2014年10月30日木曜日

白静 スタッフの皆さま

白静に関わってくださった皆様

◎八木さん、Markさん
八木さんなくしてはこの作品はなりたたず、このプランを立てたときにまず八木さん!と声をかけ、かれこれ3バージョン目。毎回少しずつ練り上げてきました。エレキトリック箏の大迫力な演奏もさることながら、「水晶の夢」の歌はかなり印象深く、この作品の重要なポジションをしめています。(八木さんのライブでも演奏されているそうです。)
普段はダブルトリオ(のりさんがたたいています)などメンバーを率いてですが、今回は一人。すべてを一人でするのはきっと大変なはず。しかし一人ゆえの静です。
静のドラマツルグとして、わたし自身は静の霊(あるいは情念)であり、実は八木さんの歌世界の中にすぎないという考え方があり、ダンス作品でありながら、最後の最も大事な締めをお願いしています。これもまた八木さんの存在感ゆえです。
Markさんは八木さんの背後(あるいは柱の影)で八木さんの演奏を見守ります。ゲネのときには冒頭の歩きで私が柱のそばに佇むため、Markさんに話しかけているようにみえるらしく、Markさん=義経イメージが出てきてしまい大爆笑。義経ではありませんが、この作品を密かに見守る重要な役回りです。本当はjazz業界では著名な評論家さんです。

◎三浦さん
木野作品をかめりあより見守る照明さん。今回本番の日程でいることが出来なかったため、プランだけつくり、去っていきました。(売れっ子ですね)去りつつも舞台監督的役割をすべて果たしてくれました。ありがとうございます。黒静、白静などの空間構成の変化などは木野の考えが元になりますが、下見等は共に行いここでできること、出来ないこと等を確認した上で決めていきます。なので三浦さんにプランをだすための下見、三浦さんとの下見、その後の話し合いを基に完全に決定するための下見など3、4回は現場に通いますが、重要なのは三浦さんにプランをだすための下見。独りよがりにならず、作品を作るためのきっかけをくださっています。

◎古矢さん
三浦さんがかわりによんでくださった照明家さん。前回の黒静も手伝っていただいていたため心強かったです。三浦さんのところでもあげているとおり舞台監督不在の恐るべき現場、展覧会終了後の準備時間の短さにも関わらず、てきぱきと仕事をこなしてくださいました。(なので半分照明、半分舞台の人)ほんわり優しい方でした。

◎宮村さん
衣装、黒静は無印良品の(しかもセール品)のワンピースだったのですが、こんかい2012年の「しづ」(KAAT公演)の衣装を復活させました。
正しくはこの衣装の復活のために今回があるといっても過言ではないです。
素敵なしっぽのある衣装を作ってくださったのですが、3階のコンクリの中ではかなり厳しくって衣装を着ることはあきらめ、逆に白い布を思いつきました。白くて長いから道成寺にいってしまったのは私の発想ですが、あの衣装がなければそこにはたどり着けなかったことでしょう。そのためなんとかつながらないものかと考えていました。
今回前半は衣装をオブジェのように飾り、後半で着る形を考えました。そこは井筒で愛する人ののこした直衣を着るという話しを思い出したのです。
そんなわけで「しづ」の衣装は生まれ変わり、ちょっと長くなってしまったけれど、再登場を果たしました。
ちなみに今回の黒いワンピースは某スーパーSでかったスリップです。(リアルな話しですね)

◎中川さん
今回八木さんのドキュメンタリーを撮っていることもあり急遽映像をお願いすることになった中川さん。ドキュメンタリー作家ということもあり、作品の背景のインタビュー等もいれたいと話していました。(最終的にどうなるかは??)ダンスはあまりとったことがないとのことで、どちらかといえば表情などが増えるそう。たきしまさんの黒静とあわせ全く違う雰囲気になるのではないかと思い楽しみにしています。

◎小熊さん
本当はサグラダファミリアをとっている写真家さん、しかしこれるかぎり舞台の写真もとりにきてくれます。前回黒静とどのように異なるか最もわかる人かも知れません。正直写真には難しい白静の環境。どのようになるでしょうか。

