2018年9月20日木曜日

機織り

死者の書の中では郎女さんが機織をするシーンが印象的にえがかれている。(やぶさんがフレームドラムで演奏してくれている)

アンケートやアフタートークでの質問に出てきたように夕鶴を思い出す人も多い。(ただ機織りだったからではなく、コウノトリもどきが鶴っぽかったせいかもしれない)神話や昔話には機織や刺繍などの針仕事をする女性が多く出てくる。わかりやすい例では七夕などもそう。女性の仕事として認識されていたことの表れだと思う。
実際にチクチク、(残念ながら私は機織をしたことはないので刺繍や手縫いをしているときの感じ)作業していると、結構集中し、あっという間に時間が過ぎる。黙々と郎女はおもかげさま(俤様と変換される)を思い、念をこめていく。曼荼羅の中には黒い糸の部分(特に梵字)髪の毛を織り込んだりするものも多いのだそう(奈良国立博物館の展示)。あちこちに心が飛んでいかないように、走り出してしまわないように、無事を祈り、織り続ける。

(でも郎女さん走り出しちゃうんだけれどね、と言うのを鳥を追っかけながら杼となって糸の間を走り抜けるということにしました。作品中ずっと私は走り続けています。)


ちゃんと今やるべきことをします。

とりあえず岡山でアメノウズメです。(機織のアマテラスではなく、足踏みの方がきました。目覚めさせます)

2018年9月17日月曜日

死者の書再読@城崎to 鳥取15日目

死者の書再読@城崎15日目

通常2週間の区切りなのですが、連休ということもあり、この日までの滞在にしていただいた15日目。昨日入りそびれた(打ち上げがあったのです)お風呂に行き、皆様を送り出し、温泉寺さんへご報告とお礼に伺い、そしてジオライナーで帰ってきました。

少人数で動かしていることもあり、昨日終わらなかった撤収も、リノ巻までお手伝い。心強いスタッフさんに支えられています。小林くん、友松さんありがとう。友松さんが色を塗ってくれたコウノトリもどき(試演会の前にこれはコウノトリではない!とコウノトリ偏差値の高い城崎町民に止められたのでただの鳥)は結構人気で(実際2回のアフタートークどちらでも触れられるという)、電車に乗って鳥取まで来ることに。注目を浴びながら、飛んできて、現在は大学に。次回までに改良が重ねられるのでしょうか??

無事に試演会まで持ってこられたのも、城崎の仏さまのおかげだろうということで山を登り、温泉寺に。はじめに伺った場所に再び行きました。前回は雨ということもありロープウェーだったのですが、歩いて登るのおすすめです。カンパニーダンサー時代から訪れた土地では必ず丘や山に登っているのですが(仕込み日や移動の前などふとした空き時間に)教会やお寺、神社の多くは山の上から静かに町を見守っていて、一番いい場所に作られていたりするものです。この街に感謝を。

そして何よりアートセンターの皆さんと、死者の書メンバーの皆さんです。
遠方から来られている方ばかりなので、出発時間もそれぞれで。一人一人お見送りし(でもやぶさんは今日もワークショップがあるので城崎に残っています)、その際に任命証を渡されました。(市長さんネームです)
ここに滞在したアーティストたち(そしてインターンなどの学生もまた)は城崎の宣伝に努めるという任務を引き受けるのです。なんと!
市長さんはなんだか気に入ってくださったのか1日目にご覧になった後、2日目打ち上げの席にもお越し下さいました。差し入れもありがたいことです。冒険者の話(植村直己の記念館もあるのです)として目標に向かって着実に一歩ずつ歩み続けることの大切さと、信じることについてお話し下さいました。ある種のビジョンやシンボルを見出すことは人のみが持つ力ではないかと。

ともあれ、ここで作った作品がお外へと飛び立つのであればそれもまた城崎の宣伝になりますよね。きっとまた遊びに行きます。山陰アートネットワークつないでいきましょう。今後ともどうぞよろしくお願いします。

遠足はお家に着くまで続く。
そんなわけで、これからお家に帰ります。
その前にチラシの入稿。

死者の書再読@城崎14日目

死者の書再読@城崎14日目

城崎での滞在制作も最後。今日は2時からの本番後、ばらし、片付け、などなど。

今日の公演では2回(ただしくはそのあと何個かキューが飛んだり戻ったりしたので複数回)照明がふっと消えるというアクシデントが起こった。あ、きちゃった。と思わずぽつりと呟いた。

