2012年11月28日水曜日

しづ初日チケット完売です

「しづ」初日11月30日のチケットは完売となりました。
現代舞踊協会さんに問い合わせてもない(全出演者)ようで、当日券も出さない予定とのことです。2日目のチケットはまだありますのでどうぞよろしくお願いします。

花祭

愛知県北設楽郡東栄町月の花祭をみにいく。
興味はあったものの、車がないといけないエリアで、なかなか手が出せなかったお祭り。この本番前の忙しい時期とはいえ、「こんな平日に休めるときなんてない」しかも「神懸かり系舞踊」をみれる機会ということもあり、これは見に行かねばとつれていってもらう。
すごく簡単に説明すると、冬が近づき、静まる大地にエネルギーを与えるお祭りで、1晩踊り続けるのだという。重要無形民俗文化財。現在11カ所?に残っているらしいが過疎化と若者の流出でどんどん廃れていっているらしい。11カ所というのは各集落ごとに行っていたらしく、距離的には結構近い。感覚的には町内会ごとに別々にお祭りが開催されていたらしい。
かまどに火を入れるなどの神事のあと、各種舞がはじまる。
扇ややち(?)、刀をもった踊り、複数人での踊りなど幅広いレパートリーがあるが一つの踊りが長い。3、40分はつづく。そしてずっとつづく。さらに踊り手の人数が少ないので何回も踊る人がでてくる。かなり大変だとおもう。
さらに子ども達の踊りもある。子ども達も大人とほぼ同じ中身の踊りを踊る。(しかも深夜。なのであくびでふらふらしながらおどっていてとてもかわいらしい)
鬼もでてくる。鬼、まさかりもって暴れる。たまにまさかりがあたってケガをする人もいるらしい。夜中だからって寝ぼけていると油断は禁物。
さらに朝になって、いい加減眠くなったところでしゃもじをもったおかめと大根を持ったひょっとこに追いかけられる。さらに大根に塗ってあるみそを皆につけようとする。
最後はかまどに沸き立つお湯をかけまくるらしい。
最後、、、最後までいなかったのでした。
本当に終らなくてどうにもこうにも、最後まで見られなかったのが残念。

帰りがけによった花祭り会館の館長さんがなんだか生き字引のような人で、花祭りの歴史をいろいろ語ってくれた。古戸という地域で行われている花祭りが最も原型に近く、館長さん自らが関わっているのだそうで、ぜひお越し下さいといわれる。1月2、3日。
正月早々愛知にまたいくのだろうか。。。

おまけに体力なくてそのあとやっぱりダウンする。情けない。

2012年11月22日木曜日

愛知へgo!

群馬、高尾とつづいて今日はただいまより愛知へいってきます。
しづ練習も今日だけはお休み。
最近愛知づいているのですが、今回は以前から興味のあった郷土芸能の「はなまつり」を見学に。仏教行事のはなまつりではありません。ともあれ、いってきます!


2012年11月20日火曜日

イスラエルについて

イスラエルの爆撃のニュースがつづいている。

私がイスラエルという国に興味を持ったのは2003年くらいの頃。とりあえずフランスに行こうか、イスラエルに変えようか迷ったくらい気になって、いこういこうとおもいながらいけないまま10年近く。(イスラエルいく前にヨーロッパ一回いってきたらといろんな人にいわれている始末)実はまだいったことがない土地。
イギリスにいた頃、一緒に作品をつくったジャッキー(照明)がイスラエル人だったこともあり、イスラエル演劇(パレスチナ側との共同制作の作品もbarbicanでみた)なども見る機会が多かった。また様々な話しを聞いたし、仕事はもちろんイスラエルの方があるけれど、今後家庭を持ち子どもを育てるならとロンドンへ移住してきた話しをきいたりもしていた(なお、ジャッキーの奥様は元バットシェバダンサーでありGAGA指導者でもある大野千里さん)。
私がうろうろしているうちに、たくましく優秀な私の教え子のしおちゃんはイスラエルでたくましく生きるようになり、気がつけば結構年月が経つ。彼女の話しを聞いていると、あるいはジャッキーの話しを聞いていても、たとえどんなに危険だとはいえ、そこに暮らす人がいる、それぞれの愛情の形があるということを思う。



