2020年12月31日木曜日

このブログをご覧になる皆様へ

○鳥取夏至祭についてはこちら
2019年鳥取夏至祭は6月21,22,23日で設定する予定です。公募を開始しました。3月24日締切です。詳しくはこちらのページをご覧ください。https://tottori-geshisai.jimdo.com/

○大学用HPを作りました。詳細はこちら

公演予定などは今後の公演予定をご覧ください。

○Dance Potlatch ダンスのおくりもの
DVDを販売しています。(驚きの500円)収益金は踊るキノコ基金にまとめられ今後の活動へと生かします。
くわしくはこちらをご覧下さい。
お問い合わせをいただくのですが、送料のほうがかかってしまうため、東京、神奈川の方はBankART studio NYKショップ(馬車道)もしくは綜合芸術茶房喫茶茶会記(四谷三丁目)にてお買い求めいただくようお願いしています。うちのお店でもおけるよという方いらっしゃいましたら、お知らせください。
なお、札幌圏はキノコチケット札幌、鳥取はキノコチケット鳥取で対応しております。
ご希望の方はキノコチケットkinokoticket@gmail.com(@を英数字に直してください)まで。




20th sentiment ( Sapporo Biennale pre-event) film : Katsura Ishida

Mobius鳥取編(Chicago Moving Company 2016)film: Yusuke Sasaki
Mobius東京編(Chicago Moving Company 2016)film: Yasunobu Nakagawa

このページはダンサー木野彩子の現在の活動をブログとして紹介しています。
プロフィールの詳細やこれまでの活動につきましてはおどりこさいこ(http://saikokino.blogspot.jp)をご覧下さい。

This page is Japanese dancer Saiko KINO 's blog. Sorry, this blog is Japanese.
If you need to more detail of Saiko's work, please check Dancer Saiko page(http://saikokino.blogspot.jp), and click the label.


2020年6月7日日曜日

「7日間ブックカバーチャレンジ」その6

「7日間ブックカバーチャレンジ」6日目
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」(ちくま文庫版)。
(数多くの銀河鉄道があるのですが、ちくま版は異稿として初期型も読むことができます。全変遷については宮沢賢治記念館発行の資料を)

2012年にできなかった作品の断片を少しずつ実現化する作業をしてきて残る鳥捕りの踊りを作るべくしてやってきた鳥取。
鳥取県総合芸術文化祭(そのなもとりアート)なるお祭りのメイン事業として県民みんなで作る「銀河鉄道の夜」として大幅にパワーアップ、2019年に上演されました。
門限ズ、藤スタジオの皆さんの協力も素晴らしかったのですが、おそらく宮沢賢治の普遍的な思想みたいなものが鳥取の町にあっていたんじゃないかなと思うのです。そして今の時代にもあっている。密かに今年は私の周囲で銀鉄と宮沢賢治プチブームがきていてちょっと嬉しい。(鳥取県内だけではなく銀河鉄道の夜の上演が増えてるんです)

あの時できなかったのは残念だけれど、種子をそのまま大事に育てていったら、元々とは全然違うけれど、そして全然違う場所で花が咲く。時間はかかってしまいましたが、当時私が作ろうとしていた世界よりも賢治の理想に近づいたように思います。すべての人が芸術家。
そしておそらく、それが次の時代へのヒントになってくるとも思っています。


「7日間ブックカバーチャレンジ」とは、「読書文化の普及に貢献するためのチャレンジ」で、参加方法は「好きな本を1日1冊、7日間投稿する」というもの。ルールは次の通りです。
①本についての説明はナシでOK。
②表紙画像だけアップ。
③毎日1人のFB友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いする。


なお、本文中に出てくる鳥取銀河鉄道祭についてはウェブサイトにて公開しています。(映像も見ることができます)。https://scrapbox.io/gingatetsudou-tottori/

なお、鳥取銀河鉄道祭2019の記録集はこちら。開くと巨大。そして中がバラバラになっているところも多様すぎる鳥取が現れていてちょっと素敵(デザインはうかぶの三宅さん)。

