2020年1月31日金曜日

EU離脱

イギリスに住んでいたことのある身としては、あの国、EUから抜けたら何もなくなる、、、という印象がある。もともと農業国とも言えないし、資源もそんなに多いわけではない。多くの車工場もこのEU離脱で撤退が進み、工業も無くなったら、この国は何で生きていくのだろうと思う。(そのくせ物価は高い)
日本は島国ということでイギリスに似ていて、資源のないところも似ていて、しかし一応食べ物は美味しい(その安全性は危ぶまれているけれども)。紅茶(それもインドなどから輸入)だけじゃだめだろう。少なくともあのベイクドビーンズも、フィッシュ&チップスもあまり受け付けなかったのはわたしだけではないはず。だから本当に不安。

実際例えばアシュフォードさんのAerowaveはオフィスをダブリンに移す(アシュフォードは引っ越すのだろうか)らしい。だってEU連合の資金を得て、EUのネットワークをダンスで体現する活動だからイギリスってわけにはいかない。流石に75歳になるから僕はマガジンの編集長になって、ダンスを広めるという活動にシフトするんだと言ってるからいいのかもしれない。(なお、明日横浜に向かって出発するそう。EU離脱とともに日本へ脱出って言ってる)

最後の時にみんなで手を繋いで蛍の光を歌ったそう。「我々は別れの苦しみの中でのみ、愛の深さを見つめる。我々はこれからもずっとあなたを愛する。遠く離れることは決してない」と委員会の議長が言って別れたという記事を見ました。(なお、イギリスの作家ジョージ・エリオットの言葉だそうです)イギリス、思い直すなら今だよと思ってしまう。

何れにしてもいろんな変化が起きていて、どのようにレクチャーをまとめるべきかすごく難しくなってきた。レクチャー、そう、続編(?)作ります。でもあまりにもいろんなことが起こりすぎている。

2020年1月29日水曜日

ランシエール

先日の岸井さんの人工地獄を読む会で出てきたランシエールさん『無知な教師』(梶田裕訳、法政大出版社)。すごい。そうかー、だからわらべ館ワークショップと夏至祭になったんだなあと改めてつくづく。
わらべ館ワークショップも夏至祭もおそらく全ての人が踊るそこに立ち戻るために始めたもの。レッジョエミリアや森のようちえんの話をしたり、授業だと型を利用して教えるのではなく弟子が真似ながら学ぶ(真似ぶとも)という教育システムを話したりするのだけれど(→それがワークショップやファシリテートの考え方につながる)、哲学の人でこうやって書いてくれているのをはじめて読んだ。
知らないってある意味すごくて、知らないなりに考察し、進めていたことが後からこうして理論だてされるのは少し嬉しい。うまく言葉にできていなかったけれど、でもやっぱりそうだよねという。それがある意味同時代性なのかもしれない。

子供達だけではなく大人たちも全てを有している。

受け取ろう、知ろうと本当に望んだ時にはどんなことも可能になる。

2020年1月27日月曜日

人工地獄と鳥取夏至祭

夏至祭と銀河鉄道祭それぞれ文章化しようとしていたタイミングで、岸井大輔さんがやってきたので、人工地獄を読み直す。(ことめやで開催されているアートプロジェクト講座。でも急に行けることになったので講座の前に読みきれないままいく)
夏至祭の始まった後にこの本を読み、参加型アートの歴史を知り、「革命」な感じ(鳥取夏至祭は小さい革命として作っていて私も主謀者とプロフィールに上げている)は、「知らなかったとはいえそういうことかー」と思った記憶がある。「人間は恋と革命のために生きるのです」(by太宰)は2018年のテーマ。
夏至祭はもともと劇場を捨てて街へ出る寺山修司的発想から始めていていて、その原点は小学生の頃に行っていたウルトラクイズ(当時住んでいた場所の桜丘町、南平台町エリア)に遡る。その主催者だった子は今どうしているのかなと思うけど、すごく面白かった記憶がある。まちなかを歩き回り、探索し、知っていくそのこと自体が何よりも面白い。演じることは特殊なことではなく、日常と作品の境目は私にとってなかった。中学の頃は生徒会で学校全体を使って鬼ごっこ。高校の時は一応演劇をしていたけれど。
現実は虚構を上回る。いくら素敵な俳優さんでもダンサーでも普通のおばちゃんの一声にかなわない。そんなことを思うし、だからこそコンテンポラリーダンスの良さはあると思っていたので、鳥取に来てまずすべきは多様性を紹介することだと考えた。
鳥取で数少ないコンテンポラリーダンスの人間としているものの、自分の作品は暗いし、一般受けしないから、様々な身体や作品の形があっていいんだというそのことを知ってもらうために始めた鳥取夏至祭。出来るだけ多様な表現を。そしてこれもアリなんだという発見を。
コンテンポラリーダンスなんて見たことないような純粋鳥取人に伝えるべく私が鳥取にいるうちは開催していこうと考えている。
岸井さん解説とともに人工地獄を今改めて読み返しながら、夏至祭の発展系である銀河鉄道祭は人々をある種誘導し、持ち上げていくような活動であったことを思う。また、それゆえのカタルシスが生じていた。
夏至祭は本来は銀河鉄道祭的なものを目指していたのかもしれないが、参加者の数が少ないせいか、動員色は低く、それよりもアーティスト間のネットワーク形成に力点が置かれていく。もともとはまちなかの空きビルなどを利用しながら自由に作品発表できる場所を発見していこうと考えていた。まちづくりなどにも応用できる仕組みだと捉えていた。人(アーティスト同士)とも場所とも出会える出会い系である。私自身は自分が若い世代にできるとしたらそういうことだと思っていたし、私はそういう場所を開拓してきたし欲してきたが、若いアーティストにとってそこはそんなに大事ではないらしい。全部が用意された場所や、作品として発表できる場所が必要なようだということに気がついた。
ただ、そんな用意された場所で作る人、私は興味がない。
まちなかを探求する面白さをいざこざ言わず、探求する人を求めます。
それを搾取というのかは資本主義経済の考え方であって、私は楽しいのために働く。
生きるための最低金額を維持できたら、その先は自分の力で稼いでいく。
誰かが主導し、乗っかるのではなく、
ただブラブラするわけではなく、
お客さんとアーティストが同じレベルで遊ぶ時間に戻すこと、それをしたいだけだったのだと改めて感じた。

