2019年12月31日火曜日

このブログをご覧になる皆様へ

○鳥取夏至祭についてはこちら
2019年鳥取夏至祭は6月21,22,23日で設定する予定です。公募を開始しました。3月24日締切です。詳しくはこちらのページをご覧ください。https://tottori-geshisai.jimdo.com/

○大学用HPを作りました。詳細はこちら

公演予定などは今後の公演予定をご覧ください。

○Dance Potlatch ダンスのおくりもの
DVDを販売しています。(驚きの500円)収益金は踊るキノコ基金にまとめられ今後の活動へと生かします。
くわしくはこちらをご覧下さい。
お問い合わせをいただくのですが、送料のほうがかかってしまうため、東京、神奈川の方はBankART studio NYKショップ(馬車道)もしくは綜合芸術茶房喫茶茶会記(四谷三丁目)にてお買い求めいただくようお願いしています。うちのお店でもおけるよという方いらっしゃいましたら、お知らせください。
なお、札幌圏はキノコチケット札幌、鳥取はキノコチケット鳥取で対応しております。
ご希望の方はキノコチケットkinokoticket@gmail.com(@を英数字に直してください)まで。




20th sentiment ( Sapporo Biennale pre-event) film : Katsura Ishida

Mobius鳥取編(Chicago Moving Company 2016)film: Yusuke Sasaki
Mobius東京編(Chicago Moving Company 2016)film: Yasunobu Nakagawa

このページはダンサー木野彩子の現在の活動をブログとして紹介しています。
プロフィールの詳細やこれまでの活動につきましてはおどりこさいこ(http://saikokino.blogspot.jp)をご覧下さい。

This page is Japanese dancer Saiko KINO 's blog. Sorry, this blog is Japanese.
If you need to more detail of Saiko's work, please check Dancer Saiko page(http://saikokino.blogspot.jp), and click the label.


2019年10月21日月曜日

即位の礼にあわせて

明日は即位の礼でお休みです。
学校が休みということで学生さんたちは喜んでいますが、「ダンスハ 体育ナリ?」を手がけたものとしては10月22日が選ばれた理由が引っかかるのでした。なんで火曜日なのかなとか皆思いますよね。
明治神宮外苑の奉献された日です。
明治神宮外苑は明治天皇の大喪の礼が行われた場所で、そのモニュメントとして聖徳記念絵画館が作られました。(1926年)
そこで遡ってみてみると明治天皇の大喪の礼は1912年9月13日に行われているのですが、この日を新暦に換算すると10月22日なんです。

11月3日は文化の日として知られていますが、明治天皇の誕生日、天長節でもあります。(戦前は祝日でした)今でも明治を愛し、明治を理想とする人たちがたくさんいるということです。(レクチャーの中でも建国記念の日や建国記念文庫の存在を示唆しましたし、明治150年キャンペーンの話も触れました。大正〇〇年や昭和〇〇年って聞いたことないですよね。)

今回行われる儀式も儀式化したのは明治以降です。長く行われていると思いきや、多くのお祭りや芸能の伝統にはかなわない。比較的新しいものです。ある意味明治の発明であり、近代明治の象徴でもあります。

天皇制を維持するしないというよりは、そこにあまりに重い価値を置きすぎてはいけないのではないかと私は思っています。グローバル時代となり、様々な外国人、宗教の人と共存していく中、押し付けることはできないし、すべきではない。また、明治はそんなに良き時代だったのかといえば疑わしいところはたくさんあります。そこを今日本は目指すべきなのでしょうか?