◎上本くん、みのりちゃん、めこさん、蔀くん、桑原さん
受付お手伝いスタッフの皆さん。
これまでAAPA、AMANOGAWA、白州、かめりあとそれぞれ全然違う現場で出会ったにもかかわらず、お手伝いにきて下さった皆さん、ありがとうございます。特に桑原さん、本業(舞台監督)でちゃんと呼べない自分が情けないです。。。お言葉に甘えつつ、ちゃんとお返しできるようがんばろうと心に誓うのでした。
私はソロのダンサーですが、常にいろんな人に支えられています。
舞台をするとそんなことに気づかされ、また励まされたりします。ありがとう。

◎BankARTの皆様
今回cafe liveという形でよんでくださったBankARTの皆様。私自身がここで働いていたこともあり、ここでパフォーマンスを行うことはとてもうれしく、またとても思い入れも深いです。受付でよくお会いしていた方がひょろりと見に来てくださったり、公開製作で声をかけてくださったり。そのような再会もうれしいものでした。
現場の忙しさ(特にトリエンナーレ期間中ですし)がよくわかるだけに、大変な中こうして作品制作に没頭させていただけることもまた幸せなことだと思いました。
ありがとうございました。


DVD制作も含め多くの方のご協力のもと今回の公演は成り立っています。
見に来てくださった皆様、かかわってくださった皆様、本当にありがとうございました。


2014年10月25日土曜日

dance potlatch

ダンスの贈り物
という名前のDVDをBankARTさんつながりで作ってくださいました。
今回のcafe liveは今後のプロモーションに使えるようにダンスDVDを作ってくださるとのこと。 過去作品をまとめてみました。


ダンスは神さま(自然全体)への贈り物であると同時に、お客様への贈り物、そして様々な方が心を尽くし下さった(私がうけとった)贈り物。
作品を見るとプロデューサーさん、劇場さん、制作の皆さん、スタッフの皆さんの顔が浮かんできます。
Edgeは赤レンガのソロデュオで賞をいただいたもの。多くの方に出会うきっかけとなりました。今は亡き高谷さんや石川さんがとても大事にしてくださいました。

IchIはロンドンで作った作品。Place prizeで制作した後もspring loaded(プレイスの春フェス)、青山と旅をしました。その時ごとに大きく変化し、成長してきました。アシュフォードさんに出会った作品。もちろんエディにも。また、ラッセルさんへの疑問の投げかけでもあり、静につながる作品です。(静の中にもIchIの振付は含まれています)

からたちからはベースは「札幌市中央区南6条西26丁目」という踊りにいくぜで上演した自己紹介が元になっていました。AMANOGAWAを経て、また銀河鉄道を経て、告解という意味も含め作り直し、コールシャンティさんも巻き込んで作りなおした作品です。

AMANOGAWAプロジェクトは私は踊っていませんが、多分このワークがあればこそのからたちで、私はなぜ踊るのかを考える上でとても大切な作品です。今回時間の都合で本編しか入っていませんが、ワークショップや写真、テキストの記録等も含めての作品です。川崎市アートセンター(当時はANJが指定管理者制度で運営)の皆様と銀河鉄道クリエーションをうけ、更に311をうけ、失うこと、遺すべきこと、一緒に作ってきたものです。

静の写真なども含め、ちょっと集大成のようなものができました。
そのため表紙が顔写真(これは溝端さんの発想です)。
ちょっと遺影っぽい。
ここでしんでもいいのではないかと思う。

メニュー画面の音楽はNever let me go.
この3年くらいずっと喪に服していたのだということにも気がつきました。
決して忘れることはなく、しかしいつか乗り越えていきたいと思います。

この機会を与えてくださったBankARTの皆さん、ご参加くださっている八木さん、古矢さん他皆さん、お手伝いに来てくださった皆さん。すべての方の心をいただき踊らせていただきました。
また明日。
再びよき舞台になりますよう。