人工地獄はシュリンゲンジーフで終わる。政治的メッセージでもありながら、その判断は観客へゆだねる。それが今の時代のコンテンポラリー。なぜなら多様な判断ができ、それぞれの思考を促すことに価値があるから。それをしているのは「ダンスハ体育ナリ?」。おそらく言葉の力を借りなければ思考までは動かない。これを作った当時(2016、2018)私は明らかに社会を変えたいと思っていた。せめて私が私としてある土台を作りたいと思っていた。女子体育くらいは変わるかもしれないが、その前に民衆はそれを求めていないということを最近思う。

その先は誘導ではなく、観客が参加者となり、かつ楽しむために、アーティストもまた消滅していく(みえなくなっていく)と想定しているが、今の観客の力だと、「わかりやすい」「面白い」ものを与えてもらうのを待っているだけで、モスクワプロレタリアートとかと変わらないことになるなあと思ったり。(その危うさを指摘するために建国体操を踊ってみた)

さて、夏至祭はどこへ向かうのがいいのだろうか。人工地獄のその先へ。
きっとどこかで何が起こるかわからない「即興」あるいは「神の声」を聴きつつ、音楽もダンスも観客も皆が巻き込まれながら誰かの意思とも異なる何かが出来上がってしまう現象なのではないかと感じている。
それは私の作品ではないが、私の思想であり、全ての人がフラットであり、そのままありながら、なりたつ奇跡を3回見てきたからこそ言える。これまできてくれた人たちの包容力、受容力、それが今、この世の中で足りなくなっているものなのかもと思う。きっとそういうことの繰り返しが大切なのだろうと思う。

続けて、という言葉はそのせいかなと思う。

地域調査プロジェクト2019

鳥取大学には地域調査プロジェクトという授業があり、2年生の必修、かつグループワークで私もこの2年まちづくり班という名称で移住者のインタビュー調査をしている。(他にも考古学や古文書の翻刻など様々な調査がある)
昨年は鳥取の人がよくいう「何もない」を取り上げ「何もないはいろんな可能性がある裏返しである」という結論を導き出し、
今年は移住者といっても実はそんなに鳥取に魅力を感じてきていなかったり、強い意志を持ってきたわけではなかったりたりするけれど(たまたま選んだ人が積極的な移住者タイプではなかった)、そういう人たち一人一人の普通の暮らしが実は新しい鳥取を作り出しており、文献などに頼らず直接人に会い話を聞くことが大切だという結論を導き出した。

街づくりとか経済効果とかとは少し異なるが、ただそこにあること、いることを認めていくような学生さんらしい優しい視点の発表であったと思う。

2020年1月22日水曜日

田中泯さんの舞台を見て

久しぶりに東京に行ったついでに舞台を観に行った。田中泯さんの東京芸術劇場公演。
多分舞台で踊るの久しぶりなのではないかと思ったのと、知り合いが出ているのと。
アフタートークによれば実際に何十年ぶりらしい。(ただ私のかすかな記憶だとやっぱり東京芸術劇場で巨大クジラを見たのだけれど)
というのも劇場なんてと行って外へ出て行って、身体気象農場などをやって(その時代にダンス白州というフェスティバルでお世話になっている)、最近はテレビだ、映画だと引っ張りだこになっているから仕方ない。近年は場踊りと称して屋外での即興(そういえば夏至祭の原型のような話だ)が活動の中心になっているのだという。
珍しく劇場公演というだけではなく珍しくアフタートークをするという。アフタートークでは(その日は)写真集の話をしていた。この写真集はずっと僕のことを撮り続けてくれてて、いろんな本当にいろんなところに行ったけれど、でもそのまま放ってあったんだ。でもそれを最後にまとめてなくなっちゃたんだよねとぽつりと話す。僕ももう80歳ですから、先のこともね考えるんです、という。泯さんの公演ではベケットの文章が引用されていて、それもまた、かなり直接的な死を意識させるものであった。

