2017年12月31日日曜日

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○鳥取夏至祭についてはこちら

○大学用HPを作りました。詳細はこちら

公演予定などは今後の公演予定をご覧ください。

○Dance Potlatch ダンスのおくりもの
DVDを販売しています。(驚きの500円)収益金は踊るキノコ基金にまとめられ今後の活動へと生かします。
くわしくはこちらをご覧下さい。
お問い合わせをいただくのですが、送料のほうがかかってしまうため、東京、神奈川の方はBankART studio NYKショップ(馬車道)もしくは綜合芸術茶房喫茶茶会記(四谷三丁目)にてお買い求めいただくようお願いしています。うちのお店でもおけるよという方いらっしゃいましたら、お知らせください。
なお、札幌圏はキノコチケット札幌、鳥取はキノコチケット鳥取で対応しております。
ご希望の方はキノコチケットkinokoticket@gmail.com(@を英数字に直してください)まで。




20th sentiment ( Sapporo Biennale pre-event) film : Katsura Ishida

Mobius鳥取編(Chicago Moving Company 2016)film: Yusuke Sasaki
Mobius東京編(Chicago Moving Company 2016)film: Yasunobu Nakagawa

このページはダンサー木野彩子の現在の活動をブログとして紹介しています。
プロフィールの詳細やこれまでの活動につきましてはおどりこさいこ(http://saikokino.blogspot.jp)をご覧下さい。

This page is Japanese dancer Saiko KINO 's blog. Sorry, this blog is Japanese.
If you need to more detail of Saiko's work, please check Dancer Saiko page(http://saikokino.blogspot.jp), and click the label.


2017年10月13日金曜日

始まりの祭り


10月7、8日始まりの祭り@妻木晩田遺跡(鳥取)
 夏至祭を見に来た大山チームより是非にとのお誘いが。先日アイヌ刺繍で盛り上がったついでにアイヌ踊りを調べてみようなどの話が出てました。

お祭り自体は大山ガガガ学校と妻木晩田遺跡の学芸員の協力のもとアイヌ文化を広げる活動をしているアシリレラさん、夏至祭やMobiusでもすっかりお世話になっているやぶくみこさんも集まって、ユーカラ(歌、踊りも一曲。アイヌ神謡集の「金のしずくふるふるまわりに」もあり、個人的にはちょっと嬉しかった)あり、カムイノミ(お祈り儀式)あり、ガムランワークショップあり、歌って踊って叩いちゃうなんでもありな会(私の中では夏至祭に続く弥生収穫祭@妻木晩田)もありの楽しい3日間でした。

カムイノミのせいか、雨と言われていたのに、晴れまくりで、私は真っ黒黒に焼けてしまい、黒い鶴(次の演目は鶴)になってちょっとしまった、、、と思っています。


超晴れまくりのこんな感じ。私が来ているのは弥生の服に似せて作った貫頭衣(手作り)
中心にいるのはこっちの大山研究所大下しほさん。
木野は太鼓やチャクチャスを持って皆さんをご案内するツアーガイドです。

 センターだけではなく主要な遺跡を学芸員の長尾さんが説明してくれます。(森の妖精のよう)ちなみにここは竪穴式住居、復元。下に同じような建物の跡があり、それを丁重に保護して埋めた上に立てています。
ここは村のはずれで、一軒だけ離れて立っているとのこと。その後ろはお墓。
お墓を守ったり、儀式をするための場所だったのではないか?とのこと。
また光が差し込んでいて、お墓側に窓が開いています。西窓です。(つまり春分、秋分の時に来いということです)
ジャンベや太鼓やいろんな鳴り物を持って演奏しまくり、光の中で踊りまくり。
竪穴式住居を出ると、この眺め。一番いいところにお墓があるのです。これらのお墓もその上に乗ることができます。で、ちょうどいいサイズの石の配置なので寝てみます。


 カサラファーム(奥大山にある農園)でアフリカンドラムやってるサイモンさんたちも合流、みんなで楽しく踊る日でした。

考古学はあくまで掘って見えてきたものから推測していくのだけれども、どんな暮らしだったのか、どんな踊りが踊られていたのかは想像です。祈りや鎮魂やそういう気持ちを持って踊る踊りは必ず人の心を打つのです。
こんな光景を思い浮かべていたと長尾さんと大下さんが涙をこぼし、私はこういうときのために踊ってきたのかもしれないと思ったのでした。




2017年9月14日木曜日

旅に出る10


ブクタパルのサランギ作り職人
カトマンドゥから40分程度だろうか、古都ブクタパルにいく。日本でいう京都のようなものと言われており、街全体が世界遺産。ネワール人が作り上げた彼らの文明の粋が集められている。カトマンドゥからは地元の人と同じバスに乗って見たもののちゃんと行き先を行ったのに聞き間違えられたらしく違うバスに乗ってしまって30分。途中から乗って来た親切なお姉さんが、あなたどこにいくの?と聞いてくれて間違いが判明、乗り換えかたを教えてくれたりする。(彼女はブクタパルから来て乗り換えたところだったのよと言いながら一回バスを降りて案内してくれた)しかもその時睡魔に襲われていて、ふと気付いたのがそのお姉さんの言葉掛けだったので、女神に見えたのはいうまでもない。
ブクタパルでは寺院の美しさはさることながら(カトマンドゥやパタンよりも地震の被害は少なく、またまちがゴミゴミしていないので観光という点でもおすすめです。(そのかわりチケット代が1500ルピー)
街中を歩いている途中でサランギというネパールの弦楽器を売っているおじさんに出会う。おじさんの一家はサランギ演奏をしている一家らしく、お父さんもお兄さんもおじさんもサランギを演奏しているそう。持って帰れないよといいながら、おじさんが聞かせてやるというので遠慮なく聞かせていただく。
おじさん曰くこれまで長く音楽家の地位は低かったという。今でもレストランなどに弾きに行ってもチップがもらえるかどうかで(でも観光客ツアーは大体食事代に含むと思うせいかくれないとちょっと怒っている。みなさんよろしくお願いします。)経済的にも地位的にも低く見られていると感じている。先進国では芸術全般特別な才能と思われるが日本でも趣味で個人がやっているんでしょと捉えられるという話をすると頷いてはいたが、後から調べてみると、カーストの壁がかなり大きいようだと思われた。
もちろん日本のダンス、音楽状況の厳しさはよくわかっているけれども、それ以上に世襲制、かつ隔離される存在の芸能民カースト。ネパールの彼らがいう厳しさは私の考えた大変さ以上のものがあるのではないかと感じた。
彼は普段サランギや様々なお面(観光客向けのもので正式な儀式に使われるものではない)を作り売ることで生計を立てている。彫るのが得意なのだ。でも美術品のように色々絵をくりぬいた作品サランギは音の響きが悪くあまり好きではないという。時々くる演奏仕事は喜びだけれど6時くらいから仕事が一切できなくなるのに給与保証がない(ほとんど収入にはならない)現状に苛立ちを覚えつつ、喜びだからとつづけてしまうのだという。日本の音楽も演奏するよとのこと(実際聞かせてもらった)。片言の日本語もこなしている。
大変だけれど、それでも自分は恵まれているという。地震後家を立て直すことすらできない人たちもいる。そんな中、自分はこうして店を復興し、新しくくる観光客に出会うことができるのだからと。
頑張れ、生きろと私は言いたくなる。たくましい。
私がかつて言われたように(いまも?)。


インドラジャトラ
 本来このお祭りを見に来たカトマンズ。あまりに濃すぎる日々ではあるが、ちゃんとお祭りにも顔を出す。中心地のダルバドールスクエアにいるクマリ(ネパールの生き神、女の子)が街中へ出ていく(日本でいう山車に乗せる)ほか、ライスワイン(白濁しているのでどぶろく的なものと思われる)を奪い合う男子対決とか、ぞうさん(日本でいう獅子舞の激しく、大きいやつ)の大暴走とかいろんな意味で喧騒とカオスのお祭り、しかも1週間続く。
踊りもある。この子達は古都ブクタパルからやって来たという。黒い子達はゴーストだそうで、顔が見えない(ちょっとザングルロを思い出す)。みんなと踊った後、その後さらに残って激しいデュエットを行う。アクロバティックな組み動きや伊勢太神楽を彷彿とするような肩の上に乗っかる技などを披露するため大人気になっていた。
 なお、ネパールはお祭りが本当に多く、毎月1週間くらいは仕事にならない状態が続く。お金ないだろうに、放蕩しちゃう。まだまだ謎の深まるネパールという国。


