2015年12月1日火曜日

ポーランド

ポーランド演劇事情についてのワークショップ、トークディスカッションがあり参加する。ただし私がいけたのはワークショップと最後のディスカッションの会だけなので、すべての会を知るわけではない。

ポーランドという国、皆さんはなにを思い浮かべるだろうか。
私はクラクフに2度ほど行っているが、長期滞在はしていない。それはまだユーロに完全に入る前で、その時点ですらあまりにも急速な町の変化に衝撃をうけた。(ブログにもかいたはず)この古き良き町並みは5年後には消え失せてしまうかもしれない。そんな感じを受けた。それから6年。今ポーランドは政権交代で芸術表現に対する弾圧をうけている。

ワークショップはグロトフスキーの思想を断片的に紹介するもので、その場にいたメンバーにあわせ調整してくれていた。私は演劇の人間ではないものの、「俳優の身体」というタイトルに心弾かれ応募。実際私がAmanogawaプロジェクトでしているアプローチに近いものがある。演じる前のからだ。そもそも役者とはなにか。
目の使い方、距離の取り方が全然異なる。私がソロ作品ばかりつくっているからか、ダンスの人間だからか。

そしてトークディスカッションの際には20代から40代という若手(でもフレトさんはさりげにシアターオリンピックのディレクター)の声からポーランドを知ろうとするもの。
実はポーランド1ヶ月前に政権交代が起こり、右翼よりになった。
それはかなり極端で、彼らの演目の上演前にも圧力をかけてくる。質問をうけて話しはじめたが、笑いが起きてしまうくらい深刻だ。
検閲の話しは実はFTでは岡田さんたちが扱っているが、現代でも政治力により表現は制限されざるをえないのだろうか。

ポーランド演劇は国立劇場での演目は勿論だが、多くの公演が公的サポートを受けており、政治的圧力を受ける可能性がある。(日本もそうだけれど)
FTの方とお話したときに、やはり自主規制とまではいかないけれども、配慮していただいているようですという話しを聞く。

つくりたいからつくる、
いまはなすべきことをはなす
それだけのシンプルなことがなぜ成立できないのか。