2015年9月28日月曜日

杉劇リコーダーず

杉劇リコーダーず
その名前を覚えている人はこのブログをよむ人にどれだけいるだろうか。
「かめりあ」2010年の発表時に杉田劇場に活動しているリコーダーグル−プにでてもらった。アウトリーチ活動の一環で伺ったわけだが、面白いことに65歳以上と小学生という謎の組み合わせのリコーダーグループ。歌も好き。そこで彼らの代表作を並べ、構成し、「こどもたちのうまれるとき」という作品を作成した。
この「かめりあ」のテーマが年を経ること、そして伝え残していくことということもあり、よい出会いだったと思う。
その後その「こどもたちのうまれるとき」は定期演奏会、新潟など様々な土地で再演を繰り返していた。なんと今年は沖縄に行くのだという。先日別件で館長さん(中村牧さん)にお会いし、その話しをしたら杉田劇場は10周年になるのだそう。館長さんは一度某Mホールに出ることになり、どうなることかとおもいきや、リコーダーずはちゃんと続いたのだという。(現在中村館長は杉田劇場に戻っている)

リコーダーずはアマチュア集団である。
しかし様々な土地に楽しみながら上演しにいき、気がつけば上手くなり、を繰り返している。楽しいから演奏し、歌い、踊る。まさしくコミュニティダンス(プレイ)の集団である。大体月に2、3回はパフォーマンス機会があり、正直実践で練習(笑)でも細かいことは気にせず、どんどんでていく。杉田のみならず磯子のイベントには引っ張りだこ。
10年が経過し大人年齢は85歳まで広がった。子どもたちも卒業し、中には大学生になっている子もいる。さらに音楽系の大学へいった子もいる。つまり、その子たちが今度はサポートにきてくれるようになった。あのときのひとりとりのこされていじけるサノくんは高校生だ。
ここ数年公共劇場のアウトリーチ等を調べていて、3年の壁があることに気がつく。行政支援が受けられる3年、その後くじけてしまう。総合型地域スポーツクラブもそうだが、長期目線での支援が必要で、それは経済的なもの以上に人的サポートが必要になる。
杉田劇場は当時から音楽出身者が集まっている独特の布陣で、地元を巻き込みともに歩んできた。館長さん自身もピアノを弾き、そして皆を持ち上げてきた。それは最先端の劇場芸術とはまた違う芸術のあり方だと思う。しかし、その輪が芸術を支えている。
公共劇場の有益性をはかるのは難しい。芸術や教育の結果は計測できない。しかし、このような継続性は確実に1つの意味をもつ。
私が関わっている静岡SPACenfantも6年目になる。このように長く中高生育成事業を続けれているところは少ない。しかしその続けていることがまた1つの価値を作り出していくのではないかと私は考える。学校の他にかえるべきところがある人生はちょっとどころかすごく幸せだ。彼らが戻ってくるためにも、この事業は続いてほしいと思っている。

劇場がコミュニティの中心になる。
街の人が集う劇場づくり。
杉田劇場のちょっとすごいところは、皆で自立しながら維持しようとがんばってきたところ。たかが10年、されど10年。10年の時間を素敵なことと思う。

Angels⑭ 大道芸にむけて

11月1日静岡大道芸ワールドカップ
SPACenfantが登場します。(ワールドカップは10月31から11月3日まで続くのですが、子供たちは学校の都合上11月1日限定です)現在ニヤカムさん不在の間、スカイプとメッセージを駆使してのリハがうらで続いています。
http://spac.or.jp/news/?p=11538

静岡の大道芸はここ数年拡大している大イベント。そんなこともあり、子どもたちが合流することになりました。ニヤカムさんからの指令をもとにああでもないこうでもないと模索中。

