2015年12月1日火曜日

ポーランド

ポーランド演劇事情についてのワークショップ、トークディスカッションがあり参加する。ただし私がいけたのはワークショップと最後のディスカッションの会だけなので、すべての会を知るわけではない。

ポーランドという国、皆さんはなにを思い浮かべるだろうか。
私はクラクフに2度ほど行っているが、長期滞在はしていない。それはまだユーロに完全に入る前で、その時点ですらあまりにも急速な町の変化に衝撃をうけた。(ブログにもかいたはず)この古き良き町並みは5年後には消え失せてしまうかもしれない。そんな感じを受けた。それから6年。今ポーランドは政権交代で芸術表現に対する弾圧をうけている。

ワークショップはグロトフスキーの思想を断片的に紹介するもので、その場にいたメンバーにあわせ調整してくれていた。私は演劇の人間ではないものの、「俳優の身体」というタイトルに心弾かれ応募。実際私がAmanogawaプロジェクトでしているアプローチに近いものがある。演じる前のからだ。そもそも役者とはなにか。
目の使い方、距離の取り方が全然異なる。私がソロ作品ばかりつくっているからか、ダンスの人間だからか。

そしてトークディスカッションの際には20代から40代という若手(でもフレトさんはさりげにシアターオリンピックのディレクター)の声からポーランドを知ろうとするもの。
実はポーランド1ヶ月前に政権交代が起こり、右翼よりになった。
それはかなり極端で、彼らの演目の上演前にも圧力をかけてくる。質問をうけて話しはじめたが、笑いが起きてしまうくらい深刻だ。
検閲の話しは実はFTでは岡田さんたちが扱っているが、現代でも政治力により表現は制限されざるをえないのだろうか。

ポーランド演劇は国立劇場での演目は勿論だが、多くの公演が公的サポートを受けており、政治的圧力を受ける可能性がある。(日本もそうだけれど)
FTの方とお話したときに、やはり自主規制とまではいかないけれども、配慮していただいているようですという話しを聞く。

つくりたいからつくる、
いまはなすべきことをはなす
それだけのシンプルなことがなぜ成立できないのか。




2015年11月28日土曜日

都心部の小さな学校

NPO法人芸術家とこどもたちが開催しているパフォーマンスキッズトーキョーの発表をみにいく。
都内公立小学校へアーティストが小学校で10回(およそ)のワークショップをへて学芸会等で作品を発表する企画で、新井英夫さんの回と田畑真紀さんの回をみにいきました。
http://www.children-art.net/pkt/pkt_school/

新井さんは音楽との作品づくり(題材は教科書に出ているお話を元に脚色した演劇色を含む内容、演奏は子どもたちが音を出すこともあるが、新井さんとアシスタントさんが主に演奏)、田畑さんは支援学級の子どもたちと一緒に踊りながらの発表で、それぞれ全く異なるアプローチ。まさしく三者三様です。
たった10回(なにぶん小学校の時間は短い)なので、正直よくまとめていると思うし、それぞれの色が出ていてとても面白く拝見しました。また、他の学年の演目も自作劇、ミュージカル(?)、様々あり、先生方ががんばっているのがよくわかります。井上ひさしの11匹のねこがあらわれたときには驚きました。(ただしあの重い、暗い、衝撃的なエンディングではなかったのですが)

たまたまいった学校だったのですが、この2つの学校両方とも来年廃校とのことでした。それはたまたまプログラムにかいてあったり、PTAの方々がコーラスで校歌を歌ったからわかったことでした。
母校がなくなるということ。
実はそこに大きなドラマがあると私は思いました。

おかあさんもおばあちゃんもいっていたような学校がなくなるということ。
町が発展し、高齢化が進み、こどもの数は減り、閉校はあたりまえのことかもしれません。しかしそれは社会の効率の上でそういえるだけではないか。そこに気持ちが残っている人と最後に絶対忘れないような何かをのこせたら、と思ったりします。
私自身の小学校の母校(東京と札幌にありそのうち東京の方)はなくなってしまい、現在はプラネタリウム、劇場、図書館という複合施設になっています。大人になり、その劇場にて踊らせていただいたことを「からたち」「からたちから」で語っています。
過疎化は地方だけではないのです。


この発表会、学校ということもあり芸術家とこどもたちの関係者に限られますが、あらかじめコンタクトをとっておけば、ダンサーさん他コミュニティダンスに興味がある方は見ることができるようです。ご興味のある方はぜひ。


2015年11月26日木曜日

幼児の運動教育

某短大で幼児教育系を担当していることから、H市のこども園の見学をさせていただく。(お仕事としては神奈川県の幼稚園教育の研修会)一つのたてものを共有しているため、午前中でかえってしまうグループと夕方までのグループがあり、ちょっと複雑(なお、この園では夕方までのグループの方が大人数)。
保育園と幼稚園が合わさったこども園は今後も増えていくに違いなく、見にいらした幼稚園の先生方も興味津々。この日はよく晴れていたこともありお外で遊ぶ子どもたちのたくさんいます。

幼稚園の指導要領によると運動遊びを1日に60分以上行うことが推奨されています。これは続けて60分ではなく、トータルでとのこと。さらに様々な種類の運動要素が含まれることが好ましく、一つの種目に特化するのではなく、鬼ごっこのような複合的な運動能力が養われる遊びが好ましいのです。

私も担当の先生も表現運動系なので、アブラハムの子のアレンジバージョンや動物さんに変身したり、それを発展させた鬼ごっこ(まほう鬼)などを中心に運動遊びをご紹介。実際の遊びのネタを増やすということよりも実際の現場の先生方にこどもにもどって遊んでもらうことを目指した研修会となりました。

これまで様々な学校をみにいって、子どもたちは音楽にあわせてからだを動かすことが大好きということはわかります。それが小学校4年生くらいを境に、恥ずかしいといいはじめ、どんどん動かなくなっていってしまう。その前にいかに表現遊びになじんでもらうかが大事なのではないかと思うのです。
勿論ダンスの種類にはたくさんあって、技術を学んだりするダンスは人気があります。
でもその前に自分の存在を外に見せること、ただそのままあることで認めてもらうことの経験をすることが大事ではないか。自己肯定感を持つこどもに育っていくために表現の授業は大事だと思うのです。
「かっこいい」「かわいい」をめざしてがんばるの前に「ただやってみちゃう」こと。みんなで決まった動きを練習するのではない表現運動の形を模索しています。

競争の面白さがスポーツにはあります。
ダンスは勝ち負けではない。
周囲を肯定的に受け入れること、自分を認められるようになること、それがいまのこどもたちに一番必要なことではないかと思うのです。

