2019年1月31日木曜日

卒業研究

大学教員となって初めて卒業研究を担当する。
鳥取大学では卒業研究として実技発表とそれに関する副論文の提出でも単位が認められる。私の研究室はダンスを作り、それに伴う創作プロセスをまとめていくことをする。今年の学生は3年時から部活動なども含め作品を作り続けていたので、それぞれをまとめ、その集大成としての作品を今も作っている。その論文の締め切りが今日なので、昨日は夜中まで付き合って、なんとか間に合わせる。

学部の時は運動学と言って運動中の心拍数と主観的運動強度(RPE)を測定し、音楽のリズムと運動が一致・不一致の時にどのように変化するかを実験を元に記述した。

修士の時は社会学として文献調査を中心に、コミュニティダンスについて記述した。
その時は実技として「ダンスハ体育ナリ」も作ったので、最後の方はちょっとカオスで、論文と口頭試問用に作るパワポ、その発表用のポスターデータを作る作業とダン体のプログラム原稿と、パワポとリンちゃんとのリハーサル・本番が同時並行で進んでいて、大混戦でした。試験と公演とポスター発表と公演と毎日交互にくるという有様になった記憶があります。

どちらもとりあえずカオス状態になっているんだけれども、先生方も他のゼミ生もしっかりしていたので、なんとか卒業できました。本当にありがとうございました。直す側こんなに大変だというのを初めて学びました。ずっと終わらないーーーー!私自身の文章がおかしいことになっているのは昔も今も変わらず。当時もいろいろ直してもらったのですが、修士はやっぱり2年(しかも社会人枠)というのは短くて(普通文系だと大学職に入るまでに博士、ポスドクなど10年近く学ぶ時間があります。)そこだけで書く力などつくはずはないのです。今も一生懸命読んだり書いたりしていますが、もともと言葉の人間ではないんだなあとつくづく思うのです。くすん。

でも何れにしても、このマックスを上げるというか、なんとか乗り切る底力はこの時学んだことだと思っていて、今やらなきゃ、と思ったのを思い出します。学生のうちだから、学生のうちにその限界を超えるという経験をしておけるかどうかは、その後の人生を変えるのではないかと思い、ゼミ生さんには頑張ってもらいました。

作品の副論ってどんなのだろう?というところから色々考えつつ、本当は芸術文化センターの人間だし、芸術学でもう一回勉強すべきなのかもと思う最近。(体育じゃないの?って言われそうですが、多分その両方知っている人にならなきゃいけないんじゃないかと思っています。)あとはちゃんと文章を書ける人になりたい。

幾つになっても学びの時間は続きます。



2019年1月30日水曜日

コンテンポラリー

コンテンポラリーという言葉は同時代性と訳すことが多い。コンテンポラリーダンス、コンテンポラリーアートなど様々な言い方があるが、今生きている私たちの現状を表すような作品を追求している人たちを指す。

今の時代に生きているということは様々な事件、災害、戦争など問題点を多かれ少なかれ共有しており、そこから問題意識を持ち、作品化するわけだから、ある程度共通項が生まれてくる。キーワードやジャンルなどで括ることもできるし、ある程度の傾向、流行も生まれてくる。当然作者自身、私もまた様々な作品を見て学ぶのだろうし。

ただ、たまに同時代のせいなのか、感覚が似すぎて混乱を来すことがある。意見を交わしていてとか作品を見て真似たということではなく、シンクロしていく。言語の時もあれば画像の時もあるし、感覚でそれはわかる。テーマや題材は全く違っても同じレイヤーが張られていたり、作品内に編み込まれていたり、そういう時織物的なものを思い出す(死者の書をやっていたのはここで生かされるのかもしれない)。
私の思考は私のものなのか、介入されたものなのか、あるいは何か同じ何かを見出しているのだろうか。本当に近いとちょっと気持ち悪くなって引きこもってしまう。似せようと努力しているわけではない。ましてや同じことを言おうと努めているわけでもない。言葉がそのままおりてくる。題材が現れてくる。神がかりのようだがそれでもその時代を的確に切り取っているのだろう。だから似てくる、そう思いたい。死者の書で扱っている内容はファンタジーワールドのようだが、今だからこその作品であることには変わりはなかったんだと少し落ち着いて見直すことができるようになってきた。


