2009年6月28日日曜日

ここしばらくにおきていたこと

日本に帰ってきてしばらく。やっとセット(これが重要荷物でした。IchIのセットですごい大きいです。重くて私一人では運べません)が届きました。セットは税関を通るときにすべてあけられ、ついでにおくった私の私物もあけられ、中の写真などをみられ、税関のおじちゃんたちの話題の的になったようです。(本人その場にいなくてよかったです。でも横浜から運んでくれたトラックのおじちゃんにすごいねえとしきりにいわれました。間抜けなはなしで、かなり恥ずかしいです。)
とりあえず帰ってすぐにやっていた原口典之展(白州で出会った美術家さんですがとてもすてきな作品です。)を見に行った縁でバンカートのお仕事を手伝いはじめました。(なのでしばらくはここが私のお仕事場になるようです)横浜にある文化施設ですが、かなりの変遷をたどっていて、現在は川の縁の倉庫のようなところにあります。お近くにお寄りのときにはどうぞ。
その縁から中村恩恵さんのゼミをお手伝いすることになり、なんだか横浜のダンサーさんたちとお話するようになりました。(ダンサーとは限らず、パフォーマーだったり、普通に学生さんだったりします)
展覧会のオープンにはライブがあるのですが、慶人さんを見かけてしまったので、強引に巻き込んで一緒に踊っちゃったりしました。すみません。

ダンサー業で食べていくのは至難の業。でもせっかく同じ時間をつぎ込んで働くのであれば、様々な人に出会える場で働くのがいいのではないか?またダンスのイベントなどを企画できるようになったら、少しでもダンスが広まるのに役立つに違いないという考えです。ダンスを教えるということよりも、ダンスをよく知る一人の人としていようというのが基本スタンスで、少しずつダンスを知らない人に伝えていくということが必要です。
踊ること以上に至難なのは場所を作り出すこと。私がいる場所をきちんと作ることが大切だと思うのです。

北海道にも帰り、北海道にはダンサーはいるけれど若いアーティストは少ないようだという印象を得ました。踊るのも楽しいけれど、作るのはもっと面白い。作ることは人に身体をひらいていくようなことで、はじめの一歩は大変だけれど。
残念なことに私は「楽しい」ダンスとは思えなくって長いことしんどいなあと思っているが、もし踊っていなかったら、この世で存在していることが出来なかったかもしれない。必要ない人には必要ないかもしれないけれど、必要な人がいる。ダンスに限らず表現とはそういうもので、身体を使うか絵筆を使うか、楽器を使うか、ただそれくらいの違いでしかない。私はダンス比率が明らかに高かったのでダンスだけれど、ダンスじゃない方法でもかまわない。ただ表現をすることが必要な人がしやすい環境は作りたいなと思いました。
それを作り出せるようになることがさっぽろさいこの目標です。

お仕事は現在も募集中。いろんな人が心配してくれて、おかげさまでとりあえず生き延びることが出来ます。ありがとうございます。
おって舞台等詳細もお知らせしますね。

相模原の踊子ブログ開始します。

ロンドンから帰ってきて1ヶ月、そろそろブログを開始します。でも相模原(あるいは札幌)野踊子というブログ名はいただけないので、しばらくお試しで踊子日記。シンプルが一番です。
問題は現在の家にはネット環境がないため当分は不定期更新となるだろうこと。しかし呼んでいただけると幸いです。どうぞよろしくお願いします。