目がみえないということ

ファシリテーター養成講座にいく直前、依頼を受けて視覚障がいをもつ方のためのワークショップを行いに埼玉県にお邪魔する。
2回という短い時間ではあるものの、1年に数回このようなダンス(身体表現)のワークを行っているとのこと。9名ほどの当事者の方とそのサポートの方(同数)が参加する。
コーディネーターの方とはじまる前、あとにいろいろお話しし、何度もプランを書き直してなかなか苦労しつつも無事終了しました。

今回私は「根の国」という蜂飼耳さんの詩(かめりあのときに使用している詩もこの作家さんのものです)を元にワークを組み立てたのですが、目が見えない分、いかにイメージを広げられるかと言うことが大事になってきます。一般には暗闇のなかの怖さの中をすっと歩くことができる強さがあります。そしてサポートの人の方がむしろ困難に感じるそんな環境をつくってみました。(メーテルリンクの「盲点たち」の話しをしようか迷いつつしませんでした)
動きをいかに伝えるか、導入するか等もなかなか難しく、普段使っている手法(マッサージや様々な遊び)も見ることが前提になっていて模倣をベースに広げているため、そのままではできません。コンタクトワークが中心に自然となるものの、パートナーチェンジはできないなど様々な制約があり、なかなか難しい回でした。

体操ではないダンスにしてほしい
(これまで少しずつうごく講座はやっているので)からだを動かすところまでは結構できているので、(私にとっては初めての現場だけれど)その先の発展にしてほしい
などなかなか大変。
しかし良い勉強になりました。

その話しのなかで
やはり音にのるというのは難しく、音楽じゃないと、しかもよく知っている音楽でなければ
イメージの広がりが欲しい
などの言葉も出てきており、”ダンス”と”運動”の違いを改めて考えさせられました。私は運動を通じて生じる(現れる)心の変化に注目しているところがあり、音楽によって盛り上げたりという発想はあまりなかったのではないか。

どんなワークショップも経験の積み重ねとはいうけれど、なかなか入ることができない現場でした。ありがとうございました!

コミュニティダンスファシリテーター養成講座2015@大阪体育大

19−24日の日程でJCDN主催コミュニティダンスファシリテーター養成講座2015にいってきました。
大阪体育大学で開催されるこの会、前回は応用コースをうけ、今年は通訳ボランティアとして参加。(通訳勉強と修論のための取材をかねています)なつかしの皆様に再会です。
ファシリテーターというのは参加者と同じ立場に立って、ともに学ぶという姿勢でワークショップをリードする声かけがかりのようなもの。(日本語で明確な訳がなく、現在はファシリテーターとそのまま使っています)ダンスに限らず様々なワークショップで使われている言葉です。
コミュニティダンスの概念自体が曖昧なので、何とも言い難いのですが、情熱をもち、皆を力づける強さを持ちながら、専門的知識を持つ人材と言えるのではないかと思います。コミュニティダンスの範囲が広いこともあり、高齢者、障がいを持つ方、小学校等それぞれの現場において必要な専門知識というのもあり、それぞれの地域での問題もあり、たった4日間の講義ではすべてを網羅することはできません。
しかしここで集まり、様々な情報を共有することができるのはかなり心強い。
たくさんの宿題をもらって、ふたたびがんばろうというかんじです。
基礎コースのみなさま、ダイアナと一緒に。
 打ち上げの光景。毎日朝から晩まで大盛り上がりのお祭り騒ぎでした。

大阪体育大は大学の大先輩でもありいろいろ縁がある麻子さんの学校。ここ数年は神戸の大会等でも大活躍中(がんばってます)。懐かしの再会です。でも毎年写真取らなきゃといいながら忘れる私たち。


2015年11月16日月曜日

パリについて

かつてパリに住んでいたことがある。
2004-5年、気がつけば10年前になる。今でも私にとっては特別な町で、ヨーロッパにいくと必ずよる(イギリスに行くよりもむしろパリの方がなじむ)。
今回テロにあった場所は当時すんでいた場所から徒歩5分ほどの場所らしい。
前回発砲事件があったのも比較的近いエリアであったが、見覚えある地域となるとさすがに驚く。(なお、思いついて連絡をとるような友人知人はとりあえず無事だった様子)

ロンドンに住んでいた頃、長く暮らしていたケンサルライズエリアはどんどんひらけ、オシャレなカフェ等もできていくようなエリアだったが(アレックス曰く、ここのエリアから行ける小学校がよいらしく、そこに入るために移り住んでいる人も多いのだそうで、どんどん住民の感じがかわっていった)、やっぱり徒歩10分ほどのバス通りで発砲事件などがあったりしていた。
ヨーロッパ安全じゃないよ。

テロは確かによくない。
でもテロをたたいても、憎しみは増幅する一方である。
その背景に何があるかを考えるべきであるし、各国の思惑を抱えたままでは結局「自分のため」にしかならず、新たな反感を生むだけである。
ただうまれてしぬだけのこと。
そこにうらみにくしみが生まれるのは抱えているからにすぎない。
宗教はなぜうまれたか。

最近そんなことをおもう。

2015年11月3日火曜日

Angels ⑮ 大道芸ワールドカップ@静岡

静岡大道芸ワールドカップ
まさかこんなに大きなお祭りとは思っていませんでした。
SPACenfantが1日限定で登場。(ワールドカップは10月31から11月3日まで続くのですが、子供たちは学校の都合上11月1日限定です)
観客数は昼1180人、夜730人。
毎年雨が降るらしいのですが、今年は快晴(翌日は雨でした)
こどもたちが晴れ女(晴れ男)なのでしょうか。

翌日中日新聞さんにものせていただいたとのこと。うれしいことです。
写真等後日。
写真追加します。
あ、珍しくみんな揃っている写真!
舞台面のリノリウムはスタッフ(おとな)チームが超スピードでばしばしつくってくれました。かっこいいおとなたちの写真はないのですが。。。

 5月の頃を思うとみんなで一緒に踊るということができるようになってきました。舞台がせまくてどうなることかと思いきや、そんななかでも最大限をめざすのです。

こちらはSPACおとな王国チーム。王国は現在上演中です。演出の大岡さん自ら歌っています。

Sound and Herb@森のテラス

 Sound and Herb
2015年10月31日
13時開場13時半開演@森のテラス

フレッシュハーブティつき、手浴や簡単なハンドマッサージ講座(?)など、ハーブとアロマにちょっと癒される時間です。
なお、今回金子さん(オーガニックコットンで衣装や小物をつくるのが本職)が衣装もつくってくださり、私は森の妖精のようになっています。(ちょっと照れます)