先に書いた大野さんのお葬式と合わせ、舞踏第1世代がいなくなるとはこういうことかとふと思う。ここ暫く笠井叡さんがものすごく精力的に活動している様を聞いており、そういう焦りを感じる。自分が見てきたもの、受け取ってきたことをどのように伝えていくことができるのだろうか。


そんなことを思いながら、ぽつぽつ歩いていて自分が死ぬときは踊る人として認識されて死にたいと考えた。最近学校とか銀河鉄道とかなんの人だかわからなくなっているけれど、でも多分私は踊る人なのだと思う。それはたとえたくさんの人でなかったとしても、せめて自分の周りの人達にはそのように認識してもらっていなくなるのがいいと思う。
そんな話を友人にしたら、すごい!大発見じゃないですか!となんだか喜んでいる。

茂登喜

茂登喜はもどきと読む。

なぜ新野に行ってきたのかといえば、このもどきさんをみにいかねばいけない気がしたからだった。
新野の雪祭りは地元で活動している金田さんが一生懸命ウェブにアップしていて、それをみていただければいいのだけれど、ここに出てくるもどきさんはどういう役割なのかをみたかった。幸法と呼ばれるメインキャラクター(鳥取の麒麟獅子の猩々の動きにちょっと似ている)はいるのだけれど、それと似た形で出てくるこのもどき。幸法は9回出てくるのに、もどきは7回。そして折口がいうには動きが幸法の逆になっているというが、現在の伝承ではそこまで違いはわからない。ともあれ、もどきというのだからもどいているのであろう。

翁の横にいる人もきになる。反復するように言っているけれど、メインの人はちゃんと読み上げているけれど、ちゃんと読んでない。(というか見えないのだと思われる)そもそも読み上げている言葉も実はうろ覚えだったりして、隣の人に突っ込まれながら、ああそうかそうかと言いながら読みあげていく。このゆるさも見逃せない。
そしてこの読んでないけどでもサポートとして必ず一緒にいるこの人は何者か。

新野の雪まつりだけではないのだけれど、この寄り添うカオナシキャラ、もどき、陰の人が妙に気になったのだった。
山陰に来てしまった以上、陰の人がきになるのですね。

そもそも三番叟の黒爺は白爺のもどきであるが、その方が猿楽の原型に近いと言われている。そして今でも狂言師が演じることで知られている。もどき、侮れない。実は重要なのは後から出てくるもどきの方かもしれない。実際後戸の神の方が古くからいるその土地の神であったりもする。(新野ではがらんさんというそうだ。魔多羅神なのかなと思いつつお話を聞く)白と黒、光と影は合わせて1つそんなことを思っていたが、影の方が重要であったりする。さらにいうと光は陰とともにあり、陰が実である。影はその副産物として成立するが、両者がなくては存在し得ない。

新野の雪まつりは踊りとしては動きが少なく、花祭(これまで何度もみに行っている奥三河の湯たて神楽)の方がメジャーになっているのはよくわかるが、古きよきところを残していて、とても興味深い。動きよりも言葉、そしてその儀式が示していることは多分たくさんあって私はその一部を垣間見ただけに過ぎないけれども、ぜひもう少し調べねばと思った。


ちょうどこの前日大野慶人さんのお葬式に行っていて、隣の同僚がなんとなく一雄さんの息子で車椅子押していたイメージが強くてと話していて、ちょっとムカ!と思った自分がいた。確かに天才的なダンサー一雄さんの陰のような存在ではあったが、土方さん、一雄さんと2人の天才に挟まれながら、しっかりとそこにいて支え、その死後、彼は彼でその言葉を忠実に辿り、「うさぎのダンス」に集約させたと考えている。うさぎ、お葬式の写真もうさぎだったけれど、彼が自分自身の動き、作品を作ったことはほとんどないなか、レパートリーとして踊り続けられた東日本大震災を思って、故郷の海を思って作った作品は、彼らしく可愛らしい。
大切なものは表に見えるものとは限らない。