そんな中今週末バットシェバとインバルピントというイスラエルの2大カンパニーがつづけて来日する。(大丈夫なのでしょうか)みにいけないかもしれないけれど、おすすめはしておきます。もっとおすすめはGAGAというオハッドナハリン考案のメソッドのワークショップがあります。ダンサー向けと一般向けの2回分かれていますがおすすめは絶対一般向け、オハッドがリードします。
ロンドン時代gDAで3日ワークショップを受けました。すごい簡単にいうとぐねぐねひたすら自由に動かしていくワーク。ひたすらぐにゃぐにゃなので、結構ハードです。最終日オハッド、首の話しをしたのですが「これは3日間で最もシンプルで最も重要かも、そしてダンサーとして最も重要」といい、それとほぼ同じことをマルティンナッハバーさん(ドイツ)がやはりいいました。
GAGA動きがシンプルな分、オリジナルが教えるっていうんだったらオリジナルをぜひ体感してみましょう。
彩の国埼玉芸術劇場のHPをチェックしてみてください。
(私は出張のためワークショップは絶対うけれないのです、皆様感想などお聞かせください)

インバルはサーカスとかファンタジーワールドが好きな方にぜひ。
純粋に楽しめる作品が多いです。
バットシェバはあたりはずれはあるけれど、ばりばりダンシーな作品が多いです。


おまけ
先日活元運動の会に再びいってきたのですが、やはり近い何かを感じます。日本のGAGAあるいはイスラエルの活元運動。オハッドさんはおそらく野口体操は経験者だと思うのですが、野口整体もぜひ体験させてあげたいものです。絶対「おお!」という喜びがあるはず。遠い国で似たようなことをやっているこの喜び。ぜひ二子玉へつれていってあげてほしいです。だれか!

場所を選ぶということ

「自分が表現したいもののために場所を選ぶのであって、相手(劇場など)の要望をかなえるために作品をつくるのではない」という友人の主張。
ただ、振付家として考えると①自分の夢を実現させるためにする、②依頼主の方針に沿いつつ、自分のやりたいことをする、③依頼主の方針を最優先としてまとめるの3種があり、お仕事として行う上ではこの②と③が重要になってくる、というか②が基本方針になると思っています。
依頼主の想像を少し超えつつ、しかしみんなが納得し、楽しく(?)時を過ごすための場所をつくるというのが私がイベントを企画する際に考えること。

劇場という場所は公演を巡回できるようにつくられた場所でもあり、基本的にどこでもかわらないよう設定されています。巡回することで制作コストを抑え、お客さんを確保するわけで、サーカスだろうと、プロレスだろうと、大相撲だろうとそれは一緒。
でもここでなきゃできない、この場所限定だよねという劇場がいくつかあります。

いくよちゃんの「おたる鳥」を見に行きました。
3時間、長かった。そして盛りだくさんで、とりあえず、10年よくがんばった、おつかれさま、おめでとうと私はいいたい。
でももしできればやっぱりこの作品は静岡舞台芸術公園野外劇場で見るべきものだったと思ったのでした。(初演会場)SPACのスタッフさんからもきいていましたが、このセットも美沙子鳥も舞台奥に漆黒の森が広がるあの空間で見るべきものだったと。最後の客席入れ替えもあの石畳の上で踊ったわけで。毎年あの空間にいますが、(そして滞在中にある公演はできるかぎり見ますし、SPAC演目もかなりみています)あの空間故の作品だったのではないかと私は思いました。

セタパブの天井は青空なのですが、舞台から見ると照明の部屋で青空が隠れてしまって(萬斎さんなんとかしてください!)、それもまた残念だったり。でもきっとこの青空のイメージから観客席入れ替えを行ったのだろうなあと思ったり。
あの調光の窓とか。
セタパブの空間を改めて考えさせられました。
気がつけば私は舞台を見に行くときに空間をかなり見ています。
照明機材がどこにあるか、バトン、客席傾斜、自分が踊る劇場の下見だけではなく、見に行く公演(あるいは場所)すべてでえらくマニアな人になっています。

