2020年5月1日金曜日

暗闇を覗き込む

死者の書再読は冥界下りの話で、真っ暗闇を覗き込む。
Mobiusも円のその内側を覗き込む。永久はない。でもそれを知った上で飛び込んじゃうようなお話しだ。

あの真っ暗闇の事件から色々考え続けてきて、私はこの暗闇と一緒に生きていかねばならないのではないかと捉えてきたし、これ以上の被害のようなものは出したくないと思ってきた。そのための万全の策を講じ、方違えやら色々起きていて、一般的な意味で理解し難いことが多々起きている。見てしまったものを顕し、自分のこととして引き受け、関わる人々の安全を祈ってきた。それが私にとって作品でもあり、それぞれが当事者としての切実な想いと意味(特に時期と場所)を持っている。銀河鉄道を作り、自分が演出をするわけではなくとも、災を封じ昇華できるのではないかと思ったけれど、そんなに世の中甘くはない。

巫女ではないが
でも現代に生きる巫女的なものとして、今この世の中に必要なものを見極めていく。神がかりの時代ではないので、ある程度本を読み情報を集めるが、それでも、最終的には本が光るとかそういう次元になってくる。でも真っ暗闇の中解決策はないのかもしれないという気がしてくる。

真っ暗闇は私の周りの人に被害が及ぶということではなく、この世の中全体を示していたのかもしれないと思った時に、そしてこの世は滅びなければいけないんではないかという声を聞いた時に、せめて今できることはなんだろうかと思う。

ダンスも演劇も舞台芸術は宗教的な祈りや念から発生してきた。そしてダンサーは気の流れのようなものを感じ、それを見せることを仕事にしてきたと私は捉えている。そして今人の領域を超えてもっと大きな自然の動きがある時に、私たちにできることはそれぞれの場所で顕し、また祈ることでしかない。それが人としての限界であり、例え未来が見えたとしてもそれ以上になす術はない。
それでもたとえこの世の中が滅びても、私は林檎の木を植えるという言葉のように、おそらく2度と会えないだろう自分の大切な人たちを思い、静かに踊るのだろうと思う。上手いか下手かではなく、それが踊子として今できることなのだと思う。

祈ることと踊ることはちょっと似てて、生きることとも等しい。



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