その後potlatchという言葉についてしらべました。
アメリカ先住民の中にある様々な儀礼のたびに大判振る舞いをする風習だそうです。お互いにもてなしあい競い合うのだとか。
Wikipediaによれば
この言葉は、チヌックジャーゴン(Chinook Jargon)で「贈る」または「贈り物」を表す言葉に由来する。ポトラッチは太平洋岸北西部先住民族の重要な固有文化で、裕福な家族や部族の指導者が家に客を迎えて舞踊や歌唱が付随した祝宴でもてなし、富を再分配するのが目的とされる。ポトラッチは子供の誕生や命名式、成人の儀式、結婚式、葬式、死者の追悼などの機会に催された。
と書かれています。
今回でいえば追悼なのでしょうか、ともあれ、なにかしっくりします。うちは裕福ではないですが、なにか自分がうけたものを分け与え、そして皆で共有していくという感じかと。思えば経済的にはかなり成り立たないのですが、それでもこの文化が続いているのはそんなPotlatch精神が生かされているのかもしれません。私が選んだ言葉ではないですが、舞台芸術はそういうものなのかもしれません。
そしてまたうけたものを他の方へ分配していく、その繰り返し。
私がもらったpotlatchそれを誰かへ。

白静プログラムノーツ

本日はご来場いただき誠にありがとうございます。
伝説の白拍子、静御前とはどのような人であったのかに想いをはせながら、作品作りを行ってきました。
白拍子というものが伝承されておらず、私の作品もあくまで一つのアイデアでしかありませんが、もしも静という人がこの現代によみがえったならととらえなおしてみました。
愛する人を想うがゆえに蛇となり、鐘にとりついてしまう道成寺の白拍子や、愛する人を待ちつづけ白河のように髪が真っ白になってしまった檜垣の白拍子、中世の様々な女性の姿をみてきて、私が静からうけたのは一人で生きていく覚悟と強さでした。
最終的に吉野山で義経と別れたあと再び会うことはなく、その子供も殺されてしまい、頼る人もなく静は悲しみの中なくなったと思われます。
しかしながらその強さは日本全国で伝説として語り継がれることとなります。
白拍子は遊女のように時代を経るにつれて身を落としていきます。しかし元々は神に祈るために踊ってきました。静は鶴岡八幡宮で何を踊ったのか。それを探そうとする試みです。

この作品は2010年ギャラリー招山(由比ケ浜)でのパフォーマンス、「しづ」(2012 神奈川芸術劇場大スタジオ 文化庁新進芸術家海外研修員による現代舞踊公演)、今年2月に行われました「静」(2014BankART Studio NYK 3Cギャラリー)をふまえて作成しました。時をこえ、場所が変わりつつも、作品を練り続けていくことができることをうれしく思います。関わり支えてくださった皆様に御礼申し上げます。                                                                             
                                                                                   
                                                                                                                        木野彩子







白拍子とは
もともとは拍子とともに歌う歌、その後その歌に合わせて踊る踊り、またその踊りを踊る職業の総称をさすようになった。
    多久助が申(し)けるは、通憲入道、舞の手の中に興ある事どもをえらびて、いその禅師といひける女に教(へ)てまはせけり。白き水干に、鞘巻を差させ、烏帽子をひき入(れ)たりければ、男舞とぞいひける。禅師がむすめ、静と云(ひ)ける、この芸をつげり。これ白拍子の根本なり。仏神の本縁をうたふ。(『徒然草』)
とあり、曲舞のように神仏のありがたさを謡いつつといたものであり、男装の舞であったようである。

   白拍子舞とはどのようなものだったのか


白拍子にあわせて踊られた踊り。
まず一声(和歌朗詠など)があり
舞台を一周した後
白拍子の謡舞があり
最後に「セメ」と呼ばれる足拍子を踏むシーンがあったと言われている。
静が鶴岡八幡宮で舞った際には「しんむしやうの曲」を謡ったが、その場にそぐわないと思った工藤佑経が「セメ」とよばれる終わりの急な調子の鼓をうったので、静は「君が代の」と声をあげたという。(『義経記巻6』)
『今様之書』には右のような記述がある。
(沖本幸子『白拍子舞から幸若舞へ』国文学解釈と鑑賞74(10),2009


 能「道成寺」「檜垣」には白拍子がシテとして登場し、乱(蘭)拍子を踏む。この乱拍子は当時の白拍子が舞っていたところから取り入れられたという説もある。

◎ 静御前とは
 悲劇の英雄源義経の愛人。99人の巫女が降らせることができなかった雨を降らしたと言われる舞の名人。吉野山での義経との別れは能「吉野静」に表されており、気の強い女性であったらしい。
 鎌倉幕府(頼朝)にとらわれた後、鶴岡八幡宮で舞うことになった際、
「しづやしづ しづのおだまき くりかえし むかしをいまに なすよしもがな」
「よしのやま みねのしらゆき ふみわけて いりにしひとの あとぞこいしき」
と義経を恋う歌を歌い、頼朝を怒らせたという逸話も知られている(『吾妻鏡』)。