この場所でしかできないこと。
この場所のための作品、この場所だからできること、そういうものをみつけだすのはとても楽しいこと。きっとそういうことが好きなのでしょうね。




後輩へ

セッションハウスに行くと久しぶりの人にたくさんあってしまう。

その中でお茶大後輩にあう。
お茶大教務補佐時代に出会っているので気がつけば結構長い間縁がある。
現在彼女は某大学院で勉強中。
踊り続けることの難しさを感じているという。

お茶大の先輩は本当にすごい人が多く、研究、教育業と自分の活動を両立させながら続けている人がたくさんいる(中には育児も両立)。そういう先輩を見ていて思うのは、ダンスや踊りはいくつになってもできるということ。
若くなくてはできないこともあるけれど、
年を取ったからできることもたくさんある。
その間にどれだけたくさんのものを見、どれだけたくさんの人に出会い、最終的に自分の考える踊りに近づけるかということだと思う。
何を目指すかは人により異なるし、どのような自分の生き方を選びたいかはその人にしかわからない。ただいえることは終わりはなく、あきらめる必要はないということ。

発表の頻度はあまり大切ではなく、(まあ機会があればそれはありがたいけれど)最終的につくりたいものがつくりだせればそれでいいわけで、死ぬまでに納得できるものができればいいと思う。

ちゃんと伝わりきっていない気がしたので、ここに書いてみる。


箱女仲間になってしまった(ちゃんと宮島達男作品とのコラボレーション@埼玉近美)黒田なっちゃんにもあう。久々に盛り上がる。元気だ、そしてベラルーシに行くらしい。
ダンスを仕事として続けていくのは結構大変なことだと思う。というか元教員としては正直心配だし、やめた方がいいよと私はいいたい。私も今でもできるものならやめたほうがと思う。でも微妙にひっかかってなんとか続けているレアなケース。だから本当におすすめしかねる。ただ、思うのは、彼女には仲間達がいる。新しい世代としてひょいっとのりこえていってしまいそうな気がする。

踊るとはいったいなんなのだろうか。
なぜ人は踊るのか。



2012年11月19日月曜日

セッションハウス

セッションハウスでパラレタリウム(振付:井田亜彩実、竹森徳芳)をみる。
UDCアフターズという名前がついており、学生ダンス出身者が集まって作品制作を続けているシリーズ。もちろん作者がかわっていくので、作品も傾向も各回全く異なるが、こうして集まり作品制作できる場があるのはとてもすてきなことだと思う。

私が学生だった頃、学連はあったけれど、その後の展開というものはなく、個人個人で活動していく他なかった。たとえ舞踊科という特殊な学校の卒業生であっても踊り続けているものは少ない。それから10うん年、こうして自分たちで企画を立て、形にしていく子達が出てきてとても心強いと思う。自分の教え子世代(黒田なっちゃんと同期、竹森君は前にしおちゃんと踊っていました。)というのがちょっとこわい。
そしてだてに大学(あさみちゃんとかは中高から)いっていたわけではないわけでばりばり踊ってつくってきた身体はやはりすばらしいレベルだと思う。若いっていいなあ。

セッションハウスができたのは1991年。私が大学に入った頃にちょうど様々な企画が始まり、気がつけばここまで。
相変わらず、直子さんは優しく受付にいて、「また踊りにきなさい」といってくれる。多くのダンサーたちの帰る場所となっているのかもしれない。

かわらぬ場を持つこと、持ち続けることのすばらしさを感じる。



2012年11月18日日曜日

高尾へgo

高尾まで映像撮影にいってきました。
ダンコレおそとダンスなどでいつもお世話になっている御代田くん(映像)と落合君(ほんとはドラム)のつくる映像作品にエキストラとして参加しに。
太宰治の「グットバイ」をもとに1分のショートフィルムをつくるのだそうで、愛人役をさせていただきました。最近リアルに愛人役と愛人依頼があいつぐのですが、そうみえるのでしょうか。。。
とはいえ1分だからあっという間、ほんのちょっとだけです。
でもちょこっとアイデアを出させていただき、逆「コンタクトホーフ」ともいえそうなシーンをとってみたり、ドライアイスあそんでみたり、たのしませていただきました。
いいものができますように!