昨年作ったレクチャーパフォーマンスを友人が映像にするべく、分析し始めた。三回の上演を見比べると少しずつ変化をしながら、作品が深まっている様子がわかるという。それが私の危機意識の表れであり、今の時代の変化を表している。たった1年、されど1年。そういうことに気がつかせてくれる。一回織った織物をさらに解きつつまた編みこんでいく。投げ込まれた題材(1940年)を木野なりに捉え(明治神宮とオリンピック)、プロデューサーの趣味も入れながらああでもないこうでもないと模索して、また新たに糸が増えていく。こうして同じような感覚、考えを持つ人がだんだん増えていくのかもしれないと思う。3回の公演を繰り返すことはそのボールを投げ続けることでもあり、私たちの対話なのでしょう。1年のうちに3回も公演することは滅多になくて(鳥取での公開リハも含めると4回、各公演2回ずつ上演している)貴重な経験だったけれど、その繰り返しは確実に意味があるものでありました。(その対話はまだ続いている、多分)

何れにしても私の作品はソロ公演だけれど(しかもレクチャーはパワポだけで一人でも上演可能という省エネルギー作品)、一人で作っているわけではない。舞台上には一人しかいなかったとしても(死者の書は音楽家がいるので舞台上に3人いる)、対話でもある。言葉はあってもなくても。それがコンテンポラリーすなわち同時代性ということで、私たちのシンクロや感覚共有と同様に、今を生きるすべての人と繋がりうる可能性を持っているのではないかと私は少し信じています。



メガネの松本さん

鳥取市役所の目の前にある小さな個人商店メガネの松本。

そこの店主松本龍郎さんのお話を伺いに出張ミルキーウェイに行ってきました。
以前から店先の望遠鏡や屋上にさりげなくあるドームが気になっていたという市民の皆さんにもお集まりいただき、天体望遠鏡の仕組みやものを見ることの原理などわかりやすく説明を聞く会になりました。
松本さんは天体望遠鏡が反転した世界を映し出しているということに疑問を持ち、鏡を90度に接させることで真っ直ぐに映し出す技術を開発したり、1眼だと見にくいため2眼の望遠鏡を作ったりしています。その歴史は30年以上に遡り、当時の天文学の専門誌(当然英語論文)で紹介されたり特許を取り、商品として販売もしています。天体望遠鏡自体があまり一般的に売られているものではないので、そんなに知られてはいないものの世界の裏側から注文がくるのだそう。
人がものを見るというのは眼のレンズを通して光を受け、眼の裏側の網膜に像を結ばせるわけですが、2つの目があることで立体視が可能になります。人が見るということを考えると松本さんの発見はものすごく大きなことですが、「今は全てデジタル化してしまって画像化してみるから必要ないんだよね、特に公的な観測施設の場合は」と少し寂しげな松本さん。いやいや、やっぱり特に子供達が初めて望遠鏡を見るときに望遠鏡は反転するものだとしてみるのと、そのまま大きくなって見えるのとでは感じ方は違うでしょう。この見ることの原理を突き詰めて、個人が製品開発し、世界へと情報発信をしている松本さんのこの姿、ぜひ今の小学生たちに知ってもらいたいなあと思いました。

鳥取からできることはたくさんあって、そういうすごい人が普通に日常生活に隠れているのが面白いと私は思っています。(本人たちは隠れている意識もないのです。当たり前のこととして受け入れている)それは発見しに行かねばです。
終わる頃には晴れてきて(その分寒い)、そのまま望遠鏡をお店の前に出して観測会。昴とオリオン大星雲を見せていただきました。もう少し暖かくなってきたら月の観測会もあらためて開きましょうとお約束。銀河鉄道祭天文部とでも名付けましょうか。楽しみです。

2019年1月28日月曜日

鳥取銀河鉄道祭実行委員会

1月27日は鳥取銀河鉄道祭実行委員会が開催されました。昨年12月に受けた予算削減も含めこれまでの活動経緯や今後の方向性を確認し、何ぶんリサーチなども膨大なので、全貌を説明するだけで3時間が経過してしまうという、長い長い会議でした。実行委員長佐分利先生にもお越しいただき、様々な意見が出されました。
2019年になってしまったこともあり、もうどんどん進めていくしかありません。
実行委員たちには「ブレるな」と言われ、現在までのとりアートの形とは異なるものを作ろうとしているので、変に合わせようとしたり、中途半端になってはいけないと背中を押されました。

