2015年5月23日土曜日

Angels⑥ 野外芸術フェスタ

演劇は時間を超え
舞踊は空間を超える。

演劇は言葉の力(戯曲)により数百年、数千年という長い時間をかけて、練り上げられてきた。歴史の集積でもある。数百年前に書かれた戯曲を通して当時の人とつながる普遍性を模索する作業でもある。
舞踊はのこすことができない。
ビデオなどの技術が進歩しそれは実際舞踊の形を大きく変化させてきた。しかしそれでも、そのときその場にいないかぎり本当の意味でつながることはできない。そのかわり言葉を使わないために世界中の人とつながることができる。

陽気なカメルーン人たちの作品ももうすぐ公開。
中尾さん(担当制作)と話しをしていたところ、ニヤカムさん入りオーガニキュイス(日本語タイトルはダンシングアフリカ)は世界初演。(カメルーンでの初演時はニヤカムさんは入っておらず、6名のダンサーで演じられていた)
清水は今日カタカリ(つまりインド)とアフロ(カメルーン)で熱いです。

2015年5月20日水曜日

ふたりの女

SPAC enfant プロジェクトにかかわるようになり、演劇祭などできるだけSPAC作品を見るようになってここ数年。
昔から宮城作品を見ていて、(それこそメデイア初演時期からみているわけで実は結構長く見続けている)私の中のもう一人の自分について考える。
2008年に私が作った作品IchI(The Place prize初演)のテーマは私と私のなかにいるもう一人の自分。私Iともう一人のIが何かをはさんで存在していることからタイトルは付けられた。その前から、それはもう2003年位からずっと私はだれかと話しつづけてきた。この誰かは誰なのか。元彼ではないかなどとはじめはおもっていたものの、様々な霊(IchI)なのか像なのか、神さま(からたちから)なのかと浮かんでくる。私が作ったイメージにすぎないのではないか、いや、既にそれは消えている。もうこの世にはいない(静)。それでも私はそれを感じながら動いている。
巫女にせよ芸能者にせよ、生と死の境目にいる。半分死んだ身だからこそ、見えるものがある。宮沢賢治がなぜ引っかかってしまったかといえばそこではないかと考えている。

たまたまなのか何なのか、ここしばらくみた宮城作品には必ずその私のなかのもう一人の自分、そして半分死んでいる私がいる。グリムも、夏の夜の夢も、グスコーブドリ、そしてふたりの女。今回のふたりの女では葵の上・六条の狂うの方に意識が向いてしまうけれども、密かに武石さんの既に死んだ男が非常に気になる。(なお、オリジナルの戯曲に既にいるキャラクターらしい)死にながら生き続けるもの。死にながら生き続けるからこそ芸能者は穢れとしてあり、それでありながら神につながるものであったのではないか。

プロフェッショナルな役者は(あるいはダンサーは)そこであの世にいききらずに生きる技術を持っている。もちろん観客にうけるだけの身体技能も不可欠だが、それと同じように舞台上でいききらないという技術。普通にあるというための技術。それが鈴木メソッドなのだろうか。しかし演技の繰り返し、ひたすらの繰り返しはハレのレベルを下げ、また娯楽の世界へとつながらざるをえない。
それでも生きることをちゃんと選べるかどうか。そこがプロかどうかの境目かもしれない。



観について

ダンスを追求していくと生贄というか、祭祀のようなものにいくしかないのではないかと思っている。石井達朗さん(批評家、ちょうど観ゲネの日にみたときにトークイベントでいらしていた石井さんにお会いできました。が、残念ながら戻らねばならず肝心のトークを聞くことができず)は演劇祭ブックレットのなかで「祭祀からコンテンポラリーな時空に向けて」というタイトルで解説を寄せている。(本人曰く、作品みる前に書いている者だけれどね、とのこと)