既に寒くなってきているので、ハーブさんたちにも力がなくなっているとのこと。冬眠のまえの最後の会。良い具合に天候ももってくれ、お外で踊らせていただきました。










写真は北里義之さん
ピアノの池田千夏さんとご一緒に。

前半は千夏さんピアノとのセッションおよそ30分ですが、千夏さんは曲を書く人なので完全な即興ではなく、曲をつなげつつ広げつつという展開。
後半はなんとハーブの講義つきダンスと音楽。
①ローズマリー②ゼラニウム③レモングラスの3種のお茶(と生の葉っぱ)を味わいながら踊ります。(お茶はお客様も)
ちなみにゼラニウムは一般に知られているのは観賞用で、使用したのはセンテットゼラニウムというもの。食べたらとんでもなく酸っぱいです。
最後に千夏さん楽曲「みどりのゆび」(園芸の達人のことをさします)にあわせたハンドマッサージコーナーで終了。盛りだくさんのハーブと音楽を楽しむ会でした。





行き方がわかりづらいので、表記しておきます。ご参考まで。
かわいい地図もHPにのっています。
森のテラス地図、今後もありそうなので、保管用にのこします。http://www.moritera.com/tokyo/map/access.htm
仙川駅の改札は1つ。
東部保育園、児童会館に向かって歩きます。(ここまでは駅前の地図等にもでているので大丈夫)
児童会館を超えた次の道を右に曲がります。
この電信柱があります。住所チェック1−29です。


その後まっすぐいくとしたにおりる階段があります。こんなふうになっています。が、そこはおりず左に曲がります。

そうすると看板がみえてきます。


2015年10月23日金曜日

一期一会 第3回森重靖宗さん

一期一会 
第3回 森重靖宗さん(チェロ、写真)
森重さんはユーグと仲良しということもあり、まえからよく知っていて、しかもよく聞いている(みている)のに、ちゃんと二人で話すということはあまりなく、謎の人だったので、今回お招きしてみました。寡黙な(福地さん曰くストイックな)イメージのある森重さんの別の一面をみることができました。

実は今回会のはじまるまえに少し早めにきてもらっていろいろお話をしていました。ちょっと反省です。
高校時代は普通にバンドやっててギターとか弾いていた話し(なんとそのせいか、灰野さんバンドでベースをやるのだそうだ)や、チェロはすべて独学でマスターしたそうで、工夫の日々という話し、練習曲としてバッハ無伴奏チェロを弾いていること(ちなみにこの日も2人で没頭してしまい、それで開場が遅れました。)など演奏のこともさることながら、写真のことが個人的には興味深かったです。
写真はあくまで、ちょっととってみたレベルのもので、自分は写真家だとは思っていない。しかし写真のなかで日常の普段通り過ぎてしまうようなことに気づく、気づかせるというのが好きで、少しずつ撮っているそう。
写真それ自体というよりもそれから選んで並べたり、並べ替えたりする作業が作品だと思うという話しは音楽等にも同じことがいえる。また、それを選んで並べるからには何かの差があるからでその差を言語化していく感じなんですとのこと。
音楽もダンスも感覚的なので、言語化するのが非常に難しい。
でもAじゃなくてBというからにはBにしようと思う理由(つまりAとBの差)がある。そこに気がついていく作業という感じでしょうか。
あとは次回のゲスト杵屋さんがきてくださっていて、型の話しでちょっといいことを言っていました。型によって皆のレベルがアップし、確かに上手くなる。しかしそれによってそれを超えることはできなくなってしまう。

芸道の多くは見て盗めと言います。
私の師牧野京子はかつてはともかく少なくとも私に関しては放任主義でそのまま放っておかれました。教わってできるようになるようなものはそのレベルでしかないし、それを超えるための方法論が盗むこと。誤解を生じることがあったとしても、それが新しい何かを見つけ出すきっかけになるかもしれない。言語化をさけることで可能性が広がるのかもと最近になって思います。

どんな動きも、演奏も、すべて模索のくりかえし。


あ、森重さんの写真集を買ってかえろうと思ったのにわすれた。。。


森のテラスリハーサル

森のテラスリハーサルに行ってきました。
森のテラスは仙川にある、とある一軒家の居間とテラスと庭。グランドピアノもあり、とても素敵な空間です。
来週末、池田千夏さん、ハーブの菜花さんたちとのパフォーマンス。これまで茶会記で開催してきましたが、ちょっと雰囲気を変えての開催です。フレッシュハーブティつき、手浴や簡単なハンドマッサージ講座(?)など、ハーブとアロマにちょっと癒される時間です。
なお、今回金子さん(オーガニックコットンで衣装や小物をつくるのが本職)が衣装もつくってくださり、私は森の妖精のようになっています。(ちょっと照れます)
既に寒くなってきているので、ハーブさんたちにも力がなくなっているとのこと。冬眠のまえの最後の会かな。はれるといいな。

行き方がわかりづらいので、表記しておきます。ご参考まで。
かわいい地図もHPにのっています。http://www.moritera.com/tokyo/map/access.htm
仙川駅の改札は1つ。
東部保育園、児童会館に向かって歩きます。(ここまでは駅前の地図等にもでているので大丈夫)
児童会館を超えた次の道を右に曲がります。
この電信柱があります。住所チェック1−29です。


その後まっすぐいくとしたにおりる階段があります。こんなふうになっています。が、そこはおりず左に曲がります。

そうすると看板がみえてきます。
お待ちいたしておりますー


アーティスト派遣事業

ここ数日横浜がよいが続いています。

小学校のアーティスト派遣事業の担当で、小学校の子どもたちにダンスの授業。
これまでSPACのこどもたちの元気の良さも見ていますが(一応元中高の教員)、小学生(しかも中学年)の元気のよさは格別!おおさわぎです。

運動会でマラカスをつくったダンスを踊ったとのことで、それをベースに、各クラスごとにダンスをつくってもらったりしました。
ふりふりの術と
まねっこの術と
みんなで協力しないとできない

マラカスなしでもみんなの身体がマラカス!というわけで、アフリカンダンスモードでいってきました。
なぜかコスタちゃん(イギリスの人的にはスタバなみのコーヒーチェーン店の名前)なるキャラクターもでき、別人格。こういうのはこういうのでいいなと。

でも携帯電話をどこかに落とし、かなり苦しんでいます。うーんどこにやってしまったのでしょう。。。。


2015年10月3日土曜日

2%

「室内」(@KAATクロード•レジ演出作品)みてきました。
長く(2013年初演@SPAC楕円堂)上演されているものの、実は見るのをおそれてこれまで逃げつづけてきた作品なのです(実際満席だったり、タカセと重なってみることができなかったせいもあります)。私自身がヨーロッパ時代につくった作品にIchIというのがあるのですが、ヨーロッパにいて、日本らしさを考えたときに一番はじめに浮かんだのは闇でした。はじめの3分は薄暗い照明のまま、その後も全体的に暗く、わたしはその気配や音そして広がる想像力こそがダンスだと提案しました。暗闇と光そして影をテーマにつくっていて、室内の話しを聞きつつ、レジさんが暗闇に惹かれた気持ちはわかるような気がしていました。
楕円堂の美しさに惹かれてつくりはじめた室内、きっと美しい作品になるだろうことはわかっていたし、SPAC俳優ゆえの身体技法だと私は思いました。砂の上を音もなくゆっくり歩くこと、ただシンプルなことですが日々の訓練があればこそです。そういう意味で本当にコラボレーション作品で、よい意味で期待を裏切られた気がします。