1ヶ月ぶりの稽古では身長が大きくなっていて衣装きれない(スカート短すぎ)などがおこり、早速成長期のこどもたちのすがたを目の当たりにしました。楽しみ。


2015年9月25日金曜日

ダンスのための6人vol3

ダンスのための6人vol3無事終了しました。

アラフォーダンサー6人、色濃いメンバーが集まりました。
7年ぶり、15年ぶり(ちなみに吉福さんや福留麻里ちゃんいはじめてあったのは2002年、STでのことです)という懐かしいメンバーに出会えたのは本当に嬉しかったです。そして皆かわっていないことに驚きと嬉しさを思いました。人の本質はそう変わらない。それぞれにブラッシュアップはされているけれど、でも本質は同じ。公演中にもいろいろお話できたりして。そのかわらないが素敵だと思いました。10分という時間はあまりに短く、難しいです。でもそこに凝縮された思想というか生き方がみえたような気がします。
映像は初日のもの。でも大きく変わりました。みれなかった人は残念でしたね。毎日の変化を見つつ話しつつ過ごせた時間はある意味宝物。それに気づいて急遽リピーター割引を設定しました。ダンス公演にロングランはなかなかないのですが、本来は口コミなどで広がっていくはずで、そういう面白さ大事にすべきという考えからです。
ミョンフィさんは毎回異なる即興(事前にコンセプトを音響、照明と打ち合わせをする)曲、照明、衣装全て異なる6回。
太田さんはすごい緻密につくられているのに(曲もある)、最後だけが毎回異なる。
そう、それらを毎回みながら、ああだこうだといいあいながら進んでいくその日々がすごい面白い。
吉福さんスタジオあればこそのこの企画なのですが、贅沢すぎる、幸せの時間でした。美味しいケータリング(1日目は豆ご飯と豚汁、2日目はもずくスープとちらし寿司)。ありがとうございます!

”フィボナッチの憂鬱”
珍しく楽しそう、うれしそう、女の子っぽいという感想が聞かれる今作。
珍しくスカートはいてるし!
今回吉福さんに10分だし、こういう場所だからふだんやらないような冒険もできるのではといわれていたこともあり、暴挙(?)にでました。ミョンフィさんも普段はすごくつくり込む作家さん(と少なくとも私は思っていた)し、まりちゃんもひとり、即興ってなかなかないし。皆がそれぞれに課題を持って冒険に出ている今回。ある意味、全く異なるアプローチで挑みました。が、私の場合、実はセッションハウスで発表した”En attendant,,,,"と兄弟のような構造になっています。両方みた人にしかわかりませんが音か光か、静か動かの違いです。詳細またブログにて。まだかけていませんが。後日!

終演後即とった写真。木野の手の長さをいかして(?)自撮りしました。

2015年9月21日月曜日

ダンスのための6人初日あけました

ダンスのための6人 vol.3初日あけました。

初日撮影してくれていた宮部さんが映像をおくってくれました。

ダンス公演では珍しく、5回も続く長丁場。
ゲネもあるので、毎回お互いみながら変化を楽しめます。
ミョンフィさんなんて毎回何がでてくるか、わかりません。
緻密に作り込んでいるゆかりさんだって最後の間等にこだわりが。
そんなわけでリピーター割引ができました。
各回くるごとに500円がひかれていきます。
ある意味画期的な制度だと思います。

ダンスを踊りつづけている人って大抵何かの問いを持っていて、(問いを持っていなければ途中でやめれるはず)10年ぶりとか7年ぶりとかであうけれど、皆かわらずといつづけている。多分そういうことなんではないかと私は思います。吉福さん曰くこのシリーズはアラフォー以上限定で声をかけているらしいのですが、確かに、からだからその人のダンスの歴史がみえてきます。

2015年9月17日木曜日

カトルカール

9月12日 セッションハウス カトルカール
セッションハウスオーナー伊藤さん曰くダンスの女子会。
経験を様々につんだダンサーの4作品上演。書く作品は20分。
2週目にあたる私の週はなぜかソロ作品が三つと札幌からやってきたグループワーク。


札幌からきたのは渡辺倫子さんチームで、大学時代の友人と高校時代の友人が来ておりました。まさかここであうとは!(偶然だそうです。伊藤さん曰く)

セッションハウスは大学時代からお世話になっている場所であり、現在も大学同期がカンパニーマドモアゼルシネマにて踊っています。懐かしい!



伊藤さん(旦那さんは写真家さん)によるブログはこちら。
http://fromstaff.exblog.jp/22168503/
10月4日には珍しくワークショップもやってしまいます。ほんとに珍しい。



En attendant,,,,,についての解説は後日。改めて。

2015年9月13日日曜日

En attendant,,,,,テキスト

本当は当日終演後配ろうと思って用意していたテキスト。配りそびれてしまったので、ここにアップします。

En Attendant,,,
フランス語で「待っている」。もともとはサミュエルベケットの戯曲「ゴドーを待ちながら」を想定してこの作品を作りはじめ、待ち続けること、そして永久に繰り返されるだろうことをテーマにとりあげようとした。
今回このエッセンスを借りつつ戯曲そのものからは離れることとした。これは著作権法上の理由もあるが、20分のダンスで物語るにはあまりにも複雑すぎる。
かわりにタゴールの「ギタンジャリ」102番の詩をテキストとしたい。
わたしはあなたを知っているといって、人びとの間で自慢した。わたしのすべての作品の中にあなたのすがたが見える。人びとがきて、私に訊ねる、「あれは誰?」わたしはどう答えてよいかわからない。わたしはいう、「じつはわからないんだ。」人びとはわたしを咎め、さげすんで立ち去る。そしてあなたはそこにすわって微笑んでいる。
わたしはあなたの物語を永遠に続くうたにする。わたしの胸から秘密がほとばしり出る。人びとがきて、わたしに頼む、「うたの意味をすっかり教えて。」わたしはどう答えてよいのかわからない。わたしはいう、「ああ意味なんてわからないんだ。」人びとは笑い、ひどくさげすんで立ち去る。そして、あなたはそこにすわって微笑んでいる。(川名澄訳)
この作品の土台となった「Mobius」の共同制作者であるHugues Vincentと作曲者である上地正彦(「Amanogawaプロジェクト」より)に感謝する。また、この作品を初演する機会をあたえてくれ、自身も舞台に上がってしまったHeide Moldenhauerさんにふたたびお礼をいいたい。


