていいと言えることが大事なのではないかとおもうため、続けている。そしてそういう繰り返しによって新しい見方が生まれていく。
大野一雄レクチャーでもこのことは触れていて、能を引き合いに出すまでもなく、舞踊とはもともとそういうもので、普通の人に見えていない世界を見えるようにするようなものだった。

ただ今回学生さんと話をしながらふと思い出したのは、みている人の側の見方もまた人により異なるということである。なので1現象がピュタゴラスの箱のようにどんどん広がって新たな世界が発生してしまう。
ただ、その感じ方の違いをわかっていて受け入れることができればそれは面白い効果を生み出す。それぞれの人が言語化し、その差異を知っていくことで無限に広がりを持つからだ。それがレビューや批評の力。

最近は皆がわかる、あるいは同じ見方ができるような表現が喜ばれる傾向にあると私は感じている。
インパクトを求め、より強い表現へと進行していく。
またある程度わかるものじゃないと集客できないし、というようなこともよく言われる。それはすごくわかる。でも今のこの世の中に必要なことはそういうことではないんじゃないか。普通の人が普通に自分の見方を表すような環境、また全ての人がその差異を認識するような機会なのではないか。
わからないことはむしろいいことかもしれない。ただわからないだけではなく、ある種の思い入れ、そして必然がなければいけないのだけれど。


若い時代、時間の余裕があるときに、自分ってなんだったっけと考えるのはおそらく大切なことなんじゃないかと思い学生さんを励ましながら、そういうことに気がつけないまま卒業してしまう子も多いんじゃないかと感じたのでした。

2019年8月24日土曜日

どうも佐渡に行くらしい

友人に誘われて佐渡島に行くらしいことになった。前からうっすら話していたけれども、やっぱり行くらしい。

芸能の島だし、世阿弥だし、いやこれは何かあるとは思ったけれど、その前に銀河祭が毎年開かれているのだそう。え、そこ?そこが繋がってるの?

そして松尾芭蕉が佐渡島に横たう天の川に感動して俳句を詠んでいるのだそうです。そしてそれが載っている文章が銀河の序。
もうこうなってくると何をやっても宮沢賢治か銀河鉄道につながるようになってきていておかしい。
これまでも自分の作品はなんだか少しずつリンクしていて、面白いなあとは思っていたけれど、こうやって顕著に出てくることは珍しい。
友人の誘いと、なぜか芭蕉の話をしてくれた別の友人に感謝。(それぞれ別の情報源、つながりなのがまた驚く)
どこを掘っても何かに当たる。犬も歩けばとも言えるし、鳥取的にはどこを掘っても遺跡か古墳、というのにちょっと似てる気がする。

2019年8月20日火曜日

鳥取夏至祭について風紋で取り上げていただきました。

鳥取大学の機関紙 風紋で夏至祭を取り上げていただきました。
https://www.tottori-u.ac.jp/secure/14034/fumon62_4.pdf

取材を受けたのはじつは5月で6月くらいに出るのだと思っていたらなんと8月。今年の夏至祭終わっちゃったよ。。。
でもおかげで写真は今年のもの。
何れにせよいろんな人に知っていただくのはいいことです。

木野も少々ぽっちゃりしています。

2019年8月16日金曜日

盆踊りと戦争

盆踊り
盆踊りは本来先祖の霊を迎え入れ、ともに過ごし、送ると言う儀式であり、円になって(道路の幅の都合で円ではないこともあるが、その方が通り過ぎながら相手とコミュニケーションを取れると言う面白さがあるとも言う)円の向こう側にいる霊と対面する。
そのため顔を隠したり(風の盆や花笠などの傘をかぶるものや西馬音内のように頭巾をかぶるものなど)その人をその人として判断しない領域に行く。
つまり個人の個性を出すようなものではない。
祈りと鎮魂がダンスの元々の原型にあると思うが、祖先を思う気持ちだけが現れでてくる。

郡上のように圧倒的熱量で押してくるようなお祭りもある。がこちらも脱個性と言うか個人は関係がない。エネルギーを共有していくグルーブ感のようなものだけが問われている。こちらは祖先のこととかおそらく構っていないし、今を燃焼するためのお祭り。ある種の生贄。
神様のような大きな存在にとっては個性といった細かいものはどうでもいいのだ。