旅に出る9

火葬場で踊る
初日の早朝からチャンドラマンさん稽古場に巻き込まれ、しかしせっかくネパールに来たのだからとあちこち見学に出かける。世界遺産のあるパタンやバクタプルにも足を伸ばし(普通に現地の人と同じバスに乗っていく。)、それはそれで面白かったけれども、自分の中で一番大きかったのはやはり世界遺産である寺院に道を歩いていたら迷い込んでしまい、そこの名物とも言われる火葬シーンに出くわしてしまったことだと思う。
インドでもバラナシなど人の死の現場には出会うことはありうるが、それが観光として公開されているところに驚く。(実は隣のお猿さんがたくさんいる山から、お猿に導かれて迷って来たので入場料を払いそびれ、しかも火葬場火葬場という客引きを「そういうものは見せるものではないから」と断って逃げて来たのに出くわしてしまったという経緯がある)川の横の階段上の場所で3人の僧侶が祈りを捧げ、儀式をし、その対岸で燃やされる誰だかわからないけれど偉い人らしい人を見守る。階段には数多くの観光客。さらに川の橋や対岸などから覗く多くの人々。家族や僧侶が静かに祈る中、観光客たちは写真を撮り、関係ない話をしているその状況。
隣にいたネパール人のおじさん(60歳くらいだろうか)が写真や映像(しかもそのままライブ配信していたりする)を取っている外国人の様を見て「お前どこの国だ、写真とか撮るのはだめだ」と言い始める。私は「日本人だけれども、こういうのは大事な儀式だから撮らないんだ」(でも実は音を録音していたりする)と答える。そうしたらおじさんはよくわかっていると思ったのか、「何をしているんだ」と聞いて来たので「実はダンサーでインドラジャトラを見に来たんだ」と言ったら、そうか、ダンサーかと頷いて、「今から踊るからついてこい、俺の踊りを見せてやる」という。???と思いながらついていくとみるみるうちに川のすぐのところの少し広くなっている場所へ行き(僧侶たちより段は下がるもののすぐ目の前)、踊りはじめた。「そこでみてろ」という。お祈りがなんだか歌のようで、伴奏的なものもあり、子供達も何人か出て来ていたので、ああ、これは踊りなさいということだと思い、火葬されている誰だか知らないちょっとえらい人のために、おじさんの動きを少しずつ真似しながら踊ることにする。1曲多分5分とかそれくらいだと思うが、踊りきり、戻ってきたら横で見ていたお兄ちゃんに、良かった、すごかった、映像に撮ったとか言われる。伊達にダンサーだったわけではないよと話し笑う。(映像はそのうちyoutubeとかに流れるのかもしれないが、とりあえず連絡先とかも交換していないのでどうなっているかわからない)おじさんはもちろん普通のおじさんで、すごい動きができるというタイプではない。でもそういう人が踊りはじめてしまうような空間、さらに観客も皆が手拍子をし、みんなで歌うそんなお葬式。ちょっと素敵だ。
観光化には疑問が残るけれども、死をもそのように皆でシェアして受け入れていくのがネパール流ということなのかもしれない。明るいお葬式。
なお踊りがあったのはその1曲だけで(それ以外は手を叩いたりはするがそこまで)そのタイミングで私がダンサーだと言ったから起こった小さな奇跡。ダンスの根源は祈りと鎮魂。誰だかわからないその人が道に迷わず逝くことができますように。


おじさんには非常に気に入られ、ぜひうちでご飯食べてけとか片言の英語で誘われる。興味深くもあったが、何せ1日目であたりは真っ暗になってしまい、かなりまずいと思いお別れし、道に迷いながら宿にたどり着く。

旅に出る8

チャリアダンス
1日目、朝から街中を歩いてみた。まず自分のいる場所を知るために私はひたすら歩く。歩く速度は車や自転車と違い、人に出会うことができる(時々うざったいこともある)。その代わりすぐ道に迷うので結構危険。その日は朝6時過ぎから音の収集をしながら街の広場へ向かって行った。広場でガイドのおじさんに捕まる。英語で返しても日本語を話し続ける、そしてしつこい。何をしているんだと聞くのでダンサーだと答えたら、それはチャリヤダンスをやるべきだという。マスターを知っているから行ってみようという。朝7時なのに。(一歩間違えるとただの迷惑だと思う)当然マスターさんはいなくて9時ごろに勝手に出直すことにする。
チャリヤダンスとはネワール仏教の思想に基づいた動く瞑想ともいうべきダンスで、日本では岡本有子さんという方が紹介している。そういえば前に一度須藤先生のところでお話を聞いたことを思い出し、彼女は移住してNYをベースに活動するグルを招いていたけれど、ネワールの実態はどうなのだろうと思い、伺ってみることにした。
チャンドラマンさんは30年以上チャリアダンスを続け、かつては様々な賞を受賞していたらしいけれども最近は腰を痛め、指導を中心にしている。チャリアの思想を広めるため本を書き、ダサイン(10月ごろある大きなお祭り)の時には220人ほどの人にチャリアダンスを指導し、披露していたりする。彼曰くチャリアダンスのインスティテュートがほとんどないのだそう。
と、いうのもそもそもチャリアダンスは儀式(儀礼)のためのダンスであって、人に見せたり、習い事で覚えるようなものではなく、システマティックな方法論というのもなかったものだからで、当然ネパールの人々もあまり知らない。(稽古場には様々な新聞記事で紹介されている切り抜きがあるけれども、あくまでマイナーなものの様子)稽古場も6畳一間くらいの狭さだ。カトマンドゥにもダンスクラスはあるけれども多くはエアロビクスやストリートダンスなど様々なダンスを扱っていてチャリアダンス一筋のところはないのだという。
そういうわけでこんな突然やって来た謎の踊子を受け入れることからして本来のチャリアダンスの形ではあり得ないことだが、それよりももっと多くの人に知ってもらいたいというチャンドラマンさんの意識が強い。「将来は正規のアカデミーを作るのが夢だ、そうしたら自分がいなくなってもちゃんとこのダンスが残るでしょう?自分がもらったものをちゃんと伝えたいんだ」と語るあたりがニヤカムさんに似ている。
怪しげな気もしながらも、毎朝7時から稽古を受けることになり、普通は6ヶ月かけるんだよとか言われながら超速習型でどんなことをしているのか教えてもらうことになる。朝から毎日だいたい1時間稽古して、チャンドラマンさんが来てちょっとお茶をして2時間くらいならってという形でガチガチではなくかなりゆるい感じだけれど稽古に参加させていただく。アシスタントとして入っていること、ヨガのマスターだという先生(わかる人にはわかるけれども内藤さんに似ていて、ネパールの内藤さんと思うことにする)と先生の娘さんの4人で毎日顔を合わせつつ、基本ステップから学んでいく。
そう、オリッシーダンスと同様に型があり、20あるというベーシックステップのうち18と16個の基本形を含んでいるダンス、始まりと終わりに必ずするダンスを教えていただく。インド舞踊の形に似ていなくもない。でも体の動かし方の概念が真逆に近い。


余談だが、チャンドラマンさんは1998年に日本に来たことがあるらしく(トヨタがスポンサーだったとも)、東京と京都で公演をし2ヶ月ほど滞在したとのこと。そんなこともあり、このポッとやって来た変わり者日本人を受け入れてくれたのかもしれない。また日本に来たいそうで、何かできたらいいなとも思う。(ホームステイで滞在できればどこでも行くと話しているので、受け入れできそうなところがいくつかあればできるのかもとも。ご興味のある方お知らせください)

旅に出る7

ネパールについて
インドについては前にも一度行ったことがあり(コルカタではなかったものの)イメージをしていたものの、ネパールは全く未知の土地。インドラジャトラという1週間くらい続くお祭りがあるらしいという話を聞きとりあえずきてしまった。
ネパールは数多くの世界遺産があるだけではなく、トレッキングなど自然も豊かで、ほとんど観光業で生きているのではないかと思うくらい見所が多い。逆にいうと他に産業らしい産業がなく貧しい。日本からも直行便は当然なく、空港も鳥取空港のような小ささだ。隣のブータンが昔からの暮らしを重視することで世界一幸福度が高い国を目指した例として有名だけれども、そこに資本主義が流入した感じですごくアンバランスな感じを受ける。さらに地震以降だいぶ経つが今でも復興は進んでいない。多くの寺院が倒壊し、修復には10年以上かかると言われているほか、中心市街地の道路ですら、工事中の状態で、車が立ち往生してしまう。交通手段としてはバイクが主流で、あまりに凸凹の悪路なのにうまい具合に乗りこなしている。アスファルトの道路もほとんどなく、常に土煙(インド以上にすごいので、マスクは必須)。一般の家や寺院はレンガで建てられているのだが、そのレンガを運ぶのは頭につけた籠に乗せての人海戦術。江戸時代の日本人がとても重い荷物を運ぶ姿を思い出す。カトマンドゥでは今でもそう。(だから復興インフラが進まないのかもしれない)最近は高層の建物も増えていて、ちゃんと鉄筋を入れるようになってきているらしい。(なお3、4階までの建物は竹が中に入っていて支えていると思っていいのはインドと一緒)
戦後すぐの日本はこんな感じだったのではないだろうかと思わせられる。駄菓子を売っているような小さな商店の感じを見ていると本当にそう思う。
貧しさは正直あって、とりあえず観光客を見たらぼったくろうとするところがあり(英語でいうとチート)結構な金額(それでも日本のお店で買うよりは安い)を言ってくる。なので、正直この国の物価をちゃんと理解できたのか今でもよく分からない。まだインドの方が良心的で、ネパールのふっかけ方はかなりすごい。また、地震後の修繕費用を捻出するべく各寺院(広場)も外国人は1000ルピー、ブクタバルは1500ルピー(日本円でだいたい1ネパールルピーが1円、インドルピーではなくネパールルピー。1インドルピーは1.6ネパールルピー)となっていて結構いろんなものが高い。MOMO(ネパール餃子、これだけで軽食になる)の値段などを見ると(だいたい一皿80ルピーくらい)この入場料の高さは結構な値段だと考えられる。ネパール人は150ルピー程度。でもこの期間中お祭りのせいかネパール人のチェックまではしていない様子で、見た目ネパール人(何度か言われた!)の私もブクタパルをのぞいてそのままパスとされてしまう。
カトマンドゥにはネワール人と呼ばれる民族が多くすみ、彼らは日本人にとても似ている。モンゴリアン系。さらに親日派が多く(カモと思われている可能性は高い)、日本語を話せる人が多いため、日本かと一瞬驚いてしまう。なお、ネパール全体ではヒンドゥー教が90%近くを占めるが、ネワール人の多くはネワール仏教と呼ばれる日本でいう仏教でもチベット仏教でもない独自にヒンドゥの影響を受けつつサンスクリットの経典に基づく仏教を信仰している。
もちろんヒンドゥ教の人、イスラム教の人などもいるので街のいたるところにお祈りをする場所があるが、その形も全てが混在している。そのカオスな感じはちょっと独特だと思う。