日時:          1024日(金)19:30開演
1025日(土)19:30開演
場所:          BankART Studio NYK 2Bギャラリー
神奈川県横浜市中区海岸通3丁目9
料金:          2000円(1ドリンク付き)

構成出演:                    木野彩子
音楽出演:                    八木美知依(17絃箏、21絃箏、歌)
照明デザイン:              三浦あさ子
照明オペレート:            古矢涼子
オリジナル衣装デザイン:   宮村 泉
音響効果:                     Mark. E. Rappaport
記録写真:                     小熊 栄
記録映像:                     中川泰伸
協力:               上本竜平、桑原淳、蔀 健、御代田直樹、山田恵、内藤久義
スタジオマキノ、日本基督教団巣鴨教会



            主催:    BankART Studio NYK
                   BankART cafe live 2014          


2014年10月20日月曜日

白静 BankARTクリエーション

本日よりバンカートのクリエーションをはじめました。
振りの練習等は既に別場所で行っているものの、現地でなければできないことを中心に行う予定。(が、展示の都合もあり実際には夜7時以降にしかできず、かなりの路線変更が今日明らかになる)

日曜日ということもあり横浜トリエンナーレに来たお客様が多く(今日はオクトーバーフェスト最終日)、様々な方にお会いしました。
大阪から来たお客様と札幌ビエンナーレの話しでもりあがったり、腕を触られたり(整体をなさっているそう)、ストレッチの仕方について質問を受けたり、なんだか様々です。ダンスすごーいと目が離せなくなってしまった子供がいたり、少しずつおはなししながら今日は過ごしていました。

正直厳しいクリエーション状態(1日中見られっぱなしでご飯食べそびれたり、床のかたさで筋肉がやばかったり)ではありますが様々な方にお会いできるのはうれしいことです。

今日夜の大実験の結果はなんと電話を忘れてきてしまったため後日。
日々試行錯誤。

2014年10月18日土曜日

静御前について

静という作品は静御前の伝説からふくらませて作られています。

そもそものきっかけは由比ケ浜の招山さんというギャラリーで八木さん、michiさん(映像)と私がパフォーマンスを行ったことがきっかけです。


静御前の伝説は多数あり

◎静の母、磯の禅師が男舞をならい娘に伝えた(徒然草)
◎99人の巫女が雨乞いを行ったがふらなかった雨を降らせた
◎義経の愛妾となり、敵に追われ危険なめにあったときにも機転をきかせ彼を支えた
◎彼とともに逃げようとしたが吉野の山で別れる
◎頼朝に見つけられ鎌倉につれられる
◎天下に知られる静の舞を見たいといわれるが拒み続ける。しかし頼朝側が鶴岡八幡宮に奉納するためのものとして強いてくるため、舞わざるをえなくなる
◎その際
しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」
吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」
と歌い、頼朝の怒りをかう。しかし政子になだめられその場はおさまる。
◎その頃既に静は身ごもっており、そのこどもが女であれば生かすが男の場合は殺すといわれる。(頼朝自身が仇をうたれるのを恐れたため)
◎生まれたこどもは男の子。逆らったものの由比ケ浜に流される。
◎失念した静はその後母磯とともに放浪、消息は不明。日本各地にその墓がのこされている。
これらは義経記、吾妻鏡に記述があるものの、義経記の書かれた時期を考えるとどこまでが真実かは曖昧である。
ただ非常に魅力的なキャラクターであることもあり、能、歌舞伎の演目にたびたび登場していたり、鶴岡八幡宮でも静御前の舞が毎年奉納されている。この舞は日本舞踊として創作されたものであり、実際の白拍子舞(静が舞ったもの)が伝承されているというわけではない。
静はどんな気持ちで舞ったのだろう?
静の舞った舞はどんなものだったのだろう?
静の想いで今舞ったらどういうものになるのだろう?
そんなところから私はこの作品を舞台化しはじめた。

実際に白拍子舞について調べてみると、伝承はされていないが、今様之書に記述があったり、それに近いだろう幸若舞などの資料はでてくるものの幸若舞、あまりに動きが少ないためダンス作品にいかせるわけではなく、そこから派生した踊りを探りはじめました。(綾子舞を学びにいったり、花祭を見に行ったりといった民俗芸能リサーチもつながりました)