2020年1月20日月曜日

今年の鳥取夏至祭

6ヶ月後夏至です。そういうわけで今年も鳥取夏至祭開催します。4回目。いろんな方からお問い合わせいただき嬉しく思います。日程は6月19、20、21日のあたりです。(微妙にぼかされているのは多少はみ出たり、プレ、オフイベントが考えられるため)
ただ、今年、なんとあのおふくろ市(駅前のサンロードで開催されている月1開催市場)がなくなるかもしれない危機にあり、(もし開催されたとしても年四回などになりそうとのこと)あの市場とわらべ館ワークショップを作るために組み立てられている3日間という構造を見直さねばならなくなりました。なので、詳細もう少しまとまりましたらお知らせします。
オリンピックイヤーということで6月ごろが一番忙しいらしいという声はありますが、皆様鳥取にまたお越しください。

https://tottori-geshisai.jimdofree.com/鳥取夏至祭2019ホーム/report2019/

2020年1月18日土曜日

神戸のまちとセンター試験

阪神大震災から25年。私はその時まだ札幌にいて、揺れもなく実感が湧かなかった。当時受験生で、センター試験の答え合わせみたいなのをしている時に、これで有利になると母校の教員がいうのを聞いた。やだなと思った記憶がある。
大学ダンスのコンクール「All Japan Dance Festival in kobe」は神戸で開催されていて、大学1年の時は震災を受けて東京開催となったその時から、毎年のように(海外にいる時を除く)行くことになり、その変化を見てきた。今では綺麗になった神戸の街。綺麗がいいことだとは私は思えないけれど、少なくとも表面的には大都市の1つとして復興した。
25年かかった。それでも復興しきれていないという。
日本に生まれた以上地震災害から逃れることはできない。だから起こることはわかっている中、生きていくという選択をしなければいけない。自然災害は防ぐことができないが、さらに人災を増やそうとしているこの国を見ながら、このグローバル化の中、正直日本を脱したほうがいいと個人的には思う。
学生さんにも英語でも中国語でももう一つの言語を学び、外の情報を得られるようにしなさいと話し、どこででも生きていけるような手に職を持つことをオススメする。ダンスでも伝統工芸でも、とにかく自分にしかできないような何かを持つこと。いつでもどこででも生きていけるように。

私は大学教員だが、大学だけが生きる場所ではないと思う。
また、いつからでも学び直すことができる。
自分自身が社会人大学院で学ぶことでイギリスで自分の身に起きたことの意味を知ることができ、今の仕事につないだように。
正直いつ何が起こるかわからない今、正解はない。センター試験はあくまでこれまでしてきたことをただ出すのみ。頑張るのではなく。子どもたちが自分に自信を持って前に進んでいきますように。


2020年1月15日水曜日

新野雪まつり

長野県新野の雪まつりに行ってきました。

雪まつりは折口信夫がはじめて訪れた時に命名した田楽系のお祭り。国の重要無形文化財でもあります。近くの地域に花祭りの豊根村や東栄町があり、それはこれまで何回か見にきたことがあるのですが、雪まつりは完全屋外。しかも長野ということで完全防備をして臨みました。これまで見てきた夜通し祭り系の中では巨大な松明を燃やしたり、どんどがあったりという火の祭りであるのと、休憩コーナーが完備されているので、結構助けられました。なので見どころ満載、民俗芸能が好きな人、興味のある人にはオススメです。(花祭りのようなカオスは少ないです。なので危険は少ないですが、眠い、寒い、煙いは健在です)

車の人はいいのですが、車が乗れない人は飯田駅よりバス(約2時間)。もしくは温田駅からバス(40分くらい、飯田からよりは本数があるが、同じ地域循環バスで、そこへ行く飯田線がまた本数が少ない)これらのバスは平日しか運行しないので、14、15日が平日、しかもなおかつ学校の授業がない日(そしてセンター試験とも被らない日)でなければいけないので、結構過酷というか難しいのです。これは今年逃したら大変と思って遠いけれど行ってきました。

民俗舞踊研究会の方にお会いしたり、昨年の盆踊り(実は昨年夏もこの新野盆踊りに行っている。弾丸状態ですが、行ける時に行く。この盆踊りも重要無形文化財。このエリアが芸能の宝庫になっています)でお会いした金田渚さんにも再会し、色々解説をしてもらいながら見ることができた。現在彼女はこのお祭りを広めようとフェイスブックやインスタなどで情報をアップしています。頑張っている若い人たちが出てきてて、それは素敵なこと。
https://www.instagram.com/explore/tags/新野の雪祭り/?hl=ja