うちの両親はあまり海外旅行が得意ではないのに、定年退職したのちだいぶん経ってからだが、なぜかネパールに行った。団塊世代にとってはヒッピー文化も含め思い入れのある街なのかもしれない。
 どこもかしこも工事中。これは観光の中心になっている広場から5分程度のところ
 各国の支援を受けて直していますという説明書き。すべて地震前に戻すには10年以上かかるという。


旅に出る6

インドの長距離電車

インドの長距離電車に乗る。オリッサの州都ブバネシュワルまでコルカタから8時間ほど。(この距離感やっぱり鳥取的)そのため行きは寝台電車、帰りは昼便で行ってみた。なお、飛行機が一番楽。1時間もしないらしい。
行きは体調が悪くそのまま昏睡してしまったので全く覚えがない。帰りは起きていたので(昼間だし)覚えている。とりあえず切符を買うときにご飯いる?と聞かれたので、せっかくだから物は試しで頼んでみた。そうしたら電車が動き始めた途端に①枕とシーツが配られる②1リットルのペットボトルの水③新聞④マンゴージュース⑤辛いトマトスープと謎のスナック菓子⑥ご飯(機内食みたいなもの、カレー2種とご飯と薄いクレープのようなもの、サラダ、ヨーグルトデザート)が次々にやってくる。

そもそもこの枕は一体なんなのか??と思って隣のお兄ちゃんに聞いてみたら、いや、寝るんだよという。8時間は長いから寝るのか。確かに2時間程度するとうっつらうっつらしてきてて、寝よう寝ようと周りも言い始め、椅子をベッドに作り変える。(背もたれのところを持ち上げて金具で止めると2段目のベッドになる)
ベッドは3段になっていて、でも3段あるから横にはなれてもそこで座ることはできない。(ただ座るだけで頭がぶつかってしまう状態)仕方ないからシーツを敷いて、横になり、うっつらうっつらしていたら、ご飯がやってきて流石に驚く。この状態で食べるのか。
下にいるお兄ちゃんに聞くと「うん、インドではこれが普通」とかいう。かなり怪しい。こぼしそうだ。でも普通に美味しく食べる。そしてそのベッドを作るのも、ベッドに上がるのにも、トレーを下ろすのにも周りの皆さんのご協力が必要で、みんなで助け合いがなされる。面白い。なかなかできない体験でした。


コルカタのマダム
まさこさんの紹介でコルカタに住むマダムのおうちにお邪魔することになる。このかた、実はものすごく陶器が好きで、日本にいつか行きたいと思うのだけれど、なかなか一人じゃ行けなくてねという。(なお、フランスにかなり頻繁に行っているらしく、フランスで自分のコレクションを収集しているそう。え、日本から輸入すればいいのに、、、)陶器、しかも民藝のような素朴な、しかし使いながら味が出てくるようなものが好きだそうで、いつか1ヶ月くらい滞在して実際に作るところを学びたいのだそう。
民藝!鳥取じゃないですか。と鳥取猛アピール。どこかの窯元で民藝について学ぶ体験とホームスティとかパックにしたらものすごく喜ばれると思うんですが、いかがでしょうか。
帰ったらとにかくたくみ工芸店に行って英語の本を送ってあげたいと思う。

カーリー神
インドには無数に神様がいて、シヴァとかヴィシュヌとか名前を知っていても、今ひとつどれがどれだかわかっていないところも多かった。今回コルカタにはカーリーテンプルと呼ばれるカーリー神を祀る寺があり、彼らの名前の呼び分けなども学んだ。なお、このカーリーテンプル、ラーマクリシュナがいたことでも知られている。このクリシュナさんも今回の旅でちゃんと認識した人。宗教多元説、賢治さんと似ています。その破天荒っぷりもまた。
さて、このカーリーさん、殺戮と戦いを好む女神。破壊する人。ヒンドゥ教の面白いところはこの生み出すものだけではなく、破壊を受け入れていくところ。破壊するエネルギーをも受け入れるかどうか。
いろんな意味で壊し続けている私の状態を表すような神様のところにきてしまった(たまたまだけれど)。本人がそれを好んでするかどうかは別だけれども、この世の中にはせざるを得ない瞬間がある。そしてそれもまたこの世の必然かもしれないのだ。舞踊とは本来そのようなエネルギー量ではなかったか。おそらく全ての人に内在するそのどうにもならないエネルギー量をどこかで発散させなければいけない。
なお、カーリーさんあまりに感極まって血まみれで踊り狂い、あまりにもその踏み足が激しすぎたのでシヴァさんが下敷きになって(レリーフなどはお腹を踏まれている、ちょっとかわいそう)その反動を吸収しようとしたという逸話があります。
カーリーさんにはヤギが生贄に捧げられるのだけれども、(その姿に衝撃を受ける人は多い)インドでは普通に市場でヤギの首がはねられる。土曜日なんかは何十匹とだそうだ。街のあちこちで鶏を絞めてる。(そういうのがダメな人はインド旅行は向かないかもしれない)私たちが毎日食べてる鶏さんたちを思うと見えていないだけで当たり前のことで、死と生は隣り合わせだったということを思い出す。


タゴールさん
タゴールさんはアジア初のノーベル文学賞受賞者。詩人。ギータンジャリで知られる。私の作品「En attendant,,,,」ではゴドーを待ちながらがベースになっているものの、解説として彼の詩をあげている。(ギータンジャリ英訳版102参照)
神との対話、および神への賛美が主題だが、愛の物語のようにも読むことができる。
私は宗教を特に持たず暮らしているが、この何年かでキリスト教始め様々な学びをしてきた。また、その前から「何者かとともに踊る感覚」はもちづづけていて、この何者とは何かという問いはかなり前から続いていた。その考察はIchI(2008)で具体的なデュエットとして構築したほか、からたちから(2013)、静(2013,4)、En attendant,,,,,(2014,5)、ダンスハ體育ナリ(2016)、MOBIUS(2016)でも扱っていて、おそらく今後も続いていくものと思う。
今回詩集を持ってきた先が彼の活動していたコルカタだったのが面白い。そこで空港など待ち時間に少しずつ読み進める。読みながらベンガル語訳と英語訳からの散文詩訳がかなり異なっていること、また、あえて英語にしていない詩がかなり存在していることが気にかかった。
ヴィクトリア博物館(サダルストリート側にある美術館、名前の通り英国調)を見ればわかるように今でも英国の影響は色濃く残っている。そしてヴィクトリア博物館は英国が入ってきてからの歴史しか語っていない。しかも英国側から。その前の歴史はなかったことになっているという事実。歴史は常に勝者によって作られる。支配している側からの歴史しか私たちは知ることができない。そんな英国人たちには聞かせる気もなかったベンガル語にしか残っていない詩の数々に自国を思う思いが溢れていると思う。

一方でこの英文訳がなかったらノーベル賞も取らなかっただろうし、ここまで有名な作家にはならなくて、ましてや私が読むことになどならなかったのかもしれない(私はそんなに本を読むわけではないので、この本を手にしたこと自体が奇跡的だと思っているけれど)。人に知ってもらうこと、知らせる努力は必要で、でもなかなか難しいことなんだよねとちょっと思う。

旅に出る5

劇場文化というもの
オディシャビエンナーレの話をしていて出てきたのが、インドではお金を払ってダンスを見に行くという発想があまりないということ。もともとお祭りの時などに披露されるダンスはあくまで奉納するものであるし、劇場に行くという文化自体がほとんどない。ビエンナーレでも劇場を作ることから始まる。
カメルーンに行った際に、劇場がコンベンションで、赤カーペットが敷き詰められていたが、「劇場のような広い空間」を劇場として使うことにする時もある。当然そのような場所では知らないものにお金を払うわけはないわけで、無料公演(あるいはそれに近いもの)となる。そうなった際にどこがその予算を出すかということになる。(今回で言えば日本の力は大きい)
ラッセルカンパニーでキプロスに行った際、ブリティッシュカウンシルが全面支援をしていてチケット代は3ー5€くらい(キプロスの通貨)と聞いたことがある。その前は無料だったという。これはブリティッシュカウンシルがキプロスの劇場文化を支援し、だんだんお金を払って見に来るようにしながら”イギリスダンス文化を浸透させる”ためだと聞いた。つまり世界中に様々なダンスがあるけれど、イギリスのダンスがいいよねという観客を作るための政治的判断であり、国際交流、国際貢献と自国の文化政策と、全て織り込んでいる。
ちなみにカメルーンの結構立派だったコンベンションは中国の支援によるものと聞いた。アフリカ諸国への支援を手厚く行い自国イメージをよくしていくこととその建築に伴い中国人たちの雇用を作り、移住を促すのだそうだ。(実際に中華料理屋さんなどがアフリカにもあることに驚かされる)
私たちが当たり前と思っている劇場文化はじつはここ百年程度のものに過ぎず、また、そこに色濃くパワーバランスが働いていたりするということを知ると唖然とする。