乱拍子から道成寺やら檜垣やらに話しは広がり、でも今っぽく考えてみたらもっと踏むだろう(アフリカンダンスとかフラメンコとか)乱は激しいの意味ではなく崩すの意味ではないかとか、日本の芸能をみにいって、カオスのようなものにとても惹かれたり、またそれが聖なるものと近い関係にあることを知ったり。

最終的に

一人の女性の中にあるドラマ(義経を思う気持ちやこどもを失った悲しみ)
神(自然)への祈り(元々白拍子は巫女的要素もあったと思われる)
その2つの要素が混ざったときのカオスのようなもの。
それもできればトランスのちょっと手前くらいのところを目指したい。



とある批評家さんに前回公演後「ユーモアがないと」という話しをされた。

ユーモア、
この現代においてここまで真面目に祈りの形を作ることそれ自体が最大のユーモアであり、たくさんのエンターテイメントがある中で今私が作り出せる色はこういうものだと思う。
そして多分私にしか踊ることができず、他に人に振付けることができないという点でも私らしい作品だと思う。正しくは私のではなく、八木さん三浦さん皆さんの力があってのもの。
私の勝手な勘ですべて女性陣で作られているのも特徴(音響で後ろにいてくださるMarkさんをのぞく)。なかなか再演できるものではないのでこの機会にぜひお越し下さい。

なお、前回(2月)公演とは空間が異なることにあわせ、1シーンが全く変わってしまったうえ、振りおこしをしなおしています。その違いもまた楽しめます。


前回静公演についてはこちらを。

http://saikokino.blogspot.jp/2014/02/blog-post.html

静にいたるまでの過程として

しづ
http://saikokino.blogspot.jp/2012/12/shizu.html




2014年10月6日月曜日

静、お手伝いいただける方を募集しています

10月24、25日本番の「静」(白)ですがお手伝いいただける方を募集しています。
22日(ゲネ)、24、25日(本番)
いずれも夕方からで、いり時間は相談のうえ決めたいと思います。
「静」(黒)をご覧になった方はわかるのですが、布が結構危険で使い方はかえるとしても支えてくださる方が必要なのです。なので重労働ではありません(たぶん)。
ご連絡お待ちいたしております。

月1静岡生活

台風により学校もお休みになり、ほっと一息。
でもうちのエリアは避難準備警告などだされ、消防車(?)がひっきりなしに移動しています。

SPAC enfant実は密かに進行中で昨日は静岡におりました。来年の新作は3月にオーディションが行われることになっています。タカセの夢ではなく新作を考えています。
8月に行ったオーディションの参加者の子どもたちがいかにのびていくか、また変わっていくかをみていくため、再度オーディションとなったのですが(もちろん新たな参加者も募集中)、そのための補講(?)ワークショップを行ったのでした。
オーディションのときは怒濤のようにやってみた動きをもう一度やってみたり、ダンス経験者でなければ難しそうな動きを少しずつ分解してみたり。ダンスの技術は確かにあった方が心強いけれど、でもなくてもできるようになる。もしかしたら新しい発想や面白い動きはそういうところからでてくるのかもよ。そういうことをわかるためのおまけのワークショップでした。
これは2期生タカセの夢の経験を生かしてのこと。すべての子どもたちが無限の可能性を秘めていると私は思います。
月1静岡生活、密かに継続中。


おまけ
このワークショップを開催することにしたのは、8月のオーディションの状態ではある程度ダンス経験を持つ子にとても有利な形になってしまうと思ったからでした。それだけニヤカムさんの要求レベルは上がっていたし、動きやリズムも複雑化していました。
たかだか月に1度くらいではいきなり上手くなるということはありません。しかしここで思い出したりうけたものを自分なりに考えたり工夫したりするようになればきっと踊り方、舞台への姿勢が変わっていくだろうと思うのです。
この作品は完全なプロフェッショナル向け作品ではなく、中高生のためのものであること、また人材育成のためのプロジェクトでもあるということなどを加味し、このような特殊なことになっています。