実は内容がわかるサイトみたいなのがあまりないので、そのうち写真などと合わせてあげることにしましょう。

野毛大道芸

野毛大道芸を作った方にお会いする。(IKUOさん)
そもそも20代ー30代にかけて自身がサーカスのアーティストであり、フランスを中心に活動をしていたという。サーカス学校で教えていた時代があり、デュクフレ来てたよーと屈託なく話す。35歳で戻ってきて日本で様々なショーを手がけつつ、野毛でお店を開いた。現在2軒あるそのお店では様々なショー(音楽やコントーションなどのほかダンスもある)を行なっておりそこの経営者でもある。
この街が面白くなるといいと思ってと話す。
東横線の桜木町の駅がなくなり、野毛側の人通りが一気に減るという危機感。それがこの大道芸のフェスティバルを始めたことがきっかけになり、それまで空き店舗だったところにお店が入り、(その紹介業も手がけ)今、野毛は結構賑やかになっている。
裏路地や小さな道は今少なくて、こういう小さな小道に小さいお店が集まっている感じが外国人ウケするのだという。実際チェーン店系はほとんど入っておらず、それゆえにはしごする面白さもあるのだという。
街の良さを生かし、いいものを招き、それをきっかけに地域の色を作り出す。野毛の大道芸フェスティバルはその後全国各地に飛び火していき、今の大道芸やジャグリングの人気へとつながっていく。
扉とか作ってさー、むしろ閉鎖しちゃって、夜の街、大道芸治外法権みたいな感じにしたいよねと話す。いつから大道芸は許可制になってしまったんだろうとは私の個人的な疑問なのだが、そんなことを飛び越えて、大道芸が街を作っていく、そんな可能性を感じる。
この年代、まだまだ元気。(70歳代)アシュフォードさんもそうだけれど、そういう勢い若い人の方がないなあ。

参考までに:http://nogedaidogei.com/history/interview/

鳥取夏至祭は外から来た人としていろんな人を紹介し、またいろんな身体に触れてもらいたくて始めているが、本当に街中に人がいないので、偶然巻き込まれたり、見ちゃったりというハプニング性が思っていた以上に作り出せていないということを感じる。
また即興ということがわかりにくいとも言われる。
ただ、大道芸ではなくあくまで即興性にこだわっているのは実は意味があって、すごい技やスキルを見るということを目指したくないからだったりする。
おふくろ市が来年も開催されるか未定で、(夏至とずれるのもあるが、それだけではなく、そもそも開催回数を減らしたり、形態を変えることを考えているという)今年はどのようにしようかと考え中。

アイデア等募集中です。

2020年1月12日日曜日

未来の体育を構想する


未来の体育を構想すると名付けられたプロジェクトは昨年キックオフイベントを開催し、今年、立ち上げられた。お茶の水女子大付属小の神谷先生が中心となり、シンポジウムとワークショップが開催され、およそ200名近くが全国から集まった。
昨年のキックオフイベントも参加し、YCAM未来の運動会にも参加しているので、ある程度知っている人がいるのだけれど、また若い学生さんや企業の方など様々な方に出会う。
ポイントは2点ある。
1つはオリンピックや体育のスポーツ化で競技化する恐れ。そこに対し、ここに集まっている人は運動嫌いの子供たちを少しでも減らしたいという視点でいる。これは小学校教員の参加者比率が高かったせいかもしれない。(逆にいうとなぜ中高がこないのかという話になる。ここはY市の小学校の先生とお話ししたところ、中学からは部活だけが評価対象だし、ある意味教科間の見あう機会もなくて城だから、と言われる)
注目されるような選手になる確率は1%未満であり、それ以外の99%の子達がいかに身体について知るかが大事だろ、そのためにはやっぱり「遊び」に帰っていくんじゃないかというところ。
そもそも小中学校の時代で全国大会が必要だろうか、という疑問が出される。自転車でインターハイ準優勝でも部活によっているべき様々なことが見えなくなっていたのではないかと自転車をやめ農学部で生きる生き方を選んだ学生の声なども出る。
2つめは障がいを持つ子供たちのためにも、あるいは言葉が通じない子供たちとの交流のためにもスポーツができることはもっと大きいのではないかという視点。
発達障害は先天的な部分や遺伝性というのも考えられるけれども運動療法を取り入れることで改善されるケースがあるという小児科医のコメントや、今後増えていくだろう、AIなどでは補えない部分は結局身体に関することではないかという感覚はある。おそらく職業的にも福祉、医療、教育など身体に関するものが残るだろう。
そうした時に自分の身体を知る、身体から考えるというのはすごく大事なことなのではないか。
5教科のサブ科目と思われている体育、でも本当は生きる上で一番大事なことは身体を通して学ぶべきことなのではないか。
だって、ウェブを通じていろんな情報は得られるもの。でも身体は自分だけのもの。自分から切り離すことはできず、そして自分が考える全てのことは自分の身体からしか生み出すことはできない。
女子体育が保ってきた、また追求してきた全ての人が運動し、身体に親しむという視点はきっとこの考え方につながると思う。

一方で芸術というものは明らかにズレがある。
社会から出てしまうもの、逸脱してしまうもの、そしてそれはAIを超えるノイズでありうるかもしれない可能性でもある。
多様であることを目指して助成金がカットされようと、なんだろうと社会に投げ続ける、そんな人はそんなにいたら困る。でも何千、何万分の1、そういう子たちのための授業でありたいと思うし、私自身がそれを体現する人であるのだと思う。あ、多様性は大事ですよ。

