2017年12月31日日曜日

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20th sentiment ( Sapporo Biennale pre-event) film : Katsura Ishida

Mobius鳥取編(Chicago Moving Company 2016)film: Yusuke Sasaki
Mobius東京編(Chicago Moving Company 2016)film: Yasunobu Nakagawa

このページはダンサー木野彩子の現在の活動をブログとして紹介しています。
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This page is Japanese dancer Saiko KINO 's blog. Sorry, this blog is Japanese.
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2017年9月14日木曜日

旅に出る10


ブクタパルのサランギ作り職人
カトマンドゥから40分程度だろうか、古都ブクタパルにいく。日本でいう京都のようなものと言われており、街全体が世界遺産。ネワール人が作り上げた彼らの文明の粋が集められている。カトマンドゥからは地元の人と同じバスに乗って見たもののちゃんと行き先を行ったのに聞き間違えられたらしく違うバスに乗ってしまって30分。途中から乗って来た親切なお姉さんが、あなたどこにいくの?と聞いてくれて間違いが判明、乗り換えかたを教えてくれたりする。(彼女はブクタパルから来て乗り換えたところだったのよと言いながら一回バスを降りて案内してくれた)しかもその時睡魔に襲われていて、ふと気付いたのがそのお姉さんの言葉掛けだったので、女神に見えたのはいうまでもない。
ブクタパルでは寺院の美しさはさることながら(カトマンドゥやパタンよりも地震の被害は少なく、またまちがゴミゴミしていないので観光という点でもおすすめです。(そのかわりチケット代が1500ルピー)
街中を歩いている途中でサランギというネパールの弦楽器を売っているおじさんに出会う。おじさんの一家はサランギ演奏をしている一家らしく、お父さんもお兄さんもおじさんもサランギを演奏しているそう。持って帰れないよといいながら、おじさんが聞かせてやるというので遠慮なく聞かせていただく。
おじさん曰くこれまで長く音楽家の地位は低かったという。今でもレストランなどに弾きに行ってもチップがもらえるかどうかで(でも観光客ツアーは大体食事代に含むと思うせいかくれないとちょっと怒っている。みなさんよろしくお願いします。)経済的にも地位的にも低く見られていると感じている。先進国では芸術全般特別な才能と思われるが日本でも趣味で個人がやっているんでしょと捉えられるという話をすると頷いてはいたが、後から調べてみると、カーストの壁がかなり大きいようだと思われた。
もちろん日本のダンス、音楽状況の厳しさはよくわかっているけれども、それ以上に世襲制、かつ隔離される存在の芸能民カースト。ネパールの彼らがいう厳しさは私の考えた大変さ以上のものがあるのではないかと感じた。
彼は普段サランギや様々なお面(観光客向けのもので正式な儀式に使われるものではない)を作り売ることで生計を立てている。彫るのが得意なのだ。でも美術品のように色々絵をくりぬいた作品サランギは音の響きが悪くあまり好きではないという。時々くる演奏仕事は喜びだけれど6時くらいから仕事が一切できなくなるのに給与保証がない(ほとんど収入にはならない)現状に苛立ちを覚えつつ、喜びだからとつづけてしまうのだという。日本の音楽も演奏するよとのこと(実際聞かせてもらった)。片言の日本語もこなしている。
大変だけれど、それでも自分は恵まれているという。地震後家を立て直すことすらできない人たちもいる。そんな中、自分はこうして店を復興し、新しくくる観光客に出会うことができるのだからと。
頑張れ、生きろと私は言いたくなる。たくましい。
私がかつて言われたように(いまも?)。


