2020年5月13日水曜日

コロナウィルスにかんして20200513

ここしばらく身体の声を聞くための作業が続いている。
朝昼晩と少しずつ時間をとって身体をひらき、手を広げていく。(夜は夏至祭ミーティング)
体力は落ちているけれど、何か違うものを掴んでいる感じはする。心臓より手を下ろしていても指先は真っ白になり、手の甲は紫になっていく。
夏至祭ではずっといろんな人と繋がるための作業をしてきた。その延長上に銀河鉄道祭があり、ノンダンスとも取られる、それぞれの素朴な動きや発声を皆がフォローし合うような関係性を作り上げるべく動いている。実際に小さいながらも少しずつ共有感覚を持ち、少しずつ自由度が増していく。結局いかに枠組みを壊していくかも大事らしい。
ただそんなやりとりを週に2回ずつ行いながら、授業で学生さんに教える授業もありながら、今までの人生でおそらく一番世界から閉じている感覚はある。
身体はひらいていて、何かにつながっている。でももう見せるとか見えるようにとかそういうことではない話になってきている。そうせざるを得ないからそうするということへ土方は衰弱体として進んでいくのだけれど、そういう方向には行きたくないなあ。
心地よく伸びやかにと思っている。

政治の闇をみながら、さらにその先を見る。
おそらく次の時代に必要になるだろう感覚として即興を通じた互助性というか溶けた輪のようなものを想定していたけれども、今の時代では強いスターになることが求められる。しかも強ければいいが強くもないし、賢さもないというこの国の状況の中で、助け合うような優しい思想は受け入れられないだろうとも思う。それでも鳥取だったらアリかもなと思ってはじめた鳥取夏至祭。
時代は逆に戻っていて、悪化していく中できることをしようとしたけれど、そしてずっと危険性を指摘し続けているけれど、カナリアになぞらえられたりもしているけれど、それでも時代は動いていく。個人の力は小さい。でもそれでもし続けていく。
一つには人を動かすこと。教育や舞台作品でできることはそういうことなのだと思う。
もう一つには自然を動かすこと。
これまでもいろんな事件は起きているけれど、私が動かすことではなく、動いてきちゃうだけのこと。たまたまとも言える。規模も小さい。でもおそらく今の状況ではあとほんの少しのことなような気がしている。バタフライエフェクトではないけれど(Mobiusの時に出てきた)小さな振動(蝶の羽ばたき)が回り回って大きな自然変動を起こしていくというそんなようなことを思う。積極的に起きたほうがいいと思ってしまう自分がいる。それくらいまずい。
今回、いやもう少し前からパンドラの箱が開いてしまった感じはあって、どうにもならない真っ暗闇しか見えない。鳥取来る前だからもう5、6年。そしておそらくそうせざるを得ないところに来ている。それでもできることとはなんだろうか。
踊子としてはそんなことを思う。


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