昨年「ダンスハ 体育ナリ?その2」と並行して作った「死者の書 再読」より天皇制に関わる部分を抜き書きさせていただきます。天皇は芸能者と等しく、常民ではない。
ただ祈る人であるという、前の天皇(現上皇)について再び考えさせられます。同じ祈る人として。


『死者の書再読』のためのキーワード
3.祭と民俗芸能
 柳田、折口ともに日本の芸能の始まりは祭だと述べている。柳田は『日本の祭』(1942)、折口は『日本芸能史六講』(1944)において、見るものと見られるもので差異が生まれて近代の祭りが分離していることを指摘している。先に述べた花祭(愛知県奥三河)のようにもともとは見るものも見られるものもすべてが同じ立場であり、入れ替わりうる存在であった。すべてが入り混じったカオスのような時間が祭の真骨頂であり、その瞬間を過ごすべく村民(町民)は1年を過ごしていた。コミュニティを作る上で祭が世代間をつないできた好例でもある。しかし折口はそこに芸の秀でるものの存在を見出し、結果としてそれを見るための桟敷(つまりは客席)が生まれたことを指摘し、日本の芸能の発生を明らかにしようとしている。特殊な「見られる人」が生まれたということである。
その後折口はさらなる祭りの原型を求め古代へと研究を進めていく。見せる前の純粋な祈りのかたちを求めて。
 一方柳田は普通の暮らしを見出すべく研究を重ねていく。芸能には踏み込まず。常民と呼ばれる「普通の人」の普通の暮らしを体系的に記述していくことを目指していた。柳田がマレビトを認めなかったのは異界を認めることができなかったためであろう。日本の外から、神の国から来るマレビトを認めれば天皇制は崩壊する。
 日本人という枠組みを見出すべくマジョリティを調査した柳田。
 そこから逸脱したマイノリティとも言える芸能者の存在を「マレビト」という概念で明らかにしょうとした折口。
 二人は常に対であった。
 折口は神の声を聞く人としての女性(水の女)について言及する。そして天皇もまたミコトモチであり、神の声を聞き、それを政治へと活かす人としての存在であったと捉える。その媒介を務めるのは女性であり、沖縄の聞得大君をはじめとする制度がその名残であると考えていた。神の嫁となる妹が神の声を聞き、それを兄へ伝え、兄は世を動かす。沖縄のユタ、ノロの存在からそのように捉えたらしい。このような兄妹への信仰は日本に限らずインドネシアやエジプトなど様々な土地にあり、それもまた、折口が興味を持つきっかけになっていたと思われる。
 私自身が芸能者であるため折口の文章を読み始めたものの、長く折口は神道の人だと捉えていた。しかし彼の著作を読み進めていくと、国家神道(明治期に成立したもの)を超えて祈りの原型を目指していたことがわかる。安藤礼二は藤無染の著した『二聖の福音』からの影響を示しているが、キリスト教、そしてアジア圏全般へとつながるようなものだったと考えられる。ある種の宗教の枠組みを超えた一元論的哲学を目指しており、そこに日想観が結びついていた。私が折口に抱いていた神道イメージはあくまで國學院大学ということもありその後作られていったものでしかなかったということだ。天皇はミコトモチと明らかに記しており、ミコトを持つ人であって神とは記していない。むしろそのような特殊な資質を持つ人ということで巫女しいては芸能者に近しい。確かに明治神宮外苑の設立など助言を与え(『明治神宮70年記念誌』など)、戦後天皇制を維持するべく尽力してきたことは事実だが、折口自身は日本に、そして天皇制にとらわれてはいなかったのではないか。その差が柳田との差異でもある。

4. 芸能者という存在
 芸能者は長く河原乞食と呼ばれ身分の低い存在であった。特殊技能に秀でるとも言われるが、日常の労働に対応できない、あるいは集団に属することができないなどの問題を抱え、流浪の民となったと考えられる。戸籍を持たず、それゆえ定住もできない。ある種のマイノリティである。折口はそこに着目をした。
 ホカイビト(乞い人と書かれる)と呼ばれる排除されたものがいかに生き延びていけるか、彼の視点は幼少期を過ごした大阪西成の土地勘のせいか、自身の同性愛思考の故か弱者に優しい。折口自身も幼少期に受けた痣や怪我などで外見に対するコンプレックスがあったことが持田叙子らによって指摘されている。