私が今していることは理解しにくいとは思う。あの世の声と、現世の声と全部織り込みながら進んでいる。わかるとか言っている余裕はなく、そしてお客様のためにわかるようになんて言っている暇はない。


山口未来の運動会はゴールデンウィーク開催予定だそうです。

2020年1月10日金曜日

弱きもの


社会的弱者と呼ばれる高齢者、障がい者。
経済的な生産性だけで判断するとそのようにおもわれがちだが、彼らは表現者としては強い力を持つ。自分の一回生の人生において自分自身と向き合っているからだ。若者はその勢いで突破できる。しかし年齢を重ねるにつれてそれは難しくなっていく。そんな中表現活動を続ける人は大概何かを背負い、そこから逃げ出さず向かい合っている人だ。
多くの人は家族のため、国のため様々な事情で表現活動から身を引いていく。
そしてその方が多くの人にとって、社会にとって幸せなことであると思う。
それでもできなかった人が細々と続けていく。

舞踏はそれまでの西洋舞踊の価値観をぶち壊した。年齢を重ねることの美を見出し、それまで暗黒、暗い、醜い、と言われていた部分に目を向けた(それゆえ暗黒舞踏と名付けられた)。が、本当は日々の暮らしに目を向けていたのだと私は思う。ハレではなくケ。当たり前にある自らの日常を、年老いていくということをどう捉えるか、そのための哲学でもあった。土方時代の様々なパフォーマンスや白塗り、金粉ショーなどの見た目に踊らされがちだが、私が大野さんの家(私は大野さん本人以上にその家族の皆さんから学んだことが多いように思う。家族の大切さを思い知る)から学んだ思想は普通に暮らすことの大切さであった。

それまでの文化では弱いものはないものになっていた。しかし舞踏はその弱きものに着目し、あるべきままにあることを目指した。その先を言うならば「弱く見えるものが持つ、そのままであり続ける強さ」を指摘したい。宮沢賢治の言うベコ石や象のように。


少しずつ見えるようになってきたそれらの弱きものの存在。それらを守り、共に生きていくことができるようにと思う。

2020年1月9日木曜日

何人かいる師匠のうちの一人の死

予感はしていて、でもそれをあえて言わず、過ごしてきて。
私が学んだのはわずかな時間で、それでも多くのことを見てきた。
彼が残したこと、もの、人を思う。
ありがとうとごめんなさい。

本当はインタビューをして記録を残そうと思っていたのに。
彼の言葉を問わねばいけなかったのに。
私がそれをする前にいってしまう。

私が受け取ったものは私が踊りにして返すことしかできない。時間はかかるかもしれないけれど。


静かにおやすみください。

2020年1月6日月曜日

のの会

曽我部清典さん主催ののの会(野口体操の会が略されてこの名前なのだそう)へ。@浦和。
トランペッターでありながら身体について学ぼうと(曽我部さん自身が芸大時代に野口三千三さんから学んだ人)はじめて毎月2回。15年以上、気がつけば第389回だそう。来る人も様々で、曽我部さんのお弟子さん(つまりトランペッターから演劇、ダンスの人まで幅広い。
長く続けることで様々な身体と様々な動かし方があって、それでいいよねという空気が作られていく。それぞれの人が主体的に自分の体と向き合い、考える、実験していく場でもある。昔のマキノの稽古場を思い出した。教えないから自分で真似ぶ(学ぶ)。
(運動の原理や言葉については色々お話ししてくれて、それはすごくわかりやすい。ものの例がとてもわかりやすく、なるほどとも思う)
最近、学生さんに合わせてわかりやすい運動原理に落とし込みすぎていたなと反省。身体で起きているもっと小さな変化をみなきゃ(それがわかる感性をもたせれるようにしなきゃ)とも思いました。
講師の新井英夫さんには2月のわらべ館ワークショップで鳥取にお越しいただく予定です。(わらべ館はみんなで遊ぶ会ですが、野口体操講座はそれはそれで行えたらとも思う)

新井さんと話していて、野口さん、大野さんと同じ時期に江口隆哉の稽古場にいたのだとか。また、野口さんの昔のインタビュー(なんと竹内敏晴との対談もある!)をいただいたり、ありがたい限り。彼らがスェーデン体操とデンマーク体操、サーカスについて語っているという。勉強します。
野口体操の運動自体は邦さんの方が近い気がするけれど、江口も似ているところもあるのかもしれない。合気道ワークが近い気がする。

2020年1月4日土曜日

続けるということ

この年末年始、一度北海道に戻りバタバタしていたものの、お正月っぽいお正月を過ごした。初詣(今年は北海道)にも行きました。(昨年、一昨年は明治神宮ものをやった関係で明治神宮でしたが今年は脱しました。)