オリッサのダンス、オリッシーダンス
オリッサ地方で盛んなダンスをオリッシーダンスと呼ぶ。インドはダンス大国で、地域ごとに全く異なるタイプのダンスがあるが、特にその優美さで知られる。まさこさんはかれこれ20年ダンサーとしてインド国内、海外問わず活躍している。
今回せっかくの機会なのでクラスを受けさせてもらい、出来ないなりに味わってみる。
型が明確にあり、システマティックに行う基本ステップがあり、それをまず教えてもらう。足踏みが多いのと、足と胸の動きが完全に独立している。アフリカンダンスなどは同じように足踏みをするがその踏んだ足からのエネルギーを上半身に伝えていく(あるいはその逆)有機的な動きが多いのに対し、カウントに合わせ、正確に体に入れていくということが求められる。この感じはバレエのバーレッスンに似ている。
実際、膝を曲げた姿勢(俗にいう1番プリエと2番プリエの間)を基本姿勢としており、その形を長時間し続けるためには180度(あるいはそれに近い)の脚の開きを必要とすると考えられる。指導者により後方へ腰を出すように教える人もいるらしいが、まさこさんはそうしないようにと学んだという。(実際に180度に近い形で開くことができなければ腰や膝に多大な負担がかかるだろうことが予想される。また極端に下半身が太くなってしまうだろう。)ある種の身体変工、そして選ばれた人でなければ出来ない踊りでもある。
また、演劇的要素が多くあり、役割に合わせて顔で表情を作る。眉の上げ下げ、目の表情、目の下のところの細かい震えなどを訓練によりできるようにしていく。
訓練、という言葉が的確で、毎日朝から晩まで宿舎で、踊る日々が続き、その結果としてのプロの技でもある。ある種の進化した身体を見させていただいた。

この後いくネパールで触ったチャリアダンスと対比すると非常にわかりやすい。





少数民族、トライブの存在
オリッサ地方はインド国内でも特に少数民族が多くいる地域である。民族がいるということはその数だけダンスがあるので、私はそこがとても気になっていた。ナガランドではないけれど、それはそれで面白そうと思い、民族博物館や図書館などにも足を運ぶ。ちょうどオディシャビエンナーレはDACHOAという蜜蝋細工を行う人々の紹介ビデオ(冊子もある)を作っているところだったりもした。
ダンスと言っても男女が集団で踊る掛け合いのようなものや連なって踊るものが多い。揃いの民俗衣装を纏い、ナショナルトライブダンスフェスティバルで踊る映像を博物館では出している。(毎年12月に開催しており、インド各地域の少数民族が集まってくる)時間制限や空間の変化があるため、実際に行われているものとは異なってしまうかもしれないが、貴重な映像でもある。
ふと日本の伝統芸能祭りを思い出した。日本にも多くの民俗芸能祭りがあり、国、県などの支援のもと劇場でまとまって公演を行っている(鳥取でも行われていて、無料公開している)。この祭りを励みに日々精進を重ね訓練している団体も多い。一方で何人かの民俗芸能関係者はその危険性を指摘している。演出が加わったり、衣装が華美になったりという変化が起きていることも事実で、「民俗芸能」というあくまで変容していくものだからこその難しさを感じたことを。
この揃いの衣装、空間構成、そうだよなあ、と思っていたら、インドにもそのことを指摘している人(書籍にある)がいて驚いた。やっぱり、どこも一緒なんだ。。。なお、その本はアフリカンダンスやアメリカインディアンダンスなどとの共通点も上げていてちょっと興味深かった。(著者は別の人)これについては後述。
そんなわけで、ますます気になってしまった少数民族の存在。日本に帰ってもう少し勉強して出直さねば。


旅に出る4

インドの鳥取オリッサ
今回突然のようにやってきた私を快く受け入れてくださったのはまさこさん、リンクー夫妻(とそのリンクーのお父さんお母さん)。まさこさんはオリッシーダンスの名手として20年以上インドで修行を積み、しかしコンテンポラリーダンスも手がけ、オディシャビエンナーレも作ってしまうというパワフルな女性(名前の通り日本人です)。
「よくオリッサのことを人に説明するのに100年まえの鳥取って行ってたんだけれど、まさか鳥取の人が来るとは」と驚かれながら、仲良くさせていただく。
滞在期間中2回ほど子供達のコンテンポラリークラスを担当させていただいたり、逆にオリッシーダンスの基礎を教えていただいたりしてすっかりお世話になり、楽しい時間を過ごしました。舞台公演で飛び回っていることが多いようですが、いいタイミングで来ることができ、お会いできて本当に良かったです。

スタジオも住んでいる家の部分もリンクー(旦那さん)の実家を改良し作ったもので、現在も少しずつ作り続けているのだそう。フェスティバルも人に言われて作ったとは言いながらも、そもそもコンテンポラリーダンスを見たことがないオリッサの人たちに知らせ、日本を知ってもらう上でも大きな役割を果たしていると考えられました。今回で4回目。大使館、交流基金はじめ様々なところの協力を得て広がっていて、継続することの大切さを感じました。私はあまり一箇所に留まることができなくて、転々としているのだけれど、20年はすごいと思う。夏至祭はいつかこんな風になるんだろうか。(即興性を重視しているからタイプは違うかもしれない)
オリッサはインドの中でも貧しい地域と言われますが、のんびりと穏やかな人柄で食べ物も美味しく、とても興味深いエリアです。(興味深いについては後述)鳥取に近い感じは確かにあって、プリーのように海もあるし、山もあるし(ただしオリッサは広大な土地を有しており、単純に鳥取と同じではありません。世界遺産もあるし)。ゆっくりインドを味わうのにいい場所なのかもしれません。

オディシャビエンナーレは今年の10月開催。現在クラウドファウンディングも行なっています
http://www.odishabiennale.com
こちらに日本語紹介記事載っています。
http://sarasvat.com/mudra-foundation-3/

私が行った時期(8-9月)は雨季にあたり、突然スコールが降るということもありましたが、10月ごろは一番インドでは過ごしやすいそうです。(なお、夏は3、4月ごろで46度とかになるから避けたほうがいいとのこと。だからラッシーとかマンゴージュースとかがよく飲まれるのですね。暑すぎる。。。)公募もあるそうだし、おそらくこれからも継続していくと思うので、興味のある方は是非チェックを。

旅に出る3

インドの映画
前期の授業で同僚と受け持っていた芸術入門の中で触れていたインドの映画。独自の進化を果たしていました。今でも毎週新しい映画が封切られているインド映画業界。私の中でのインド映画は「ムトゥ踊るマハラジャ」に代表されるボリウッドだったのですが、あの謎にダンスが出て来る展開ばかりではなくなって来ているようです。また、なぜこの太ったおじさんがスターなのかわからないというような独特のセンスはかなり西洋的な価値観の美男美女に近づいていて、アクションの要素なども含みわかりやすくおもしろかったです。
すごいのは映画を見ながら、笑いやツッコミ(と思われる)を入れていくところ。歌舞伎でいう「成駒屋!」とかに近いんじゃないかと思う。キスシーンとかでは後ろにたむろっていた学生(と思われる)の叫びが聞こえる。みんなで観るものらしい。
思えばカメルーンや北京の劇場はそんな感じだった。舞台を共有するってそういうところもあるのかも。(でも私は暗闇の中でシーンとなって吸い込まれるような時間の方が好き)
そして突然携帯電話がなってそこで話そうとするおじさん(途中で話が長くなると思ったのか中座)。映画見ながらメールのやり取りとかもありらしい(両となりがしている)。

さらに長い。休憩が間に入る。多分3時間くらいじゃないだろうか。今でもインドでは主流のエンターテイメント。お時間のある方にはおすすめです。



ガネーシャプジャ
とりあえず私が行った時期はガネーシャプジャと呼ばれるヒンドゥの祈りの時期。お祭りかと聞いたらいや祈りだと言われたが、街中にこんな感じでガネーシャさんを飾りあちこちで爆音を流していたりするので、祭りでもあると思う。この爆音具合は後述のブバネシュワルがすごく、本当にすごく、これはやばい、さすがの祭り好きでも外へ出られないレベルの音量とテンションでした。
朝、お散歩をしていたら(これはヨーロッパにいた頃からの趣味で、ツアーなどで訪れた土地では大体朝散歩をし街中を探索する。朝市とか、山登りとか。大体小山の上に教会があって、そこから街を一望する)おじさんおばさんが集っていて、ヨガのような動きをしている。真似してやっていたら、最後に笑い始める。文字通り「ワッハッハー」とひたすら笑う。後から聞いたらこの公園で毎朝このエクササイズをしていて、ヨガではないけれど、みんなで集まって来るのだという。笑いは体に良いらしい。この公園にもガネーシャさんが。特設ステージも構えられていた。(大道芸の特設舞台を思い出す。仮設だけれど、結構立派。これが街中のあちこちの公園とちょっとした道端にあるのだからある意味街中ダンスの実例でもある)