7.天皇制について2018815日)
 戦後、彼の愛する養子春洋を失ったのち、『神やぶれたまふ』をよみ、またこのような手紙を春洋の兄に残している。

 ただ思えば思えば、今が今まで、陛下の貔貅をあだ死にさせるような人々でないと信頼していた者どもが、今になって皆、空虚な嘘つきだったと痛切に知った悔しさ。例えようもありません。何よりも国をこうした危い状態まで導いておきながら、今なお、はづる(りっしんに鬼)ことなく、報導に技巧を凝らして、戦記を発表していることです。(『折口信夫』植村和秀の指摘による)

 天皇の言葉を重んじる折口としては天皇の代理者として職を軽んじ、国民の信頼を裏切った指導者たちに憤りを感じている。1935年頃より既に下克上の危険性を指摘し(『日本の古代国民思想』)ており、その後226事件(1936年)などの天皇の言葉と関係なく暴走する軍を見てきた折口だからこその思いがある。
 問題は天皇制ではなく、天皇制を利用して自らの権力をつよめようとするところにある。そしてここしばらくの公文書の書き換え問題やメディアによる報道内容の偏りをみると「報導に技巧を凝らして」あたりがまさしくリアルに感じられる。
 私自身は天皇制に賛成も反対もない。特別な感情を抱く人もいるのはわかるので、静かに見守ってきた。20168月退位の意向を表明した際(http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12)、祈る人としての天皇の役割を述べ、健康上の理由から維持できないとした。祈り、そして各地を回り、直接国民と会って話すことは天皇を神格化させる流れと逆行している。人間のみこともちとしてできることとは何かを考えた挙句であろうと私は捉えていた。しかし今日戦没者式典を見ながら、ふと思ったのは、自らが動けなくなったり、意識がなくなったりすると、やばいという危機感からだったのではないだろうか。単純に大喪の礼などの行事や手続きが大変ということだけではないだろう。自らの意思に反して物事が動いてしまうことを防ぎたかった、そして憲法を、またこの国のこれまで歩んできた形を守るべく、あるいは国民全体にかんがえなおすきっかけとして退位を持ち出したのではないか。
 実際退位が決まった直後から憲法改正への動きが活発化している。それまでもずっとあり続けていた議論だが、今上天皇がいなくなるならというような勢いがあって、心が痛い。そうやって式の映像をみてみると、安倍さんを睨んでいるようにも見える。
 実際その心の中を知ることはできないけれども。
 ダンスハ体育ナリ?其の2で扱っている時期1936年から40年くらいと折口は重なるところも多くある。例えば今日の報道で江橋慎四郎さん(元鹿屋体育大初代学長、ダン体2では学徒出陣の答辞を読んだ人として紹介)も今年春97歳で亡くなったことを知る。時代が過ぎ、かつてを知る人はいなくなってしまう。過ぎ去った歴史を振り返るのは文字の力しかない。私たちは彼らの遺した言葉を読み解きながら、どのように戦いが始まり、そしてどうして止めることができなかったのかを考えてみる必要があるだろう。
 折口自身はその救いの先は宗教と文学だと見出し、そして古代の生活を見直そうと試みていた。直感を信じて。彼自身がある種の巫女のような存在であり、膨大な文章を書き残しているが、しかし最後には論文ではなく詩と小説として広く一般に広めようとした。文学に残されたある種の自由度を信じていたのではないだろうか。事実を述べるのではなく、受け取った人がもう一つ前に進むための自由度。私は自分が踊る人だったからダンスにする。受け取る人がその先を考える余韻を作ることが大切ではないかと思うので。

鳥取銀河鉄道祭のできるまで49

鳥取銀河鉄道祭のできるまで49

予算節約ということもあり、この間にアートマネジメントの吉野さんには県文化政策課の企画で鳥取でアーティストレジデンスなどを行っている団体の皆さんへのレクチャーを開催していただきました。12月のマネジメント講座を聞きにきた県からご提案いただきました。アーティストレジデンスを行っている方は鳥取芸住の頃から鳥取県内にたくさんいて、それぞれに活発に活動していますが、協力体制が作れないか、また共通して抱えている問題や悩みをシェアすることで解決していけないかということで、短い時間ではありましたが、集まり、話し合う場所を持つことができました。前回が鳥取での開催だったこともあり、今回は米子市での開催となり、西部地区のアート関係者に集まっていただき、そのままとりアート西部地区事業のアフターイベントに参加してもらうことにしました。