何だか遺言のようなメッセージが寄せられ、複雑な心境に。よほど心配されているに違いないと思いながら、とにかく続けてくださいねと書かれている。
ちなみにおみくじには
かげくらき つきのひかりをたよりにて しずかにたどれ のべの細道
とあって、細々と続けなさい、でも強いてはするなと書かれている。

続ける、継続性について考えていたところ、ミナペルホネンの展示タイトルが「つづく」だったことを思い出す。@現代美術館
本当はダムタイプ展を観に行ったのだけれど、鈴木昭男さんの音立てもあるし、mamoruくんの作品も観れたし(収蔵されたとのこと。おめでとうー)いろんな意味で盛りだくさんの内容でした。正直全部見ようとすると一日かかるやつです。

ミナは開始から25年。その間のプロセスを自然の循環と合わせて展示しており、様々な服による森や長年着続けている人の暮らしの映像、その服(とその記憶)の展示などで構成されていて、長く着続けることができる服、一度限りで終わりではなく、少しずつ応用しながら広げていくことで、作る人、作った生地を無駄にせずやっていこうというポリシーを浮き立たせる展示でした。ぶっちゃけいうとその分値段もそれなりに高い。でもそういう思想が作り出しているのがブランドでもあり、それを100年続けようと走ってきたのが皆川さんなのだと思います。
100年先どのような地球になっていて欲しいと私は思うか。

舞台芸術はその時限りのものです。
だからこそ美しい。でも消えてしまうがゆえに継続性が見えにくい。
ダムタイプ展は美しい映像とインスタレーションで魅了されながらも、やはりライブとは異なるものであるということを改めて感じました。
私にとって大学1年の頃に見たS/N@池袋芸劇(古橋さんのなくなった直後の公演です。私の周りでこれをみた人がいなくて、この衝撃をシェアできなかったことは大学から離れて自分で探さなきゃ意識を持つきっかけになりました)はかなりの衝撃で、今回過去作と見ることで様々な発見をできたものの、生身の人が持つ力、生身の人の不在ということが持つ力を改めて感じました。どんな人の一生も等しく美しく、それぞれの人の生の声に勝るものはないと思った直感は今の作品作りにもつながっています。
ただ今回の展示ではそれを得ることはできない。
Loversを泣きながら見た身としてはあれ、こんなだったっけと拍子抜けするところも。(なお、Loversの曲を用いて「月に立つクローン」という作品を作らせていただいたことがあります。)
でもそれでも次の世代がそれを知るためにもこのような展示が必要だと思ったのでした。
たまたま遭遇した10年以上の古い友人が、見てみたいと思っていたのでと話していて、そういうためにもダンスをのこすための活動は必要だと思ったのでした。
そう思う一方でダンスはのこすことができないということも知るのでした。

ピナバウシュなど大きなカンパニーでは長く定番として上演される作品があります。それらは代々引き継がれますが、やはり少しずつ変わっていきます。クラシックバレエもそうですが、そうやって残すための努力を行ってきた。
コンテンポラリーダンスはクラシックになっていくのだろうか。そういうものを目指していくものなのだろうか。

100年後、ダンスはどのようになっていて欲しいか。
また、
100年後、世界はどのようになっていて欲しいか。

今、私のみている世界では真っ暗闇しか見えなくて、継続はできるけれど、人の心が沈んだままになっていて。それを乗り越えていくのは賢治ではないけれど自分のために踊る(作品を作る)という所に戻るのだろうと思うのでした。
評価や誰かのため、社会のためではなく、
ただ自分のために生命を燃やすこと、それが星としての生き方です。
100年先のための一あしあとを残しましょう。








2020年1月1日水曜日

2019年”永久の未完成これ完成である”

永久の未完成これ完成である。

鳥取銀河鉄道祭イヤーを終了し、(今もドキュメントは作っているけれども)これからどこへ向かうのかまたゼロからやり直し。
宮沢賢治はその多くの著作を書き続け、改稿し続けた人でもある。そして未定稿のまま死んでいっている。あの銀河鉄道も最終形第4稿まで数えられているが、それすらも未定稿であり、もしかしたら賢治の意図ではないお話になっているかもしれない。
彼の中で完成ということはなく、完成しないことを目指していた。
一生涯を通じて自分のあり方を考え続けていた賢治。

今福龍太は「宮沢賢治 デクノボーの叡智」(2019)の中で(p330ー)賢治の「第3芸術」という詩を取り上げて、「芸術のための芸術」「人生のための芸術」の次に来るテーゼ「芸術としての人生」について指摘します。農民芸術概論は農民もレクリエーションとして芸術に携わるべきだという風に誤解されてしまうが、芸術とはその人の生き方が現れるものであり、その生活はそのまま美しいものである。「すべての農業労働を冷たく透明な解析によってその藍いろの影といっしょに舞踊の範囲に高めよ」(生徒諸君に寄せる、1927)ともいう。つまり民俗芸能や神楽を超えてその暮らしそのものへの見方を指摘する。その考え方は柳宗悦の民芸の考え方に通じる。(ただし現在の民芸は作家性がかなり打ち出されており、当時の用の美とはまた異なる芸術性を持っている)