ダンスの源流のようなものを探っていくときに、お祈り路線とカオス路線があると考え、その両方を見ているのだけれど、本来全ての人が祈る能力も踊る能力も有していたはずで、それが噴き出してくるのだろうと考える。
この無個性化および集団化の感じは戦争に似ている。
そう思っていたら今月の100分の名著(NHK)はカイヨワの戦争論だと言う。カイヨワは私が遊びの4分類を紹介するときに用いているモデル図の著者(「遊びと人間」)でホイジンガさん同様(細かく言うと少しずつ違いがある)すべては遊びから派生するという彼があえて戦争について書いている。
日本だけではなくドイツでも、そしておそらく他の国でも言えることだと思うが戦争は無くならないのはなぜか。

スポーツ社会学の恩師菊幸一先生は「人は常に暴力性を有している」と言う。それゆえにルールを厳格に定め、それを発散するべくスポーツは進化してきた。手を使わないサッカー、変な方向に飛んで行ってしまうラグビーと言うようにより難易度を上げその上で競い合う。そのルールを定めると言うことが文明(文化)であり、それゆえにその違反は厳しく罰せられる。スポーツ以外の社会規範においても厳密に扱われるのは、スポーツがある種シンボライズされており、薬物使用など他犯罪も行わないクリーンなイメージを打ち出さなければいけないからだと言う。
オリンピックは代替戦争だと言うけれどもある種ナショナリズムを煽ってしまうが、人の持つエネルギーをスポーツという形で昇華しているシステムだとも言える。
1940年のオリンピックは幻と消え、そのときに余ったエネルギー量はそのまま戦争へとなだれ込んでしまった。
無個性化、集団化した人々は足を止めることができなかった。
私たちはそのことを知っている。少なくとも私のレクチャーパフォーマンスを見てしまった人は知っている。

人はよくも悪くも動物である。そのことを忘れてはいけないし、人間がすべて統制できると思ったら間違いだと思う。ダンスは古くから破壊の神とともにあり、社会秩序に反しながら、存在してきた。そしてその衝動は本能に近い部分である。あの世と繋がりながら、もしかしたらこの世の中が壊れていくのは止めることができないんじゃないかと思う。もう何年も前から真っ暗闇しか見えていない。破壊の後に何が残るのだろうか。盆踊りはスポーツに似てある種のガス抜きとして使われてきたところがあると思う。つかの間の楽しみだったとして戦後すぐですら行ったという(新野の方のお話し)。
ある意味ダンスの持つ力を表していると思う。
第4回目のレクチャーパフォーマンスでは「破壊してもそれでも生きていかねばならないのだろうか」という言葉が出てくる。「それでも生きていかねばならないのだとしたらデタラメなこの国で、さらにデタラメに生きていくしかないでしょう」とも話す。

盆踊りを冷静に見ながら、個人でできることについて考えている。それがおそらくいま私にできることであり、私が私を失わないために、たとえこの世の中の流れに反したとしても文章を書き、作品を作ることが、表現の自由を証明していくことにつながるだろうと思うので。

終戦記念日、そんなことを思いました。
(で、台風にあって帰れなくなり、家では見ないテレビをつけたら最後の早慶戦を題材にしたドラマをやっていて、妙にタイムリーな話題になっていて驚く)

あいちトリエンナーレ2019(追記20190818)