街のいたるところにこういうガネーシャさんがいらっしゃるお参りどころが作られている。
右は別の所のだけれど、基本的にすべて竹細工。一見コンクリに見えるビルとかも竹が基礎なのがすごい。



ハンセン氏病について
マザーテレサハウスに行ったその日、今日はしまっているけれど、郊外の関連施設までみんなで出かけるツアーがあって今から行くから一緒にどうぞと言われて行くことになったのが、ハンセン氏病(癩病)患者の保護施設でした。(なお、翌日マザーハウスにも伺いました)
私はこの病気についておまり多くを知らず、しかし日本にもらい予防法があり、隔離政策を受けて長くこのような施設があったことを知っています。このインドでは隔離というよりは保護の意味合いで施設が運営されており、患者とその家族で協力して生活を営む循環コミュニティが完成されていました。園内には美しく管理された庭と畑と様々な動物を飼う飼育舎もあり、患者たちも軽度のものは糸を紡ぎ、機を織り、(衣類やシーツ、皆が使う包帯まで幅広く生産していますが、この施設及びインド国内の関連施設で使われるので、外部への販売などはしていないのだそうです)、食事を作り生活をしています。施設の方曰く、そうやって皆の仕事(雇用)も作っているんだとのこと。全てこの園の中で循環しているんだと。
家族たちも同一施設内に住んでおり、水場などを共有しながら、比較的安定した生活を送っていました。
郊外のこの小さな町(コルカタ中心地のマザーハウスからバスと電車で30分ちょっと、片道26ルピー)の小さな楽園。そのすぐ後ろには巨大なゴミ捨て場の山があるのですが、インドを象徴する場所だったと私は思っています。
 施設内にはばなななどが採れる畑も。そして池なども。(しかし奥にあるのはゴミの山)

旅に出る2

コルカタ
そもそもそんな勢いで来たので、コルカタについてもよくわからないまま2泊する。俗にいう安宿街として知られるサダルストリート周辺にいて、超騒がしい喧騒とゴミゴミ感と犬(インドは犬が多いです)にやられる。
今回旅のお供に持って来たタゴールのギータンジャリ。タゴールさんコルカタの人でした。そして来る直前に話していた静岡の子の衣装はマザーテレサを模していたのだけれど、マザーテレサの家もコルカタにありました。そんな訳で見に行くところには困りません。そもそも大都市なのです。
インドで日本人はモテます。とりあえずぼったくりたくってモテるのと、うまく引っ掛けられると思われるのと、なぜか日本語ぺらぺらのインド人が多くて、とても困ります。でもおかげでいろんな地元ご飯や映画(最近のインド映画はだいぶん進化していて驚く、後述)を見に行くことができ、バイクにのり(あの交通状態の街で!)どう考えても地元人しか乗らない(表記がヒンドゥしかない)バスと地下鉄と鉄道に乗り、インドではコルカタにしかないという中華街に連れて行かれたり(でもかなり廃墟っぽくてさすがにやばいかと思った)とても助かる。そもそもインドは英国領だったので看板などにも英語の表記が多く(コルカタが大都市だからかもしれない)皆さん英語が話せるので比較的過ごしやすいのかもしれない。タクシーの運ちゃんのようにお金が絡まなければ基本的に優しい人が多く、道なども親身に教えてくれる(でもそのままついて来ちゃうことも多いので気をつける必要がある)。
一人でプラプラしていると、失恋旅行と思われるのか、影があるように見えるとか、人生を楽しまなければいけないんだとかとにかく口説かれる。でもかなり真っ当なことも言っていて「過去を忘れることはできないしする必要がないけれど、今これから何ができるかの方が重要だ」と言っていて、いい人たちであることは間違いない。

これまで海外に住んでいたこともあるし、大体の土地で日本人女性はモテるけれども、これまで言った国の中では確実に一番(なお2番目はフランス)。モテたければインドに行く。おすすめです。(そこを求めるかどうかは人による)

旅に出る

インド

ある時突然インドに行きなさいと言われる。
いえいえ、と思っていたらここにきて周りが皆インド、インドという。
3人の人に勧められたら、何かあるからやってみようというのが基本としていたのだが、かれこれこれ5件目。これはいかなきゃいけないのだろう。
ここのところ、お告げというか、そういう何かに動かされている。

私自身は前にインドに行った時にお腹を壊し、持病を再発させてしまったので(帰国してから1週間入院した)あまりいいイメージを持っていなかった。なので、うーんとしぶり、この2年くらい2回くらい行こうとしてでもやっぱりやめていたが、今回は文字が浮き上がって見える。「ダンスハ體育ナリゼミ」で上がってきた火野葦平まで合わせてやっぱりこれは行きなさいと言われているような気がした。

本当は北東部地域に日本人によく似た少数民族がおり、そこまで行きたいと思っていた。ちょっと前に読んでいた雲南省イ族もこの地域まで流れている。つまり東アジアと南アジアの境目のような地域でもあり、第2次世界大戦で知られるインパール・コヒマはそのすぐ麓くらいのところにある。(でも実際には車で10時間以上奥地に入る)7月にイ族の曲で踊った時にふと「祇園精舎の鐘の声(平家物語)~」と浮かんで取り込んだのはあながち間違いではなかったらしい。全ては春の夜のゆめのごとしです。

大学に申請したところ、あまりにも適当すぎる木野の計画では許可がおりず(外務省の危険レベル2の地域に当たる)、しかしコルカタまでの飛行機チケットを買ってしまっていたので、どうしようかなと思っていたら、静岡時代の友人がインドに住む友人を紹介してくれるという。そのお言葉に甘えて、今回の旅はちょっと田舎の、(ちょっと鳥取県っぽい)オリッサ州まで足を運ぶことになる。

お告げ、多分かなり当たっている。

2017年8月22日火曜日

Angels2017

SPAC enfant プロジェクト2017Angels公演が終了しました。

今年8年目。木野は離れ、太田垣悠さんという新しい助っ人が加わり(スタッフも何人か入れ替わり)、新しいメンバー2人が入り、新体制での作品。練習期間は短かったものの、大幅変更多数。でもそれについていける子供達の成長ぶりがすごい。そしてこのシリーズは子供達によって変わるんだなあと実感。これまでもタカセの夢、Angelsともに子供達の個性、キャラクターに合わせて変化しているところがあり、同じ内容を行なっていても全く違うお話になっている(!)なんてことも。
今回はかなり新しいシーンとキャラクターが挿入されました。文字通り秘密兵器、、、。でもこれをどのように説明するべきかよくわかりません。見た人はわかると思うんですけれど、説明できないキャラ、、、。
ニヤカムさんのちょっと飛んだ感じがよく出ています。
あとはタカセの夢を彷彿とさせるシーンが出てきました。
思えば始めの頃カイト(今回唯一の男の子)がニヤカムさんの真似をしていた小学生時代を思い出ししみじみとします。

毎年終わった後に打ち上げがあり(お酒はありません)、皆でお話をするのだけれど、今回は普段の生活が踊りに全てあらわれるという話をしました。勉強したり、稽古をしたりもあるけれど、友達と喋っていたり、恋をしたり、喧嘩したり、いろんな日常で考えていること感じたこと、その人の生き方が舞台上に立っているときに出てくる。だから人としてちゃんと生きていくようにとか。
ひとりぼっちのシーンがたくさんあるけれど、みんなが本当に一つになっているからこそできることなんではないかなという話とか。

今回の個人的学習としては壊すことを恐れてはならないということ。壊すことでさらに新しい発見が生まれる。その壊れる、壊すエネルギーがあればこそだということ。いろんな意味で心が痛かったのだけれど、ホッとして気が抜けました。

また一つ宝物が増えました。ありがとう。





鳥取大学ダンス部自主公演 翔

鳥取大学体育会系ダンス部は3年生までで部員数70名を超える大所帯。私は顧問ですが、学生がしっかりしているので、全部自分たちで動くたくましい子たちです。
毎年All Japan dance festival(神戸)に参加するときは創作ダンスを作るのですが、基本はストリート系で、よく大学学食前で強引にライブを開催したりしています。
部活は週3回ということになっているのですが、どうも裏で色々やっているらしく(顧問的には見ないことにしている)、3年になる頃にはそれなりに上手くなるのです。

今年テストが重なったり、申し込み締切を間違えたり、様々な理由で神戸大会に参加できなかった3年生はでもこれではいけないと自主公演をすると言い始めました。
そして次にあった時には劇場と照明さんを押さえ日程も全て決めてやってきました。(ちゃんと相談しなさいというのが後から教訓として残っています)