久しぶりにスカートをはきました。あと化粧しました。
化粧はラッセルカンパニー時代よりほとんどしないことで知られています。スカートも1年に1度はくかどうか。レアな機会でした。
化粧は「しづ」のほうで照明さんより「でこぼこはなくすくらいはしたほうが」といわれ、せねばならぬことになり、時々練習をしています。つけまつげをぜひとよくいわれます。

2012年11月16日金曜日

あたりまえのことをあたりまえにできるようにする

普通の人ができないことをするのか、あたりまえのことをあたりまえにできるようにするのかでは稽古も全く異なってくる。
「すごい」という驚きは大道芸にとってとても大切で、そのために日々研鑽する。間違いがあってはならないし、違うことはできない。日々同じことを繰り返しながらその芸を磨く。
今私がしていることは、きちんと立つことだったり、ゆっくり歩くことだったり、足の裏の感覚を広げることだったりする。この瞬間しっかり止まれるように。その瞬間意識を飛ばせるように。どこから身体をつなぐか、ひらくか、イメージをつくりつつ、外から見た自分を冷静に受け入れつつ稽古を続ける。
しづが和物なこともあり、最近は着物を着て(これも練習中)歩く練習もはじめた。歩くのは前からやっていたけれど、かなり確信犯的に継続している。そもそもできる限りゆっくり歩くというのは宮城さんからのクナウカオーディションの課題であったことも思い出す。歩き練習は今年の静岡から再開。Pieceでのりさんに「基本にかえるんです」といわれたときにああ、歩きだと思い出した。
日々発見していく。
シンプルなものほど学ぶことは多い。
着物版しづもやってみたりする。正直、着物についてはまだまだで、しかし正座、立ち方、振り返りなど和装から学ぶことは多い。
でも普通の人ができないことをしない限り誰も見てくれないし、生きてはいけないんだなあというあたりまえのことを学びました。



毎日しづに専念しているので身体に偏りが出てきたことに気がつきました。
右肩と左肩の下がり方が違う。
身体は日々進化する。
トレーニングとはその進化を一定方向に進めること。
作品作りとはそういう身体作りかもしれない。
でもその偏りは身体を壊す。今日は寒かったこともあり膝が何度かずれたりする。
偏った身体はあたりまえのことをあたりまえにできなくなる。
それを直してみる。

サーカスとは身体の偏向を進化ととらえ、追求していくもの。お客様の中にいる神様のために。ダンスにもそういう人たちもいる。それが普通なのかもしれない。
でも私はあたりまえのことをあたりまえにできるようにまずはなりたい。

「すべての答えは私の中にある、なぜみえているのに実現しようとしないのか、何に遠慮しているのか」とは友人の言葉。

あたりまえのことはあたりまえにできるようになることはない。
決してない。
なぜならその先があるから。
常にその途中であり、経過報告でしかない。
しかもできるようになってもあたりまえのところだから、見た人がわかるのか疑問だと思う。
つくりたい、踊りたい人が数多くいる。
私の感覚はそんななか逆行しているのかもしれない。






2012年11月13日火曜日

しづ照明下見

群馬から帰ってきていきなりですが、しづは照明下見がありました。
もう、かなり切羽詰まっていて、やってみたら思いっきり忘れててどうしようかと思いましたが、昏睡して朝早起きしてなんとか間に合わせ(家で練習)無事終らせることができました。
珍しく美しい感じの衣装(宮村泉さん作)をきています。ウエディングドレス並みにきれいです。
そして鉄則を押さえている点でIchIに近いかなり濃い作品になってきています。

野生の色を足してさあ、どうなるか。
とにかく今日は一回寝ます。(笑)

岩宿で踊る・眠りの群馬



東国文化周知事業 岩宿博物館20周年祈念"岩宿むら収穫祭''
一年に一回くらい様々な縁が重なって不思議な依頼がくることがあります。
今回宮沢賢治つながりで出会った西田さん(サーカス学校の校長先生)の紹介で「あまり難しく考えないで。人工的な自然のなかで、楽に踊って。」といわれ群馬へいくことになりました。