祈りをこめて。                                2015.09.12 木野彩子

2015年9月9日水曜日

セッションハウス照明下見

セッションハウスさんの照明下見

セッションハウスさんはコンテンポラリーダンスの老舗的小劇場。神楽坂にあるスタジオ兼劇場とギャラリーで、わたしが大学時代(つまり今から20年くらい前)から平日はレッスンスタジオ、土日は劇場として伊藤夫妻が経営しています。コンドルズや水と油もここがなければ生まれなかった伝説の劇場。わたしにとっては懐かしの劇場でもあります。

ここは平日クラスを行っていることもあり、下見等は夜9時以降。(ちなみにマドモアゼルシネマの稽古も結構遅いらしい。大学同期が在籍中)今週は金曜もそんな感じでかなりハードな日が続きます。正直学校にとまろうかと迷い中。(不幸中の幸いは明日のお仕事が台風で休講になりかなり癒し。学生さんにあえないのはちょっと残念なのですが、このいろいろ間にあっていない状況ではよしとせざるをえません。来週がんばるよ、ということで。)

今日は札幌チームの弦巻(高校時代の友人)、ベッチー先輩(大学の先輩)などにはお会いできなかったのですが(遠方ということもあり、前日から参加)他の作品をみせていただきました。なぜかソロ作品が3作品、札幌作品は大グループ。集客考えたら間違っているグループ編成。ともあれ、全く違うタイプの3作品が並びます。

本日スタッフさんとも初顔合わせ。なんと音響さんは超ご近所。そして照明さんも小田急沿線(うちより遠い)。今回のダンサーさんも横須賀と浦和、みんな遠い(笑)。それだけダンス業界は狭いということでもあります。
照明さんにいたっては高校時代の友人照明さん(オーランドー)と知り合いらしいという衝撃。そして舞台監督は大学の後輩(笑)世の中狭すぎます。

さて、余談ですが
実はこの1週間セッションハウス2階ギャラリーでは写真展が行われています。炎上等がありあまり大きく報道していませんが、ぜひみるべき写真展です。先週のカトルカールを見に行ったときに特別に閉店後のギャラリーをあけてみせていただけました。12日はイトーターリさんとのトークがあるとのこと。わたしはリハーサル等の関係で見に行けないだろうとは思っていますが、お時間あればぜひこちらもみていただきたいと思います。



セッションハウスHP:http://www.session-house.net







2015年9月5日土曜日

Botanica 松野崇展

静岡のアートスペースBotanicaさんにて急遽行われたパフォーマンス。

2015年8月22日(土)
ダンス:木野彩子
音楽:堀池龍二

予定されていたダンサーさんが急にこれなくなったとのことで、急遽頼まれました。それもパリにいるはずの大谷さん(ベルタンポワレ)が帰郷中(静岡出身なのです)でそのつながりでよんでいただきました。
エロスワールド全開な感じなのですが、本当は肖像写真で有名な方。(静岡の老舗写真館の2代目だそう)4階の小部屋は肖像写真で満たされており、そちらの写真の方で私は踊ってみたかったなあと思ったりもしました。様々な職業、年齢の人の写真が並んでいるのですが、10歳を1秒のシャッター時間とし、60歳なら6秒かけて1枚の写真を撮ります。年齢に応じた深みをみることができます。



ボタニカさんの詳細はこちらhttp://kinza-botanica.com

 ちなみに左手が堀池さん、右手は松野さん、そしてこれははじめる前の図。

 入りきれないので本来舞台面のはずのところにもお客さんがいるという状況。あまり広くはありません。
終了後に(なにかすごい目が据わっていますが)対談中。
お客様の多くが写真関係者で、この写真も銭谷均さん(松野さんとは古くからの友人)がとってくださったもの。

松野さんちょっといいことをいってくださって、
僕たちの活動は形にのこるんだけれども、あなたのやっていることははーとを動かすことなんだ。形にのこらないけれどもこころにのこる。
こういうときにね、とった写真は記録にはなるかもしれないけれど、作品にはならないんだよ。だから今回はとらない。ここでみたものがすべてだから。

そんなわけで、松野さん写真ではないんです。