2020年6月6日土曜日

耳虫事件

40年以上生きてきて衝撃の事件が起こる。(昨日だけれど)
耳に虫が入る。そして出てこない。

深夜気配を感じてハッと起きたら耳に違和感があった。そしてずっと音と動きがあり、もしかして虫!と思い、どうしようと慌てる。(ちなみに夜中の3時くらいで、誰かに聞くこともできない)。
とりあえず光を当てたら出てくるかもと思い懐中電灯をつけてみておびき寄せるが、動きが激しくなるだけ。
耳かきのようなもので突こうとするが、全く届く気配はない。

どうしよう。

その謎の動きとともに考えていた。そしてエイリアンとか寄生獣の映画のようなものを思い出した。
ある意味私と呼応しているのだから、とりあえず大人しくしよう。彼?もきっと死にたくはないだろうし、と思っていたら動きは鎮まり、でも確実に動いていて、結局寝れなくなる。

翌朝、このまま謎に乗っ取られるのはまずいだろうと思い、耳鼻科を探す。
鳥取県小さい県なので、実は病院が少ない。そしてこのコロナの時期に見てくれそうな近くの病院にとりあえず朝一で行く。
そうしたらとりあえず、この虫さん殺してから出さなきゃダメですね。ということになり、まさかのオリーブオイルを耳に入れることになる。
なんと。
薬品だとこまくに穴が開いていたときにまずいのだそうです。
この自己主張している虫さんと今後ずっと一緒に生きていくこともうっすら考えたが、流石に怖く、お願いしてオリーブオイルを入れて15分。
ピンセットや様々な吸引器のようなものを使用して出してくださいました。

ごめんなさい。
ウィルスとの共存まで考えつつあるけれど、虫との共存、まだできない自分。

結局その虫さんが暴れて(昨日大変だったでしょう、とお医者さんに同情される)、傷が多数できているらしく、塗り薬を塗ってもらい、さらに点耳薬を処方してもらう。私はこの点耳薬初めてだけれど、耳に6滴も7滴も水を入れるのだ。
大丈夫なのか!とドキドキするが、鼓膜に穴が空いていなければ良いそうだ。鼓膜さんありがとう。

冗談みたいだが、自分は自然とともに生きている方だが、まだまだ修行が足りないと自覚した。虫さん、ごめんね、そしてありがとう。

「7日間ブックカバーチャレンジ」その5

「7日間ブックカバーチャレンジ」5日目
荒川修作・マドリンギンズ「space as intention」
空白は開かれているものという意味で、何にもまして特定されない与件である。空白は分化されないが、存在するものである。だから無ではない。空白はたまることができる。だから空虚ではない。空白は独自の作用を持つものらしい。したがって空白そのものは白紙ではない。空白は殻を埋めるものである。空白は真空を引き寄せ、養いはするだろうが、真空とは一致しない。
自身が空白だと気づくこと。(以上本文より)


ある日手拍子をした途端に真っ暗闇に突き落とされて衝撃を受けた。一瞬のことだったらしい。でもそこからいろんな思念が流入するようになった。時々世の中が白く光り輝くのを見るようになった。これは今もだけれど読むべき本が光るようになった。あらゆる空間にいろんな人の思いや念が漂っていて、それが波のように押し寄せてくるので、そういうものを拾い上げ踊るようになった。
これは流石にまずいのではないかと思い(新しい宗教みたいなものかと思い色々調べたりもした)、冷静に分析を試みた。

距離とは関係なく共鳴を起こす人は何名かいて、そしてそのバランスの中で私は浮かんでいるので、手を抜いたり油断すると他の人に危害が及ぶ。だからとにかく走り続けなければいけなくなりました。

こうなってくると自分自身の意思ではもはやなく、ただただ掬い、拾い上げ続けていくのみとなってきます。少しでも皆で良き方向へと進めるようとも思うけれど、多くの場合意志を超えてそれらは必然であり、どうにかできる問題ではなかったりします。