県の予算ということもあり、特に今回3年計画の3年目に急に予算が減額になるなどあって、観客動員数的なものを考えなきゃとか、ある程度一般県民の考えている”舞台公演”に近づけておく必要があるのではないかとか、やはりチケットを売らなければいけないとか色々迷いどころはあるのですが、でもいまやっぱりボールは投げてみなければとりアートはあるいは鳥取は変わらないし変われない。ダンスハ体育ナリの檸檬爆弾ではないですが、やってみなければいけないということが共有されました。
覚悟の座った心強い仲間たちです。2月からクリエーションのためのワークショップなどが本格化していきます。近々内容等発表していきますので、今後とも応援よろしくお願いします。

なお、明日はメガネの松本への出張ミルキーウェイです。ことめやに行っても誰もいません。お気をつけください。

わらべ館ワークショップ20190126

1月26日わらべ館ワークショップは無事に終了。今回は岡山から金子泰子さん(トロンボーン)が来てくださり、鳥取の田中悦子さん(ダンス)と新聞紙を使った即興ダンスと音楽のワークショップとなりました。あの雪の中50名もの参加者にお集まりいただきました。皆様ありがとうございました。
後半では巨大新聞も登場(一応前日の打ち合わせでは巨大落ち葉というイメージ)、大いに盛り上がりました。
実はこの日私は別会場で大学の授業発表があり、いるはずなのにいれないというなかなか複雑な状況になっていました。でも前日の打ち合わせでかなり色々話すことができたので、良かったと思いました。
子供達にとっては当たり前にできることが大人たちはなぜできなくなってしまうんだろう。こういうものだという思い込みやつくられちゃっているイメージにとらわれているのではないだろうか。子供達の姿を見ながら、気がつき、巻き込まれながら遊ぶ楽しさを思い出すための会でもあります。
前日打ち合わせでこのワークショップシリーズは音楽やダンスや美術などの垣根を壊して身体で遊ぶことだったんだなと思い出しました。ここの中では何やっても良いみたいな場所が少なくなっている昨今、貴重な時間だと改めて思いました。
次回は3月10日。東京から金井隆之さん(マンドリン、声楽)がリベンジにきます。(本人の強い希望による)碾き臼歌のその後の展開がきになるところです。


ちなみに別会場での発表では木野の担当する学生さんたちは鳥取の移住者の皆さんへのインタビュー調査のまとめを発表していました。(ダンスとは関係がないのですが、地域を調査しながら街の魅力を再発見していこうという2年生の授業です。)タイトルは”なにもない”鳥取の魅力。夏至祭1年目で鳥取はなにもないからなんでもできると書いて地元の方に怒られたことを思い出しますが、あえて、その言葉を用い、なにもないという言葉を用いつつ、それは鳥取の魅力の裏返しであること、また、外から来た人の目を通じることで鳥取に住んでいる人にとって当たり前に通り過ぎてしまうことが再認識できるというポジティブな意味で捉えています。(いや、私が用いたときも決してネガティブには使っていなかったんですけれども)
鳥取に来て3年目になりますが、少し足りない言葉を補えるようになってきました。


2019年1月24日木曜日

思い入れと思い込みと思いを込める

思い入れと思い込みは似てそうだけれど、ちょっと違う。
思い入れは何かに思いを入れるので、自身は外にいる。
思い込みは自分の中で思いをこめてしまうので、自分のお話。
思いを込めるは思い入れに似ているとは思う。

死者の書は
思い込みではなくあくまで思いを込める作品ではあると思う。


才能とは思い込みという言葉を聞き、確かになあと思う。その人の思い込みがどこまで深いか。どこまで信じ、それを続けていけるか。
でもその言葉は確かにその通りだけれど、私は才能とは”人を動かす”思い込みだと思った。お金の問題ではなく、どうしても気になってしまってとか助けたくてとかかもしれないし、応援したいとかそういうことかもしれない。文句言いたいかもしれない。そうして動かされる人がいると、物事は続いていく。
たとえ周りに誰もいなくてもいつか出会う誰かのために表現する人。
あるいはどうにもならない衝動を抱えて表現せざるをえない人のために。
その言葉を伝えてあげたい。

どんなに小さなアイデアでも、どんなに自分よがりなものだとしても、それでもこの世の誰かが(最近あの世の誰かとか自然がとかもありだと思うけれど)動かされてしまうのだとすれば、それはすごいことではないか。

小さいなりに作品を作ると必ず誰かサポートをする人が現れる。何らかの依頼になるときもあるし、仲間になるときもあるし。そうして私は作り続けてきた。うまくはないけれど、でも何かわからないけれどとりあえず続けろと言われながら、うーんうーんと唸ってる。私にでもできるのだからどんな人にもできるけれど、特別な才能がないといけないと思い込んでいる人は多くいる。小さいころバレエやピアノや様々なお稽古事をしていたけれどいつの間にかやめてしまう。なぜなのだろう。