これまでも何度か音がなるとか火災報知器がとか、色々言われてきたけれど、みんなわるさはしていない。なんか喜んでるのかもと思い、好意的に受け取ってみる。
わたしは霊感が全くない(と思う)けれど、ずっと何者かと踊ってきた。それは今も昔も変わらない。

舞台とは見えないものを見ようとして多くの人が試みてきた場所。
音楽家は音楽で、踊り手は踊りで、照明家は光で、どうしたら良いかと模索する。それらの実験を試みれることがいかに豊かなことか。まずはこの城崎で試みることができた事、この場所とサポートしてくださった皆様に感謝です。
たくさんのコメントやアンケートの記述、とても嬉しく思います。これらを羅針盤にこの旅は12月まで続きます。
再び読むというのは私が折口の本を新解釈するという事だけではなく、これを見た観客も読んで見たくなってしまうような作品のようでそこで生じる再読、さらに言うと、私たち出演者達はまたこの本を読み返しなおすと言うそこに行くようです。
再読の再読の再読、、、連鎖が続いて行くのです。
1年半前につけた適当な(すみません)タイトルが、ここできかせてくるとは。

そんなわけで、再読タイムスタートです。


2018年9月16日日曜日

死者の書再読@城崎 プログラムノーツ

はじめに
『死者の書』は民俗学者であり国文学者、かつ詩人でもある折口信夫(おりぐちしのぶ)が遺した小説です。タイトルからおどろおどろしいイメージを想起してしまいますが、当麻寺に残る曼荼羅を織り上げたという中将姫の伝説が元になっているファンタジーなお話です。
 時空を超えて心惹かれる男女の恋物語とも受け取ることもできます。
 民俗学者としての知見を取り込んで、史実(及び伝説)を踏まえていますが、彼自身の恋心を込めつつえがかれており、最終的に小説という形で仕上げています。
 近代以降、私たちは目で見えることばかりが全てだと思うようになっています。でもはるか昔から私たちの祖先は、死してのちの世界や霊の存在を信じ、様々な宗教や哲学という形でその智慧を磨いて来ました。死を思うこと、それらは私たちの生活を豊かにし、まただからこそ今、生きている時を大切にしようと思えるようになります。
 芸能の歴史はこの見えない世界をいかに現出するかということに力を注いで来ました。たとえば世阿弥は複式夢幻能という手法を編み出し、あの世から訪れる霊を後シテという形で生み出しました。クラシックバレエでもジゼルやラ・シルフィードを思い浮かべればわかるように妖精や精霊が登場して来ます。民俗芸能でもその多くは求愛や祈りに起因するものですが、鬼などの形でこの世のものではない異形のものが現れます。
 楽しい、面白いということを超えて、今の時代だからこそ必要な“もうひとつの世界”を折口さんの言葉から読み解いてみようと考えました。小説は結構難解です。映画のコラージュのように何層にもレイヤーが張り巡らされており、しかも編集されている。でもその言葉の迷路を踊りと音楽の力で超えられないか。この張り巡らされた迷路は折口さん自身の心を隠そうとする防御とも見え、それを一枚ずつはがしてみます。
 このお話は2つの世界が重ね合わせられていますが、その理解のためには私自身がその両方の立場を演じてみる必要を感じました。男性性と女性性。全く異なる世界を持つ音楽家2人に協力をお願いし、この2つの時空を超えた世界が出会う瞬間を作り出そうしています。
 おそらく最後にあらわれる純粋な心が今の世の中に必要なものなのではないか、そんなことを私は思います。相手の幸せを願い、どうにもならず走り出してしまう郎女はきっと折口自身であったのだろうと。(本人も中将姫になって書いたとエッセイに書いています。)そしてそういう想いによってしかこの世の中は動いていかないのだろうとも。
 この作品を見て原作を読んでみたくなったら嬉しく思います。折口さんの言葉の持つ力をぜひ直に体験して見てください。

あらすじ
平城京の都の栄える頃のこと、春の彼岸中日、二上山(ふたがみやま)に日が落ちるとき、藤原南家の郎女(いらつめ)は尊い俤びとの姿を見た。それ以来、千部写経の成就に導かれ、非業の死を遂げた滋賀津彦(しがつひこ)を思い、「おお、いとほしい、おさむかろうに」と蓮糸で機をおり始める。できあがった巨大な布に尊い俤びとと重なるその姿を描くことで曼陀羅を完成させ、全てを成し遂げた郎女は、さまよう魂を鎮め、自らも浄土へといざなわれていく。