木野の数少ない群舞作品「Mobius」(ダンサー5人、音楽家3人) はそのようにして見出され、浮かんだ言葉を拾うように、また円周を惑星のように描くように歩きながら星座を作り出していく形になっています。Mobiusのラブリーなポエムでもいいのですが、よりこのことを物語っている「みみをすます」(高知県美術館中庭でのパフォーマンス)の解説より。
このなかにわで、しずかにみみをすましてみると、きこえていなかったおとがきこえてきます。みずのながれ、かぜのこえ、とりのはばたき。すでにこのよのなかはたくさんのおとでみちみちています。
おとはいのちのはどう。ことばもおどりも。すべてのせかいはつながってるのにみのがしてしまう。べつのものだとおもってしまう。
ふだんはとざされているがらすのむこうがわ。とびらをくぐるしゅんかん、ほんのすこしあるくそくどがゆっくりになる。そんなじぶんにであえますように。


これはおまけなのですが、この感覚が近いのはこの人かなあと思っています。



「7日間ブックカバーチャレンジ」とは、「読書文化の普及に貢献するためのチャレンジ」で、参加方法は「好きな本を1日1冊、7日間投稿する」というもの。ルールは次の通りです。
①本についての説明はナシでOK。
②表紙画像だけアップ。
③毎日1人のFB友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いする。

2020年6月5日金曜日

「7日間ブックカバーチャレンジ」その4

「7日間ブックカバーチャレンジ」4日目
「大系日本歴史と芸能」平凡社。写真は第14巻(竹富島とイオマンテ)
VHSブックになっていて、日本全国の芸能を網羅している貴重な資料。(今から3、40年前の状態が残っているので貴重なんです)DVD化されていないのですが、授業などで使うように変換させていただき、使用しています。
日本に帰ってきて、たまたま職場(神奈川大はもともと国際常民文化研究機構があったりします)にあったこの資料を見つけ、日本ならではのものに憧れて祭りの調査を始める。同僚に教えてもらいながら実際にもみにいく、習いにもいく。その延長上に静御前の舞(ギャラリーパフォーマンス八木美知依、michiとのコラボレーション)しず、静(黒・白)(いずれも八木美知依、三浦あさ子とのコラボレーション)が生まれたり、UZUME(天宇受売尊の舞。作曲家新倉健の委託)、死者の書再読(塩原庭村、やぶくみことのコラボレーション)に繋がったりする。
折口さん、柳田さん、網野さん、本田さん、と民俗学の重鎮達の言葉につながっていくそのきっかけとなった本。
日本の古くからある祭りと今の祭りの違いが気になり、パレードや魅せる祭りの前の巻き込まれるお祭りの楽しさを味わいたく鳥取夏至祭を始める一方、女性芸能者の存在が気になってしまう。
かつて女性は巫女として聖なる職にあったものの、時代とともに身を持ち崩していってしまう。そして歌舞伎の変遷にあるように女性は風俗を見出す不浄のものとして舞台に上がれなくなっていってしまう。
今もなお、相撲を始めとしてその名残はあるわけだが、女性の弱さが表れていると思う。そして今も舞踊業界はそんなに変わってないなとも思う。(脇田晴子「女性芸能者の源流」もついでにあげておく)
授業でもダンスを通じて、ジェンダーや、売春、ダンスが禁止されてきた歴史なども触れていく。自分の1踊子としてのルーツのようなものを探す旅でもある。

個人的には上手くはないなりに、現代の巫女を目指そうと密かに志す。結構真剣。(そして実際にこのあたりから予言の書的なものが増えてくる)




「7日間ブックカバーチャレンジ」とは、「読書文化の普及に貢献するためのチャレンジ」で、参加方法は「好きな本を1日1冊、7日間投稿する」というもの。ルールは次の通りです。
①本についての説明はナシでOK。
②表紙画像だけアップ。
③毎日1人のFB友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いする。

鳥取夏至祭2020への道20200603 

鳥取夏至祭2020への道20200603 
参加者:13人

初参加の人も2名!