インドラジャトラ
 本来このお祭りを見に来たカトマンズ。あまりに濃すぎる日々ではあるが、ちゃんとお祭りにも顔を出す。中心地のダルバドールスクエアにいるクマリ(ネパールの生き神、女の子)が街中へ出ていく(日本でいう山車に乗せる)ほか、ライスワイン(白濁しているのでどぶろく的なものと思われる)を奪い合う男子対決とか、ぞうさん(日本でいう獅子舞の激しく、大きいやつ)の大暴走とかいろんな意味で喧騒とカオスのお祭り、しかも1週間続く。
踊りもある。この子達は古都ブクタパルからやって来たという。黒い子達はゴーストだそうで、顔が見えない(ちょっとザングルロを思い出す)。みんなと踊った後、その後さらに残って激しいデュエットを行う。アクロバティックな組み動きや伊勢太神楽を彷彿とするような肩の上に乗っかる技などを披露するため大人気になっていた。
 なお、ネパールはお祭りが本当に多く、毎月1週間くらいは仕事にならない状態が続く。お金ないだろうに、放蕩しちゃう。まだまだ謎の深まるネパールという国。


旅に出る9

火葬場で踊る
初日の早朝からチャンドラマンさん稽古場に巻き込まれ、しかしせっかくネパールに来たのだからとあちこち見学に出かける。世界遺産のあるパタンやバクタプルにも足を伸ばし(普通に現地の人と同じバスに乗っていく。)、それはそれで面白かったけれども、自分の中で一番大きかったのはやはり世界遺産である寺院に道を歩いていたら迷い込んでしまい、そこの名物とも言われる火葬シーンに出くわしてしまったことだと思う。
インドでもバラナシなど人の死の現場には出会うことはありうるが、それが観光として公開されているところに驚く。(実は隣のお猿さんがたくさんいる山から、お猿に導かれて迷って来たので入場料を払いそびれ、しかも火葬場火葬場という客引きを「そういうものは見せるものではないから」と断って逃げて来たのに出くわしてしまったという経緯がある)川の横の階段上の場所で3人の僧侶が祈りを捧げ、儀式をし、その対岸で燃やされる誰だかわからないけれど偉い人らしい人を見守る。階段には数多くの観光客。さらに川の橋や対岸などから覗く多くの人々。家族や僧侶が静かに祈る中、観光客たちは写真を撮り、関係ない話をしているその状況。
隣にいたネパール人のおじさん(60歳くらいだろうか)が写真や映像(しかもそのままライブ配信していたりする)を取っている外国人の様を見て「お前どこの国だ、写真とか撮るのはだめだ」と言い始める。私は「日本人だけれども、こういうのは大事な儀式だから撮らないんだ」(でも実は音を録音していたりする)と答える。そうしたらおじさんはよくわかっていると思ったのか、「何をしているんだ」と聞いて来たので「実はダンサーでインドラジャトラを見に来たんだ」と言ったら、そうか、ダンサーかと頷いて、「今から踊るからついてこい、俺の踊りを見せてやる」という。???と思いながらついていくとみるみるうちに川のすぐのところの少し広くなっている場所へ行き(僧侶たちより段は下がるもののすぐ目の前)、踊りはじめた。「そこでみてろ」という。お祈りがなんだか歌のようで、伴奏的なものもあり、子供達も何人か出て来ていたので、ああ、これは踊りなさいということだと思い、火葬されている誰だか知らないちょっとえらい人のために、おじさんの動きを少しずつ真似しながら踊ることにする。1曲多分5分とかそれくらいだと思うが、踊りきり、戻ってきたら横で見ていたお兄ちゃんに、良かった、すごかった、映像に撮ったとか言われる。伊達にダンサーだったわけではないよと話し笑う。(映像はそのうちyoutubeとかに流れるのかもしれないが、とりあえず連絡先とかも交換していないのでどうなっているかわからない)おじさんはもちろん普通のおじさんで、すごい動きができるというタイプではない。でもそういう人が踊りはじめてしまうような空間、さらに観客も皆が手拍子をし、みんなで歌うそんなお葬式。ちょっと素敵だ。
観光化には疑問が残るけれども、死をもそのように皆でシェアして受け入れていくのがネパール流ということなのかもしれない。明るいお葬式。
なお踊りがあったのはその1曲だけで(それ以外は手を叩いたりはするがそこまで)そのタイミングで私がダンサーだと言ったから起こった小さな奇跡。ダンスの根源は祈りと鎮魂。誰だかわからないその人が道に迷わず逝くことができますように。