様々な評価や基準やそれに合わないと思って諦めてしまうけれど、それってもったいないよねと思う最近。学生さんたちが右往左往している様子を見ながら、でも本当にやらなきゃなものが出てきたらやるしかないだけで、お金がとか言っている暇はないよねと。そうやって道は開けていくから。すでにある型に自分を合わせていく方向性と自分用の枠組みを作ってしまう方向性。
できないなりに、それでもやってみること。
それで誰かが動かされるかもしれない。そのためには自分はせめて必死であるということ。私が見せてあげられるのはそういうところだけかもしれないと最近思う。





2019年1月17日木曜日

未来の体育を構想する

未来の体育を構想するシンポジウムに行ってきました。(1月12日お茶の水女子大付属小)
とても興味深い内容だったので、簡単にシェアします。

そもそも体育とはなんだったのか、ということを考えている人たちが集まっている会でした。特に体育がスポーツへと変化しつつある中(一応現在は広義のスポーツとしてダンスが含まれています)運動能力ももちろん大事だけれども、体育がすべき内容はもっと大きいのではないかという印象を受けました。参加者は小中高で教員をなさっている方、地域でスポーツ指導をしているNPOなどの方、運動が好きな(嫌いな)地域の人、運動機器メーカーの方など100名以上が集まっていました。実は私を含めかなり遠方(宮城、大阪など)から来ている方も多かったです。

その中で取り上げられているのは体を通じて考えていく哲学のような要素、また言葉を超えて人と繋がること、新しくルールを作ったり、種目の枠組みを作るような創造力をつけることなど体育と呼ばれている授業ができることは他にもあるのではないかということです。
AIなどが浸透し、誰もがスマホで様々な情報を得られるようになる今、体そのもののあり方を改めて大事にすべきではないか。

実際に現在の指導要領はかなりそのような視点を取り入れており、障害を持っている子供達などが参加できるようにグループで種目のルールを変えたり、練習方法を考案したりというような内容も含めて授業は展開されることになっています。が、特に小学校は保健体育専門の教員とは限らないし、種目に偏りが起きたり(単元としては扱ってはいても熱量が異なる)ということが起きてしまう。
そして実際の現場の声としてやはり評定をつけなければいけないため、何らかの技術向上あるいは達成感を味わうためのトレーニングに重きが置かれているというのも挙げられました。カイヨワによればそもそも遊びであった体育に評定をつけなければいけないのだろうか。様々な運動能力、身体条件を持っていても、皆で楽しく自由な時間を共有するためにはどうしたらいいかを考えることの方が、今の時代において重要なのではないだろうか。評価は必要かもしれない。個人の努力、モチベーションを引き出す上でも個別に設定していく必要はある。でも集団の中で評定をつける必要はないのではないだろうか。

後半ではスポーツを作るということで、運動会協会、ゆるスポーツ協会などの活動が紹介され、様々な”面白い”の模索の仕方が見えてきました。運動会の種目そのものを作ってしまう。新しいスポーツも作ってしまう。そこに様々なテクノロジーや美術の要素も混ぜつつ、笑いと意外性を取り込みながらみんなの頭をフル回転させる。こうなってくると体育の枠組みも超えてしまう。
その中でお話ししてくださった運動会協会の西さんはもともとはEsportsの仕掛け人でありプレイヤーでもあったそうで、ファミコン第1世代とも言える(おそらく年代的には私よりも上)テレビゲーム、パソコンにどっぷり浸かっていた世代。それを極めていながら(実際今も大ブームだ)その人が身体へとシフトしたことがとても興味深い。頭も体も全てを使ってフロー体験を味わうのが面白くてたまらないそう。

フローというのはチクセントミハイが提唱した自身の能力を少し超えたところを経験する時に起きるハイテンション。感覚が敏感になり、様々なことがつながってくる感触で、スポーツ選手などに経験者が多いが、レジ打ちのような単純労働においても、知的活動においても起こりうる。私自身の感覚としてはものすごく時間がゆっくりになったような気がするという現象。微音だけれど自分にだけははっきり聞こえる(作品"Edge"初演時の感覚)状態に陥る。

楽しいとはどのような状態だったろうか、それを身体を通じて共有する。それがスポーツの文化であり、可能性でもある。もちろん競技ルールを覚えたり、それを知った上での楽しみ方もあるけれども、その前の身体が面白がるところを体験できれば特に小学校段階の体育は十分なのではないだろうか。そんなことを思いました。