岩宿遺跡について残念にも無知な私は”旧石器時代”を調べるところからはじめました。
岩宿遺跡(いわじゅくいせき)は、群馬県みどり市笠懸町1946-1にある旧石器時代遺跡である。1946年昭和21年)頃、当時在野の考古学者であった相沢忠洋によって発見された。この発見によって、日本の旧石器時代の存在が証明された。これ以降、日本全国において旧石器時代の遺跡の発見が相次ぐことになる。1979年昭和54年)8月17日、国の史跡に指定された。
(Wikipediaより)

相沢さんという人は偉い人で行商生活をしながら、考古学に興味を持ち、旧石器を発見したが、なかなか信じてもらえなかったり、大学の先生の発見という扱いになってしまったりとなかなか苦労をしたらしい。

岩宿は確かにはじめに発見した遺跡でとても重要な場所ではあるが、残念なことに遺跡部分はあまり大きくない。そして旧石器時代というのがイメージがわきづらいせいか、縄文土器や住居、はてはマンモスの骨まで展示し(なお、群馬にはマンモスではなくナウマン象などがいたものと思われる)何でもありである。
ただ、このような遺跡博物館というのはそれほど多くあるわけではなく、この場所が考古学の発掘調査を行う拠点の一つであり、また一般の方々に広める重要な役割を担っているのは確かである。(なお、近隣の小学、中学生が学校の授業の一環で訪れ、槍投げや石器作りを体験できるようにもなっている)

ここの館長の小菅さんがこれまた詳しく(韓国の大学から招聘されるような人だとのこと)、詳しい解説をしてくれる。現在でもこの辺りの建て替え、造成を行うと必ず石器がでてくるとのこと。文化財の管理という点でもスタッフの皆さんは大忙し。

今回は当時の復元衣装を着せていただく。鹿革でできており、コート、帽子、ズボン(おそらく鹿4匹分くらい)。鹿に変身だ。
おまけに縄文土器のこれまた復元で、どう考えても太鼓だろうと思われるものを発見、太鼓の皮をはり演奏もしてしまう。(ちなみに太鼓ではないとすると酒器だそうだが、上部に穴がいくつかあいており、おそらく皮をとめるためのものだろうと推測)

鹿、といえば鹿踊り(ししおどりとよむ、宮沢賢治ファンとしてはししおどりのはじまりをおもいうかべるところ)なのだが、司会の方はしかおどりと読んでくれたので、そのまましかおどりになる。あばれにあばれて踊ってきました。

よんでくださった西田さん、関口さんありがとうございました。それから映像とってくれたながやさんも!それから見に来てくれたざくろさんも!


でもね、
正直、体力の衰えと、引きつける力量不足を感じました。
まだまだ修行が足りません。
やっぱりサーカス(大道芸)のひとの語りかけには負ける。。。
そして技はやはり大事だ。一般向けであればあるほどある種わかりやすい「すごい」は大事だ。


個人的にはドングリパンを食べそびれたことが悔やまれます。
古代米のおもちもどんぐりすいとんも野老(ところとよむ)焼きもおいしくいただきました。

そして帰ってきた昨日、私は昏睡しました。
正しくは帰る前から眠りこけていました。
滞在中も、移動の車も(群馬は日本一の車保有台数だそうです、なので本当に車文化。私は免許もないので、お言葉に甘えてのせていただきます)隙をみつけてはねている。これは前回きたときもそうで、どうも群馬は私を眠くさせるようです。
眠りの群馬。
また遊びにいきますね。


2012年11月9日金曜日

明日より群馬

明日より群馬にいきます。
群馬岩宿博物館およびサーカス資料館に滞在させていただきます。
そもそも岩宿遺跡を縄文時代の遺跡だと思っていた私はまずは勉強からはじめねばなりません。(日本史選択者だったのに。しかもセンター試験もうけたのに、常識がないというかなんというか)
相沢忠洋という岩宿遺跡発見者の本を読み、旧石器時代の変遷を読み、頭はぐるんぐるん。