前回1時間演奏の映像を見ての感想
確かに、ちょっと残念な感じ。(うなずくみんな)どこを見ていいかわからない。。
画面の見やすさ?
わらべ館の映像や家とかデジタル背景とか色々あって情報が処理しきれない。画角を揃えるか、着てるものか。何かしたほうがいい。
確かにみるのが忙しい感じがする。
土曜日の時はみやすかったけれど。(9コマだから??)
ダンサーのパフォーマンスがいいバランスだったからかな。周りを見れていたと言うか。

体の動きが気になる。
序破急じゃないけれど。

人の大きさとかと背景を揃えるのかどうか。

バーチャル背景はどうなのか。

距離をとってみせるのか?

完全に初めての人もいるので、短い時間のものからやってみましょう。
5分単位でフリー(画面上は9)
緩急をつけて、明るいままで。
(コケコッコーを設定するがきちんとならず。すみません。)
やってみての感想
音チーム:音声はバッチリ。アンサンブルも取れました。近くに人がいると全然違って空気が共有できてやりやすい。→鳥取人が多いので、一緒にできればやりやすい感じになるかもですね。
もし鳴かなかったら木野が鳴くと言うことに。。。(すみません。反省。)
踊りチーム:散漫な感じになっちゃった。
ゆっくりを意識すると、見える。探れる。それを意識すると外れることに移りにくい。あと場所が久しぶりで探りながらな感じになった。
ゆっくりでもずっと全部ゆっくりではなく緩急が大事かも。動かなきゃという切迫感が今まであった。
次は緩急を意識して。

懐中電灯トライアル①、5
実は2回目もならず、キノが鳴くことに。(なので5分よりオーバーしています)
やってみての感想
懐中電灯面白いですね。
でも衣装は白が綺麗ですね。肌の露出も綺麗。
影絵遊びに没頭してしまい他の人が見れなかった。
懐中電灯はあまり見えないほうがいいけれど、技が必要。
懐中電灯の明るさ、強さで動きが変わる。
影絵綺麗。(実は懐中電灯を口に加えていたとのこと。カメラの外から影を出してたり)
一時的に固定するということができたら幅が広がりそう。(光源が動くのも面白いので、完全に固定ではないかも)。
みんな影やりたくなったりして。シルエットとか逆光とかまだ色々できそうですね。
暗いせいか、映像が遅れる気がする。残像みたいになる。
うちもなります。ネット状況のせいかもしれない。カメラの感度とか?
懐中電灯という括りがあるので、これ以上ルールはいらないかも。縛ると自由がなくなってしまう。
はげどー!はげどー!
(激しく同意の意)
夜会ではやりましょう。

5分でどうしたらできるかな。
トラウマ鳥笛事件、、、
キノのコケコッコーで朝が来る。

懐中電灯② 5
終わったときにキノから抜けて行って、全員抜けたら明かりをつける。
(誰もいないそれぞれの部屋も見せる)。
実際の5分を超えても大丈夫。みんなが消え切るまではゆるゆると続けても大丈夫。

やってみての感想。
音:初めてだけれど通じ合えてる感じがする。明るいともう少しダンスが見れるんだけれど、暗いとダンスを見るところまでいけない。でもこれはこれで面白い。これだけだと寂しいよね。両方やりたいね。
マイクを加えると明るさの調整もできてる。口琴みたく。

最後に15分やってみましょう。今日のまとめとして。
せっかくなので、今日の課題として途中から懐中電灯に入っていくそして終わる(②のように)。そして緩急を考えながら。

やってみての感想
スムーズに移行できましたね。
暗くなると他の人見れないですね。全然見えてなくて自分でやることに目一杯。光の操作でガラッと印象が変わるから、集中しないといけなくて、自分の画面だけしか見れない。
光の残像とか、プライベートな覗き見っぽいものとか、色々あって面白かった。
音楽も荻野さんの動きに惹きつけられてそこに合わせてしまった、どういう風になってるかな。でもそういうのもあっていいよね。
吸い寄せられたらそれはそれでよし。荻野さんが喜んでる!
その音に反応する人もいるし、音同士が聴ける範囲でつられていくのはいいと思う。
4人に増えても、聴ける環境が良くなったせいか、結構反応できたと思う。ストレスがなくなってよかった。森本さんの太鼓(プロパノータかも。プロパンガスの容器をくっつけて作ったもの)。がいい感じだった。
明るい時と暗い時で楽器の使い分けができて面白かった。
楽器の人たちでどの楽器使おうかなとかメインにしようかなみたいなの考え始めたほうがいいですね。

ウェブサイト随時更新していけますので、チェックして早めにお知らせください!追記もできます。
若い時の写真探してきます!
お待ちしてます!