東部地区と西部地区はおよそ100km離れており、その往復はなかなか大変です。私もこの事業に関わるまでこんなに西部地区へ通うことはありませんでした。鳥取県は人口も最小ですが、範囲も比較的小さいので、こういうことが可能ですが、私の出身(北海道)や前に住んでいたところ(神奈川)などでは難しい企画です。その分みんなで協力できるようになればと思うのです。
鳥取芸住という動きは私の来る前に起きていて、ここに関わるアーティストレジデンス団体の皆さんの多くを知りませんが、同じようにアートに興味がある人々なので、一緒にできることを探っていく(そしてお互いが見合うなど横つながりを増やす)ことも目的としてあえて西部、中部、東部と3展開起こしています。この県を横に繋ぐミッションは因幡国・伯耆国の時代から分断されがちだった鳥取県の歴史をふまえ、昔から言われてはいました。しかしなかなかそれができていないのが現状です。

鳥取銀河鉄道祭のできるまで48

鳥取銀河鉄道祭のできるまで48

2019年3月の演劇ワークショップ「振り向けばザネリ」は倉品さんが気になっていたザネリを元に様々なシーンを作っていきました。
写真はこちら
https://scrapbox.io/gingatetsudou-tottori/レポート|ワークショップ%235_演劇「振り向けば、ザネリ!」
この日新聞に出ていたイベント告知を見てきてくださった2名の女性。実は宮沢賢治が大好きで朗読劇のようなものを観ようと思ってきてくれたそう。ワークショップという言葉の意味を説明すると、当惑しながらも、参加してくださいました。
その方々は公演には参加しないのですが、そのワークショップの中で賢治ファンらしいちょっといいことを言ってくださいました。「ザネリは本当にジョバンニが嫌いなのだろうか」ただただちょっかい出したかっただけなんじゃないか。触れ方がわからなくてついいじめちゃうだけじゃないか、もしかしたらジョバンニが色々考えすぎて被害妄想的に膨らましてしまっているだけではないか、、、。
本当は好きなんだけれど、うまく言えなくてちょっといじっちゃう感じ、あるよねーと言いながらちょっと愛のあるザネリシーンが出来上がりました。

フェイスブックではこちらもウォームアップでやったワンボイスの様子が野口さん映像で上がっています。こちらも是非どうぞ。

鳥取銀河鉄道祭のできるまで47

鳥取銀河鉄道祭のできるまで47


2019年3月ダンスクリエーションワークショップ「鳥を捕る人」は普段わらべ館でお借りしているいべんとほーるが行事で使用されていたため、エントランスのところを使わせていただきました。ワークショップの前に演技をしていた鳥取のチアダンスチームレインボーさんにもお声かけし、何人か参加してくれたこともあり、観客もいるオープンなワークショップとなりました。
写真はこちら
https://scrapbox.io/gingatetsudou-tottori/レポート|ワークショップ%236_ダンス「鳥を捕る人」
チアダンスレインボー:https://ameblo.jp/rainbowtottori/
チアダンスレインボーさんは指導者がいないのですが保護者が協力し、幼稚園から小学生の子供たちがチアダンスができる環境づくりをしているのだそう。様々なところに出張出演をしています。

タタタタ タタタ と移動してポーズをとる鳥たちの動きと、参加者の中の背丈の大きな男性が集められて鳥捕り役として捕まえようとする動きが振り付けられました。するりするりとかわす子供達。