シーン1滋賀津彦の世界
うた:杵屋三七郎、おどり:きのさいこ
 ひさかたの 天二上に、我が登り 見れば、とぶとりの明日香 ふる里の 神無備山隠りかむなびごもり、家どころさはに見え、ゆたにし 屋庭やにはは見ゆ。弥彼方いやをちに見ゆる家群 藤原の朝臣あそが宿。
 遠々に 我が見るものを、たかだかに我が待つものを、処女子をとめごは 出で通ぬものか。よき耳を聞かさぬものか。青馬の耳面刀自みみものとじ。刀自もがも。女弟もがも。その子のはらからの子の処女子の 一人 一人だに、我が配偶に来ね。
 ひさかたの 天二上 二上の陽面に、生ひををり 繁み咲く 馬酔木の にほへる子を 我が 捉り兼ねて、馬酔木の あしずりしつつ、吾はもよ偲ぶ。藤原処女
死者の書4節に出てくる詩。当麻の語り部の姥が神懸りして語る。

シーン2郎女の世界
うた:やぶくみこ、おどり:きのさいこ
春のことぶれ
歳深き山のかそけさ。人をりて、まれにもの言ふ 声きこえつつ
年暮れて 山あたたかし。をちこちに、山 さくらばな 白くゆれつつ
しみじみとぬくみを覚ゆ。山の窪。あけ近く さえしづまれる 月の空かさなりて 四方の枯山 眠りたり。
目の下にたたなはる山 みな低し 天つさ夜風 響きつつ 過ぐ
せど山へ けはひ 過ぎ行く 人のおと 湯屋も 外面も あかるき月夜
折口信夫が昭和5年に刊行した第二歌集『春のことぶれ』にあった表題詩から一部抜粋。(釈迢空全歌集より)

シーン3郎女の失踪
演奏:やぶくみこ、杵屋三七郎、おどり:きのさいこ

シーン4忍び寄る滋賀津彦の影
こえ:杵屋三七郎

シーン5白玉から郎女の2度目の失踪
演奏:やぶくみこ、杵屋三七郎、おどり:きのさいこ

シーン6機織り
演奏:やぶくみこ、おどり:きのさいこ、鳥:杵屋三七郎

シーン7曼荼羅を描くということ
演奏:杵屋三七郎、やぶくみこ、おどり:きのさいこ

 すでに死した人である滋賀津彦(大津皇子がモデルとされる)の世界を舞台の左手に、今生きている藤原南家郎女の世界を舞台の右手に設定しています。滋賀津彦の言葉を杵屋三七郎さんに、郎女の言葉をやぶくみこさんにうたっていただいています。

死者の書再読@城崎13日目

死者の書再読@城崎13日目

なんとか無事初日の幕はあき、毎日の変更に関わらず、皆さん頑張ってくれ、良い感じの1日目となりました。明日もあるので、あまり遅くならないよう。

チラシの絵を描いてくれた小川さんが絵を額装して送ってくれ、アートセンターに展示して見ました。そして死者の書関連本も置いて見ました。漫画から文庫本、折口関連の研究所のほんまで。当日パンフレットも作成しました。(簡易版だけれど)

終了後のアフタートークでは様々な質問が出され、熱心に見てくださっている(アンケートの回収率も異常に高い)ことがとても励みになります。またあした、良い舞台になるよう備えて早めに寝ようと思います。

城崎と鳥取では舞台機構が異なるため、同じ演出にはなりません。つまりここでは明日まで。ぜひお越しくださいませ。


2018年9月15日土曜日

死者の書再読@城崎12日目

死者の書再読@城崎12日目

本日はゲネ。
でも明日の本番でもやらないペイント実験付きなのでハードルがかなり高いゲネ。KIACの皆さんが見てくれました。そうなんです。完成形はあくまで鳥取。
鳥取舞台監督の北方さんの支えにより(でも明日からは海外渡航で京都に戻ります)、なんとか見えてきたところで、長めのミーティング。まだまだ先は遠いです。

プログラムノーツも簡易版ながら書きました。(今日15日になってしまったけれど)
さてさて頑張りましょう。
これから来ようか迷っている方、日曜日の方がおすすめとのこと。お待ちしております。

おまけ:今日発覚したのは山陰ジオライナーの宣伝も兼ねて2人以上でJRで城崎や豊岡に鳥取からいくと(もしくはその逆)半額かえってくるのだそう。すごいキャンペーン。と、いうわけで2人以上でお越しになるのおすすめです。