演劇がナラティブを追求していくなかで、身体にこだわってくとどうなっていくか。言葉を超えるもの、それを追求していくと神さまの領域に行ってしまう。それは強度に哲学的であり、存在について問う領域。
各演劇劇団のトップも指導者として存在していると思うが、この団体もそしてニヤカムさんも、もっというと能藤先生もちょっと演劇とはレベルの違うカリスマ性を持っている。その様子はとても宗教的で、生き方、宗教、哲学様々な点でコントロールする強さがあり、皆がその価値観についていくようなところがある。
ダンスは長く宗教と密接に結びついてきた。
そんなことを思い返す。

集団で作り上げる一つの世界観。
そこに長くかかわるTさん(元SPAC制作さん)は本拠地台北でも1年に1度くらいしかみることができず、世界へのツアーはあるもののそれほど多くはない、つまり1年のほとんどを身体づくりにあてているというこのカンパニー。静かにそして美しい。

ここ数年ヨーロッパではプロジェクトベースが基本になり、カンパニーに長く所属するダンサーというのが減りつつある。(SPACも年間契約という形態がなくなったと聞く)日本でも様々なテクニックを様々なワークショプで身につけるダンサーが増えている今、このような一つのことにこだわり作品制作を続けるグループは珍しい。身体、そして質感とはどこまで物語ることができるのだろうか。
私でなければ出来ないこととはなにか。


おまけ、
ニヤカムさんカンパニーはあまりにも体型、スタイルがバラバラで、まあ、ある意味真逆な観点ともいえます。

Angels⑤ カメルーン人たちとSPAC俳優さん

Angelsのリハーサルは学校の都合もあり土日限定。
今日はSPAC俳優さんとカメルーン人ダンサーさんたちの交流企画、鈴木メソッド体験会でした。
鈴木メソッドはSPAC前芸術監督鈴木忠志さんがつくった俳優育成メソッド。その一部を体験させていただきました。(SPAC俳優の舘野さんが進行してくださいました。ありがとうございます)足踏みなどアフリカンダンスとも近い何かがあるとニヤカムさんは前々から話していて、いい経験になりました。明日はアフリカンダンスをSPAC俳優さんたちが体験します。

ニヤカムさんのインタビュー(撮影はちょっと前なのですが)は以下に。きのちょこっとでてました。いつの間に!


新しくできたAngelsページはこちら。
http://spac.or.jp/15_yagai_angels.html

SPAC紹介ブログはこちら。
http://spac.or.jp/blog/spac-enfants2015_2

2015年5月18日月曜日

文字起こし中

一期一会山崎阿弥さんの会の文字起こしを行い中。
様々な話しに飛んだけれども、その中で人の振付作品を踊り続けることについて話したところを今日は起こした。ラッセル作品を何十回と踊るのはつらかったなあと。ただし、普通のダンサーさん(同僚たち)はもう飽きてきた、そろそろ新しい踊りを踊りたいといっていたけれど、私は常に自分が満足できる踊りを踊れなかった。記憶力も低いので常に新鮮。そして常に完璧には踊ることができない。そのつらさ。
どれだけ拍手されようと、ラッセルさんが喜んでくれようと、できなかった感は残ってしまい、それは結構つらい。
何がおきてもカーテンコールでは笑うこと、お客さんに感謝する気持ちを忘れないこと、それが最高かつ最大のノーツだったと私は思っている。

お客さんあってのプロフェッショナル。当たり前のことだが、私は本当にプロフェッショナルといえるのだろうかと考えたのはラッセルカンパニー時代のこと。それだけの特殊技能を持っているのだろうか。お客さんを笑わせる(あるいは喜ばす)ことに徹しているだろうか。