メーテルリンクはあまりよく知らず、盲点たちで衝撃を受けたのですが、
このような考えるための作品は今の世の中で必要な気がしています。
私たちは何ものか
生きるとは、死ぬとはどういうことか
神と何か
生きるための言葉、作品がこれから必要になっていく、そのように思いました。
家にかえりつつ、私がしている作業は間違ってはいないと思いました。

最近民俗舞踊をいろいろ調べていて、
お祭りのイメージだとすごい踊っていたり、祝祭のイメージがまずくるのですが
神さまはみえないものなのです。春日若宮御祭なんて神さまが出てくるときわざわざ全ての光を消します。
なぜならそれぞれの人の中に既に神さまがいるから、1つの造形を見せる必要はないのではないか。
ニヤカムさんのお祭りに関わりながら、多分その反動だと思うのですが、
最近は静かに見つめる作品が続いています。

うならせるよい作品だったと思います。

拍手喝采みたくならないですが、きっと見た人はダメージをうけながらかえるのだと思います。うぐぐ、、、

さて、2%
Angels冒頭のシーンの作成中に照明の調整を行いながらこの暗さだと1、2%の違いが大きいんですよという話しをこの夏照明さんとした。その1、2%の差を感じる演出家さんがいて(レジさんもそのひとりだし、鈴木忠志さんなども非常に厳しかったらしい)照明家は気を抜けない。そしてそういう人は毎回ちゃんとみてる(笑)。ラッセルさんも結構気がつく人で、公演回数が増えていくうちに照明の芯にいるいないみたいなことまでダンサーはわかるようになってしまう。(それは確かにプロフェッショナルだけれど稽古で何とかなるものではないし教えれるものでもない気もする)その1、2%を決めるためのリハーサルの繰り返しをできる環境って実は日本にあまりない。そういう意味でなかなかありそうでない作品ではないかと思います。
実はEn attemdant,,,,,の照明は2%単位で調整をして、加藤さん(照明)と話しをしながら、そんな話しを思い出しました。
なお、海外だとおそらく電圧のせいだと思うのですが、大分見た感じの印象が変わります。コントラストがはっきりする。本当の意味での闇しかもその奥に何かいるかもしれない闇は日本でしかつくれないそんな気がしています。
闇のかわりではないですが、私が好きなアンソニーゴームリー作品で霧でみえない(でもみえる)ものがあります。TATE Modernでみたのですが,なにものかにふれるその瞬間、私はとても面白いと思っています。


2015年9月28日月曜日

杉劇リコーダーず

杉劇リコーダーず
その名前を覚えている人はこのブログをよむ人にどれだけいるだろうか。
「かめりあ」2010年の発表時に杉田劇場に活動しているリコーダーグル−プにでてもらった。アウトリーチ活動の一環で伺ったわけだが、面白いことに65歳以上と小学生という謎の組み合わせのリコーダーグループ。歌も好き。そこで彼らの代表作を並べ、構成し、「こどもたちのうまれるとき」という作品を作成した。
この「かめりあ」のテーマが年を経ること、そして伝え残していくことということもあり、よい出会いだったと思う。
その後その「こどもたちのうまれるとき」は定期演奏会、新潟など様々な土地で再演を繰り返していた。なんと今年は沖縄に行くのだという。先日別件で館長さん(中村牧さん)にお会いし、その話しをしたら杉田劇場は10周年になるのだそう。館長さんは一度某Mホールに出ることになり、どうなることかとおもいきや、リコーダーずはちゃんと続いたのだという。(現在中村館長は杉田劇場に戻っている)

リコーダーずはアマチュア集団である。
しかし様々な土地に楽しみながら上演しにいき、気がつけば上手くなり、を繰り返している。楽しいから演奏し、歌い、踊る。まさしくコミュニティダンス(プレイ)の集団である。大体月に2、3回はパフォーマンス機会があり、正直実践で練習(笑)でも細かいことは気にせず、どんどんでていく。杉田のみならず磯子のイベントには引っ張りだこ。
10年が経過し大人年齢は85歳まで広がった。子どもたちも卒業し、中には大学生になっている子もいる。さらに音楽系の大学へいった子もいる。つまり、その子たちが今度はサポートにきてくれるようになった。あのときのひとりとりのこされていじけるサノくんは高校生だ。
ここ数年公共劇場のアウトリーチ等を調べていて、3年の壁があることに気がつく。行政支援が受けられる3年、その後くじけてしまう。総合型地域スポーツクラブもそうだが、長期目線での支援が必要で、それは経済的なもの以上に人的サポートが必要になる。
杉田劇場は当時から音楽出身者が集まっている独特の布陣で、地元を巻き込みともに歩んできた。館長さん自身もピアノを弾き、そして皆を持ち上げてきた。それは最先端の劇場芸術とはまた違う芸術のあり方だと思う。しかし、その輪が芸術を支えている。
公共劇場の有益性をはかるのは難しい。芸術や教育の結果は計測できない。しかし、このような継続性は確実に1つの意味をもつ。
私が関わっている静岡SPACenfantも6年目になる。このように長く中高生育成事業を続けれているところは少ない。しかしその続けていることがまた1つの価値を作り出していくのではないかと私は考える。学校の他にかえるべきところがある人生はちょっとどころかすごく幸せだ。彼らが戻ってくるためにも、この事業は続いてほしいと思っている。

劇場がコミュニティの中心になる。
街の人が集う劇場づくり。
杉田劇場のちょっとすごいところは、皆で自立しながら維持しようとがんばってきたところ。たかが10年、されど10年。10年の時間を素敵なことと思う。

Angels⑭ 大道芸にむけて

11月1日静岡大道芸ワールドカップ
SPACenfantが登場します。(ワールドカップは10月31から11月3日まで続くのですが、子供たちは学校の都合上11月1日限定です)現在ニヤカムさん不在の間、スカイプとメッセージを駆使してのリハがうらで続いています。
http://spac.or.jp/news/?p=11538

静岡の大道芸はここ数年拡大している大イベント。そんなこともあり、子どもたちが合流することになりました。ニヤカムさんからの指令をもとにああでもないこうでもないと模索中。