2018年9月13日木曜日

死者の書再読@城崎11日目

死者の書再読@城崎11日目

今日は舞台北方さんが登場。本番の日はいないけれど(鳥取は担当)応援に駆けつけてくれる。ありがとう皆さん!
吉田さんが作ってくれたカレー(一年ぶりくらいらしい)に励まされ、スタッフさんはフル回転の1日。舞台の仕組みも昨日からだいぶん変わりました。(そもそも演奏家舞台上にのらない案になったことはかなりの変更点でした)
スタッフさんに色々任せられるようになり、どんどん改変作業が続いていく。今日の通しでは照明がつき、また雰囲気がだいぶん変わることに。

最近個人的には郎女るという動詞ができつつあり、どうにもならなくなって走り出しちゃう状態を指し、それをちゃんとスタッフの皆さんが捕まえていてくれているというありがたい状況。心強い限りです。
本当に郎女ってしまわないように気をつけなければいけないのですが、クリエーションとしては順調かもしれません。

明日はペイント実験付きゲネ。
もはや毎日本番仕様。それができるのもこの場所の強みかと思います。




死者の書再読@城崎10日目

死者の書再読@城崎10日目

午前に鳥大学生さんへのお話の時間があり(フィールドワークという授業です)、城崎アートセンターの橋本さん(現在死者の書担当)がこの仕事を始めることになったきっかけなどを聞いたりして私もお勉強。熱心な学生さんで感心する。

照明三浦さん到着。
インターンの学生さん(しかも自分の後輩にあたる子達らしい)合流。それもあって
通しを行い、それに合わせて大幅変更。

普段作るときはずっと決め切らないままゆるゆる何回も繰り返しながらいつのまにか収まるところに収めるという形を取っている。今回はいろんな関わりがあるため、早めに固めはじめているが、私は一度決めるとそう簡単に変えることができない。なので、この短期間で一気にというのが結構難しい。非常に不器用だと自分でも思う。
作品の中には必ず緩めているところを作っていて、構造を作ってあとはカラダ放り込むだけという作り方をする(ダンスハ体育ナリシリーズなんかがその例)のが、真逆の今回はちょっと手間取っている。

これまでやっていた照明実験を元に、明日から仕込み、毎日実験の日々。

どうでもいいけれど、治療中の歯が抜けてしまう。でもそのまま進む。
ここのところ、大事なところで歯が抜けるというのが続いている。そしていつまでも治せていないという。


2018年9月11日火曜日

死者の書再読@城崎9日目

死者の書再読@城崎9日目

アートセンターは火曜日が休館日。少しのんびり。
杵屋さんには是非とも行っていただきたかった出石の永楽館さんをご紹介。ここはいいです。愛之助さん歌舞伎で知られていますが、公民館的に一般にも貸し出していて、同窓会やカラオケ大会などにも利用されているのだそうで、和物を作りたいなら穴場です。

昨日の三浦さんより与えられた司令(実験)を行いながら、これ、これ、と一つ一つ決定事項を出していき、時間がないなりに着々進んでいきます。(三浦さん本体はまだ東京)
シートを広げて、テープを貼ってとか垂れ幕垂らしてとか照明決めたりとかその作業一つ一つを自分の手で作っていくことが多分私にとって、この死者の書にとって大切なタスクで、まさしく織物織っている状態。コツコツコツコツ。(杵屋さんは部屋でコツコツコツという音が聞こえるんだよねーと、、、)

実際の曼荼羅は20cmくらいの四角を織るのに40日かかるとかいうので(しかも現代の技術で)そんなに簡単なことではないのですが、その端っこくらいは体験し、また作っているのではないかと。

2週間で作品を作るというのはまずありえなくて、前々から少しずつ進めてきてはいたけれど、こうしてパズルが揃っていくのはちょっと嬉しい。
環境があることはありがたい。

ちなみに郎女さんは
失踪を二回繰り返し、写経をしたり、白玉に襲われたり、すみれさんに包まれたりして、ある意味大冒険状態(実現させようとするとエンタメっぽい)なのですが、よく冷静に考えてみるとおもかげさんのために巨大な布を織り、そこに絵を描いただけです。「大変!なんとかしなきゃ」とその一心で走り出してしまう郎女さん、でもおもかげさん(ちなみにおもかげを変換すると俤がでます)が誰かもよくわかっていないし、そもそもその大きさ(リアルな曼荼羅は4M4Mくらいあります)、ありえないよねとかツッコミどころ満載。そういうところを置いておいて、恋とも自覚できないまま、思いつめてしまうところが可愛らしく、中将姫になって書いたという折口の言葉を拾って読み返してみると余計にツボどころ。いくつになってもそういう気持ちを人は忘れてはいけないと思ったり。仕方ないなあ、一緒に走ってあげようかと並行に走り始めたそんな感じで作品を作っています。