色々あって大変ではありましたが、舞台で踊るという経験はなかなかできることではありません。特に人数も多いので、普段のストリートパフォーマンスなどでは全員で踊るという経験すらできません。なので、こういう時間を持つことができたのはとてもとても良かったと思っています。
特にこれまではイオンモールのエスカレーター前で踊るのがメインイベントだっただけに、自分たちがやってみたいなということをやってみる勇気を持つことができた。踊る場所を作ることができるということを知ったのは大きかったと思うのです。

こういう子たちが卒業してからも当たり前のように集まって踊るようになったらきっと変わるんじゃないだろうかとそんなことを思うのでした。


チラシ校正とかちゃんと見せに来ないし、プログラムも見せないまま印刷出しちゃうし、自分たちで頑張る分抜け落ちているところもたくさんありながら、でもやってみちゃうこと。勢いは大切だと思います。

鳥取まちなかデビューです

8月5日鳥取Jazzの皆さんに誘われておそとで踊るらしい@パレット鳥取
と今後の予定に載せていた通り、私もよくわかっていなかったのですが、毎年行われている鳥取JAZZ(今年は11月3、4、5日)の宣伝も兼ねて、行われているストリートライブに参加させていただきました。
さすがに大人数バンドに一人は辛いので鳥取ダンサー田中悦子さんもお誘い。

この日は歩行者天国でたくさん夜店が出ていたせいか、鳥取にこんなに人が!!という驚きの賑わい。
菊池ひみこさんと松本正嗣さんは鳥取でアフターアワーズというジャズライブハウスを開いています。http://afterhours-tottori.jp
鳥取大学ジャズ研をはじめとして鳥取東部といえばジャズのイメージを作ってきた立役者。ご本人は色々やってきたのよという話をします。この日もサンバとか歌うチームもあって、ジャズに限らず幅広く”音楽”を行なっています。
先日も子供達が変わらないとということで、小学校での指導の試みなどをお話いただきました。まず楽しむこと、まず巻き込まれること、できるだけ多くの人に知ってもらうこと。鳥取は人口が少ないですが(何せ全部で55万人)アートに興味を持つ人が増えると嬉しい。知らないから見にこない、聞こうとも思わない。こんな世界もあるんだというとっかかりを作るのは大事なことではないかと。
うまいダンス、うまい演奏のもうちょっと前に戻すこと。

夏至祭と合わせてなぜ私が即興を押しているのかといえば初めての人でも巻き込み、巻き込まれる可能性を有しているから。そして私が純粋に楽しいと思って踊っていた頃を思い出すとそこではないかと。
ジャンルを問わず飛び込んでしまうそんな何でもありな頃を思い出しました。

今年の鳥取JAZZは実は高知で参加できないのですが、これからも少しずつ繋がれたらと思っています。


松本さんに
「なんかね、自然なんだよ、当たり前のようにふっといるの。」と言われたことが印象的でした。自己主張するのではなく、音とともにある。同じレベルであれるようにと私は思っています。

2017年8月2日水曜日

今後の予定(2017.10/13)

○木野踊ります。

いろいろあり、久しぶりに声をかけてもらったこともあり、踊ります。現在のところは以下の予定。呼ばれればどこへでも。おどりこさいこ




10月21日@米子市公会堂(鳥取)高木東六の音楽レクチャーとともに。「鶴」
 島根大学藤井先生(高木東六研究者)のお誘いで鳥取出身の作曲家の作品をもとに鶴を踊るらしい。恩返しの方ではありません。ダンス研究的には石井漠が振り付けたらしいのですが、資料は出てきていないので、ちょっと難関です。

11月4日高知美術館中庭(高知)「みみをすます」
 6月のイマイチパフォーマンスで取り上げた谷川俊太郎の詩でリベンジ。今回はMiyaさん(フルート、東京)、カタタチサトさん(ダンス、高松・高知)、浜田あゆみさん(朗読、高知)にご協力いただき、開館記念のお祭りの中、静かな時間を演出します。水辺に降り立つ鳥でしょうか。鶴?!

11月24、25日女子体育連盟全国大会(米子)
 なぜか鳥取で開催される全国大会。前任の佐分利先生が頑張っているので、お手伝いしています。踊りませんが、もう大変です。

12月3日ミニワークショップと小さなコンサート@ちいさなおうち(米子鳥取)
 tottoでもお世話になっている水田さんがやっているアートスペースの企画。米子出張が続きます。

今年の大きな勝負は高知美術館中庭の水でしょうか。


○ダンスハ體育ナリ続編について
現在、来年2月に発表できるように頑張ろう計画が進んでいますが、昨年に引き続き鳥取大学地域学部の教養科目として「グローバル時代の社会と国家」で1時間担当し、お話させていただきました。今でも毎月のようにダン体ゼミ(プロデューサーとの対話)が進行していて、もはやダンスではないけれど、これはこれでまとめなければいけないなあと思っています。ちなみに前回の話題は盆踊りとパラパラの類似性について池袋ニュー盆踊りを参考に。まだまだ続いています。

昨年は明治期の運動会、体操の変遷をたどりながら、オリンピックまで話を膨らませて「体育」がスポーツへと変わりつつある流れを学びました。
今年は1940年になくなってしまった幻の東京オリンピック・万博・札幌オリンピック(すごいな、全部やろうとしていたんだ)にフォーカスを当てています。
というのも、ダンスハ體育ナリで出てきた謎の体操写真、ほとんどが1938年。オリンピックがなくなった年です。しかしその後、オリンピックは中止になっても競技場の造成は続き、体操の流行へと走ります。軍国主義とこの体操の乱立は実はつながっていて、集団で揃って行う体操こそが訓練でありました。
何万人もの人が一箇所に集い同じ体操を一糸乱れずに行う写真が大量に出てきます。また、皇国2600年奉祝祭の関連イベントとして数多くの競技会が開催されました。

昨年のプログラムノーツの言葉です。
ダンスもスポーツも社会に利用されつつ発展してきた。知らず知らずに影響を受けてしまうものだからこそ、知る必要がある。踊る上で大切なことは当事者として感じ、考えること。現代はそんなにファンタジーじゃないし、カッコつけてる場合じゃない。今、必要なことを考えるためのダンス。それを私は作りたいと思う。


今回はダンス関係者ではないため、大野さんのお話はありませんが、西洋的近代的身体を作り上げるために生まれた体操にフォーカスを当て、日本人の「揃った動き好き」について考える内容を目指します。
 そのうちまとめて第2弾、いきます。
鳥取在住者で興味のある方は木野までおしらせください。



グッケンハイムと鳥取デビュー

7月3日旧グッケンハイム邸(神戸)池田千夏トリオ
7月7日鳥取大学アートプラザ 池田千夏デュオ

東京時代に行っていたsound and herbの池田さんが関西に来るというので、グッケンハイムと鳥取で踊ることにしました。ちなみに衣装の金子さんも神戸にはいらっしゃるとのことで白い妖精さんモード(滅多に着ることはないタイプ)の木野お披露目です。

グッケンハイムの時にはトリオだったこともあり、日本の唱歌シリーズとかが入っていて、夏だけれどペチカとか。からたちも。趣のある洋館はそのままでも絵になるので、とても素敵です。実は庭が結構広くて、狙っていたのですが、残念ながら夜は暗くていまひとつ。次に来る時はマチネ設定して外でも踊りたいものです。
最近は鳥取に来たせいもありますが、おそとダンスが増えています。サイトスペシフィックというべきでしょうか。その場所を利用して踊る。
本当はからたちからの時のようにちゃんとリサーチして場所もしっかり使い込んで踊りたいものです。
塩屋いいところでした。神戸とは思われないのんびりした感じで。

鳥取ではうちの学生さんたちがわらわら来る中、水谷さん曲を中心に構成が変わり、ぐっとインプロ色が強くなりました。(曲なのだけれど、自由度が高い)当日リハでああでもないこうでもないと模索してましたが、音もダンスも同列なんですほんとはと言う感じが伝わったらいいなあと。
見に来てくれたうちの先生が「次から次へと世界が生まれてくる玉手箱のようだった」というちょっと夢のような言葉をくれました。もう一つキーワードは「そこ(メール本文を読まないと話からなくてごめんなさい)に世界がひらかれている確かさ」。すごいなあ、見えちゃってるんだなあと。これはかなり励まされます。
遠くへ。エネルギーをおくってみました。

 

みみをすます@スタジオイマイチ(山口)

6月17,18日スタジオイマイチ(山口)
谷川俊太郎「みみをすます」をもとに。
今回夏至祭の直前のかなり忙しい時期ではありましたが、一つ作品を作りました。
谷川さんの詩をもとに朗読を録音し、加工し、それとともに踊るものです。
ここしばらく振り付け的にかっちり作ることができなくなってきていて、(音も生のものが多い)録音した音で踊るということは必然的に固定せざるをえなくなるわけで、なかなか大変です。
音自体も録音に録音を重ね(文字通りの意味で)ある意味、2重3重にいろんな音が聞こえるようにし、Mobiusの時のチラシの音版みたいな感じになりました。
でも動きと音を固定したことで本当に「みみをすます」ことではなくなってしまう。
つまり、この作品のプロセスにおいて、リアルに「みみをすまし」ていたわけで、それを出し切れなくなってしまったという点では未完成なのです。

私がなにものかに動かされている感覚を音上で表すとこんな感じとか、ビジュアルイメージで表すとこんな感じ(Mobiusチラシ)というのはIchIの頃から確実にあって、わかりやすくはできるのだけれど、でもそういうことではなかったはずで。
そういうわけで高知で再挑戦を図ります。

たまたまなのですが同い年が揃って、そういう意味でも面白い回でした。田村さん作品はかっちり作りこみ系だし(超ウェルメイド、名作です)、笹本さんキャラ面白すぎだし、大脇さん専門生かしまくり(テクノロジー系)。地方で活躍している面白い人たくさんいるんです。
そういうわけで日本海側ネットワーク、できるといいな(山口は瀬戸内海にもつながっているけれど)です。


驚くべきは鳥取から山口へは岡山へ出て回った方が早いという事実。片道5時間コース。
でもまた行きます!!