1ヶ月ぶりの稽古では身長が大きくなっていて衣装きれない(スカート短すぎ)などがおこり、早速成長期のこどもたちのすがたを目の当たりにしました。楽しみ。


2015年9月25日金曜日

ダンスのための6人vol3

ダンスのための6人vol3無事終了しました。

アラフォーダンサー6人、色濃いメンバーが集まりました。
7年ぶり、15年ぶり(ちなみに吉福さんや福留麻里ちゃんいはじめてあったのは2002年、STでのことです)という懐かしいメンバーに出会えたのは本当に嬉しかったです。そして皆かわっていないことに驚きと嬉しさを思いました。人の本質はそう変わらない。それぞれにブラッシュアップはされているけれど、でも本質は同じ。公演中にもいろいろお話できたりして。そのかわらないが素敵だと思いました。10分という時間はあまりに短く、難しいです。でもそこに凝縮された思想というか生き方がみえたような気がします。
映像は初日のもの。でも大きく変わりました。みれなかった人は残念でしたね。毎日の変化を見つつ話しつつ過ごせた時間はある意味宝物。それに気づいて急遽リピーター割引を設定しました。ダンス公演にロングランはなかなかないのですが、本来は口コミなどで広がっていくはずで、そういう面白さ大事にすべきという考えからです。
ミョンフィさんは毎回異なる即興(事前にコンセプトを音響、照明と打ち合わせをする)曲、照明、衣装全て異なる6回。
太田さんはすごい緻密につくられているのに(曲もある)、最後だけが毎回異なる。
そう、それらを毎回みながら、ああだこうだといいあいながら進んでいくその日々がすごい面白い。
吉福さんスタジオあればこそのこの企画なのですが、贅沢すぎる、幸せの時間でした。美味しいケータリング(1日目は豆ご飯と豚汁、2日目はもずくスープとちらし寿司)。ありがとうございます!

”フィボナッチの憂鬱”
珍しく楽しそう、うれしそう、女の子っぽいという感想が聞かれる今作。
珍しくスカートはいてるし!
今回吉福さんに10分だし、こういう場所だからふだんやらないような冒険もできるのではといわれていたこともあり、暴挙(?)にでました。ミョンフィさんも普段はすごくつくり込む作家さん(と少なくとも私は思っていた)し、まりちゃんもひとり、即興ってなかなかないし。皆がそれぞれに課題を持って冒険に出ている今回。ある意味、全く異なるアプローチで挑みました。が、私の場合、実はセッションハウスで発表した”En attendant,,,,"と兄弟のような構造になっています。両方みた人にしかわかりませんが音か光か、静か動かの違いです。詳細またブログにて。まだかけていませんが。後日!

終演後即とった写真。木野の手の長さをいかして(?)自撮りしました。

2015年9月21日月曜日

ダンスのための6人初日あけました

ダンスのための6人 vol.3初日あけました。

初日撮影してくれていた宮部さんが映像をおくってくれました。

ダンス公演では珍しく、5回も続く長丁場。
ゲネもあるので、毎回お互いみながら変化を楽しめます。
ミョンフィさんなんて毎回何がでてくるか、わかりません。
緻密に作り込んでいるゆかりさんだって最後の間等にこだわりが。
そんなわけでリピーター割引ができました。
各回くるごとに500円がひかれていきます。
ある意味画期的な制度だと思います。

ダンスを踊りつづけている人って大抵何かの問いを持っていて、(問いを持っていなければ途中でやめれるはず)10年ぶりとか7年ぶりとかであうけれど、皆かわらずといつづけている。多分そういうことなんではないかと私は思います。吉福さん曰くこのシリーズはアラフォー以上限定で声をかけているらしいのですが、確かに、からだからその人のダンスの歴史がみえてきます。

2015年9月17日木曜日

カトルカール

9月12日 セッションハウス カトルカール
セッションハウスオーナー伊藤さん曰くダンスの女子会。
経験を様々につんだダンサーの4作品上演。書く作品は20分。
2週目にあたる私の週はなぜかソロ作品が三つと札幌からやってきたグループワーク。


札幌からきたのは渡辺倫子さんチームで、大学時代の友人と高校時代の友人が来ておりました。まさかここであうとは!(偶然だそうです。伊藤さん曰く)

セッションハウスは大学時代からお世話になっている場所であり、現在も大学同期がカンパニーマドモアゼルシネマにて踊っています。懐かしい!



伊藤さん(旦那さんは写真家さん)によるブログはこちら。
http://fromstaff.exblog.jp/22168503/
10月4日には珍しくワークショップもやってしまいます。ほんとに珍しい。



En attendant,,,,,についての解説は後日。改めて。

2015年9月13日日曜日

En attendant,,,,,テキスト

本当は当日終演後配ろうと思って用意していたテキスト。配りそびれてしまったので、ここにアップします。

En Attendant,,,
フランス語で「待っている」。もともとはサミュエルベケットの戯曲「ゴドーを待ちながら」を想定してこの作品を作りはじめ、待ち続けること、そして永久に繰り返されるだろうことをテーマにとりあげようとした。
今回このエッセンスを借りつつ戯曲そのものからは離れることとした。これは著作権法上の理由もあるが、20分のダンスで物語るにはあまりにも複雑すぎる。
かわりにタゴールの「ギタンジャリ」102番の詩をテキストとしたい。
わたしはあなたを知っているといって、人びとの間で自慢した。わたしのすべての作品の中にあなたのすがたが見える。人びとがきて、私に訊ねる、「あれは誰?」わたしはどう答えてよいかわからない。わたしはいう、「じつはわからないんだ。」人びとはわたしを咎め、さげすんで立ち去る。そしてあなたはそこにすわって微笑んでいる。
わたしはあなたの物語を永遠に続くうたにする。わたしの胸から秘密がほとばしり出る。人びとがきて、わたしに頼む、「うたの意味をすっかり教えて。」わたしはどう答えてよいのかわからない。わたしはいう、「ああ意味なんてわからないんだ。」人びとは笑い、ひどくさげすんで立ち去る。そして、あなたはそこにすわって微笑んでいる。(川名澄訳)
この作品の土台となった「Mobius」の共同制作者であるHugues Vincentと作曲者である上地正彦(「Amanogawaプロジェクト」より)に感謝する。また、この作品を初演する機会をあたえてくれ、自身も舞台に上がってしまったHeide Moldenhauerさんにふたたびお礼をいいたい。


祈りをこめて。                                2015.09.12 木野彩子

2015年9月9日水曜日

セッションハウス照明下見

セッションハウスさんの照明下見

セッションハウスさんはコンテンポラリーダンスの老舗的小劇場。神楽坂にあるスタジオ兼劇場とギャラリーで、わたしが大学時代(つまり今から20年くらい前)から平日はレッスンスタジオ、土日は劇場として伊藤夫妻が経営しています。コンドルズや水と油もここがなければ生まれなかった伝説の劇場。わたしにとっては懐かしの劇場でもあります。

ここは平日クラスを行っていることもあり、下見等は夜9時以降。(ちなみにマドモアゼルシネマの稽古も結構遅いらしい。大学同期が在籍中)今週は金曜もそんな感じでかなりハードな日が続きます。正直学校にとまろうかと迷い中。(不幸中の幸いは明日のお仕事が台風で休講になりかなり癒し。学生さんにあえないのはちょっと残念なのですが、このいろいろ間にあっていない状況ではよしとせざるをえません。来週がんばるよ、ということで。)