2014年10月4日土曜日

その日を摘め

今日、私の師匠が旅立ちました。
私にはたくさんの師匠がいますが、おそらく踊ることと存在感について、また生き方について最も影響を受けた方だと思います。

今日は多くの関係者が集い、様々な話しをしました。
死期が迫るのを感じつつ、最後までクラスを続けようとしていたことも、発表会を設定しこれまで関係してきた人をつなごうとしていたことも、密かに身辺整理をきちんとしていて、スタジオ運営等様々なことの準備をしていたことなど彼女の心配りがみえるのでした。独身ではあったものの、兄弟、そして弟子たちが支えあたたかく優しい死期でした。(予想以上に早かったというのはありますが)心配させないためになのか、伝えることが多すぎたせいか最後に幸運にも私は様々な話しをさせていただきました。散々しかられました。

怒るのはエネルギーがいることだからなかなかできないことよという八木さんの言葉。

でもそのときすべてのことを返すことができなかった。
もっと話すべきことがあったのに。


昨日から予感があって、
昨日の夜も寝れなくなって、
そして今朝(?)。

今日、私は彼女が話していた作品の練習をするべく稽古場にいき、ビデオを見返していました。
「その日を摘め」という作品は2010年のもの。
他の作品の話しをしているときに
はさみよ、
ちょきんよ、ちょきん、どうなってる?
それはちゃんと踊りなさい
と先生はいいました。

何のことかと思ったらその作品のことでした。
みればわかります。そうか、きるのか、そして歩くのか。
様々な作品がありますが、その作品は多分のこる私たちのためのもの。
あえてその作品を選んだ先生の気持ちがみえてきます。

実はなんとなくそんな気がしてあまり踊りたくなかったその作品。
しかし私は踊らねばなりません。

2ヶ月後まで。
お別れの会はつづきます。


2014年10月3日金曜日

ペンギンカフェ

ペンギンカフェ来日公演
2014.9.24
京都コンサートホールアンサンブルホールムラタ
2014.9.27
東京めぐろパーシモンホール
2014..9.28
横須賀芸術劇場

ペンギンカフェ来日公演にて踊りました。
実際の出演時間は短く4曲(と2曲間に含む)とカーテンコールであわせて20分強でしょうか、しかし山田さんはその中にも物語をつくり曲ごとに全く違う振付を考案しました。
せつ子さんのペンギンに対する愛情とこだわりが節々に見えるよき振付です。

監修・振付 山田せつ子
ダンス 小田直哉(大駱駝艦)、木野彩子

衣装 岩切明香

今回、かなり学ぶことは多く、いろいろ考えさせられました。そもそも振付とは、みられることとは、なぜ私は振り覚えが悪いのか、舞踏とダンスの違いなどこれらはおってあげていかねばと思います。
ペンギンさんたちはとても喜んでくれて、長い間この仕事をしているけれど、あの絵が浮かび上がってきたようでとてもうれしいし何か全く別の次元にいけた気がする、ぜひロンドンでやってほしい!といいはじめています。どうなることか?


 パーシモンの図。多分1200人規模の結構な大劇場ですが完全満席でした。京都もです。ありがたいことですね
ちなみにこれはスタッフのさちさんがかいてくれたペンギンの絵左が私だそうです。
横須賀は満席ではなかったのですが(なにせオペラホール)1、2階席はほぼ埋まりました。
年齢層は少し高めで、親世代のペンギン好きがたくさんいることが見えました。
ちなみに現在のペンギンカフェは「ペンギンカフェオーケストラ」ではなく、息子のアーサーが後をついではじめたものです。余談ですが彼らのほとんどはロンドン北西部に住んでいて、ケンサルライズ(私が住んでいたエリア)とかウィルスデン(ラッセルのうちのエリア)とか超ローカルネタでもりあがりました。

ペンギン写真はFacebookにて。
なにせかぶっているので私はみる(とる)ことができないのです。
プランクトンウェブにものっています。
http://www.plankton.co.jp/penguin/index.html

コミュニティーダンスファシリテーター養成講座

コミュニティーダンスファシリテーター養成講座@大阪体育大にいってくる。

大阪体育大は大学の先輩(しかもロンドンつながり)の白井麻子さんがいる!ということもあり、またセシリアさん、ダイアンさん両方ともイギリスコミュニティダンスではとても知られた存在で、これはあいにいこうといってくる。
(ちなみにダイアンさんはAn introduction of community dance practiceの著者。この本はプレイスのクリスさんにコミュニティダンスについて知る上で1冊よむならどれ?ときいたらあげられた本)