○あいちトリエンナーレを見に行く
その間を縫って噂のあいちトリエンナーレを見に行く。先日の「表現の不自由展」以降一気に注目を集めてしまったこの展覧会、全体を通しても政治、ジェンダー、移民問題など現代社会の世相を表している展示が多く並んでいる。しかしながら表現の不自由展の展示終了を受けて韓国の2作家が出展を取りやめ、その後7作家も同様に取りやめを決めた。彼らは今回の展示の中でも大きな部分を占める作家であり、この問題が世界的に見ても「表現の自由を問う」大きな問題と捉えられていることを示している。
ただ、今回のメインはそこではない。
その取りやめを決めた7作家のうちの一人モニカメイヤー作品を見にいっておこうと思ったのだった。(ラッキーなことに取りやめ前に見ることができた。でも取りやめしそうな予感はしていたのでちょっとよかった)
今回展示作家の半分を女性にしており、女性作家の比率が高く感じられるのだが(逆に言うと今回の展示によって美術業界の男性比重の高さが露呈した。女性学芸員の数が多いわりに、女性館長の数が少ないことなども注目を集めた。)それは美術のみならず、ダンスや演劇でも同じように言えるだろう。今でもやはりダンサーの女性比率は高く、しかし振付家は男性が圧倒的に多い。そんなことを考えていたら今年やってきた木野ゼミ生(ダンスではない)がジェンダー・フェミニズムについて扱いたいと言い始め、それならあいちを見に行くといいとオススメしたのだった。
展示はこれまでの会の経緯、それぞれの写真などの展示と、現在このあいち(あるいは日本、あるいは自分の住んでいる土地で)女性として困ったこと、不利益を被ったこと、もしくはその逆を匿名で紙に書いてもらい展示すると言うもの。ただそれだけのことだけれども、その土地、その時代によって少しずつ変化していることがわかる。そしてこのような内容をこの公の場で書くこと自体がすごく勇気の要ることだと言うことに気がついたと言うコメントが多数ある。また、異性装などにより受けた誤解や、女性上司に性的に誘われるなどの逆セクハラのような訴えなど男性側が書いたものも含まれている。
会期中に随時追加されるので、これまでの都市での開催同様あいち(あるいは日本)ならではの証言集が出来上がる予定であったけれども中止となり、残念だと思う。
彼らはすでに現代美術の世界では大御所で、そして何らかの迫害を受けている経験から、検閲や様々な公的な圧力に非常に敏感だし、ある種のアクティビストでもある。愛知美術館のいくつかの部屋が閉鎖されているのだが(「表現の不自由展」もここで展示していた)。空白の部屋の意味をちゃんと考えると言う意味でも実際にその場所に行くことは大事だと思った。

別件で藤井光作品で台湾での訓練の様子に海行かばが流れていたりして、ちょうど扱っていた矢先だったので興味深かった。今でも台湾の人々には日本の教育を受けれてよかったと言う人もいる。親日派の方のインタビューの中には蛍の光を歌っていたりする。(別の方の作品。卒業式の定番ソングになっているが3、4番になると日本の侵略戦争を認める内容となっており、その内容も領土拡大とともに徐々に広がっていった。なお、彼らはその内容を知らないし、おそらくインタビュアーもそこまで重視していないらしい)
藤井作品では現代の若者にこの訓練を体験してもらうと言うもので、3面マルチスクリーンでの映像とこのオリジナル訓練映像がセットになって上映される。あの時代の体とは何だったのか。
そしてビルの耐震構造を思い出す。硬く強いものほど根元からポキリと折れやすい。柔軟さとしなやかさを有していると揺れを逃し耐えることができる。力で固める時代ではない。ダンスハ体育ナリ?4回目の上演ではストリートダンスなどに合わせて早稲田大応援団を紹介した。建国体操のあの直線的な動きはここにつながるのか!と妙に納得してしまう。
時代とともに身体も変わる。行進とともに変化してきた身体に着目し、そこに私は表現の自由を見る。叩き合いではなく、それぞれの意思を尊重すること、その意味をもう一度考えてみる必要があるだろう。


追記(20190818)
https://aichitriennale.jp/news/2019/004056.html
表現の不自由展の慰安婦像のことに報道はじめ多くの声が向かってしまいがちだけれども、アーティストたちの意識としては表現の自由に対する疑問の投げかけであり、問題提起のために出展の一時中止を決めたものと考える。
ダン体の終わりにつけたコメントを思い出す。
加担するくらいなら死んだ方がマシ。表現をしない(表現者としては死)ということによる意思表示。

日本の作家たちがそこまで言及していないことに驚く。
また、ダンサーたちのネットワーク作りで集まって(16日)このことには触れられないのだろうかと思うと少し残念。経済的にいかに生き延びていくかも大事だけれど、思想、表現に携わる人間としては本当に気をつけて見ていかないといけないところに今私たちはいると思う。
彼らの展示は今日まで。