おじさんには非常に気に入られ、ぜひうちでご飯食べてけとか片言の英語で誘われる。興味深くもあったが、何せ1日目であたりは真っ暗になってしまい、かなりまずいと思いお別れし、道に迷いながら宿にたどり着く。

旅に出る8

チャリアダンス
1日目、朝から街中を歩いてみた。まず自分のいる場所を知るために私はひたすら歩く。歩く速度は車や自転車と違い、人に出会うことができる(時々うざったいこともある)。その代わりすぐ道に迷うので結構危険。その日は朝6時過ぎから音の収集をしながら街の広場へ向かって行った。広場でガイドのおじさんに捕まる。英語で返しても日本語を話し続ける、そしてしつこい。何をしているんだと聞くのでダンサーだと答えたら、それはチャリヤダンスをやるべきだという。マスターを知っているから行ってみようという。朝7時なのに。(一歩間違えるとただの迷惑だと思う)当然マスターさんはいなくて9時ごろに勝手に出直すことにする。
チャリヤダンスとはネワール仏教の思想に基づいた動く瞑想ともいうべきダンスで、日本では岡本有子さんという方が紹介している。そういえば前に一度須藤先生のところでお話を聞いたことを思い出し、彼女は移住してNYをベースに活動するグルを招いていたけれど、ネワールの実態はどうなのだろうと思い、伺ってみることにした。
チャンドラマンさんは30年以上チャリアダンスを続け、かつては様々な賞を受賞していたらしいけれども最近は腰を痛め、指導を中心にしている。チャリアの思想を広めるため本を書き、ダサイン(10月ごろある大きなお祭り)の時には220人ほどの人にチャリアダンスを指導し、披露していたりする。彼曰くチャリアダンスのインスティテュートがほとんどないのだそう。
と、いうのもそもそもチャリアダンスは儀式(儀礼)のためのダンスであって、人に見せたり、習い事で覚えるようなものではなく、システマティックな方法論というのもなかったものだからで、当然ネパールの人々もあまり知らない。(稽古場には様々な新聞記事で紹介されている切り抜きがあるけれども、あくまでマイナーなものの様子)稽古場も6畳一間くらいの狭さだ。カトマンドゥにもダンスクラスはあるけれども多くはエアロビクスやストリートダンスなど様々なダンスを扱っていてチャリアダンス一筋のところはないのだという。
そういうわけでこんな突然やって来た謎の踊子を受け入れることからして本来のチャリアダンスの形ではあり得ないことだが、それよりももっと多くの人に知ってもらいたいというチャンドラマンさんの意識が強い。「将来は正規のアカデミーを作るのが夢だ、そうしたら自分がいなくなってもちゃんとこのダンスが残るでしょう?自分がもらったものをちゃんと伝えたいんだ」と語るあたりがニヤカムさんに似ている。
怪しげな気もしながらも、毎朝7時から稽古を受けることになり、普通は6ヶ月かけるんだよとか言われながら超速習型でどんなことをしているのか教えてもらうことになる。朝から毎日だいたい1時間稽古して、チャンドラマンさんが来てちょっとお茶をして2時間くらいならってという形でガチガチではなくかなりゆるい感じだけれど稽古に参加させていただく。アシスタントとして入っていること、ヨガのマスターだという先生(わかる人にはわかるけれども内藤さんに似ていて、ネパールの内藤さんと思うことにする)と先生の娘さんの4人で毎日顔を合わせつつ、基本ステップから学んでいく。
そう、オリッシーダンスと同様に型があり、20あるというベーシックステップのうち18と16個の基本形を含んでいるダンス、始まりと終わりに必ずするダンスを教えていただく。インド舞踊の形に似ていなくもない。でも体の動かし方の概念が真逆に近い。


余談だが、チャンドラマンさんは1998年に日本に来たことがあるらしく(トヨタがスポンサーだったとも)、東京と京都で公演をし2ヶ月ほど滞在したとのこと。そんなこともあり、このポッとやって来た変わり者日本人を受け入れてくれたのかもしれない。また日本に来たいそうで、何かできたらいいなとも思う。(ホームステイで滞在できればどこでも行くと話しているので、受け入れできそうなところがいくつかあればできるのかもとも。ご興味のある方お知らせください)