今日は札幌チームの弦巻(高校時代の友人)、ベッチー先輩(大学の先輩)などにはお会いできなかったのですが(遠方ということもあり、前日から参加)他の作品をみせていただきました。なぜかソロ作品が3作品、札幌作品は大グループ。集客考えたら間違っているグループ編成。ともあれ、全く違うタイプの3作品が並びます。

本日スタッフさんとも初顔合わせ。なんと音響さんは超ご近所。そして照明さんも小田急沿線(うちより遠い)。今回のダンサーさんも横須賀と浦和、みんな遠い(笑)。それだけダンス業界は狭いということでもあります。
照明さんにいたっては高校時代の友人照明さん(オーランドー)と知り合いらしいという衝撃。そして舞台監督は大学の後輩(笑)世の中狭すぎます。

さて、余談ですが
実はこの1週間セッションハウス2階ギャラリーでは写真展が行われています。炎上等がありあまり大きく報道していませんが、ぜひみるべき写真展です。先週のカトルカールを見に行ったときに特別に閉店後のギャラリーをあけてみせていただけました。12日はイトーターリさんとのトークがあるとのこと。わたしはリハーサル等の関係で見に行けないだろうとは思っていますが、お時間あればぜひこちらもみていただきたいと思います。



セッションハウスHP:http://www.session-house.net







2015年9月5日土曜日

Botanica 松野崇展

静岡のアートスペースBotanicaさんにて急遽行われたパフォーマンス。

2015年8月22日(土)
ダンス:木野彩子
音楽:堀池龍二

予定されていたダンサーさんが急にこれなくなったとのことで、急遽頼まれました。それもパリにいるはずの大谷さん(ベルタンポワレ)が帰郷中(静岡出身なのです)でそのつながりでよんでいただきました。
エロスワールド全開な感じなのですが、本当は肖像写真で有名な方。(静岡の老舗写真館の2代目だそう)4階の小部屋は肖像写真で満たされており、そちらの写真の方で私は踊ってみたかったなあと思ったりもしました。様々な職業、年齢の人の写真が並んでいるのですが、10歳を1秒のシャッター時間とし、60歳なら6秒かけて1枚の写真を撮ります。年齢に応じた深みをみることができます。



ボタニカさんの詳細はこちらhttp://kinza-botanica.com

 ちなみに左手が堀池さん、右手は松野さん、そしてこれははじめる前の図。

 入りきれないので本来舞台面のはずのところにもお客さんがいるという状況。あまり広くはありません。
終了後に(なにかすごい目が据わっていますが)対談中。
お客様の多くが写真関係者で、この写真も銭谷均さん(松野さんとは古くからの友人)がとってくださったもの。

松野さんちょっといいことをいってくださって、
僕たちの活動は形にのこるんだけれども、あなたのやっていることははーとを動かすことなんだ。形にのこらないけれどもこころにのこる。
こういうときにね、とった写真は記録にはなるかもしれないけれど、作品にはならないんだよ。だから今回はとらない。ここでみたものがすべてだから。

そんなわけで、松野さん写真ではないんです。

2015年8月31日月曜日

Angels⑬ ワークインプログレス終了

Angels ワークインプログレス無事終了しました。
追加公演をあわせて3回の公演全て完売(ご家族のご協力も大きいと思います)のなか、子どもたちは毎日、毎回新しく発見を続け、現在のベストは尽くしたのではないかと思います。
正直よくがんばった。
稽古時間も短く、毎日怒濤の変更状態の中、往復の電車のなかなどフル活用してなんとかのりきったという感じがします。
でも、これはまだワークインプログレス。
(中1二人は「え?来年もあるの??」などといっていますが、まだまだ続きます。)
来年までの宿題もたくさんもらいました。

ヨーロッパではダンサーの表記がinterpretorとなることがあります。
これはレパートリー作品等の解釈を行う人ということで、役者、歌手等を含む舞台公演ではよく使われます。とりあえずだいたいの動きを身体にいれることで今年は精一杯。では来年、それぞれの子どもたちがどのように自身のものにすることができるのか。

ニヤカムさんがいない間、ときどき様子をみていく予定です。





バオバブの木ともしばしのおわかれ。またすぐにね。

2015年8月28日金曜日

Angels⑫夏休みの終わり

明日はゲネ、あさって明々後日が本番。
そんな追い込まれた中、実は子どもたちの学校がスタートしてしまう。

現役中高生の彼らは当然学業優先。学校に行ってそのあと向かってくる(学校によっては今週末までお休みのところもある)。遠方の子もいるためかなりしんどい。タカセの夢の初年度つまり今から6年前は9月のはじめの週(たしか9月4日)が初演だったはずなので、それから比べると丸1週間夏休みは短くなったらしいことがわかる。
毎年子どもたちの学校のスケジュールを見ながらどんどん学校が忙しくなっていることがわかる。脱ゆとりといわれて久しいが、この数年学校の授業、夏期講習など拘束はどんどん厳しくなっているように思われ、現スタッフ(20代から50代まで幅広い)も自分の学生の頃はこうだったなどと比較し始める始末。
がんばれこどもたち。

おとなたちはこどもたちのかえったあと毎日よなよな準備にいそしむ。衣装ぬいぬい、帽子染め染め、そして照明のために踊り始める(?)。

タカセの夢の確か2期生初演時のあと宮城さんは「みんなは大きな船にのっている。ちょっとやそっとの嵐ではこわれない頑丈な船」と、航海に例えたが、今回はみんなで「大丈夫かな」「でもいくしかないんじゃね」「えー」っとおろおろしながら模索している状態。そしてそれは子どもたちだけではなく、おとなも一緒。毎日変更、変更、トライアルの連続。
さて、ちゃんと船動いてくれるんでしょうか。

横山義志さん(SPACの文芸部)が通し稽古を見に来た感想を書いてくださいました。
金子みすずの「みんなちがってみんないい」ではないですが、だれひとりがかけても動かない、だからこそみんなが自信を持って踊るそんな場でありたいと思っています。
http://spac.or.jp/blog/?p=20102

2015年8月25日火曜日

Angels⑪ 追い込み作業中

あれほど暑かった夏も終わり頃。
セミの声もいつのまにかかわり(山の中に暮らしているので、その辺り敏感)いつのまにやらコオロギが鳴き出す。

子どもたちの練習も怒濤のようにすすんでおり、昨日は衣装を着けての稽古でした。
(まだ直し途中なので、子どもたちのかえったあとはスタッフ総動員で衣装直しをしています)衣装、かわいいのですが、ニヤカムさんよりみてのおたのしみと情報制限(?)がかかっているため、今回のSPACブログ、衣装は隠されたまま。。。
http://spac.or.jp/blog/?p=20075

