2020年1月22日水曜日

茂登喜

茂登喜はもどきと読む。

なぜ新野に行ってきたのかといえば、このもどきさんをみにいかねばいけない気がしたからだった。
新野の雪祭りは地元で活動している金田さんが一生懸命ウェブにアップしていて、それをみていただければいいのだけれど、ここに出てくるもどきさんはどういう役割なのかをみたかった。幸法と呼ばれるメインキャラクター(鳥取の麒麟獅子の猩々の動きにちょっと似ている)はいるのだけれど、それと似た形で出てくるこのもどき。幸法は9回出てくるのに、もどきは7回。そして折口がいうには動きが幸法の逆になっているというが、現在の伝承ではそこまで違いはわからない。ともあれ、もどきというのだからもどいているのであろう。

翁の横にいる人もきになる。反復するように言っているけれど、メインの人はちゃんと読み上げているけれど、ちゃんと読んでない。(というか見えないのだと思われる)そもそも読み上げている言葉も実はうろ覚えだったりして、隣の人に突っ込まれながら、ああそうかそうかと言いながら読みあげていく。このゆるさも見逃せない。
そしてこの読んでないけどでもサポートとして必ず一緒にいるこの人は何者か。

新野の雪まつりだけではないのだけれど、この寄り添うカオナシキャラ、もどき、陰の人が妙に気になったのだった。
山陰に来てしまった以上、陰の人がきになるのですね。

そもそも三番叟の黒爺は白爺のもどきであるが、その方が猿楽の原型に近いと言われている。そして今でも狂言師が演じることで知られている。もどき、侮れない。実は重要なのは後から出てくるもどきの方かもしれない。実際後戸の神の方が古くからいるその土地の神であったりもする。(新野ではがらんさんというそうだ。魔多羅神なのかなと思いつつお話を聞く)白と黒、光と影は合わせて1つそんなことを思っていたが、影の方が重要であったりする。さらにいうと光は陰とともにあり、陰が実である。影はその副産物として成立するが、両者がなくては存在し得ない。

新野の雪まつりは踊りとしては動きが少なく、花祭(これまで何度もみに行っている奥三河の湯たて神楽)の方がメジャーになっているのはよくわかるが、古きよきところを残していて、とても興味深い。動きよりも言葉、そしてその儀式が示していることは多分たくさんあって私はその一部を垣間見ただけに過ぎないけれども、ぜひもう少し調べねばと思った。


ちょうどこの前日大野慶人さんのお葬式に行っていて、隣の同僚がなんとなく一雄さんの息子で車椅子押していたイメージが強くてと話していて、ちょっとムカ!と思った自分がいた。確かに天才的なダンサー一雄さんの陰のような存在ではあったが、土方さん、一雄さんと2人の天才に挟まれながら、しっかりとそこにいて支え、その死後、彼は彼でその言葉を忠実に辿り、「うさぎのダンス」に集約させたと考えている。うさぎ、お葬式の写真もうさぎだったけれど、彼が自分自身の動き、作品を作ったことはほとんどないなか、レパートリーとして踊り続けられた東日本大震災を思って、故郷の海を思って作った作品は、彼らしく可愛らしい。
大切なものは表に見えるものとは限らない。


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