ホドロフスキーさん

ホドロフスキーのインタビューを見る。
パンデミック時代に捧ぐ「アレハンドロ・ホドロフスキーのサイコマジック説法」
噂のドミューンを初めてみました。宇川さん佐渡島でお会いしたけれど、こんなことをしている人だったのかとちゃんと知った(遅いかもしれない)。

ホドロフスキーさん、昨年の愛知トリエンナーレの展示を見ていて、とても興味を持っていたし、映画も見ているので(まだサイコマジックは見れていない)、大体予想はしていた。しかし、改めて、一雄さんのよう。(きょうたまたま学生さんに「美と力」を見せていた)
やっていることも舞踏的。
見た目的な解放か精神の解放かの違いであって、根本的にはすごく似ている。知性からの離脱。そして全宇宙との接続。統合。
コロナウィルスもサイコマジック。そうですよ。
驚異のようだけれど、でも神あるいは地球からしてみたら人間の方が驚異で、あまりにも人は増えすぎ、拡大しすぎている。見直したほうがいいと言うお告げのようなものに感じる。それはここしばらく起きている地震や災害も含め、誰かを選ぶことはできないので無差別に起きる、そう言うこと。
長い歴史の中で人類はこのような危機を何度も迎えてきた。
そんな中で生き延び、そして生き延びるために沢山の芸術が生まれた。思想であり、哲学であり、知恵でもある。だから危機的状況こそ新しいものが生まれる。そして作り続けなければいけない。
宮沢賢治なんかもそうだけれど世の中の摂理を感じる人は大きな時代の流れを見ている。それは今のことではなく何十年もあるいは何千何万年と先を見越した話で、何万光年と離れた宇宙のどこかの双子の星や、何億年昔の鉱物と対話をし続けているようなところがある。
一見辛い、苦しいことであっても、それは何らかの試練で、乗り越えることができるからこそ与えられる。静かに時が過ぎるのを待ちながら、ちゃんと自然の中の一部として生きることを考える。
おそらく今の形の経済中心型の生活は歪みしか生み出さないことを鳥取人は知っている。でもお金は必要と思っている。そのお金の得る先が税金にぶら下がるしかなく、お友達に
助けてもらう。公的資金で動くものは結局、調査、評価する人と知り合いかどうかでかなり決まってしまう。でもそこでお金のことを置いておいたらどうだろう。
自分が行いたいことを応援してくれる人からの支援をベースにし、そもそも行うことの予算と規模を少し変えてみる。本当に必要なことはもしかしたらあなたと私、それだけでいいはずだ。
サイコマジックで行っていることは私の作品作りに似ていて、ただ、私は自分でそれを続けていると言うことだ(ホドロフスキーは自分で行うとエゴに偏る可能性を指摘している)。人に応用しようとすると崩壊するので、まずは自分が実験台。

自己受容と肯定のための作品。
ちゃんと生きてちゃんと死ぬための作品。

セラピーのような、当事者研究のような作業だが、本来それはお金もかからず、自由な活動であった。私にとっては生きるために必要だったからだし、おそらく必要な人には必要だけれど必要ない人にとっては必要ないものにすぎない。一般にも公開しながら、黙々と続けていく。

これまでも書いてきたことだけれど、改めて、そう思う。
なぜ、それが当たり前でないのか。
すべての人の身体に答えはあるのに。
私たちは皆等しく宇宙と、世界と繋がっていて、いろんなものや人と一緒に動いているのに。
皆、ちゃんと身体と対話をしたほうがいいと思う。