旅に出る7

ネパールについて
インドについては前にも一度行ったことがあり(コルカタではなかったものの)イメージをしていたものの、ネパールは全く未知の土地。インドラジャトラという1週間くらい続くお祭りがあるらしいという話を聞きとりあえずきてしまった。
ネパールは数多くの世界遺産があるだけではなく、トレッキングなど自然も豊かで、ほとんど観光業で生きているのではないかと思うくらい見所が多い。逆にいうと他に産業らしい産業がなく貧しい。日本からも直行便は当然なく、空港も鳥取空港のような小ささだ。隣のブータンが昔からの暮らしを重視することで世界一幸福度が高い国を目指した例として有名だけれども、そこに資本主義が流入した感じですごくアンバランスな感じを受ける。さらに地震以降だいぶ経つが今でも復興は進んでいない。多くの寺院が倒壊し、修復には10年以上かかると言われているほか、中心市街地の道路ですら、工事中の状態で、車が立ち往生してしまう。交通手段としてはバイクが主流で、あまりに凸凹の悪路なのにうまい具合に乗りこなしている。アスファルトの道路もほとんどなく、常に土煙(インド以上にすごいので、マスクは必須)。一般の家や寺院はレンガで建てられているのだが、そのレンガを運ぶのは頭につけた籠に乗せての人海戦術。江戸時代の日本人がとても重い荷物を運ぶ姿を思い出す。カトマンドゥでは今でもそう。(だから復興インフラが進まないのかもしれない)最近は高層の建物も増えていて、ちゃんと鉄筋を入れるようになってきているらしい。(なお3、4階までの建物は竹が中に入っていて支えていると思っていいのはインドと一緒)
戦後すぐの日本はこんな感じだったのではないだろうかと思わせられる。駄菓子を売っているような小さな商店の感じを見ていると本当にそう思う。
貧しさは正直あって、とりあえず観光客を見たらぼったくろうとするところがあり(英語でいうとチート)結構な金額(それでも日本のお店で買うよりは安い)を言ってくる。なので、正直この国の物価をちゃんと理解できたのか今でもよく分からない。まだインドの方が良心的で、ネパールのふっかけ方はかなりすごい。また、地震後の修繕費用を捻出するべく各寺院(広場)も外国人は1000ルピー、ブクタバルは1500ルピー(日本円でだいたい1ネパールルピーが1円、インドルピーではなくネパールルピー。1インドルピーは1.6ネパールルピー)となっていて結構いろんなものが高い。MOMO(ネパール餃子、これだけで軽食になる)の値段などを見ると(だいたい一皿80ルピーくらい)この入場料の高さは結構な値段だと考えられる。ネパール人は150ルピー程度。でもこの期間中お祭りのせいかネパール人のチェックまではしていない様子で、見た目ネパール人(何度か言われた!)の私もブクタパルをのぞいてそのままパスとされてしまう。
カトマンドゥにはネワール人と呼ばれる民族が多くすみ、彼らは日本人にとても似ている。モンゴリアン系。さらに親日派が多く(カモと思われている可能性は高い)、日本語を話せる人が多いため、日本かと一瞬驚いてしまう。なお、ネパール全体ではヒンドゥー教が90%近くを占めるが、ネワール人の多くはネワール仏教と呼ばれる日本でいう仏教でもチベット仏教でもない独自にヒンドゥの影響を受けつつサンスクリットの経典に基づく仏教を信仰している。
もちろんヒンドゥ教の人、イスラム教の人などもいるので街のいたるところにお祈りをする場所があるが、その形も全てが混在している。そのカオスな感じはちょっと独特だと思う。


うちの両親はあまり海外旅行が得意ではないのに、定年退職したのちだいぶん経ってからだが、なぜかネパールに行った。団塊世代にとってはヒッピー文化も含め思い入れのある街なのかもしれない。
 どこもかしこも工事中。これは観光の中心になっている広場から5分程度のところ
 各国の支援を受けて直していますという説明書き。すべて地震前に戻すには10年以上かかるという。