きのが結構映り込んでいます。

ストレッチ素材、影あそびなど「IchI」を思い出させる今回の作品。ニヤカムさんは「陰陽」といいはじめ、ますますきの作品に近くなってきました。そこは卒業したつもりだったんだけれどな。

のこり4日。さあ、がんばりましょう。



2015年8月15日土曜日

Angels⑩ 追加公演決定

いきなり売り切れてしまったAngels ですが追加公演が決定しました。
8月30日12時半開演。公演後のワークショップはありませんが、急遽のことなのでお許しください。以下に詳細がでています。
http://spac.or.jp/angels_201508.html


稽古の様子はこちら
http://spac.or.jp/blog/?p=19999

子どもたちの稽古が日中にあり、その後ニヤカムさんと作る作業があり、そしてテクニカルワークと毎日が怒濤のようにすぎていきます。今年は特に新しい作品を作っていることもあり余計に大忙し。毎日衣装合わせや照明実験等繰り広げています。
今回の作品は影を多用しているせいもありIchIを彷彿とさせていて、私の作品ではないのに、アナザーストーリーのようにみえるところがすごい衝撃的。

2015年8月13日木曜日

Angels⑨ ニヤカムさん稽古スタート

ニヤカムさんがかえってきて(最近あまりに日本にいるイメージがついてしまい、ニヤカムさんは日本に住んでいるのだと思われているようですがフランスに住んでいます。)今日よりニヤカム稽古が再開。どんどんつくらないと間にあわないため、どんどんいろんなことを試していき、こどもたちも大混乱中。体力的にも既にばてモード、2リットル水筒が空になる日々。
終了後もテクニカルミーティングがあり、今日は映像のニシモトタロウさんがお越しになり、いろいろお話しました。今回のクリエーションでは映像は使わないのですが、来年以降のことを見越してトライアルをしてみようと考えています。
舞台芸術はどこでもそうなのですが、正解もなければ完成もないのでエンドレスゲームのようなところがあり、特に今回のように新作になるとかなり大変です。でも大人たちはこどもたちが「うわー、すごい」という声を聞くと疲れが吹っ飛んでしまうらしく、夜遅くまでがんばっています。
タカセの夢と連動していることもあり、装置にはやはりバオバブが。今年はBOXシアターでの上演になります。実は結構大きな違いが。でもそれはきてみてのお楽しみ。
ちなみにこのバオバブちゃんは2号でちょっと小型のこです。(バオバブはこれまで3種類と1こ(韓国ミリャンにおかれている)あります)



追加公演を行うことが決まりました。正式な時間等はまた追ってお知らせします。お誘い合わせの上お越し下さい。


追記:静岡の地元を紹介するHPにのせていただきました。ぼけぼけしていますけれども。
http://kenzine.jp/shizuoka/static/special/2015081.php


2015年8月10日月曜日

ゼミ合宿

ゼミ合宿というものがあり、筑波山のふもとまでいってくる。
修士論文をかくべく、ひたすら本を読み、まとめ、本を読みというのを繰り返しているけれど、なかなか大変な作業で、本当にかけるようになるのかかなり不安。
まとめる形というのにあわせて書かなければいけないのに、それにあわせるということがまずできない。研究倫理申請という書類をつくるのに、まずつまづいてしまい、助教さんを困らせてしまう(おそらく普通の人だとこんなところで転ばない)。

優秀なゼミ友人がこれまで発表を聞いてきた中より、木野の分析をしてくれ、それがとても面白く話題になる。話すときの接続詞がすべて逆接になる。つまり、正解という物がなく、常に新しい概念を作り出そうとするがゆえに言語化することできたこと全てを否定してしまう。ある意味いつまでも掘り続けられるのかもしれないが、それゆえに苦労し続けなければならない。(こうして文章化してみるとちょっと不幸な人だ)

さらに論文を書く際には「いいたいこと」が大事だが、私は作品を作る際にもそもそも自分のいいたいことなんてないし、いいたいことから構築していくという作り方をしていなかったということにも気がついた。つまり、1つの事例について調べていき、掘っていくと全てはつながっている一点があり、その一点を見出したらそれを元にそれらの事象を丸めるだけで、「そのようにせざるをえない」というのが作品であった。さらにいうとその私は私の想定した作品を出すが、その作品を見る人がどのように解釈するかは自由であり、その解釈の違いあるいは誤解を私は最も面白いと思う。その変容が起こるのは言葉で説明しきらないからであり、そのわからないことこそがダンスの魅力であり、演劇ではなくダンスというジャンルにいる理由だと思っている。そもそも私が一生懸命構築するという物ではなく、最終的には天からふってくるものであり(?自然のエネルギーとか、なんでもいいんだけれど)、ふってきやすい諸条件とは何かとは考えるけれども、私という存在が表そうとした範囲ではものごとは解決しない。少なくとも「私」をいかに消していくかの方がむしろ大事なのではないか。

それはかなり俗にいうダンスイメージとはかけはなれており、しかも「かわっている」と思われるらしい。私自身はこれまで「かわっている」といわれても???と思っていたが、最近になってだんだんそれがわかってきた。先日のオーバースローパスにしてもそうだが、なにが、なぜどうかわっているのかを言葉の世界の人は分析してくれる。結構な衝撃である。



スポーツ系の皆さんが集まっているので、女子サッカーの試合をみれば元選手の、甲子園をみれば元球児の詳細な解説がつく。それぞれ研究分野が違うので、お話を聞くと面白い。元選手たち(学科には元選手ばかりではなく、様々な職種の人が集まっているが)は私も含め言語化するのが苦手らしく、ちょっと苦心している。しかし、ダンスと少し違うのはチームがあったり、ルールがある中で活動してきているので、形にはまること自体はスムーズにできているし、コミュニケーション力も高い。
学ぶことは多い。

2015年7月29日水曜日

Mathilder Monnier

マチルダモニエさんにあう。

滅多にみないfacebookたまたまあけたらフランスダンスの大御所がきているというので、あわててアーキタンツへお邪魔する。ワークショップとビデオレクチャーがあり、特にレクチャーはもっと時間をかけれたら良かったのにと思う「舞踊と音楽」にこだわったセレクション。しかもコンテンポラリーダンスの古典を中心にしているところも歴史をおう上でとても面白い。

彼女自身の創作法、音楽との関係性の距離感がそのままダンスの歴史の変遷と重なっているところがあり、私はとても興味深く思ったのでちょっと書いておく。


1980年代 コンテンポラリーダンス(ヌーヴェル)の起こり
経済的にゆとりがあり、文化支援が盛ん
予算のせいもあり、自由に作品をつくることができる。が一方で自由すぎて危険な側面もある。
(バレエに準じているのか)総合芸術としてのステージワーク(彼女はここでスペクタクルという単語を使う)にフォーカスがある。
彼女自身の作品でいえば「extasis」あたり。他に今回紹介されていた映像ではキリアンの「les noce」やカロリンカールソンのワークなど。
音楽にダンスが完全にリンクしている。
ダンスを音楽にあわせて振付ける場合もあるし、音楽家がダンスに作曲する場合もあるが、音楽もダンスもあわせてで1つの世界を構築してる時代。