個人的にはからだ科とか名付けて、からだを使って考えたり、瞑想したり、スポーツや様々な身体表現などもあわせて体験型学習として拡充させたいと思ったりもします。どれだけAIが進化しても、私たちは自分の身体から離れることはできない。つまり、身体からしか考えることもできない。快不快を決める最大の要因は私たちの身体がどのような状態にあるかで決まるという当たり前のところに落とし込むと、身体について知り、学ぶこの体育という枠組み、スポーツに狭めてはいけないよなと心から思うのです。













2019年1月16日水曜日

なんのために作品を作るのか。

なんのために作品を作るのか。

自分の訴えたいことを表すのだと私は思っていた。
でもそれはモダンダンス(ちなみに欧米ではモダンとコンテンポラリーの差はない)の領域で、ドイツ表現主義に基づいていると気がついた。
私はなんで踊るのだろうと思っていた。
そもそも訴えたいことがあるのであればダンスではなく言葉を用いた方が良いだろう。私自身が演劇出身であるということを差し置いても。

たまたま先日体育のシンポジウムであったスポーツ系同窓生に抽象ゆえの面白さを指摘された。わからないからこそ、受け取った人の創造力が必要とされ、そこから会話が生まれるのではないかということ。
言葉を超えて通じてしまうことを多分私は信じていたかったのだと思う。

訴えなければいけない題材があれば踊ることができる。
きのうたまたま京都でお会いした人に、見にいけなかったけれど、あの作品(建国体操のレクチャーパフォーマンス)でフェスティバルがしまったのよとコメントをいただいた。現実問題として体育の中のダンスは必然としてあるとしても、芸術の中にもダンスがあるべきであり、その枠組みが今できなければ、多くのダンサーたちの仕事に関わるのではないか(アーティスト派遣事業などでも利用できる時間枠が限られてしまうので特に中高へ拡大させていくときに大きなポイントとなる)現在の自身の作品も運動要素は皆無に近い。これはダンスと呼べないのだろうか。私自身のアイデンティティのためにも踊らねばならないと考えた。
建国体操は扱う時代のせいもあり(それは現代を照り出している)檸檬のように少し苦い。ユーモアや笑いもあるが(バスガイドだしね)、それだけではない。エンタメとしてはもっと甘いマシュマロのような、あるいはディズニーランドのような作品の方がもてはやされるかもしれない。激しいダンスの方がすごい!となるかもしれない。でもコンテンポラリーダンスの作品としては今の問題点を切りだし、そして一緒に考えるための情報提供を行うものであると思う。だから私の考えを押し付けるのではなく、言葉を引き出すことを心がける。その形はダンスでは難しく、レクチャーパフォーマンスになった。言葉が必要だったのである。

死者の書は訴えることとはちょっと違う。どちらかというとモダンダンスに近い。劇場芸術として行うべきこと、また初めて舞台を観る人に見てもらう事を考えるとどうしてもこのような形を取らざるをえない。でも、その中には劇場芸術としてのダンスとは何かが含まれていく。
私は私が動くのではなく動かされるということを考えていた。
これは死者の書の前から、ずっと私ではない何者かと対話し、作品を作り続けてきたことに由来する。イギリスで作った『IchI』は私(I)と私(I)の間に挟まれている何ものかの存在(あるいは私の分裂)を、日本の怪談をイメージしながら、一般の人にわかりやすいように説明しようとした。大学4年の時に制作した『月に立つクローン』は卒業公演でできなかったソロワークに牧野先生が名前をつけてくれたものでもある。私の分身が月にいる。近くにいても遠くにいても私は常に何者かと共に踊っているという感触、それゆえに私は踊り続けてくることができた。
物語をみせようとする演出的な意図ではなく、その中にいかに没入するかを目指し、またそれを言葉化する再読を行っていく。お客様のための構造や解説を作り最小限を確保しながらその先を目指す、だからこの作品は終わることはない。(ただし公演はそんなに頻繁には行えない。例えば今回も私は髪を切ることになり、出家だなと思った)つまり、この作品は自分自身の探求のためが大きい。探求と言うよりは憑依の現象を分析すると言う試みでもある。普通の人はあまりできないししない。日常生活に困るから。でも今ならギリギリできるかもしれないと試みる。