2019年8月15日木曜日

新野盆踊り

○新野盆踊り
ここ数年、日本に帰ってきてから重点的に見ている地域として愛知県および静岡県の県境、三信遠と呼ばれるエリアで、花祭含めかなり見にいっている。昨年「死者の書再読」で折口信夫を題材にしたが、ここの雪祭りを紹介したのが折口。(花祭と合わせて歩いて回ったという)その話を聞いてきた柳田國男が盆踊りを紹介。この2つの芸能を引き継ぐ新野に初めていってみた。
車があればそんなに大変ではないと思うのだけれど、公共交通機関で行こうと思うと結構不便。飯田線は本数が極端に少ないし(山陰本線どころではない)、その最寄駅湯田からタクシーに乗ると六千円くらいかかる。(でもタクシーのおじさんがコミュニティーバスを教えてくれた。土日祝日はないそうだけれど、今年のお盆はずれていたので使えました。およそ二百円)奥まったその奥にこのおどりは残っている。
地元の伝承館に行っておじさんたちと話をする。親切に色々教えてくれるのだけれど、驚くべきことに「え、盆踊りは行かないよ、家で飲んでる」とかいう。盆踊り伝承館なのに。どうも徹夜だし疲れてしまうのだそう。
盆踊りが始まるのは9時くらいなので、その前にあるというワークショップに伺う。このワークショップを行っているのが、なんとK大学の先生。お話を伺うと、学部時代から通っていて、ここのお祭りが好きで家を建て、半分移住してきているとのこと。お祭りの概略を説明してくれた上で6つのおどりのうち3つを教えてもらう。
郡上、白鳥、新野全てに言えることだが、動きはそんなに難しくはないけれども、それでも説明がなく普通の人がすぐ入るのはちょっと不安もあるだろう。このような試みがあるとおそらく入りやすい。
しかし、おそらく完全に外から来たのは私一人だったのではないだろうか。ともあれ、そこでもまたお話を聞く。
金田さんは折口から名前をもらって信夫と名付けられたそう。そのせいかおどり好きで、と話し、娘さんと一緒にこのおどりを広げる活動を続けている。しかし一方で「郡上みたくはならなくていいなあ」と思っていて、基本的には「昔のものをできるだけそのまま伝えていくということがしたいんだよね」と話してもらう。
先生が言うにはほんの10年15年前は1500人くらいだったのが1000人をきる過疎が進んでいる(鳥取も似たようなものです)。このおどりを覚えてもらうべく小中学校で講習を開き、9時から12時までは地元の中学生たちに歌ってもらうなどの工夫をしているけれども、その中学校も統廃合する可能性があり、阿南町全域の子供達にこの講習をするのかなど色々考えてしまうとのこと。(阿南町と呼ばれるこの地域はかなり広域なんです。他に阿合の念仏踊りと言うやはり重要無形文化財がある地域なのだけれど、足がなく断念。広い、広すぎる)
そんなわけで現在3日間徹夜踊りを行っているけれど「意地だよね」とも言う。
この踊りが先に紹介した白鳥の真逆ではやしを入れないまま、歌の掛け合いだけで展開していくもの。しかもこの句が数百あるパターンから即興的に繰り出されており、その唄い手の誘導を受けて返さねばならず、一見には不可能。子供達も覚えきれないので、子供達の時にはすでに台本のようなものがあり、それをみながら行うと言う。また、唄い手も踊り続ける。つまり結構ハイレベル。
そしてはやしはないのでひたすらゆるい。リズムも時々狂う。でももうOK.
ひたすら揺れる。ゆるゆる。そして9時から6時まで。
今日もまだ続いているはず。

二つの盆踊り、いずれも雨について伺うと、「え、雨?関係ないよ、雨でもやるよ」とのこと。雨降ると燃えるんだよねとも。新野の方は雨宿りしながらだけれども。
台風だろうと何だろうと変わらないのだそう。何が起きても中止になったことはないとも言う(新野)。
新野は雪祭りも見に行かねばならない。



郡上踊り・白鳥踊り

○郡上おどり、郡上白鳥おどり
岐阜県郡上といえば郡上踊りで有名。こちらは1ヶ月間毎日のように街中のどこかで開催しており、常設の博物館もあり(踊り講習会も開催している)、完全に観光地化している。これについては足立重和が指摘しており、(『地域づくりに働く盆踊りのリアリティ : 岐阜県郡上市八幡町の郡上おどりの事例から』など)地域における盆踊りの変遷を見る上でも興味深い。もともと古くから伝わる踊りだが、観光客に開き、また巻き込んでいくことで肥大化、それによって町の経済も活性化していく一方、もともとのおどりと違うという地元衆のこだわりが残っていく。
私がいくようになったのは今から10年くらい前なのだけれども、その10年でも明らかに若年層が増え、かつ宿に泊まらない子が増えた。
昨年だったと思うが、前回行った時に、地元のおじさんに白鳥いくといいよーと言われたので、今回は隣の白鳥おどりへ。でも今年から両方楽しめるように往復バスが運行されるようになり(地元情報)評判が良ければ来年以降も続くそう。

