2016年11月15日火曜日

ゆーくいについて

奉納の舞も素敵なものがあるけれど、今回私が見なければいけなかったのはこの「ゆーくい(世乞い)」と呼ばれる儀式。

1日目の奉納終了後、皆で根原家にいき、庭で巻歌を歌いながらぐるぐる円になって歩き回った挙句、家の中にいる子供(場合によってはそこそこの青年(30代))を抱え胴上げをしたのち、男性女性の2つのグループに分かれ、向かい合って歌い合うガーリィ(願礼)を行う。(この辺りカオス)
その後おうちに上がらせていただき、お酒(泡盛)と塩、ニンニクとタコをいただき、次のお家へ行く。

これを3グループに分かれそれぞれ5−10件(東、西、仲筋それぞれの役員の家を回るらしい)一晩かけて行う。が、最近はさすがに辛くなってきて夜中に2時くらいには終わって一回小休止を入れるようになっている。(なお、最後の根字さんちではその後飲み会だそうで、ご家族は毎年大騒ぎのようだ)で、5時頃からゆーくい止め(つまりその年最後のゆーくい)、御嶽へ戻り最後の巻歌とガーリィ、そして朝方の神事が始まる。


そう、朝まで続く祭り。
そして朝の神事が終わると日が昇ってくる。

普段私はそんなに早起きではないけれど、こうして静かに朝を待つと、日の光とともに音が増えていくのがわかる。鶏や牛といった動物たちの鳴き声。人々が目覚め活動を始めるまで。
時々夜明けを待ちながら、こういうちょっとした感謝の時を私たちは忘れてしまっていたりする。ほんのちょっと厳かで、しゃべるのを止めたくなるようないとおしい時。

そんな時間を共有するような踊りを作りたいと最近思う。
(すでに透明な家具で4時間半というのは経験済みだし、ヴェクサシオンのような朝までとかもあるんだけれど、これはガチで)

日はまたのぼる。


笑いについて

種子取祭は2日に分けて行われる奉納がメイン。
島を3つに割り、玻座間(さらに東と西に別れる)が1日目、仲筋が2日目を担当。庭での演目は両日同じだが、それぞれの舞台で行う狂言、舞は別のもので80近い演目が上演される。

狂言。
そうお芝居がメインにある。セリフは全て竹富の言葉なので、私のような新参者には解読不可。「芸能の原風景」なる台本集を購入、あらすじなどを把握する。なお、会長さんの挨拶などもすべて島の言葉ですることになっているらしいが、あまりにも使っていないので、覚えるのが大変で、紙に書いてきたり、途中で標準語(と言っても沖縄訛り)になってたり苦労している様子がうかがえる。

私自身の作品には笑いの要素はひとかけらもないが、私の周りにはなぜかユーモアの要素に長けた人が集まってくる。教えた子たちも皆。羨ましい限りだが、こればっかりは教えられるものではないので、きっと私を反面教師にして学んでいくのだろうと感じる。人に見せる作品を作る上でユーモアのセンスは大切だと思う。単純に何かしでかせばいいということではない。何をしても大丈夫という安心感と信頼関係がなければ生まれない。そして多分対象に対する何らかの愛情のようなもの。

今回1日目に「ボーイズ」なる70代以上の男性5人の音楽劇が登場。これは66年ぶりの復刻だという。音楽劇だというが歌ってるんだか叫んでいるんだかだんだんよくわからなくなってきながら、皆を笑いに導く。60年も一緒にいりゃあ、もう息もぴったりだよね、何やってもいいよねとやりたい放題。でもそういう関係性はちょっと素敵だと思う。
とりあえずお年寄りたちがすごい元気だという衝撃。
翌日の新聞記事にまで載ってしまったおじいちゃんたち。かなり可愛い。

島へ行ってきました

静岡の子供達が大道芸フェスティバルで盛り上がっている頃、私は竹富島という島にいました。

この竹富島、種子取祭という民俗芸能にかかわるなら是非一度は見るべきだと前から言われていた有名なお祭りがあります(正しくは1年じゅう何らかの儀式が続いており、祈りのクライマックスのようにこのお祭りがあります。この島自体が祈りの島であると言った方がいいかもしれません)

静を作成する時に習い始めた「綾子舞」を教えてくれていた民俗舞踊研究者須藤武子さんが10何年かぶりに行くというので(高齢ということもあり、体調がなかなか優れず、昨年も諦めていた)同行させていただき、様々なお話を伺いました。