コンテンポラリーダンスの表現が多様化するにつれて、プロフェッショナルの意味みたいなものが薄れたときに、そもそもコンテンポラリーダンスのプロとは存在し得るのだろうか?という疑問を持っていた。
ラッセルは「自分たちのしていることは2、3日のワークショップなどで習得できるはずはないし、だから教えを行う意味はない」という方針を持っていて、それはコミュニティダンスに流れているイギリスダンスの主流からは明らかに逆行していた。それは半分くらいはうちのカンパニーメンバーの極端な英語力不足によるものでもある。でも、私はその気持ちがわかるような気がする。

プロフェッションとして成り立たせていくためには特異性が必要で、それと一般への普及というのは全く別な行動である。もし一般への普及という視点を重視するならばファシリテーターあるいは教職者としてのプロフェッションと考えるべきであり、社会に役立つダンスという視点は今後も大事にされていくだろう。
現在かかわっているSPACで行っている作業や、学校への派遣時事業などはある種の公共性において成り立っている。社会のためのダンス。

だがそれとも自分のダンスは乖離しているような気がしていた。これまでもそういわれてきたし、最近自覚できるようになった。私が本来おこなっていることはそれほど社会的ではないし、かなり特異なものであるのを、かなり噛み砕いてかつさも意味がありそうに作っている。お客さんがわかるように、あるいは必要にされるように説明をつけている。

でも本来はダンスとは自らのために行うものではないか。純粋な信仰心や祈りの気持ちかもしれないし、愛情表現かもしれない。そしてそれ故にダンスは続いてきた。私自身の納得できる踊りを踊るためにいるのであって、お客様はそこに立ち会ってしまった人(よくもわるくも)でしかない。そう思ってからはおそらくお客が1人だろうと私は踊り、話しをし、また考えるそういう作業が続いている。
それは経済効果や社会性から外れてしまうし、助成金などもらえなくなってしまう活動だけれど、ダンスとはそもそもそういうものではないか。何度も禁止令が出て、しかしそれを打ち破るかのように様々な騒動はおきてきた。それも結局ダンスは本来全ての人のなかに眠っているがゆえのこと。全ての人が私と等しく踊る人であり、誰かの表現だけが特別ではない。公共性の根拠が見出せなくなってきている。

私が既にみてしまった円をきちんと形にできるように。
支援を受けず闘える力をもてるように。
そして全ての人が表現の可能性に気がつくために。
私は今活動をしていて、多分それは既にダンサーとしてのプロフェッショナルではない領域であるということを感じている。ではなにか。なにものでもない存在になりつつある。


空気を読まないは今年の演劇祭の標語。
でも空気を読めないというのもある。
本当に困っているのは空気を読めないからであり、それゆえに苦労をする。
その元になっている土台からして違う。
読めないということは読もうとして読めないのであり、一生懸命読もう読まなきゃという意識はあるだけに悲劇的だ。
土台が違うなりに海外だとパンダ的に生き延びることが可能だったりする。パンダだから許されることもある。でも日本で土台違う人がいたら結構迷惑だ。それを自覚しつつ居続ける。それはそんなに楽しいことではない。
踊ることはその違和との戦いである。
日本でも、海外でも。結局はどこにいても。




2015年5月16日土曜日

Angels④ カメルーン人にあう

昨日カメルーンから来たニヤカムさんダンサーたちが稽古に合流、一生懸命英語で自己紹介しました。
カメルーンメンバーは女性1、男性5(とテクニシャンさんが1名)。男性陣はヒップホプ、ブレイクなどそれぞれ得意な動きがあり、スパカンメンバーの男の子たちが一生懸命真似する一幕も。
ニヤカムさんもついテンションがあがりがんがんウォームアップをし、ぐったり疲れ果ててしまう始末。明日はきっと筋肉痛。
子どもたちのなかにはフランス語勉強したいという子がいる一方、ブラジルと勘違いしていた子も。ブラジルはアフリカではありません。勉強もがんばらなければいけません。
子どもたちが今日覚えたフランス語
ボンジュール
サバ
アンシャンテ