郡上白鳥おどり(しろとりおどりと読む)は正しくは拝殿おどりと白鳥おどりの2種がある。この拝殿おどりが重要無形文化財で、なんとお寺の境内に下駄で上がってふみ鳴らしながら踊るというある意味罰当たりと言われそうなおどり。それにお囃子などをつけ、一般的に広まりやすく作り直し、郡上型で道路に展開できるようにしたものが白鳥おどり。そのため足の踏み方などはほぼ同じ(秘伝踊りにしかない演目もあるので油断はできないけれど、お会いしたおじさまには大丈夫と言われる)郡上にある10演目とは異なるが、一番の特徴はテンポアップしていく「世栄」だろうか、俗にいう謡とお囃子に乗せて子供達が踊り手とは逆向きの小さな円を作り、掛け声を入れていく。そのためどんどんテンポアップしていくある種16ビート。
ただこのハイテンションで徹夜で踊ったら死んでしまうので、たまにしかない。若い子たちはこの曲が来る頃になるとよそよそと出てきて、それ以外の時は地元の駄菓子屋さんやテキヤさんでひたすらグダグダしている。
郡上と比べたらかなりこじんまり。でもそれこそが普段からある生活の延長上の踊りなのだろうと思う。このテンポアップもおそらく子供達との掛け合いでどんどん進化していったものなのだろう。


郡上白鳥おどりとしてはもう少し人が来てくれたらなと思うらしく、今年から郡上踊りにも行けるバスが運行するようになった。郡上市としては2大盆踊りとして売り出したい(市役所の方曰く)のだそう。

盆踊りについて

海外から帰ってきてから、日本の民俗芸能をよくみに行くようになった。
能、狂言、歌舞伎のほか俗にいうお祭りのことである。
友人の民俗芸能学者に連れられて、花祭、黒川能、壬生狂言、田遊び、若宮御祭など様々な回を見に行くようになり、そのエッセンスは自分の作品にも反映されるようになった。
例えば「静」には春日若宮おん祭の巫女舞が部分的に1人用に作り変えられて含まれているし、そもそもベースにしているお話からして道成寺だ。筒井筒なども能のお話。
その作品を作る過程で須藤武子さんに会う。綾子舞という新潟に伝わる舞が白拍子の舞に近いということで習い始めたのがきっかけで、様々な民俗芸能のお話を伺う。本田安二さんについて点々と日本各地を回ったのだそうだ。そのことがきっかけで竹富島など沖縄にも目を向けるようになった。

かなり多くの盆踊り、お祭りを見てきているが、江戸以前に成立した古い形のものが私は好きである。戦後に入ってお祭りはパレード化し、みんなで揃って練習して観客に見せるスタイルになった。そしてその中で出来栄えを競い合う。よさこいソーランのブームが非常にわかりやすいが、鳥取でもしゃんしゃん傘踊りという駅前道路を全て封鎖しての一大イベントがある(今年もあった)。そして全国各地でそのようなイベントが開催されている。
私はこの魅せる前のお祭り、なんだかよくわからないうちに観客も巻き込まれみんなで踊ってしまうお祭りに興味を持ち、ここ数年盆踊り調査を続けている。池袋ニュー盆踊りのような比較的新しいものも含め、いかに観客が巻き込まれていくか、その構造を見ている。
ある種のレイブ、音楽コンサートにおける熱狂に近い。その様子を見ていると、ダンスは本来全ての人が踊るもので、見る快楽よりも踊る快楽の方が勝るのではないかと思う。もちろん特殊技能などで見せつけるということがあって良いわけだが、それよりは身体が踊りを欲している以上、快楽としてその方が強い。これだけ身体を動かさなくなっていく現代生活において、身体が求めるということもあるだろう。