この世の中は忙しい。
そんな暇はない。その中で、これだけの時間を割き、踊り続けていくということは普通の暮らしの幸せを逃しているのかもしれない。だから子供達には勧めない。でもそうとしか生きていけない人もいて、そのためにこんな形でも生きていけるという可能性のために今は存在していると思う。


京都(1月14日京都造形大)でシャンカールさんの作品を見た。インドのカースト制を扱った作品で、彼自身の拠点もジャングルの中の不可触民と呼ばれる人々と接する中間点に置きながら表現を模索しているという。(アフタートークで当事者研究という言葉が日本語なので英語でもToujisya studiesと呼ばれていることを知った。当事者性を考え、またその問題提起としてその場所を選んでいるのだと思う)世界各国で公演を行っているがインドでは6公演(2箇所)とのこと。もともとヨーロッパでのフェスティバル用に制作されている。都市部では「そういう問題あるよね」と受け入れられるけれども、そう簡単ではないとのこと。
今まで見えていなかった問題を明らかにしていくという意味で、意味ある行動であり、それを訴えるためにも作らざるを得ないのがよくわかる。一方で、それが難しいというインドの状況もよくわかる。それでもその苦味、それは「いま私たちが作らなければいけない必然」につながっていて、それこそがコンテンポラリーなのだと思う。

世の中はそんなにファンタジーじゃない。
お客さんはファンタジーを見に対価を払うというかもしれない。だからディズニーランドが成り立つ。2.5次元ミュージカルも流行る。経済的にも人気の上でもそういうものもあるべきだ。
それでもきちんと生き、生きることを考えるために踊るダンスがあっていい。ダンスでなくてもいい。演劇だろうと、文学だろうと。いまの哲学ブームはちゃんと生きたいという欲求のあらわれで、メディアに踊らされないで立ちたいということなのではないかと私は思う。

苦味は大事だ。
それを飲ますのはある種のユーモア、笑い、エロ、何れにしても何かが必要。でもその根本の苦味をなくしては表現をする必然性も失ってしまう。
あなたは何のために作品を作りますか?

2019年1月14日月曜日

年末年始

年末年始
実は死者の書の後ダメージが大きかったのか、なんなのか、なかなか回復できていなかった。今週になってやっと人に会うことができるようになり、回復してきたところ。
3年ぶりか4年ぶりで札幌に一回帰って、両親に会ったり、死者の書ゆかりの四天王寺や當麻寺にご挨拶(初詣)に行ったり、そうしたらまさかの橿原神宮が近かったので(こちらは建国体操の会場)それも行って宗教混合になった正月でした。

あの公演で起きたことはなんなのか、体で感じた感覚を大事にしたく今でもまだビデオを見ず、言葉を選んでいる状態ではあります。確実に何かは起きていて、でもこれをどのように捉えたらいいのか。

少しずつ言葉にしていこうと思っています。
多分こういうものを作ることができたのはとても幸せなことだと思います。そして作らなければいけなかった。皆さん本当にありがとうございました。

構造を作りそこに身体を放り入れる、それはEdgeも建国体操の時も同じです。ただし、今回ここまで舞台作品にしてしまったことで、また個人作品ではなくなったことでちゃんと言語化しきれておらず、迷惑をかけてしまいました。それでも言語化しきれない領域で、また、”見せる”という感覚を捨てなければできない領域だったんです。
一般に舞台公演はお客さんにどういう印象を残したいか、何を見せたいかを突き詰めていきます。それが演出です。
しかしわたしが出来ることはただそこにあり、そこに感じたものをそのままに感じ、受け止めること。演出不在のまま作品を作るということでもあります。2日間3回曼荼羅を描いていますが、毎回その時の感情は異なります。
舞台公演として本来は作品は固定化していくことを目指します。しかし、私はそれができる状態ではなく(かつてはもっと固定できていたはずです)、何かに呼び寄せられていました。プロとしては失格です。
落ち込み具合はただ事ではなく、これまでも作家として楽しかったと思って打ち上げを迎えられたことはないのですが、今回は本当に辛かったです。
集客でも見込みを超えて当日客が増えてしまいいろんな方にご迷惑をおかけしてしまい、そもそも踊る人が制作をやっていること自体も異常なのかもしれないけれど、舞台公演はもうできないなと正直思いました。

ただそれでも、一応舞台で踊る人であったんだということを鳥取の人々に知っていただく上で、また銀河鉄道祭は私は裏方なので、本当は踊る人だということをわかっていただくためにもやらねばならなかったんだと思います。


関わってくださった皆さんに感謝して。
ありがとうございました。