前回みにいったとき、こんなところ(本当に大きな公園のような広場)でどうしよう、しかもハンドスタンド(逆立ち系)とかジャグリングとか見た目に華やかな他の人にくらべて何ができるんだろう、せめて音要素ほしい(TIOの人とか声をかけようとか本当に思ったくらい)とか考えていたのですが、なんだかそういうものはどうでもよく、のびのび踊るのがいいのではないかという気がしてきました。踊るというか、そのままいる。
水に出会うために。

こわいですね、、、
今までのパフォーマンスシリーズの中でも最もデンジャラスな(名古屋オービタルよりも)しかしある意味エキサイティングな予感がします。
とにかく明日いきます。さあ、何がおきるか。
お近くの方ぜひお越し下さいませ。
ざくろさん、おまちしています!(もしこれるなら一緒に踊りましょう!)



2012年11月7日水曜日

13番目の月

札幌踊りにいくぜに参加する教文コミュニティダンス部の作品のタイトルは「13番目の月」。今回のために1年間毎月ワークショップを行ってきて、その延長上に作品制作を行う。
チラシの作成に間に合わせるべく作品説明を書く。私ではなく、作、演出の櫻井ひろくん。(私はアドバイザーということになっています)はじめはどうなることかと思ったけれど、何度か話したり(今の世の中にはスカイプという便利なものがある)メールでやり取りをしながらやっとここまで。
さあ、これまたどんな作品になるのでしょう。
AMANOGAWAとも違うのだけれど、なにか共通するにおいをかんじます。

しかし久しぶりに字数制限との戦いを思い出しました。
なんていうんでしょう、神戸のあの暑い夏が染み付いています。。。こわいなあ。


教文コミュニティダンス部ではこの一年間を通し、毎月一回計12回この作品のためのワークショップを行ってきました。その全てのパーツを集めて紡いだのがこの「13番目の月」という作品です。
ダンサーも主婦も子どもも、ミュージシャンも女子高生も皆同じ空の下で産声をあげる。そして誰かが生まれた日には輪になって喜び祝い踊る。 やがて津波によって故郷を失い、家族を失い、嘘の神話を失った。残った仲間たちと火を囲み、上着を掛け合い、余った靴下を手袋にし、夜明けを待つ。
この一年で教文コミュニティダンス部の活動に参加してくれた方は300名を超えます。その中で私たちは皆が一つのグルーヴとなって存在する事のできるダンスを探してきました。その私たちなりの答えが「13番目の月」です。

札幌チラシできました。

札幌チラシできました。
正しくはキノコチケット札幌支店の優秀な妹のサポートによりできつつあります。
さあ、どうなるのでしょう。
だんだんと札幌以外の方が集まりつつある今回のイベント、どきどきです。
皆様よろしくお願いします。

即興セッション、参加したい人声かけてくださいね。



2012年11月6日火曜日

太宰治「グッドバイ」

いつも木野作品の映像を撮ってくれている御代田直樹君と、おそとダンスでドラムを叩いていた落合強君が短編映画を作り続けている。次の作品は太宰治「グッドバイ」をもとにとのこと。
10人くらいの愛人に囲まれ困る男の話し。太宰にしては珍しくコメディ路線の作品です。しかし本人が死んでしまったので未完。(つまり遺作なのです。それでタイトル「グッドバイ」ってすごいなあ)

ダンサー募集中。女子のみ。(女子に見える人ならありかもしれません。要相談)愛人役。でもサイケに踊ってしまう(→このあたりが疑問)らしい。
ギャラは出ませんが交通費と食費は出るらしい。撮影は11月17日。
このBlog見ている人はきっと私の知り合いというわけで興味のある方ご連絡ください。
http://golaikou.com/?p=177

箱女のはなし

先ほどちょっと箱女の話しが出てきたので、追加をすると
Facebook情報によれば黒田なつ子ちゃんが埼玉近代美術館の展示の中で踊るらしい。(11月10日)しかもロッカーの前で。(MOMA展示だそうです)

箱女を私がつくったのはちょうど彼女と同じくらいの年の頃だったんではないだろうか。ちなみに私の箱女は掃除用具入れのような大きさで完全に私は中に入ることができる。さらに映像のバージョンで「キノハコノコ」(川崎市岡本太郎美術館with ヒグマ春夫)と「箱女」(赤レンガ倉庫1号館ホールwith城戸晃一)の2つの作品に進化した。
変な作品だったけれど、私の中では名作。