2017年7月29日土曜日

SPAC enfant2017スタートしました。

2010年から関わって来たSPACの子供達プロジェクト今年もスタートしました。
無事オーディションも終わり約1ヶ月のクリエーションに入ります。
木野は鳥取から通うのが難しく(昨年かなり無理しました、実は大学はまだ夏休みではなく来週いっぱいまで授業があるのです)、今年はSPAC制作部に入った大田垣さんにバトンタッチ。でも大田垣さん、バリバリダンサー。なんでこの人制作部なのかわからないのですが、とにかくいるのでお願いすることになりました。フランス語も堪能。ダンサーとしての目もバッチリ。この数日のリハ、打ち合わせでニヤカムさんを確実に掴んでおられ、超安心です。「そうそう、わかるー」と同意すること多数。とても嬉しい。

子供達の今年の課題としては各人が表現者として立つこと。ニヤカムさんに言われたことをとにかく頑張るだけではなく、自分の解釈を持つこと。それを表せるようになることではないかと私は思っています。
そのためにもフランス語がネイティブなニヤカムさんと少しでもダイレクトに話せるようになってもらいたいと思っています。
子供達はまた「でかく」なり、それぞれ進路など悩みを抱えつつ(それを聞く会でもありました。特に卒業生)、前に進んでいます。一期一会ではないですが、この1年ずつがどれだけ大事か。それと同時に演劇ではなくダンスを目指す子達にはやはり海外を進めねばならない現状が辛いところ。
私自身も海外経験者であり、若いうちに行き、ネットワークを作らなければならないのはわかるのですが、、、。
大田垣さんは15歳でフランスに渡ったと言っていました。ジュリー(元同僚)もニヤカムさんも14歳からプロとして働いていました。30前にすでにベテランの中に超初心者、英語も怪しい人が混ざったあの気まずさ。そういう環境であるだけに早くと思いつつ、踊ることが仕事になればいいのか私自身もよくわからないということもまた感じます。
卒業生ともなんのために踊りたいか、なぜ踊るのかという話をしましたが、正直私自身も何が幸いかはわからないのです。自身の立場もあまりにも運やラッキーの重なりでできていて、危うい感じなのです。同僚とも自分のようにならないように育てないとダメだよねという話をするくらい、私が今なぜ存在できているのかは謎です。

私自身が関わったのは7年ですが、ブログにニヤカムさんとのツーショットも載せていただきました。(多分初めてだと思います)
http://spac.or.jp/blog/?p=23297

不在の在にならないように。ちゃんと子供達に託し、前に進めるように。


追記:今でも毎日送られてくるスパカンノーツをドキドキしながら読んでいたりします。子離れできない親のよう。

い族の踊り

昨日のことだが、大学のプログラムで中国と台湾の子たちの授業を1コマ担当することになった。
コミュニティダンスをテーマにということでイギリスの事例(特にオリンピックに重ねてのコミュニティダンスの広がり)や先日行った鳥取夏至祭の話をする。
ついでだからみんなで身体を動かしながら3カ国の学生のコミュニケーションづくりを促す。言葉使わないまま暮らして来たしねということもあり、中国人にも台湾人にも日本語で話す(英語よりもまだ日本語の方がわかるというのがまたすごい)

先生方に頼まれたこともあり、1曲踊ることにする。初めは無音でテキストだけにしようかと思っていた。中国系の曲というと蘇州夜曲くらいしか思い浮かばなかったけれど(戦時を思い出す内容なのでさすがに使えない)、たまたま読んでいた本に雲南省のイ族の詩(姉妹の歌で正直イスメネにぴったりで送ってあげたりする)が載っていて、同時期にCD(詩とは別の琴による演奏だが展開がはっきりしている7分ほどの演奏)も出てきたのでそれを元に踊ることにする。時々こういう偶然が重なることがあり、かみさまのおぼしめしという言葉が浮かぶ。
喜んでくれたのはとても嬉しい。

感想を聞くと鳥のようと言われる。鶴なのか、鷺なのか。鳥捕りの踊りを作るために鳥取に来たのに(笑)鳥の方なのか。。。

鳥捕り募集しようかな。
 追記:↑と書いていたら、鳥博士が来ることがわかり、鳥取部、鳥捕りの由来についてお話しを伺うことになりました。


2017年7月25日火曜日

幻想銀河鉄道

昨日夜から鳥取は雨です。
大雨警報まで出ています。(が、今の所私は降られていないです)雨の神様怒ってそう。。

ともあれ、銀河鉄道について語って来ました。
始まりは高校時代、北村想原作の戯曲を元に出会いました。私は車掌役をしていました(通常の銀河鉄道にはない役です)。
この車掌さん役は原作の第3次原稿に登場する博士役も兼ねており重要な役柄ですが、多分学ランが似合うからとかそういう理由で選ばれました。(ちなみに当時ある種異常なモテ期で顧問の間でファンクラブがあるとか、著書が送られてくるとか謎の状態でした。宝塚のような話です)

2012年に舞台にあげる予定だったのが様々な事情(自身の潰瘍性大腸炎の再燃が主)でできなくなったものの、せめて地域の人と作ろうとしていた部分がAmanogawaプロジェクトでした。当時の記録はウェブ上にあげています。
https://amanogawa-project.jimdo.com

サザンクロスの様子が思い浮かびますが、その後巣鴨教会での上演(からたち)を行い、地元の合唱団の人に協力願い上演し(からたちから)、そうこうしているうちに、私が作っているものは全て銀河鉄道に繋がっていくようになりました。

からたちからは皆死んでいく中、私はずっとそれを見続けるしかない。
叫んでも叫んでもそのように動いていくしかない運命を見て、ごめんなさい、神様に助けてっと聖餐台に転がり上がるような作品でした。

一つ一つの生命の火を消しながら、その声を聞いていく。
ずっと見送り続けていく、そして車掌自体は汽車から降りることはないので永遠に回り続けていくそんな役割だったのだと思います。


お金の問題じゃなく、これちゃんといつか形にしたいなあと思いました。





2017年7月8日土曜日

鳥取デビューです。

昨日、2017年7月7日、鳥取デビューをはたしました。
メビウスも夏至祭も実は踊ってなくて、全てをつくり、照明までして作品にしてる。
昨日は照明しつつも1人で踊りました。
学生の希望者が多く、広報はほとんどしないまま。
でもこの学校からスタートすることはある種必然。
もしかしたら最初で最後かもしれないけど。

私はなぜ全て1人でしなければいけないのかと考えました。
この地ではプロデュース力が必要とされているので、私は踊る必要はありません。



くしくも七夕。
まっすぐ前を見て。ちゃんと生きますように。

翌日気が抜けたのか雨が降る。
(でもスコールにあわずにすごし、かつ家に着いたら降り出す)
でもさすがにそろそろ梅雨入り(遅すぎ)。ゆっくり休みましょうということかなと思っています。

今日も月はでています。


2017年7月6日木曜日

動かされる感覚

夏至祭以降鳥取は異様な晴れが続く。時々一気に降るのだが、また晴れの日が続き、梅雨が吹っ飛んでしまった様子。(一方で大雨に悩まされる地域もあり、非常に困ってしまう)何かよくわからないエネルギーのようなものを感じる。

ここしばらくは移動が続いている。
方違えではないけれど、何か必然的に動かなければいけない時というのがあり、バランスを整えるために、見越して動く。
Mobiusで気がついてからは結構気をつけるようにしている。今ここにいなければいけない必然や動かねばならない瞬間やそういうものは全てのバランスのようなものの上に成り立っている。うまい具合に昔からの友人と話ができたり、新しい出会いがあったりするので、そういうものなのだろう。

今日は鳥取。授業をこなし、最近のカルチャー研究会で日本のコンテンポラリーダンスの歴史について語り、そして踊りつつ、今私がいるところでとにかくこのわけのわからないエネルギーを発散し続けてみる。とりあえず友人も来てしまうし、コンサートも入れてみる。普段基本的にいつまでも寝ているパンダ体質なのに、動き続けている。そして突如訪れる謎の昏睡状態。この3月末くらいにもわけのわからないざわざわ感があった。何に私は動かされているのだろうか。




