2019年5月4日土曜日

YCAMスポーツハッカソン

YCAMスポーツハッカソンに行く。
2泊3日で運動会を作り、実際に200人のゲストとともに運動会をしてしまうというイベント。今日は顔合わせ、実際のアイデア出し、種目作り。
夏至祭に参加してくれている大脇さんが教えてくれたこのイベント、スポーツに現代のテクノロジーを組み合わせながら新しい種目を作ってしまうというもので、参加者はデヴェロップレイヤーと呼ばれる。小学生から大人まで。作り、そして遊ぶ人。

運動会は明治期に発生し、近代的な身体を村の人に見せるために成立した。(森有礼による)行進、走り方、様々な体操、マスゲーム、いずれにしても江戸時代までの身体とは全く異なる身体の使い方であり、その運動会を見せるために校庭が作られた。(ちなみに初期の運動会は川へ花見に行くというようなものだったらしい)その後村祭りと混同される、あるいは戦時期は軍事教練的な(今から見るとちょっと笑える)種目が増えるなどの問題点もあったものの、現在まで脈々と受け継がれている。それから150年近くが経過し、再び、運動が得意な人も不得意な人も楽しめるような仕組みを考えようとする動きが起きていることはとても面白いことではないかと考えている。

私は運動神経が鈍くて今でも跳び箱3段飛ぶのが怪しい(でも保健体育教員だった)けれど、本当は身体を動かすこと自体は好きだったんじゃないかと思う。踊ることもきっと嫌いじゃない。でもダメだダメだと言われ続けて、申し訳ないなあと思うようになった。私が踊らなければいけない必然がなければ踊らないようになった。それを踏まえ自分で身体を整え、今自分の表現に必要な身体を作る作業に切り替えることにした。
逆にいうと体育教師でダンサーなのにそこまで思うのだから普通に体育嫌だなという子はたくさんいると思う。

私は健康のためにスポーツを行うという考え方はあまり好きではなく、好きなことをしていたら気がついたら健康だったくらいなもので、寿命はできるだけ短くと思うくらいだけれど、おそらく、動くこと自体は快楽で、生きていく上で体が求めていくものであったはずだと思っている。それをセーブしているのはおそらく魅せるためのダンスであり、勝つためのスポーツではないか。スポーツハッカソンで作られる種目にももちろん勝敗はある(スポーツはアゴン(競争)の原理の遊びでもある)が、そこに遊び心を取り入れられることが重要なポイントで、その作る要素(クリエイティビティ)はアートに繋がる部分でもある。

終わった後工学部系男子たちとスポーツと芸術について話をした。アートとはちょっと違う文脈。ある意味枠組みを作ったり、ルールを作っていくのがこのスポーツハッカソン。スポーツはルールを守るという前提のもと平等を維持している。そういう意味でもある種のアート。でも芸術は本来はそのような枠組みを脱していくそういう行為なんだということ。そしてそういうところにこそ新しい価値観は生まれてくるんだということ。

すでに参加者の申し込みは締め切られ、実はチラシが作られる前に定員に達してしまうほどの人気イベントだそう。(スポンサーが70近くついていて、景品なども出るらしい。YCAMの地域巻き込み感がすごいガチです)こどもの日なだけに鯉のぼりが舞ってます。山口以外の土地でも開催されているので興味のある方はぜひお近くのところへ。学校の先生とかが関わると意識が変化するのではないかなと思いました。


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