静に限らず、私は舞踊には本来祈る気持ちがなければ成立しないと考えており、それが神であれ、仏であれ、自然であれ宗教行為に近いものなのではないかと考えています。ここにはない何者かの存在を感じながらそのために舞うのが本来で、観客のために踊るようになったのはごく最近なのではないか。
そして本来は神に見せるためのものとして技芸を磨くようになり、それが伝承されるような仕組みも生まれていった。
もちろん現在も素晴らしい民俗芸能があり、神楽など大変素晴らしいのですが、私はその元を知りたい。ここ数年数ある芸能の中でも特に集団での熱狂を生み出すものを中心に観に行くようになりました。コミュニティを形成し、継続していけるのは芸能の持つ力ゆえ。民俗芸能の残る土地は大抵島や、山間部など非常に不便なところです。でもそのような生きるのに困難な場所だからこそ祈ることを続けることができたのではないか。

残念なことに学校があるため9日間にわたる全ての日程に参加できるわけではありません。一番盛り上がる奉納の2日前より見させていただきました。
竹富島は石垣島よりさらに南。人口360人の小さな島です。
島では米は作れません。かつては隣の島まで出稼ぎならぬ出稲作をしていたのだそうで、粟を食べていたとのこと。その名残でついたら「いいやち」なる粟餅のようなものを作るところからスタートです。
泊めていただいた民宿の方がとてもよくしてくれて色々教えていただきました。

港のそばのゆがふ館では島の歴史を学ぶことができます。(後から聞いた情報だと映像資料がたくさん残っているそうで、それを是非見たいと思っています)

竹富島は景観保護をしているので家並みがとても美しく(特に祭りのため道路にも砂が撒かれる)、観光客も多数います。某Hグループのリゾートホテルも建ち、石垣島にLCCが来るようになった影響もあり、観光業はかなりの潤いを見せています。若い人の移住も増えているようで、(しかし某Hリゾートさんの従業員は石垣から毎日フェリーで通うのだそうです)活気を感じましたが、かつては2000人くらいが住んでいたというので、大分少なくなっているとは言えそうです。
小中学校は島内にありますが、高校からは石垣(あるいは沖縄など)に行かねばならない、そして帰ってこない、というのも大きく影響しています。(これは鳥取でも同じようなことが言えそうです)

人口が減ると祭りの継続が難しくなるのですが、現在のところ石垣、東京などにある竹富の郷友会の皆さんが参加したり、支援して続けているとのこと。狂言の衣装などそれなりにお金もかかるため、観客の寄付(お花代というのでしょうか)や郷友会のサポート、そして村の税金などとは別に集めているみんなの出資でなんとか持ちこたえてはいますが、なかなか厳しいのだそうです。(お話を聞いた方には「人頭税じゃないけれどさあ」と言われる)

ただ、このお祭りに参加するために多くの竹富人たちが島に戻ってくることもあり、この祭りをなんとか継続していこうという意識が見えます。この辺りについては鳥取大の家中先生がきっとまとめてくれるだろうということで、置いておき、祭りについて次は書こうと思います。




今後の予定(2016.11.15)






Amanogawaプロジェクト鳥取編

10月21日地震に遭遇した鳥取県民、しかし落ち着き払っており、大きな混乱もなく、現在はほぼ通常状態に戻ったと言えます。
が、それは本当だろうか。倉吉には今も50人近い避難生活を送る人がいて、ブルーシートで冬は越せるのか?など問題は山積み。
ボランティアセンターに行って話を伺うと、我慢強くシャイな鳥取県民は遠慮してしまって要求やお願いをまず言い出さないと施設の方。「いえ、亀裂入っているんだけれど、大家に倒れてないから大丈夫と言われた」(主婦)「下手に修理頼むと予算が出ないかもしれないから、こういうところ(公民館前)の工事とかは後回しになっちゃうんだよね」(右の亀裂の公民館の方)などなかなかすごいことになっています。死者のでなかった今回の地震。それはなぜか。そして本当のところの被害は実はその亀裂のように後からじわじわ出てくるものなのではないか。(11月15日現在)
少しずつ通いながら撮りためていこうと考えています。




ダンスハ體育ナリの続編について

現在、再来年2月に発表できるように頑張ろう計画が進んでいますが、鳥取大学地域学部の教養科目として「グローバル時代の大学」で1時間担当し、お話させていただきます。
明治期の運動会、体操の変遷をたどりながら、オリンピックまで話を膨らませて「体育」がスポーツへと変わりつつある流れを学びます。
今回はダンス関係者ではないため、大野さんのお話はありませんが、西洋的近代的身体を作り上げるために生まれた体操にフォーカスを当て、日本人の「揃った動き好き」について考える内容を目指しています。


一般の方向けには来年1月Hospitaleにてレクチャーを予定しています。


(上の写真は「新しい朝が来たーラジオ体操の50年の歩み」より)