山口で発表した作品「みみをすます」はこのやばい感をちゃんと収めるために、心をしづめ、遠くの気配に意識をまわしていくところからはじまった。最終的には自分の朗読も含めある意味作品の表現方法というか手法という点で大きなチャレンジになったのだけれど、わかったこと自体は近くにいても遠くにいてもどこにいてもつながっているということだった。しかも一つとか一人ではない。
この動いている状態の時にはちゃんと認識しきれていなくて壊してしまったりもするし、それも必然であったりするという。
私はまだちゃんと固めきれていないのだけれど、作品として見えることと、作品制作過程で私が得るものとは異なってしまうことはある。まだまだ踊ることで学ぶことは多い。






2017年7月2日日曜日

コンペというもの。

私自身がかつてコンペティションに出ていたし、その時頂いた賞が元で生き方が大きく変わったことは事実であるので、世の中の流れを否定することはできない。

が、私はダンサーとしてこれまで経てきた経験を踏まえると、コンペにとらわれないで踊り、作品を作り続けられる環境を作り出すことの方が大切ではないかと考えている。それは経験を経たから言えることでもあり、うちの学生さんや若い子たちには駄目元で出してごらんなどというのだけれど。
友人が新しくダンスのコンペティションを立ち上げ、優勝すると海外公演ができますという。すごいなあと思う一方、私たちは他者のダンスに優劣をつけれるのだろうか?と疑問に思う。そして海外公演をすることは”優勝”しないとできないものなのだろうか。

ランコントルコレグラフィックセーヌサン・ドニ(旧バニョレ振付賞)はかつて横浜でプラットフォームを行っていた。ある時を境にコンペ形式をやめアーティストたちが出会う場所として機能し始めるようになる。それに対し、横浜側はコンペという形式を維持しようとし、それゆえ離れていった経緯がある。(これは故石川さんとお話をしたおり、コンペという形態をとるからこそ質の向上が図られると聞いている)
その後ダンコレはアジアのショーケースとして機能するべく、部門を2つに分けたり、海外プロデューサーを招いたりする形へと変化していった。実際そこから国際共同制作につながっていったりもしている。
選出は様々なタイプのダンスを紹介していくという傾向があり、本来は賞を受ける受けないはあまり関係ないはずで、今現代のアジアのダンスを幅広く紹介するというものである。が、賞を出すとなるとそれが素晴らしいかのように見えてしまう。このセレクトの方向によってはダンスの傾向が偏っていく可能性もあり、非常に難しいことだと私は考えている。

様々なダンスがあって良い。そしてその多様性こそが現代を表しており、それを受け入れていけるような世の中を作っていくこと。そのような思想とは実は逆を行く流れではないか。ダンスは模倣とめまいの遊びから進化してきた(ミミクリ・イリンクスとカイヨワはいう)。競争の原理が働くとスポーツ色が増していく。技術的な向上も起こるだろう。それを目指す一方で、そもそも自分はなぜ、何のために踊るのかをもう一度考えてみてもいいのかもしれない。

アシュフォードさんのAero waveはその辺りを上手くかわしてネットワークを形成している。応募されたビデオを20を超えるで参加ディレクターが見たのち、会議により推薦アーティストを20組ほど選ぶ。その中から各ディレクターがプログラムを立て、結果的に海外公演、ツアーを組み立てやすくする。各ディレクターの色や押し出す方針を尊重しつつ20組を選ぶことで現在のヨーロッパにおけるダンスの流行を示す。
誰かが勝つ、負けるではなく、
それぞれに突き抜けた面白さがあるはずで、そういうものを合わせて紹介するのがフェスティバル(Spring Forward)。
もちろん問題点も多くある。でも継続していくことで見えていくことがある。
Place Prizeをへてここにたどり着いたアシュフォードさんの知恵はアジアでも活かせるのではないだろうか。もう、賞にとらわれている時代ではないと一アーティストでありながら私は思っている。



2017年6月27日火曜日

鳥取夏至祭2017 プログラムノーツ

ごあいさつ
見に来てくださった皆さんへ

 鳥取にやってきて1年が経ちました。学生さんたちとの生活にも慣れ始め、少しずつまちが見えてきました。鳥取に流れ着いて時間の流れがまったく異なるということを知りました。そもそも生きるとはなんだろうか、幸せとはなんだろうか、そんなことを日々考えさせられます。
 このゆっくり時間は日頃ジェットコースターのように走り抜けていく生活を送っていた私にとっては驚きです。鳥取駅前のエスカレーターと同じくらい驚きです。しかし今、この現代においてそのゆっくりさ大事なのではないかなあと思うのです。残念なことに私自身はやっぱり毎日嵐を巻き起こしている最中ですが、この異物であるからこそ、その大切さがわかるのではないか、その感覚をいろんな人に味わってもらおうと思いました。

 今回鳥取面白そうと思ってくれていた友人ダンサーや音楽家を中心にいろんな人をお招きしてみました。多分鳥取に住む人の気がつかない新しい鳥取の良さを発見してくれるはずです。
コミュニティダンスの原型はお祭りにあります。外からやってきた異物と共に一瞬浮かれ騒ぎ、楽しい時を過ごすこと。そのようなハレの時間があるからこそ毎日を豊かに過ごすことができる。小さなハレがたくさん起きて行けばいい。折口信夫は“まれびと”といいますが、よそから来た変わった人たちが始めてしまったこのお祭り、見守りながら時々巻き込まれてみてください。一緒に話し時を過ごすことでわかることがたくさんあるはずです。

 鳥取の人はシャイだからとか、おとなしいからと行く先々で言われました。でもこんな突飛な企画を支え、お手伝いいただいたりもしています。よそから来るものを受け入れるそんな度量があるのも鳥取県民の血ではないかと。変化にも柔軟で、だから麒麟獅子は150以上全て少しずつ違う。

 芸能者(芸術家)はもともと流浪の民でした。最近ではノマドと言います。そんな困ったさんたちを受け入れてくれそうな鳥取のまちなのでたてた企画です。新しい出会いと新しいつながりが生まれていくことを信じています。
 また、今後この活動に関わり応援してくださる方、一緒に参加する方も大募集中です。どうぞよろしくお願いします。


参加してくださった皆さんへ

 まずは今回この鳥取に飛び込んでくださった勇気に感謝します。即興ということで何が起こるかわかりません。しかしきっと楽しいことが起こるはずです。
今回全国各地津々浦々からお越しいただきました。これは私たちアーティストがきちんと場を持ち交流しながら活動を続けていくためのネットワークを作り出したいためでもあります。それぞれの地域に面白い場所や人がいます。そこから何か起こしていくことができないか。一人では難しくとも助け合うことでお互いに呼び合うことでできることもあるのではないかとおもいます。
 作品制作環境を考えると今後地方で活動する作家はどんどん増えていきます。孤立してしまわないように、引きこもりにならないように、新しい空気をちゃんと吸えるようにこのお祭りを設定しました。これは私自身のためでもあります。
 鳥取はなにもないけどなんでもできるは私が鳥取に赴任することを決めた時に言われた言葉ですが、場所と時間と人があります。自由度が高く、とてもゆるやかでのびやかです。ここで発見したことが作品に、あるいはこのまちで滞在制作を行うなど発展していくことになったら私もとても嬉しいです。また、そのまま作品作りに繋がらなくとも、これをきっかけに気軽に鳥取に足を運んでくれるようになったらそれもまた嬉しいです。

 現代の芸能者はノマドでありながら自分の立ち寄る場所も開拓していくのだと私は考えます。鳥取で羽根を伸ばしまた飛び立ち、渡り鳥のようにいくことを祈ります。


内容
23日前夜祭旧ヤマネデンキ
                1845分開場19時開演
                料金1500
                定員:40名
                くじ引きによる即興ダンスと音楽のセッション(オービタルリンク、中沢れいさん発案)
                自己紹介的なパフォーマンス
                ①くじ引きにより3人組を作る
                ②各自が2分ずつ即興を行う(ダンサーは音楽家を指名したり、CDなど用いても良い)
                ③その3人でセッションを行う(4分)
                
24日周遊型パフォーマンス
                15時50分 旧ヤマネデンキ集合16時から周遊型パフォーマンススタート
                料金:1500円
                定員40名
                野外でのパフォーマンス(観客はヤマネデンキで地図をもらって巡回しながら見て回る)
                ガイドとしてパフォーマーが案内します。
                
25日ワークショップ
                10時:いなばのお袋市に出現
                1時30分:わらべ館いべんとほーる(晴天時には階段、わらべ夢ひろば含む)にて

参加費 無料
場所 わらべ館いべんとほーる
申し込みはわらべ館(0857227070)
定員は50(大人も一緒に参加できます)








夏至祭staff
                企画構成:夏至祭実行委員会
                宣伝美術、チラシデザイン:三宅航太郎(うかぶLLC
                宣伝写真:田中良子
                映像:佐々木友輔(鳥取大学地域学部附属芸術文化センター)
                写真:田中良子
                
                主催:鳥取夏至祭実行委員会・キノコノキカク
共催:鳥取大学地域学部附属芸術文化センター、わらべ館、
協力:鳥取市中心市街地活性化協議会、新鳥取駅前地区商店街振興組合、鳥取市公園スポーツ施設協会、本通り商店街、HOSPITALE プロジェクト(旧横田医院、ことめや)、アフターアワーズ,(株)ヤマネ機材、鳥取藝住、totto、鳥取大学学生(地域学部附属芸術文化コース及び教養科目「芸術入門」受講生)、鳥取市内の皆様