死者の書、怖いタイトルですが、読んでみるとそんなに怖くはありません。
でも本当にその原典を当たろうとするとエジプトの死者の書まで遡るので、結構ヘビー。ライトな感じで読んでみるのもよし。
輪廻の話まで読み解くもよし。
時間があれば、ぜひ元の折口文章を読んでからご覧下さい。

折口さんはきっと気軽な感じで読んじゃって、なんとなく気になってハマっちゃうそんなあなたのためにこの本を書いています。論文ではなく、あえて小説で。そして見方によればエンタメモードで。そこから奥に踏み入れたくなるように。この作品がそのきっかけになるなら幸いです。








死者の書再読@城崎8日目

死者の書再読@城崎8日目
スタッフミーティングが長引いて、遅くなってしまう。実際にはスタッフがいない間に色々作っていて、それをお伝えし、短い時間で何ができるかを模索している時間。これだけの設備を使えるのはなかなかないので、実験盛りだくさん。
遠隔操作でとりあえず木野と照明アシスタントの子でお試しをすることに。

今日は鳥大の学生さんと先生方がフィールドワークにお越しになりました。鳥取大学は鳥取東部なので、城崎は比較的近く車で1時間ちょっと。つまりどこへ行くよりも城崎が一番いろんな舞台を見られる劇場でもあります。また、豊岡はコウノトリをはじめとした自然との共生を打ち出していたり、アートに限らず様々な側面からグローバル・ローカルの取り組みに力を入れており、地域学部としてはそこから学ぶことが多いのです。
2泊3日ということで、また12日に一部の学生がやって来て、詳しい話や、ダンストークの千代さんのお話を聞くことになっています。

たまたまですが、平田オリザさんもお越しになりました(時間はずれていましたが)。

稽古はぼちぼち。私としては重さがまだまだ足りないなと思います。



2018年9月9日日曜日

死者の書再読@城崎7日目

死者の書再読@城崎7日目
とうとう大雨で警報が出てしまう。
そしてあまりにもいろんなことが起きているので、(未だ火災報知器の理由など不明のまま)温泉寺住職にお越しいただき見てもらう。悪いこはいないらしいが音楽家2人がいろんなお方を見てしまうそうで、そのせいかいろんなお方が寄ってきてしまうのだろうとのこと。そんなこんなで波乱万丈な死者の書クリエーション。(私自身はほとんど感じることはなく、のんびりしたものです)

今日はラジオの収録(水曜日にFMジャングルという地域番組で流れます。10分くらい)の後、ミッション白玉のための準備に追われる。おもえばOvOの時もえらい大変だったよと過去作を思い出す。これまで作ってきた作品が少しずつ織り混ざっていて、集大成のよう。せっかくだから全部入れてみようと密かに思ったのだけれど、ほとんど入るのに、どうしても「からたち」「からたちから」(巣鴨教会作品)だけが入らない。キリスト教は相性が悪いのだろうか。

照明プランを立てるための現状を説明するべく通し録画を強引にし(さすがにまだまだ固まっていないけれど)40分程度まで。着々と進行しています。



2018年9月8日土曜日

死者の書再読@城崎6日目

死者の書再読@城崎6日目

城崎は今日も雨。
湯島の盆なるイベント(風の盆のような感じで笠をかぶって男連、女連に分かれてまちなかを練り歩いていくもの。ただし比較的最近作られたもののようで、振り付けは地元の日本舞踊の先生だとか)の予定だったものの、早めの切り上げになってしまったようで残念ながら見られず。

本日は温泉寺さんに伺い33年に一度のご開帳(でも3年開いている)の11面観音像を拝み、住職さんの話を伺い、3歳8ヶ月のさとしくん(息子さん)の思わぬ動き具合(大人がやったら首の骨おれるから!)に和み、高野山まんじゅうをいただく(当麻寺と同じ真言宗系なのです)という午前中からスタート。それから昨日までのおさらいとブラッシュアップ。

一つ一つクリアしていかないといけないのだけれど少し時間がかかっている。こういう構築していく作品は通常一人だからすごい時間がかけれるけれど、そうもいかないので、焦る。