ともあれ、ダンスに関してはある種のカオス状態での熱狂が基本ベースにあり、花祭りしかり、多くの盆踊りしかりひたすら踊りまくる、動きまくるそういうものだったに違いないと思っている。
毎年結構ギリギリで行き先を決め弾丸的に向かうのだが、台風が直撃することもあって、ダンス部の公演があることもあって今年は近場(島にはいかない)ことにした。
郡上白鳥おどりと新野の盆踊り。比較的近そうなエリアだが、実は結構移動距離がある。車が運転できれば全てOKだったのだけれどね。そして、今なぜこれを書いているかといえば冗談のようだが台風のせいで足止めされて、帰れなくなってしまったのだ。
明日ダンス部劇場入りなのに。
ごめん、みんな。

石垣よりは近かったし、かなり巻いて早く帰ってきたんだけれど、見込み甘かったです。もっと調査しておいでってことかなあ。

とりあえずリアルお墓まいりをしたあと盆踊りツアースタートです。

2019年8月11日日曜日

ダンスハ體育ナリ?建国体操を踊ってみた早稲田どらま館バージョン

ダンスハ體育ナリ?建国体操を踊ってみた早稲田どらま館バージョン無事終了しました。
https://www.waseda.jp/culture/dramakan/news/1135


このレクチャーパフォーマンスは鳥取大学の授業グローバル時代の国家と社会で取り扱った内容から生まれたものです。参院選もあったことだし、早稲田だし、そして最後に来たあいちトリエンナーレの表現の自由問題。このご時世なのでどこまで改定が入れられるか色々迷いましたがとにかくまとめてみました。


今回建国体操@早稲田編では早稲田周辺についてもリサーチしました。現在鳥取にいることもあり、水谷先生(今回の「憲法と身体」企画者)が知る早稲田色々が織り交ぜられ、これまでとは少し異なるバージョンになっています。ダン体はプログラムをちょっと頑張って作っているのですが、今回はさらに早稲田版補助資料も用意していただきました。ちょっと嬉しい。
ただ実は早稲田については大学時代に毎週のように健康栄養研究所に通って実験をしていた時代があり、気にしていたところだったんです。2017年にも戸山教会などの写真を撮りに行っていました。
(ちなみにその当時お世話になっていた田畑先生はその後筋トレプログラム田畑プロトコルを開発し、有名になっていて驚く。きっと私のデータも使われているに違いない)
そんな演劇とスポーツの聖地で上演できたのはとてもいい機会でした。
また、今回いしいみちこ先生(追手門高校)や萩原さん(かもめマシーン)など様々な人に出会うことができ、ありがたいことだと思います。
そしてこのどらま館があり、演劇人を育てていくことで、ネットワークが作られているのが見えてきました。実は現在は大学施設なのですが、大学の枠を超えてできることを模索していくことが大事だなと思った次第です。宮崎さん、ありがとうございました!

今回のプログラムは5月12日版を元に直しました。そして早稲田バージョンの話(早稲田大水谷先生がまとめてくださいました)を追加しています。
また膨大な資料となってしまうので、ここでは最後のごあいさつだけ。
このごあいさつも別添追加資料として入れました。