その上で、しかし教員を辞め、羅須知人協会などを作り、農民の暮らしとともにあろうとした賢治の生活は当の農民たちには理解されず、数年で破綻をきたしてしまう。それでも理想を追おうとした。ある意味坊ちゃんなところもあり、しかしそのデクノボーさゆえにみえた美しき世界の形が作品として表されている。その生き方。
様々なものを得ることができなかった賢治は何を見ていたのだろうか。
もう一つの世界を見つめ、問いかけ続けてきた賢治と対話をしながら、私は自分が見てしまったものを問いかけ続けている。

舞踊もまた、その人の生き方が問われてきた。生き方が現れるのだから仕方ない。(逆にいうとそうではない作品も増えていて、私は個人的に残念に思う)不器用なので私もまたデクノボーのように生きるのだろう。あと何年かはわからない。ただ今ここにある以上、宇宙に散らばる一つの星(光る星ばかりとは限らないが)のように命を燃やし続けていくのだと思う。約束なので。

この世の中はやっぱり真っ暗に沈んでいくけれども、それでも。

われらの前途は輝きながら嶮峻である
嶮峻のその度ごとに四次芸術は巨大と深さとを加へる
詩人は苦痛をも享楽する
永久の未完成これ完成である

理解を了へばわれらは斯る論をも棄つる
畢竟ここにはきのさいこ2019年のその考があるのみである




2019年

2019年
銀河鉄道とともに走り続けた2019年でした。未だ銀河鉄道とはなんだったのか、をまとめるべくドキュメントを作っており、結局表舞台に出そびれている感はあります。プロデューサーとしてのお仕事を体験させていただき、多くの人に出会えたのは嬉しかったけれど、いろんな人に迷惑をかけてしまい、反省もしきりです。
これまで様々な舞台に立ってきましたが、その背後を知ることができたし(お金の面なども含め)、公共事業としてのアートの役割のようなものを考えさせられました。
一方で、現在の日本の状況を考えると、「本当に今、やらねばならないこととはなんだろうか」ということも考えさせられます。あまりにも急激な時代の変化。香港や中国や様々なところで起きている民衆たちの声を上げる姿は日本もいつそうなってもおかしくない。大きなお金が動くオリンピックイヤーを前に、私たちはもう一度、なんのために踊るのか、表現するのか、そこを考える必要があるのではないか。
ダン体では今の時勢が戦前のそれに近いと話していましたが、今年は「表現の自由」について取り上げました。お金の流れに踊らされてしまわないよう、一人一人の人が自分の頭で考え、小さくても自分の言葉で語るそういうことが大事になっていくと思います。小さくても、それでも続けていくこと。

どんな舞台も一期一会。その瞬間共に時を過ごすことができたことを私は幸せに思います。鳥取銀河鉄道祭は鳥取にいる鳥取の人のための鳥取でなければできない作品でした。鳥取まで見に来られなかった人もたくさんいます。そうした時にダンスの限界のようなものを感じます。
一方でだからこそ、出会えた人々には奇跡のようなものを感じます。
皆様に感謝と愛を込めて。


◎作品
ダンスハ體育ナリ その2 建国体操ヲ踊ッテミタ 早稲田表現の自由編(2019.8.10)
https://www.waseda.jp/culture/dramakan/news/1135

早稲田どらま館(昔は早稲田小劇場でした。あの鈴木忠志さんの作った伝説の劇場です)企画「憲法と身体」に招いていただき、早稲田版を制作しました。小劇場演劇の聖地、スポーツの聖地である早稲田。私自身も大学時代早稲田大裏にある国立健康栄養研究所に実験でよくおとづれていたのですが、その場所とは。
リアルにその現場の歴史を踏まえ、知るレクチャーと
そこから飛び出ていくパフォーマンス。
体育と芸術の狭間にいる私(実際の大学教員)が当事者として語りながら、進行していきます。
表現の自由に関してはあまりにもたくさんのことが起きてしまったので、その度ごとに作り続けなければいけなさそうですが、次は是非演劇博物館でと話しています。
担当してくださった水谷先生の自主ゼミは今も進行していて、そのうちレポートがアップされます。


鳥取夏至祭2019
https://tottori-geshisai.jimdofree.com
あえて、これを作品とあげるかは迷うところなのですが、私はこの試みと意識は作品というにふさわしいと思っています。今年は樗谿グランドアパート、鳥取東照宮などを開拓。夏至祭の醍醐味である巻き込み巻き込まれ感は薄いものの、コンパクトかつ見応えのある内容だったと言われます。途中にワークショップ企画なども含めてみることで、幅も広がりつつあります。。1年1年実験は続く。