それでもミッション白玉や足踏みまでたどり着くことができた。
毎日ちょっとずつちょっとずつ進んでいる。

アスファルトのおかげで身体中が擦り傷だらけ。温泉で直しながらの日々。
15、16までおよそ半分。先を急ぐ。



2018年9月7日金曜日

死者の書再読@城崎5日目

死者の書再読@城崎5日目

各シーンごとに少しずつ作り出していく作業。前半の2つの世界部分をそれぞれ作り、今日の部分を通して見ると20分近い。(でもまた変わっていく可能性もある)それをどこまで詰めていくか、緩めておくかで色々話し込む。稽古して夕ご飯食べてビデオ見て。問題点をあぶり出し、それぞれの制作時間に入るというそんな流れ。

やぶさんと杵屋さんはどうも質的に近いタイプらしく、いろんなところで意気投合。ご飯作りとそのすすめ具合まで絶妙に近い。郎女状態でぼけっとしている木野をご飯の力で呼び戻してくれる。ありがとう。

通常作品と自分は離れていて、観客がどう捉えるかを見ている自分がいる(ある種の客観性)のが普通なのだけれど、今は半分きてしまっている状態なので、少々危うい。繰り返し続けていくうちに共通認識が生まれていくに違いないと思う(思いたい)。こんな作り方も集中的に一緒に稽古ができるからこそ。城崎さんに感謝。

温泉が11時に閉まるので、今日も一番近い鴻の湯さんにダッシュ。城崎温泉ではアートセンターの人はアートさんと呼ばれ、カードを見せると100円で温泉に入れるのです。(外湯と言って旅館に泊まる人も浴衣を着てまちなかを歩きながら温泉をはしごしていきます)アートさんって不思議な響き。私はアートの人なのだろうか。昨日とかはあちこちオレンジで(コード名オレンジさん)かなり怪しい人だったかもと今更ながら。


2018年9月6日木曜日

死者の書再読@城崎4日目

死者の書再読@城崎4日目

昨日火災報知器が鳴り続け、止めることができず、解除していた件は解決せず。色々あって寝るのが遅くなり寝たところでやって来た北海道地震。
北海道は地震が少ないことで有名で、私がまだ小学生だったくらいの頃、震度5位を体験しているのですが、それからずっとない。つまり慣れていないところに来た地震。
木野実家のライフラインは回復したそうですが、規模が大きかったこともあり、ダメージは様々なところに及んでいます。今回初めて感じたのは北海道でっかいけれど、やっぱり島という事実。全道停電、結果空港閉鎖、JR地下鉄休止、となった時にどこにもどうにも動けないという。助けにもいけない。1日でかなり復旧しましたが(おかげで木野実家は電気もついたし、水も出るようになった。千歳空港に近いエリアなので早かったのかもと思う)それでもまだ停電地域は残っており、全道(特に石狩や旭川、滝川などに私の友人は多い)の木野知人の様々なSNSのつぶやきを聞いていると、その大変さが見えてくる。
まずは自分の暮らしが立て直せるよう、祈ります。助けようもない。そういうことが見えてきた感じがします。
2015年Amanogawaプロジェクトというタイトルでワークショップと映像政策を札幌で行なっています。その時にも泊のことを含め様々なディスカッションを行いました。きっと大丈夫(札幌圏の方が多い)と思っていますが、その時話していたことが現実に起こりうることなんだということが結構ショックです。
滅びゆくこの世という感じがどうしてもしてしまう。


それにしてもこのしばらくの台風や地震といった災害の多発、何か神(?)の怒りのようなものを感じます。時代の変化と、人々の暮らしの変化はあるけれど、もう一度見直しなさいと言われているような気がしてしまうのは私だけでしょうか。

今日はペイント実験とその処理、杵屋さんの到着に合わせての音響系セッティング。作品の方向性やスケジュールの確認などを行いました。明日は前半戦滋賀津彦と郎女それぞれのキャラが決まっていきます。これまで何回かやぶさんと模索していていますが(鳥取リハ)、杵屋さん登場で新たなバランスが生まれます。

杵屋さん、四谷三丁目茶会記であった時から只者ではないと思っていました。そういう人は実は何人かいて、総じて”〇〇ばか”であるという。古典に惚れ込んで、キチガイ扱いされようと何だろうと自分の興味関心を大切にし、突っ走ってきたその感覚。何か同じような気配を感じ、異ジャンルとはわかっていてもこの人なら大丈夫とお呼びしてしまいました。ガムランと長唄、ぜんぜん違う、でも何か通じてる。そしてそれが出逢いつながっていく。