17.終わりに(2019810日)
 其ノ一から3年、其ノ二から1年、こんなにも時代の変化が早く、そして偏った形で進行していることを不安に感じる。様々な公文書の書き換えが明らかになり、民衆の声や支持率とは真逆の方向に政治も経済も進んでいく現実。メディアもどこまで信用できるのか、操作されているのではないかと考えさせられるような事例が多数起きていく。スポーツや文部科学省で明らかになったパワハラや汚職は確かにいけないことだけれども、おそらくこれは氷山の一角で、弱いところだから突かれて明らかになっているだけに過ぎないと皆見切っている。私たちは一体何を信じたら良いのだろうか。
 あいちトリエンナーレで起きた『表現の不自由展―その後』の展示中止はそのままこの国の表現の不自由さを露呈することとなった。脅迫とも取れる多数のファックス、メール、電話を受けて、安全面の配慮により展示が中止に追い込まれたとされているが、政治的介入とも懸念される事態が起きている。公の秩序とはなんであるのか。時の政治や経済で力を持つものに従うものしか許さない、そんな国にいつからなってしまったのだろう。
 一昨年から鳥取にて鳥取夏至祭というお祭りを始めた。街中で即興音楽やダンスのパフォーマンスを展開する。周辺地域にはご挨拶周りに伺うが、面白そうだねえと喜んでもらう。この企画も元々は横浜赤レンガ倉庫前の広場でダンサーたちの交流のために踊っていたことから始まったものだった(ダンコレおそとダンス)。数年続いたものの残念ながら「何が起こるか誰が参加するかわからないものには場所を貸せない、作品じゃないと困ります」と断られるようになったので、鳥取に来て拡大して自分で開くようにした。いつから公園も道路も許可申請を出し、警備を配さなければいけなくなったのだろう。いつからヘブンアーティストに認定されないと大道芸すら行うことができなくなったのだろう。芸能者は本来河原乞食であったのに、どれだけえらいスターになったのだろうと私は疑問に思った。
 はじめは小さなことだった。その時私はなんでですか?と聞き返せなかった。でも、小さくても小さいなりに声をあげなければ、全ては大きな流れに飲み込まれ、初めからなかったことにされてしまうということだと今はわかる。鳥取はまだ大丈夫、でも来年は、再来年はどうなっているだろうか。昨年のこの作品を見た西田留美可(Real Tokyoレビュー)はこういう。「ダンスは戦時中に禁止されるが、体操は重用されていく。管理しやすい体操に反して、ダンスの自由な精神や個人主義的な方向性が嫌われるのだろう。現代は、戦時下とはまた違う形でかつてないほどの管理社会になってきている。ダンスは歴史的な理由で体育の範疇に入れられてきたが、それは管理し制御しやすくする利点もあったかもしれない。ダンスが時代のカナリヤ的な存在であってはならないだろう。」ダンサーは元々巫女のようなもので、ある種時代とともに歩んできた。今自分が当たり前に行っている一つ一つのことができなくなる時が来るかもしれない、そんな危機感を常に抱いている。
 学生さんと話してみるととてもいい子たちで、心も優しい。家族を大切にし、仲間を守る。ダンスによって養われた団結力が見て取れる。それはそれで幸せなことかもしれない。でも誰かを守れば誰かを排除することにつながる。だから戦争は無くならない。ナチスドイツを支えたのも、731部隊も皆普通の人であり、普通の生活を、そして家族を守ろうとしていただけに過ぎないことがわかる。知らなかったと彼らは一概に言う。知っていても見ていなかったのかもしれない。そういう人間の弱さは確実にあって、それゆえ戦争も争いもなくならない。
 一人一人がちゃんと自分の目で確かめ、自分の言葉で話すようになること。おかしいと思った時に流されずにちゃんと立ち止まる勇気を持つこと、それは私自身の課題でもある。其ノ二のラストシーン、初演時はサイレンで慌てて逃げ出し、再演時はサイレンの中それでも踊り続けると変更しました。3回目は加担するくらいなら死んだ方がマシだと思いました。さて4回目はどうしましょうか。あなたならどうしますか。

2019年8月3日土曜日

表現の自由について(追記20190804)

あいちトリエンナーレで表現の不自由展が話題となる。
https://censorship.social/statement/
作品内容を見てもこのように問題になることは予想ができたが、それでも問題を投げかけることを選んだ津田氏のセレクトに私は敬意を払いたい。しかしながら以下のステートメントを見ると厳しい状況にあることがわかる。
https://aichitriennale.jp/news/2019/004011.html?fbclid=IwAR0UGC-KKrTSrjMfd2hSbHF8BMMUI3JWzke-s22nsvISst7YoA8AcoxExd0
しかしここで展示の内容を変えるということが起きた時に、この国の表現の自由は終わってしまうだろう。

過去、戦時においても笑いやユーモアに交えながら社会風刺を行なっていた時代がある。それすらも認められなくなっていく時代が近づきつつあるそんな予感がする。


授業で扱った事例の実際の展示もある。
(http://saikino.blogspot.com/2019/07/2019.html)
本文内にあるように検閲問題は実は日本にも起こりうることで、例えばスポンサーや助成金のカットなどという形で実質打ち切りのような形にもなり得る。そうしてそれを恐れて、当たり障りのないよう、「忖度」するようになっていったのが教科書制度である。
本来芸術は日々の生活の見方を変えるような行為である。物の見方は一つではない。声の大きい人の言うことばかりが正しいわけではなく、どんなに小さい声でも拾い上げ、見ていくことで、この世の中は豊かになっていく。
様々な表現を受け止めることができるそう言う社会であってほしい。
自分と異なる考えはすべて認めない、それで良いのだろうか。