エントランスホールには小さなピアノがあるのですが、実は米子出身の作曲家高木東六さん愛用のピアノで寄贈されたものです。(わらべ館はこの縁もあり、高木東六の研究者島根大学の藤井先生のレクチャーなども開催してきました。私も「鶴」の復曲に合わせて踊るという公演を行ったことがあります。)
このピアノをお借りして野村さんの演奏と合わせた鳥捕りとトリダンスができました。
即興的ではありますが、倉品さんがその場で即興的に「銀河鉄道の夜」を読み上げシーンが一つ出来上がりました。


その後このシーンは出演者によるリハーサルを重ねるごとに色々工夫を重ねていきました。読むところを固定していったり、楽器が変わったりして公演の中に異なる形で含まれています。稽古の時に「なんで鳥捕りは大男だけなのか、それはおかしい!」といって鳥捕りに立候補した女性も。ジェンダー問題について考えさせられるそんな時もありました。時代のせいかジョバンニもカンパネルラも男の子です。でも鳥取の銀河鉄道は男の子も女の子も、そしてもしかしたらあなたもジョバンニでありカンパネルラかもしれません。

鳥取銀河鉄道祭のできるまで46

鳥取銀河鉄道祭のできるまで46

クリエーションワークショップはその後出演者が固定して行われた作品の稽古ともまた異なり、各回独立してテーマを決めて行なっていきます。音楽の2回目(2019年3月)は「新・新世界交響楽」でした。作品内に出てくる「新世界交響楽」はドヴォルザークの「新世界より」を指していると言われています。それを参加者で自由にアレンジしようというものです。もともとの「新世界より」は第4楽章まであり、それぞれの意味と楽曲としての構造のミニレクチャーがあった後にアレンジスタート。
写真はこちら
https://scrapbox.io/gingatetsudou-tottori/レポート|ワークショップ%234_音楽「新・新世界交響楽」
第2楽章は一般には「遠き山に陽は落ちて」で知られる曲。(タイトルは家路として学校帰りや夜6時ごろに流れるあの曲です)鳥取づくしになっていました。「さーきゅうー、だーいせーん(大山)、なーし、じどり(地鶏)~」
第3楽章ではペットボトルと足踏みでリズム演奏が入り、第4楽章では行進がスタート。やっぱり演奏するだけでは飽き足らないところが門限ズワークショップ。最後に倉品さんの朗読を合わせてもらいました。

残念なことにこのワークショップも公演の中には含まれていません。
実は作品を作る上で採用になっている部分と採用にならなかった部分があり、銀河鉄道アナザーストーリーというのができるかもと思うのです。銀河鉄道のお話は1つですが、そこから派生してできている鳥取銀河鉄道祭は無限に広がりうる。それがあのタイトルのゲキジョウ実験!!!「銀河鉄道の夜→」の→にあらわれています。
現在もまた進み続けている。

show must go onなのです。

2019年10月20日日曜日

鳥取銀河鉄道祭のできるまで45


鳥取銀河鉄道祭のできるまで45

これらの会場となったのがわらべ館。
童謡・唱歌とおもちゃのミュージアムで、今から30年前に行われた「鳥取・世界おもちゃ博覧会」の際に収集したおもちゃや音楽資料の数々を展示しています。実際に手にとって遊ぶことができるなど体験型の施設として人気があります。
この建物は県の図書館を復元したものだそうで、鳥取の人にとっては子供の頃を過ごした懐かしい施設でもあります。今でも多くの子どもたちが集まってきます。(最近はシニア世代や観光客の方の来館も増えてきているそう)
今回初期のクリエーションワークショップには多くの職員の方が参加してくださいました。中でも、高橋智美さんはクラリネット、民俗音楽、のこぎり演奏まで幅広くこなしますが、今回も出演者として参加してくださっています。
私はわらべ館で月1回程度、即興音楽とダンスのワークショップとファシリテーター養成講座を開催しています。(高橋さんにも関わっていただいています)鳥取夏至祭で鳥取にお越し下さったみなさんを中心に講師としてお招きし、即興の天才子どもたちとともにからだと音で遊ぶというもので、少しずつ即興というコミュニケーションの形を模索しています。