とりあえずこの人たちは大丈夫。(自分はさておき。むしろ一番ゆるすぎてやばそうなの自分)そんな予感。楽しみ。そして、この合宿だからこその感覚はここでしか見れないと思います。ぜひ。



死者の書再読@城崎3日目

死者の書再読@城崎3日目
本日は布作業などほぼ終了し、俗にいう舞台の形ができました。で、椅子を借りにいくついでに豊岡市市民プラザ(プラット)さんに立ち寄って劇場を見せて頂いたり、木材買い出しで豊岡のホームセンターナフコに行ったり。こうして隙間を縫いながら豊岡見学(ある種のリサーチ)の旅は続きます。

やぶさんと話しながら新しいシーンを作ることになったり(コード名白玉)、鳥ちゃんを作ることにしたり(今回はコウノトリっぽい)こうしてみるとこれまでの作品の要素が少しずつ織り込まれていて、ちょっと面白いことになっています。

明日は絵の具実験。そして杵屋さん登場。
久しぶりの再会です。そしてこのリハの中でとても重要な役割をはたすだろうに明日が初参戦。すごく楽しみ。

台風は城崎をかすめたくらいで比較的軽傷だったのですが、今日の夜は火災報知器が止まらなくなるというなかなかない(おそらくオープン以来初めての)アクシデントが起きました。てんやわんや。死者の書というタイトルのせいかここのところ様々な事件が発生しているので、お塩を用意しておくことになりました。あと、明後日になってしまうけれども温泉寺さんにも伺う予定。


2018年9月4日火曜日

死者の書再読@城崎2日目

死者の書再読2日目。
今日はアートセンターはお休み。こもって作業。台風は直撃とはいえ、京都や大阪の被害と比べればだいぶんまし。それでも気圧が下がっていたせいか、2時半ごろ(つまり一番近づいていた頃)昏睡(動けなくなってしまう)。
今日朝行った玄武洞は磁石の力が逆に働いている場所があり、それがきっかけで今から160万年昔はSNが逆であったことがわかったという世界的な発見がなされた場所だとのこと。しかもあの、理科で習った玄武岩は玄武洞で取れる石だから玄武岩ということがわかり(逆だと思っていた。つまり玄武岩が取れるから玄武洞)なかなかの衝撃を受ける。
玄武洞侮れず。

石の空間は音の響きが良く、自然のホールともいうべき場所がたくさんある。いつか音楽コンサート開催したいものです。ついでに踊ってよければ踊ります。青龍洞の池越えたところが個人的にはかなりのツボでした。札幌だと石山緑地も結構いい感じです。(これ高校時代からの野望)

やぶさんごはんに助けられ、結構元気。私は結構よく食べるのでごはんは大事なんです。美味しいごはんに感謝。やぶごはんはやぶさんページにて。うまいです。


死者の書再読@城崎1日目

死者の書再読城崎1日目。
油断して写真を一枚も撮っていないまま過ぎてしまう。つきましたーみたいなのやるはずだったのに。
近いとはいえ午前中は移動で潰れ、午後からリノリウムハリハリからつりもの作業、買い出しなどでほぼ1日。あっという間に時間が過ぎる。
大きなキッチンがあり、そこに持ってきた食料を置こうとしたら黒のペンで名前を書く。死者の書略すと丸に死。冷蔵庫につけられた名前も死者の書、だめだこれでは毒入りみたいだなどとどうでも良いようなネタが展開する。

今日はセンターの皆さんはお休み。(休館日です)台風も来るので、こもって作業。糸張りからスタートです。

2018年9月2日日曜日

山下残さんとのトーク@HOSPITALE

鳥取に滞在中の山下残さんとのトーク
9月2日2時よりHOSPITALE

1ヶ月半近く滞在する山下さんとお話しするということで、どうしましょうかといったら、普通にダンスの話をしていないので(彼はマレーシアの選挙についてリサーチした結果をもとに作品製作中)ダンスの話をしましょうということで、それぞれの活動についてお話しする。
前から残さんの作品を私は見ているけれど、彼はほとんど見ていないはずで、なので、こういうことをしてきましたみたいなことと自分のこれまでのキャリアをかいつまんで話すことからスタート。
もともと音楽をやっていてしかし作曲のセンスに疑問を感じ、さらにダンスに行くも、ダムタイプなどのメディア系を見て衝撃を受け、自分なりの表現を模索した結果言葉と身体に行き着いた残さん。ここしばらくの興味やこれまでの作品などを見ても好みどころがちかく、あげる作家が痒い所に手が届く感じで、「わかるわかるー」と。