旅に出る6

インドの長距離電車

インドの長距離電車に乗る。オリッサの州都ブバネシュワルまでコルカタから8時間ほど。(この距離感やっぱり鳥取的)そのため行きは寝台電車、帰りは昼便で行ってみた。なお、飛行機が一番楽。1時間もしないらしい。
行きは体調が悪くそのまま昏睡してしまったので全く覚えがない。帰りは起きていたので(昼間だし)覚えている。とりあえず切符を買うときにご飯いる?と聞かれたので、せっかくだから物は試しで頼んでみた。そうしたら電車が動き始めた途端に①枕とシーツが配られる②1リットルのペットボトルの水③新聞④マンゴージュース⑤辛いトマトスープと謎のスナック菓子⑥ご飯(機内食みたいなもの、カレー2種とご飯と薄いクレープのようなもの、サラダ、ヨーグルトデザート)が次々にやってくる。

そもそもこの枕は一体なんなのか??と思って隣のお兄ちゃんに聞いてみたら、いや、寝るんだよという。8時間は長いから寝るのか。確かに2時間程度するとうっつらうっつらしてきてて、寝よう寝ようと周りも言い始め、椅子をベッドに作り変える。(背もたれのところを持ち上げて金具で止めると2段目のベッドになる)
ベッドは3段になっていて、でも3段あるから横にはなれてもそこで座ることはできない。(ただ座るだけで頭がぶつかってしまう状態)仕方ないからシーツを敷いて、横になり、うっつらうっつらしていたら、ご飯がやってきて流石に驚く。この状態で食べるのか。
下にいるお兄ちゃんに聞くと「うん、インドではこれが普通」とかいう。かなり怪しい。こぼしそうだ。でも普通に美味しく食べる。そしてそのベッドを作るのも、ベッドに上がるのにも、トレーを下ろすのにも周りの皆さんのご協力が必要で、みんなで助け合いがなされる。面白い。なかなかできない体験でした。


コルカタのマダム
まさこさんの紹介でコルカタに住むマダムのおうちにお邪魔することになる。このかた、実はものすごく陶器が好きで、日本にいつか行きたいと思うのだけれど、なかなか一人じゃ行けなくてねという。(なお、フランスにかなり頻繁に行っているらしく、フランスで自分のコレクションを収集しているそう。え、日本から輸入すればいいのに、、、)陶器、しかも民藝のような素朴な、しかし使いながら味が出てくるようなものが好きだそうで、いつか1ヶ月くらい滞在して実際に作るところを学びたいのだそう。
民藝!鳥取じゃないですか。と鳥取猛アピール。どこかの窯元で民藝について学ぶ体験とホームスティとかパックにしたらものすごく喜ばれると思うんですが、いかがでしょうか。
帰ったらとにかくたくみ工芸店に行って英語の本を送ってあげたいと思う。

カーリー神
インドには無数に神様がいて、シヴァとかヴィシュヌとか名前を知っていても、今ひとつどれがどれだかわかっていないところも多かった。今回コルカタにはカーリーテンプルと呼ばれるカーリー神を祀る寺があり、彼らの名前の呼び分けなども学んだ。なお、このカーリーテンプル、ラーマクリシュナがいたことでも知られている。このクリシュナさんも今回の旅でちゃんと認識した人。宗教多元説、賢治さんと似ています。その破天荒っぷりもまた。
さて、このカーリーさん、殺戮と戦いを好む女神。破壊する人。ヒンドゥ教の面白いところはこの生み出すものだけではなく、破壊を受け入れていくところ。破壊するエネルギーをも受け入れるかどうか。
いろんな意味で壊し続けている私の状態を表すような神様のところにきてしまった(たまたまだけれど)。本人がそれを好んでするかどうかは別だけれども、この世の中にはせざるを得ない瞬間がある。そしてそれもまたこの世の必然かもしれないのだ。舞踊とは本来そのようなエネルギー量ではなかったか。おそらく全ての人に内在するそのどうにもならないエネルギー量をどこかで発散させなければいけない。
なお、カーリーさんあまりに感極まって血まみれで踊り狂い、あまりにもその踏み足が激しすぎたのでシヴァさんが下敷きになって(レリーフなどはお腹を踏まれている、ちょっとかわいそう)その反動を吸収しようとしたという逸話があります。
カーリーさんにはヤギが生贄に捧げられるのだけれども、(その姿に衝撃を受ける人は多い)インドでは普通に市場でヤギの首がはねられる。土曜日なんかは何十匹とだそうだ。街のあちこちで鶏を絞めてる。(そういうのがダメな人はインド旅行は向かないかもしれない)私たちが毎日食べてる鶏さんたちを思うと見えていないだけで当たり前のことで、死と生は隣り合わせだったということを思い出す。