カメルーンチームが今日覚えた日本語
おつかれさまです

嵐を呼ぶマハ

マハーバーラタ@静岡駿府城公演が今日より。
このリング(環)を作っておこなう形になってから何度かみているけれど、毎回雨にたたられるイメージがある。(宮城さんが雨男という話しもある)
アビニョンでは演奏スペース(リングの下に設定)の屋根が落ち、今日もすごい雨。台風もきちゃったし、舞台班は結構死にそうになっていると思われます。今日は4時頃あまりの豪雨で目が覚めました。

今回は駿府城の天守閣跡にそのリング(アビニョンと同じサイズ)をつくり市民の皆さんにご覧いただくということです。天守閣跡に足場を組み、たくさん搬入の車がやってきたのをみて地元のおじいちゃんが天守閣再建計画がスタートしたと思い込んでいた、なんて話しも聞きます。

昨日よりカメルーンチームが来日。明日はみんなで一緒にウォームアップです。子どもたちびっくりするだろうなあ。



2015年5月15日金曜日

Angels③ 動物園に行く

子どもたちはゴールデンウィークの演劇祭のさなか、リハーサルを積み重ね、5月の発表は20分ほどの作品にまとめつつあります。8月のクリエーションのためのイメージをふくらますためにもニヤカムさんと日本平動物園に行ってきました。日本平動物園はちょうどSPAC舞台芸術公園のすぐ下。毎回とおりながらも私もニヤカムさんもまだ行ったことがなく、動物さんよりヒントをもらいます。
http://www.nhdzoo.jp

ニヤカムさんはカメルーンの民族衣装で登場。歌いながら園内を闊歩する様子は周囲の目を惹きつけます。オラウータンさんと仲良くなり、会話するニヤカムさん。

SPACブログはこちら
http://spac.or.jp/blog/spac-enfants2015_1

余談ですが、ダンスの基本はミミクリ、とイリンクス(模倣と目眩、遊びと人間の分類法より)。動物の模倣というのはダンスの起源に近いところでもあります。そういえば大学時代こうもりをみに動物園いきました。(ちなみに私たちの前の年は猿、、、つまり歴代動物ネタが多かったせいもあります。

土日稽古は5月中続きます。私もしばらく往復の日々です。



カメルーンではオナガザル食べるんだそうです。チンパンジーは人間に近いので食べないそうですが(でも北の方では食べるらしい)、特に長男は頭の部分を食べることになっているそう。(知性をもらうのだとニヤカムさんは話しています)

2015年5月8日金曜日

ふじのくに⇄せかい演劇祭2015

ふじのくに⇄せかい演劇祭2015
さなかのSPAC(静岡舞台芸術センター)にいっていました。私はニヤカムさんのAngels(タカセの夢の続編に当たるSPAC enfantプロジェクト)の野外芸術祭(5月23、24日@清水港)のためのリハーサルだったのですが、そばにいることもあり、いくつかの演目をみせていただきました。昼間に稽古がある(子どもたち企画のため)ため昼の演目(なんとタカセを招致してくださった韓国ミリャンよりいらしているコリペさんも残念ながら)は見られなかったのですが、観ゲネ(台湾)、盲点たち(野外版)、ふたりの女(宮城作品)をみることができました。
SPACを離れたスタッフさんなど懐かしいメンツ(なんと相模大野で働く人まで)も集まり、楽しい時を過ごしました。友人の通訳さんがフェスティバルっていいですねーと話していましたが、舞台関係者、観客、制作様々な人が集まりひたすら語るそんな場所があるというのはとても幸せなことです。

これまでも長いことこのフェスティバルにかかわっていますが、年々規模が大きくなり、特にゴールデンウィークになった昨年より関東圏など遠くからお客様がいらっしゃれるようになったせいか、今年は満席の演目が多く見られました。

演目についてはまた。

山の中から下界へ下りて東海道線でH市へ行きそこからタクシーで40分、授業をして、都内まで、さすがにぐったり。一回寝ます。