日本全国から50人もの人が集まり、合宿を行う。しかも朝から晩まで(さらにBar 浪商)ダンスづくしで、とても興味深い。大阪体育大は関空に近く、LCIを利用してかなり地方からの参加が多く、懐かしい人にたくさんあうことができた。(康本さんなんて12年ぶり!とかちょっと衝撃的)

ファシリテーターという言葉は
学校などで教える人(ティーチャー)のかわりに使われる導く人のこと。(実は日本語訳がなく、いまだどうよんでいいか迷っている)みんなが参加しやすく話しやすい環境をつくり、共に作品を作る人。
振付家という概念とは大分違っていて(ただし北村成美さんなど多くのファシリテーターは本来振付家)、皆が作ると一歩引いた姿勢でもある。

実際この講座内でもクラスだけではなく実際にそれぞれが導いてみたり、話し合ったりする時間が多い。特にグループで話し合い、各グループごとに内容をまとめ、全体にシェアさせる手法が多く使われ、ディスカッションの講義のようでもあった。

怒濤の4日間。
しかしこうして活動する人がこれだけたくさんいるのかと驚かされ、(JCDNの方々も驚き)グループを作って情報交換を行うことになった。









でも実はまだ最後にださなきゃいけないレポートをだしておらず、反省。かなりまずい。

身体表現法2014

某大学で身体表現法という授業を担当しているが、今年はじめて学生アンケートの結果を受け取った。専任で担当してくださっていた先生が退かれたため、急遽私が担当者となっているためでもある。
実際には私だけではなく美術の先生との授業展開なので、なんともいえないが、
いろいろ考えさせられることもある。

最近一般的になってきた学生による授業評価だが、アートなどの範囲では必ずしも「今わかるものではない」ものもあるだろう。学校教育の結果は数十年経たなければわからない。この結果に一喜一憂していてはいけないなと思う。
そもそも評価が悪かったからといって授業内容をかえなければならないのか?などの疑問は大きい。しかしこれも学びと思い精査する。

(おまけ:でもやはり実技科目であり、単純に楽しいところだけをやっているので学生の評価は悪くなかったりする。なにぶんなぜ国際経営でといわれそうな授業内容なので、どきどきしていたが、担当してくださっていた先生の理念、思想が続いていくことを望みたい。思えば彼も元大駱駝館、、、学生は単位とりやすそうーとかそういう気持ちでくるのかもしれないけれど。。。)


からだのじかん2014

阿佐ヶ谷美術専門学校のイメージクリエーション学科にてなぜか3年時の学生が参加する「からだのじかん」をここ数年担当しています。
本来の担当の先生がいうには卒業制作で固くなった頭と身体をときほぐすためのクラスでちょっとずつ拡大してきました。今年は6月と9月にわかれて計6回のセッションがあり、シンプルなマッサージ、身体ほぐしだけではなく、ビデオをみながら各振付家の行ってきたことをおためししてみたり、作る作業をおこなってみたりと様々なトライアルを行うことができる機会です。

今年の受講者はなぜか少なく、それがとても残念。
(今回はじめて思ったのですが超少人数向けのクラスというのがなかなかないため、それはそれで学ぶ機会でした)
なぜか最終日にはチェコ人の留学生とその案内をしてきた先生が参加することになったり、そのうち仮面ライダーやってるんじゃないかと思われる学生がまざってきたり、元々美術畑なのでセンスはある面白い学生さんたちに出会えたりと実は楽しみにしている授業です。

今回の授業の最後では
できなかったこと、できないことは実は新しい発見のきっかけになるという話しをしました。何が引っかかっているのか、なぜできないのか、もしかしたら本当はできる必要自体がないのではないか、そうやって試行錯誤していくことがまた新しい発想を生んでいきます。
またなんだかわからないけれどやってみてしまうことのすごさを学びました。
またそれをやってみてしまうような環境をつくることが私の仕事で、私が作ったものではなく、皆が少しずつかかわって「できてしまったもの」。
行き詰まったら仲間に話し、視野を広げることも大切だろうなどの話しをしました。

ダンスあるいは身体表現はもちろん突き詰めていくこともできますが、一般への応用価値はとても高いと感じます。