しかし昔の教え子が箱につながるというのは感慨深すぎる。
すごい気になるけれど、群馬にいるのでみにいけないです。だれかみにいって感想を聞かせてください。

生音楽とともに踊る

八木さんとのリハがない間も、これまでの八木さん演奏ビデオ(毎回の練習ごとに録音しyoutubeなどに入れ管理。便利な世の中になりました)とともに練習をする。
即興なので、毎回異なるが、おおよその流れは決まってきている。

八木さんCDもある。楽曲として完成しているし、それもとてもすてき。特にseventeenはかなりきいている。
しかしCDの音楽で踊るとどうしても音楽にのせて踊る自分になる。

つまり音との掛け合いというのがない。
楽曲とはちゃんと隙がなくつくられたものであり、そこに入る余地はない。入るのではなく上にのることはできる。でも本来は気配や間合いや、私から生ずる音をうけて八木さんも変化していく。そして2人で(照明もはいると3人か)この世界をつくるのではないかと感じました。

そんな理由で生演奏の作品がつづいています。

忙しい人が多いのでなかなか大変なのですが、話しをしてみるととても面白いです。全く違う感覚を持っていたりするので、勉強にもなります。


おまけ
友人の音楽家に音楽家だってパフォーマーだといったらパフォーマーほど信用できない言葉はないとおこられる。パフォーマンスとは何かといったときにようわからんと。
私はダンサーだ、けれどアクターでもあり、パフォーマーでもあり、もしかしたらそのうち歌とか歌うかもよと話してみたがどうなのでしょうね。



しづリハ

今年の後期は仕事量を減らしたこともあり、「しづ」に没頭できる日が増えている。そういうときにも1日一回は外へ出ることにしているが、家で作業できるようになったこともあり、本当にひきこもる。
ずっと踊っているのかといえばそうでもなく、本を読んでいたり、民俗芸能のビデオを見たり、しかし基本的に「静」モードになっている。
静御前についていろいろ調べ、本などを読んでいくうちに静は踊りたくなかったし、踊る必要がなかったという根本的な所にいきつき、動けなくなってしまったりもする。
三浦さん(照明)宮村さん(衣装)に見てもらいつつ、迷走を続ける。

振り付けは運動を固定し、感情の再現をしやすくするための方法。
しかし本当に感情や霊的な感覚は再現できるのだろうか。
自分を冷静に見るもう一人の自分がいて演じるというのは世阿弥より通じる芸能論の基本。私ともう一人との対話を私は長らく続けてきて、しかし100%できるわけではないし、ぴんとこないこともある。その保険のように振り付けがあるのだけれど、しかしそれをたどっていってしまうと、自分から動いてしまい、そういうものに気がつけなくなってしまう。些細な、でも本当はすごく大切なこと。
私の作品では必ず即興的要素がのこされていて、それも練習を繰り返すうちにだいたいなにをするかは決まっている。でも、それでも完全には決めないで待っている。
そしてずっとその瞬間に出会うために踊り続けている。

箱女は箱がその役割を演じてくれた。
IchIはわかりやすく、そういう存在をつくるべく2人で演じた。
never let me go はコートちゃんがいてくれた。
しづは私一人でもうひとりが見えるようになるかを考えている。

ラッセルさんが私の手の先に見てくれたものをきちんとみせれるように。

振り付けのその先へ。

2012年11月2日金曜日

私は振り付けを覚えることが苦手です

今日、人に声をかえてもらったこともあり、某企業のイベントのオーディションにいく。
あまりにも面白そうだったので誘いにのってしまったが、正直私は「振り付けを覚えることが苦手です」
ダンサーなのになんということか、という人もいそうだが、クリエーションから携わる場合、必ずしもすごい振り覚えがいい必要はない。でも生き延びるために最小限覚える能力は必要だし、できないと困る。
なのに、本当に苦手だ。