タゴールさん
タゴールさんはアジア初のノーベル文学賞受賞者。詩人。ギータンジャリで知られる。私の作品「En attendant,,,,」ではゴドーを待ちながらがベースになっているものの、解説として彼の詩をあげている。(ギータンジャリ英訳版102参照)
神との対話、および神への賛美が主題だが、愛の物語のようにも読むことができる。
私は宗教を特に持たず暮らしているが、この何年かでキリスト教始め様々な学びをしてきた。また、その前から「何者かとともに踊る感覚」はもちづづけていて、この何者とは何かという問いはかなり前から続いていた。その考察はIchI(2008)で具体的なデュエットとして構築したほか、からたちから(2013)、静(2013,4)、En attendant,,,,,(2014,5)、ダンスハ體育ナリ(2016)、MOBIUS(2016)でも扱っていて、おそらく今後も続いていくものと思う。
今回詩集を持ってきた先が彼の活動していたコルカタだったのが面白い。そこで空港など待ち時間に少しずつ読み進める。読みながらベンガル語訳と英語訳からの散文詩訳がかなり異なっていること、また、あえて英語にしていない詩がかなり存在していることが気にかかった。
ヴィクトリア博物館(サダルストリート側にある美術館、名前の通り英国調)を見ればわかるように今でも英国の影響は色濃く残っている。そしてヴィクトリア博物館は英国が入ってきてからの歴史しか語っていない。しかも英国側から。その前の歴史はなかったことになっているという事実。歴史は常に勝者によって作られる。支配している側からの歴史しか私たちは知ることができない。そんな英国人たちには聞かせる気もなかったベンガル語にしか残っていない詩の数々に自国を思う思いが溢れていると思う。

一方でこの英文訳がなかったらノーベル賞も取らなかっただろうし、ここまで有名な作家にはならなくて、ましてや私が読むことになどならなかったのかもしれない(私はそんなに本を読むわけではないので、この本を手にしたこと自体が奇跡的だと思っているけれど)。人に知ってもらうこと、知らせる努力は必要で、でもなかなか難しいことなんだよねとちょっと思う。

旅に出る5

劇場文化というもの
オディシャビエンナーレの話をしていて出てきたのが、インドではお金を払ってダンスを見に行くという発想があまりないということ。もともとお祭りの時などに披露されるダンスはあくまで奉納するものであるし、劇場に行くという文化自体がほとんどない。ビエンナーレでも劇場を作ることから始まる。
カメルーンに行った際に、劇場がコンベンションで、赤カーペットが敷き詰められていたが、「劇場のような広い空間」を劇場として使うことにする時もある。当然そのような場所では知らないものにお金を払うわけはないわけで、無料公演(あるいはそれに近いもの)となる。そうなった際にどこがその予算を出すかということになる。(今回で言えば日本の力は大きい)
ラッセルカンパニーでキプロスに行った際、ブリティッシュカウンシルが全面支援をしていてチケット代は3ー5€くらい(キプロスの通貨)と聞いたことがある。その前は無料だったという。これはブリティッシュカウンシルがキプロスの劇場文化を支援し、だんだんお金を払って見に来るようにしながら”イギリスダンス文化を浸透させる”ためだと聞いた。つまり世界中に様々なダンスがあるけれど、イギリスのダンスがいいよねという観客を作るための政治的判断であり、国際交流、国際貢献と自国の文化政策と、全て織り込んでいる。
ちなみにカメルーンの結構立派だったコンベンションは中国の支援によるものと聞いた。アフリカ諸国への支援を手厚く行い自国イメージをよくしていくこととその建築に伴い中国人たちの雇用を作り、移住を促すのだそうだ。(実際に中華料理屋さんなどがアフリカにもあることに驚かされる)
私たちが当たり前と思っている劇場文化はじつはここ百年程度のものに過ぎず、また、そこに色濃くパワーバランスが働いていたりするということを知ると唖然とする。