1990年代
みせるという視点が変化し、ダンスそのものにフォーカスがおかれるようになる。
音楽、衣装、装置などをあまり使わなくなる傾向が起こる
その後ダンスがさらに「身体」にフォーカスがおかれるようになる
80年代のめちゃくちゃさの反動かダンスの歴史にをふまえて作品づくりをする作家があらわれはじめる。

最近の振付家には本番前日に曲を変えてしまう人もいる。マチルダはとても音楽は重要なコンセプトであり(たとえ無音であるとしても)、決めたことはとても大事にすべきと考えるが、そうとはとらえられていないようだ。

観客よりボリスシャルマッツの舞踏の取り込みについて(注:ボリスは土方の病める舞姫を元に作品づくりもしている)質問が出たときにはボリスはみせる、スペクタクルの意識がある人で、作品もスペシフィックなものが多いため、この1990年代以降の「身体」フォーカスとは少し違うと答えている。



2000年代
その傾向は現在も続いており、ダンスを超えてコレオグラフを超えて身体にこだわる作品が多い
彼女の作品でいえば「soap opera」(舞台上を泡で満たし、その中にいるダンサーの動きにより泡を動かすダンス)、「Twin Paradox」など
音楽との関係性もそのとき舞台上で発生する音(noise)を増幅させたり、音が独立した世界感を作りダンスと並列するなどの形に変わってきている。


そして現在の彼女はカンパニー活動などはせず、CNDのディレクターとして活動中。モンペリエから1年半前に移ってきたそう。
今年から6月にcampingというコースを開催することにしたそうで、早速今年は韓国から50人くらい参加があり大好評だった様子。来年も開催予定。(3月頃募集があるのでウェブをチェックしてほしいとのこと)ルシンダチャイルドなどが講師とある意味とても贅沢な話し。


今回みせていただいた映像はCNDのアーカイブよりとのこと。このような資料特にルシンダ「dance」(1979)などはダンスの歴史などを教える際あると非常にわかりやすく良い例なので、ウェブなどで公開したりはしないでしょうか?と質問したところ、来年新しいカタログ(映像の)を作る予定とのこと。
日本にはダンス映像のアーカイブなどがないのですが(本当は新国立劇場やきの母校さんとかができると良いのだと思いますが)、基礎資料が入手できるようにしなければと思います。ダンスだけではなく実は民俗芸能についても同じことがいえるのですが。VHSビデオからDVDへの移り変わりもあり、多くの資料が消えてしまうことをとても危惧しています。







Adam

ここしばらくなんだか知り合いの人がたくさん日本へやってきている。
先週あいにいったアダムベンジャミンはインテグレイテッドダンスカンパニーつまり障がいを持つ人持たない人が混ざったおそらく日本でははじめてのカンパニー「響」に振付にきていました。
イギリスではかなり広まりつつある、障がいを持つ人のダンス。Davidのcost of living が有名でyoutubeなどでも発見できるのでぜひ。様々な障がいを個性とみなし、身体の可能性を広げている。スポーツでいうとアダプテッドスポーツに相当するが、ダンスの場合は勝敗や記録ではないので、本当に対等に存在することができ、また存在できるはずでもある。
アダムはその第1人者ともいうべき存在で、カンドゥーコなどを率いていた人。実はラッセルワークに入ったころ、英語が話せなくてしかもコンタクトワークが非常に苦手で(ラッセルワークの基礎)苦労していた頃、教えにきてくれていた恩人でもある。(振付はラッセルなのだが、コンタクトワークの部分でいろいろ模索しているときに協力してくれていた)かれこれ10年。ちゃんと覚えてくれていてよかった。
その10年くらいの間にアダムは日本人の奥様と結婚し基本ベースはイギリスだけれど、時々日本へくるようになったという。

実はイギリスのコミュニティダンス路線ではLucaも城崎温泉にきていた(さすがに遠くていけない)し、先月はDarrenも。2人ともplace prize同期でダレンは特に麻子さんの親友でもあり、数少ないイギリス酒飲み仲間。皆えらくなってびっくりしてしまう。思えば当時から日本行きたい行きたいと言い続けていたことを思い出す。
日本に行きたがっていた人といえばラシュパとホへだなあ。

アシュフォードさんをはじめとして思えば日本が好きな人が私の周りには多くいたことを思い出し、日本イメージってすごいと思う。



2015年7月20日月曜日

Angels⑧ チラシができました。

いよいよ夏休みですが、ニヤカムさんがいない間はきの稽古です。ごめんね、こどもたち。今日も日帰りで静岡いってきました。
今日は先日隆夫さんとのセッションを思い出してコンタクトインプロ初歩をベースに行いました。ニヤカムさんはバレエベース、アフリカンとコンテンポラリーの融合という事もありあまりコンタクトワークをいれていないのですが、今回床の動きが増えること、身体で遊ぶことを学ぶことを考えていれてみました。

チラシができました。
それに伴いウェブ情報も新しくなっています。
http://spac.or.jp/angels_201508.html
夏休みに入る前にチラシ学校でくばらないと!という意味もあります。
今年はシアタースクール(SPACが開催している演劇学校)と合同チラシということもあり、お互いまけないぞ!と思っているだろうと推測されます。
静岡県内の皆様、どちらも気合いの作品ですのでぜひどうぞ。

 毎年言われますが、グラビアアイドルみたい(笑)な私、アルテリオでのゆるのびワークショップの後に須藤さんにとっていただいた一枚です。



2015年7月18日土曜日

Speak Low

ハンダさん作品「白いカラス」で使われていたのは「Speak Low 」というジャズの名曲。
牧野京子作品「アリエルー空気の精ー」で使用されていた曲。
今回作品最初のリハーサルで対訳が配られた。牧野先生らしい選曲だなあとつくづく思う。


恋を語る時は

小声で囁いて。


夏の日は

瞬く間に色褪せる。
恋を語る時は

ひそやかに。
二人の時は駆け足で過ぎ、

海に漂う舟の如く、

あっと言う間に離れ行く。


愛しい人よ、


ひそかに甘く囁いて、

恋は一瞬の火花、
すぐに闇へと消え去るもの。


どこにいようと、

すぐに明日は来る。


時はあまりに速く、

恋はあまりに短い。
恋は輝く純金で、

時は泥棒のように恋を奪う。


愛しい人よ、


私たちは遅れているよ、

カーテンが降りると、

全てが終わる。


私はじっと待っている、

愛しい人よ、


お願いだから囁いて、

愛の言葉を

さあ早く!