昨日グローバル時代の国家と社会の最後の授業でグループごとに分かれてのディスカッションがあった。表現の自由に引っかかった学生も当然何人かいて、あまりにも自分が何も知らない、知らされていないと言うことに気がついたと驚いていた。
そして全てのグループ(障がい者問題、多文化共生など)で教育とはというところに行き着いた。自分が受けてきた教育とはなんだったのか、やっと初めの一歩に乗っかることができた。
私が行うレクチャーパフォーマンスはアーカイブを用いて今の世の中に再びあらわしだす作業であった。いつの間にか忘れ去られてしまう、なかったことになってしまうものを再び見出す。そして誤読や遅延はあったとしても、今に問いかけるものという点で、今回の展示に似ている。
天皇制の批判がとか慰安婦問題がということではない。
こんなことがあった、こうだった、今はどうだろうか。
答えなどないが、見た人と一緒に考える。そのための疑問提示。

世の中には様々な表現がある。強ければいいというものではない。
自分の言葉で自分の声で作る自由が今はまだある。
今は、まだあると私は信じている。


追記(20190803)
少女像の撤去が決まった。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190803/k10012020451000.html?utm_int=news-culture_contents_list-items_001

残念に思う。
彼女のタイトルは《平和の少女像》(正式名称「平和の碑」。「慰安婦像」ではない)。
HPにある説明だがこれも消えてしまうのだろうか。
2012年、東京都美術館でのJAALA国際交流展でミニチュアが展示されたが、同館運営要綱に抵触するとして作家が知らないまま4日目に撤去された。
と書かれている。

このことにより、日本という国における表現の不自由さは一層強調されることになった。私はしがない踊子に過ぎないがこのことに危機感を感じている。
かつてダンスハ 体育ナリのプログラムでそれでも球は投げてみるべきものと書いた。それこそが表現だから。
西田留美可さんはReal Tokyoのレビューでこのように書く。

ダンスは戦時中に禁止されるが、体操は重用されていく。管理しやすい体操に反して、ダンスの自由な精神や個人主義的な方向性が嫌われるのだろう。現代は、戦時下とはまた違う形でかつてないほどの管理社会になってきている。ダンスは歴史的な理由で体育の範疇に入れられてきたが、それは管理し制御しやすくする利点もあったかもしれない。ダンスが時代のカナリヤ的な存在であってはならないだろう。

時代のカナリヤとしてはものすごく大きな変化の時だと感じている。


追記の追記(20190804)
単純に少女像を撤去ではなく(これも十分に大きな問題なのだが)、展示自体がなくなったということがかなり痛い。ちゃんとした議論のないまま全部ひとまとめにして判断してしまうところがかなりまずい。
今回の出展のうち3つの作品をたまたま別所で見ている。そしてそれを見て言えることは、必ずしも偏った作品ではないと言うことだ。私は今回の全ての作品を見ていないけれども、受け取り方でかなり変わってしまうと言う芸術作品において、どこまでが配慮し、誰の権限で制限されるのかわからないまま一括りに禁止、中止をしてしまうことで表現活動を萎縮させ結果的に検閲と同じ効果を生み出してしまう。
直接言っていないからと言うならば、そのような忖度と、配慮の結果全体主義が生まれ、アイヒマンのような存在が生まれた。日本でも731はなぜ起きてしまったのかと話題になる。なぜやめることができなかったのか。なぜそのように追い込まれてしまうのか。いや、その人たちは追い込まれてなどいない。それが当たり前のこととして受け入れてしまっていたと言うことだ。

ガソリンで火をつけると言うような声に対し、テロ等準備罪はこういう脅迫をしてくる人を取り締まるためにあるのではないのかと友人は語気を強める。いや、でもだからって、これが発動されるようになったらもっとやばいから落ち着こうと話す。
ここで戦うのではなく、今私が作家として何か言うことがあるとすれば、そのような状況をも受け入れていけるかどうか。
この日本の危うさは、うっすら感じていて、だからこのシリーズ始めたのですが、再演を重ねるたびに怪しさが増していく。最後のシーンもどんどん追い込まれていく。今回はどのように終われるのだろうか、いつも上演の最後の瞬間まで迷っている。

原作版「新聞記者」のラストはこの言葉が引用される。


 あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。(マハトマ・ガンジー)

芸能者はもともと弱い立場の人間である。でもだからこそ今いうべきことを自分のために言うように、言えるようにと思う。