オリッサのダンス、オリッシーダンス
オリッサ地方で盛んなダンスをオリッシーダンスと呼ぶ。インドはダンス大国で、地域ごとに全く異なるタイプのダンスがあるが、特にその優美さで知られる。まさこさんはかれこれ20年ダンサーとしてインド国内、海外問わず活躍している。
今回せっかくの機会なのでクラスを受けさせてもらい、出来ないなりに味わってみる。
型が明確にあり、システマティックに行う基本ステップがあり、それをまず教えてもらう。足踏みが多いのと、足と胸の動きが完全に独立している。アフリカンダンスなどは同じように足踏みをするがその踏んだ足からのエネルギーを上半身に伝えていく(あるいはその逆)有機的な動きが多いのに対し、カウントに合わせ、正確に体に入れていくということが求められる。この感じはバレエのバーレッスンに似ている。
実際、膝を曲げた姿勢(俗にいう1番プリエと2番プリエの間)を基本姿勢としており、その形を長時間し続けるためには180度(あるいはそれに近い)の脚の開きを必要とすると考えられる。指導者により後方へ腰を出すように教える人もいるらしいが、まさこさんはそうしないようにと学んだという。(実際に180度に近い形で開くことができなければ腰や膝に多大な負担がかかるだろうことが予想される。また極端に下半身が太くなってしまうだろう。)ある種の身体変工、そして選ばれた人でなければ出来ない踊りでもある。
また、演劇的要素が多くあり、役割に合わせて顔で表情を作る。眉の上げ下げ、目の表情、目の下のところの細かい震えなどを訓練によりできるようにしていく。
訓練、という言葉が的確で、毎日朝から晩まで宿舎で、踊る日々が続き、その結果としてのプロの技でもある。ある種の進化した身体を見させていただいた。

この後いくネパールで触ったチャリアダンスと対比すると非常にわかりやすい。





少数民族、トライブの存在
オリッサ地方はインド国内でも特に少数民族が多くいる地域である。民族がいるということはその数だけダンスがあるので、私はそこがとても気になっていた。ナガランドではないけれど、それはそれで面白そうと思い、民族博物館や図書館などにも足を運ぶ。ちょうどオディシャビエンナーレはDACHOAという蜜蝋細工を行う人々の紹介ビデオ(冊子もある)を作っているところだったりもした。
ダンスと言っても男女が集団で踊る掛け合いのようなものや連なって踊るものが多い。揃いの民俗衣装を纏い、ナショナルトライブダンスフェスティバルで踊る映像を博物館では出している。(毎年12月に開催しており、インド各地域の少数民族が集まってくる)時間制限や空間の変化があるため、実際に行われているものとは異なってしまうかもしれないが、貴重な映像でもある。
ふと日本の伝統芸能祭りを思い出した。日本にも多くの民俗芸能祭りがあり、国、県などの支援のもと劇場でまとまって公演を行っている(鳥取でも行われていて、無料公開している)。この祭りを励みに日々精進を重ね訓練している団体も多い。一方で何人かの民俗芸能関係者はその危険性を指摘している。演出が加わったり、衣装が華美になったりという変化が起きていることも事実で、「民俗芸能」というあくまで変容していくものだからこその難しさを感じたことを。
この揃いの衣装、空間構成、そうだよなあ、と思っていたら、インドにもそのことを指摘している人(書籍にある)がいて驚いた。やっぱり、どこも一緒なんだ。。。なお、その本はアフリカンダンスやアメリカインディアンダンスなどとの共通点も上げていてちょっと興味深かった。(著者は別の人)これについては後述。
そんなわけで、ますます気になってしまった少数民族の存在。日本に帰ってもう少し勉強して出直さねば。