ちなみに今日は楽しい感じで、明るい花のようなといわれてはいたけれど、
今日もあまりに間違えるので楽しくなってきてしまって、本気な笑顔とめっちゃ楽しそうな感じだったが、職業人としては失格だ。

なぜ覚えられないのか。
でもこれでもかなりましになった方だと思う。
ラッセルワークで苦労はしたけれど、かなり鍛えられた。でも普通のダンサーさんのレベルではない。
振り付けだけではない。台詞、人の名前、記憶すべてがおちていく。

その代わりといっては何だが、何度同じ振りを繰り返しても、新しい何かを発見していく。振り付けはシンプルに。最小限のことを繰り返していくだけでもいろんな発見をしていく。そもそも振り付けとは何のためにあるのだろう?と考えるにいたったり、振り付けを利用しない演出を考えだしたり、それはそれで面白いこと。

しかし一緒にくんでしまったダンサーさんには申し訳ない。
楽しいひとときではあったけれども。



イギリスにいるころ、友人ダンサーに誘われて2、3回オーディションを受けにいったことがある。あるダンサーはオーディションは出会うための場所だからといい、あるダンサーはワークショップを受けるつもりで、ただなんだしという。私はがんがんうけまくってあたりまえのみんなの中にいて(それはラッセルカンパニーの中でもあった)、あまりの振り覚えの悪さ具合とコンプレックスとでまず受けにいくことがなかった。もったいないことをしたともいえる。

できなかったこと、
それもまた発見だ。
できるために努力をすることもある。
できないゆえの何かを見いだすこともある。
オーディションとはそういう場所。

そして自分のまなざしを大切にしようとおもう。





越境する身体

なんと東大駒場キャンパスで講演しちゃいます。
先日伺った山田せつ子さんの講演と比べると、その半分くらい(年齢というよりはたどっている軌跡が)のところでうろうろしている私が話していいのか不安なのですが、何でもやってみるしかありません。

こうして私が何をしてきたのか、何をしようとしているのかを考えるのは、実は自分にとってとてもいい勉強になります。今、何をしなければいけないのか。

ちなみに写真は「かめりあ」のもの。
担当してくれている内藤さん(元美術家)のセレクトです。

2012年11月1日木曜日

しづご案内文

「しづ」
静御前の舞をテーマに、八木美知依さん(箏)と三浦あさ子さん(照明デザイン)、宮村泉さん(衣装)を巻き込んで作り上げます。
日本の美しさは海外在住時代から追ってきたテーマで、舞踊の根源を問う意味で白拍子の舞いは非常に興味がありました。いろいろ調べてみたところ伝承されているものはなく、現在行われているものも研究により近年つくられたものだそうです。
2009年鎌倉のギャラリー招山さんでのパフォーマンス「響庭」をベースに即興性を持たせつつも作品としてつよい強度にするべく、身体作りから行っています。今回間に合うかどうかはわかりませんが、なんとなくこれについては長期戦ととらえています。「立つ」とか「歩く」とか基本に戻ってきました。
ここ数年追い続けている即興音楽との作品作り、照明へのこだわり、日本の美しさ、身体の捉え方、遠くにいる人へいのる気持ちすべてがつながっている気がします。
ご多忙とは思いますが、お時間おつくりになってぜひお越し下さい。


日時:2012年11月30日(金)19時/12月1日(土)14時・18時
場所:神奈川芸術劇場大スタジオ
なお、同日には乾直樹さん、昆野まり子さん、高岡由美さん、松本大樹さん(それぞれ20分)の作品が並びます。上演順は4作品目(間に休憩が入ります)。
チケット料金:3000円
チケット取り扱い:kinokoticket@hotmail.com(キノコチケット)もしくは木野まで


"Shizu"
My new piece title is named from Japanese famous Shirabyoshi dancer SHIZUKA GOZEN.
This work is collaboration work with Michiyo YAGI( 17 strings 20 strings KOTO), Asako MIURA(Lighting design), Izumi MIYAMURA(Costume).
We had gallery performance in Shozan( KAMAKURA), 2009, and I try to develop to theatre work.This work is including Japanese beautifulness, body consciousness, and also hope to happiness who lives somewhere else, like my work "IchI"(Place prize 2008).