木野の現在行っているもののうち、レクチャーパフォーマンスが言葉を使うものだけれど、どこまで説明するのか、そして説明で終わってしまわないかなど、いろんな意味で微妙なさじ加減で、そんなあたりについてもいろいろ話す。

即興性ってどこまでとか。

即興を繰り返していくとある種の必然に行き着くという話なども。

個人的にツボだったのは演劇でもパフォーマンスでもなく、それでもダンスという言葉にこだわっている残さんの感じ。でも、作品とかダンスって言わないようにしていて、振付作品というだけにしていたりとか。ダンスって?問題のモヤモヤ具合がめちゃくちゃ出ていて、いろいろまた考えてしまいました。

現在木野の作品は現実の世界、社会に対して直接的に働きかけていくものと、舞踊の根源的なこの世とあの世の境目を行ったり来たりするものと2つの大きな流れがあります。後者は能や民俗芸能の感覚に近くて、ちょっと夢っぽい。

明日からは死者の書モードです。幽玄の世界へスイッチオンです。




死者の書 再読

明日より城崎滞在です。
まだパッキングしています。間に合っていません。
とりあえず、身体を移動させることにします。

■「死者の書 再読」
『死者の書』とは…
稀代の民俗芸能学者であり、詩人釈迢空(しゃくちょうくう)としても活躍した折口信夫(おりぐちしのぶ)が当麻寺に伝わる曼荼羅を織り上げた中将姫(ちゅうじょうひめ)の伝説をもとに書き上げた自伝的小説。

あらすじ:平城京の都の栄える頃のこと、春の彼岸中日、二上山(ふたがみやま)に日が落ちるとき藤原南家の郎女(いらつめ)(中将姫がモデルとされる)は尊い俤びとの姿を見た。それ以来、千部写経の成就に導かれ、非業の死を遂げた滋賀津彦(しがつひこ)大津皇子(おおつのみこ)がモデルとされる)とまみえ、尊い俤びとと重なるその姿を蓮糸で曼荼羅織り上げて行く。全てを成し遂げることで郎女は、さまよう魂を鎮め、自らも浄土へといざなわれていく。

滋賀津彦、郎女両方の世界を映画のコラージュのように構成しているだけではなく、折口本人も「書いている中に、夢の中の自分の身が、いつか、中将姫の上になっていたのであった」(『山越しの阿弥陀の画因』)と書いており、この世とあの世、男性性と女性性が交錯している独特の世界は、著者折口の魅力もあって長く多くの読者を魅了してきました。
本プロジェクトはこの世とあの世、時空を超えてただ祈る、(こいねが)という舞踊の根源に立ち返り、折口が芸能研究から見出したものをヒントに、折口の恋を再び見つめてみようとする試みです。

■英訳
 Re-interpreting The Book of the Dead

 The Book of the Dead:

An explanation:The poet and outstanding ethnologist’s Shinobu Orikuchi’s autobiographical novel based on the legend of Chujo-hime, who, according to legend wove the mandalas at the Taima-dera monastry. 

Synopsis: During the period the city of Heijyo-kyo prospered, on the spring equinox day,the noblewoman of Fujiwara Nanke (modelled on Chujo-hime) caught sight of a ghost as the sun went down behind Mount Futagamiyama. After that, guided by the fulfilment of the 1,000 hand-copied sutras, she kept seeing Shigatsu-hiko (modelled on Ohtsuno-miko), who had come to a tragic end, and began weaving the ghostly shape into the mandala with lotuses. By finishing weaving Mandala, the maiden soothed the wandering soul and was herself guided to the Pure Land.

What has long fascinated many of Orikuchi’s readers was not only how he re-created both Shigatsu-hiko’s and the maiden’s story like a movie collage, but also how he depicted the unique world in which masculinity and femininity intersect with this world and the other world.  “While writing, my body was as though in a dream, and at one stage I found myself lying on Chujo-hime, ” [He also wrote in his essay “The cause of Yamagoshi Amida”],

This project is an attempt to seek out the root of a dance that prays for the beyond of this world and that world, to transcend time and space, from Orikuchi’s artistic discoveries and once again looking at his ideal of love.

構成:木野彩子
音:やぶくみこ(作曲、ガムラン・パーカッション、歌)、杵屋三七郎(江戸長唄)
照明デザイン:三浦あさ子
おどり:木野彩子
舞台監督:北方こだち(鳥取公演)
チラシデザイン:小木央理

ドローイング:小川敦生