2014年12月31日水曜日

2014年

一期一会という言葉がある。

未来と過去が出会う現在は一瞬にすぎない。その瞬間であったらもしかしたら次はないかもしれない。だからその出会いを常に大切にしなければならない。


一度離した手は二度とつながることはないということ。

たまたま津のパフォーマンスの最後で手を握ってもらったときにいろんなことがフィードバックしてきた。うちの師匠の最期のときも、銀河鉄道も、静にとっては義経だ。一度断ったこと、消したものは二度と戻ることはない。時がたてば解決することはあるが、時がたつのでそのときとは違うことが起きてしまい同じかたちでつながることは二度とない。そして同じかたちでつなげてはならない。
当たり前のことだが、そのことを学ぶ一年だったように思います。


この2014年はこの5年ほどの全てがまとまるかのような1年でした。帰国して既に5年ほどたちますが、かめりあ祖母、牧野先生の死をはじめとしてこれまで作ってきた作品もすべてがひとくくりされました。なお、通常2、3年に1冊まとめるファイル(チラシやプログラムの保存用)がちょうど今年の年末で終りました。なんだかすべてが一区切りのようです。
個人としては大学院に進学し学ぶという環境におかれながら、改めて「そもそも作品を作るとはどういうことか」と考えています。

ユーグとの作品タイトルはMobiusですがそもそもは蜂谷さんとユーグのCDからきたものでした(メビウスの鳥)、ぐるぐるまわりながら思うのはメビウスではなく、その瞬間が永遠でありかけがえのないものであったのだと思います。
そしてそれは実はEdgeより遥か昔既に私は知っていたのだということに気がつきました。
「時間はながれているものなのか、それとも静止のかたまりなのか」
はじめて人に振付けた作品(大学時代)のもので、その時既に私は、自分の記憶がものすごく固執したかたちで覚えていて他をすべて忘れてしまうおかしさに気がついていました。その時他のダンサー3人にはふーむといいながらがんがん踊ってもらっていましたが。
すべてのものはつながっている。永劫回帰。
しかしながらその瞬間は常に一度しかない。そんなことを思います。

輪を広げつないでいくことが2014年のテーマだと書いていました。輪を広げたのだろうかというとよくわかりません。でも何か全てがまとまった感じがあります。2015年はおそらく新しくであうための1年になるだろうと私は考えています。また思想を言語化する訓練をすることでもう少し分かりやすく物事が伝えられるようになるかもしれません。

(分かりやすいことがよいことではないことも付記しておきます)
またひとつ前へ。

今後ともご指導ご鞭撻よろしくお願いいたします。



2014
◎企画運営を行ったもの
@BankART studio NYK。国際舞台芸術ミーティング(TPAM)にて2月に公演、その後Cafe Live というBankARTさんの企画によんでいただき再演させていただきました。箏の八木美知依さん、照明三浦あさ子さんとのコラボレーション。2月は大雪の中のパフォーマンスで3階の倉庫部分だったせいもあり黒静、10月は2階のギャラリースペースの公演だったため、「しず」の宮村さん衣装をオブジェのように用い白静としました。
私はこの作品の可能性を深く感じます。

「SaRa」

セッションにいれるべきか迷いますが、ベルリンTheatre Kinoで行った中沢レイ(ダンス)Hugues Vincent( チェロ)、上地正彦(バスクラリネット)と4人で行ったパフォーマンス。構成がかなりしっかりくまれており、その中での即興というかたちで、このメンバーであればこその内容だったと思います。
トゥールChapell Saint Anne(フランス)、パリAckenbush(フランス)でもパフォーマンスを行いました。

「Mobius」

本当はドイツ語表記。上にもあるようにHugues Vincentとのリハーサルを重ねつつでも最終的に即興に持っていくシリーズ、今年はパリBertin Poireeと茶会記で行いました。






◎セッション
「こえおんだぶ/声音打舞」
TIOでご一緒している蜂谷真紀(vo,voice)さんに誘っていただき、暴れてきました。吉野弘志(contrabass)岡部洋一(perc)@音や金時

「坂田明サロン」
忘年会で出会った勢いで坂田さんに呼ばれて茶会記で踊りました。同様に森重靖宗さん、稲垣弘子さん(ライブペイント)もご一緒に。あの狭い空間で4人、しかも稲垣さん壁一面に広げて描く。終了後はミジンコ話で大盛り上がり。

orbital link


中沢レイさんが考案したダンスと音楽のイベントをベルリンで開催、地元のアーティストとの出会いの場をつくりました。



「ダンスと音と飛茶瓶洞」
蜂谷真紀(voice.vocal)さん企画第2弾はフライングティーポットにて。北陽一郎(Trumpet)、菱沼尚生(tuba)さんもご一緒に。


「続 酔狂即狂」

櫻井一也さんがきになった音楽家を招いて行うセッション企画。新井陽子さん(ピアノ)、松本健一さん(サックス)こうけつ雅代さん(サックス)、森重靖宗さん(チェロ)、おちょこさん(ボイス)菊池びよさん(ダンス)@なってるハウス

「TIO」

Tokyo Improvisers Orchestraも今回はなんとPit inn.過去3回参加していますが、着々と成長しているような気がします。

「スタジオソノリテお祝いダンス」

これをなんと名付けていいのか分からないのですが、とりあえず、そうとしかいえない待ち合わせでした。中沢れいさん、木室陽一さんがご一緒。



◎ダンサーとして参加したもの
「ペンギンカフェ」
ペンギンカフェ(ペンギンカフェオーケストラは息子アーサーが後を継ぎ現在この名前で活動しています。)のコンサートにて山田せつ子さん振付のもと踊らせていただきました。ダンサー:小田直哉さん(大駱駝艦)、衣装・マスク:岩切明香さん
京都、東京、横須賀とミニツアーとなりました。

「牧野京子舞踊研究所発表会」

「危険な岸辺」「その日を摘め」を踊らせていただきました。

◎ワークショップ
この数年続いている大学、短大の授業の他以下のような活動も行っています。

「タカセの夢」
静岡舞台芸術センター(SPAC)の振付アシスタントワークも実は5年が経過。タカセくん世代が卒業ということで、来年はおそらく新しい作品にかわることになりました。
今年はふじのくにせかい演劇祭への参加の他、ニヤカムさんの故郷、カメルーンでも公演を行いました。ニヤカムさん不在のことも多く木野はリハーサルダイレクター的役割も果たしています。

「ゆるやかにのびやかなからだをつくる時間
  町田成瀬中央小学校で活動するP-地サークルさんと津にて開催しました。
 タイトルは違いますがコントーションを学ぶ皆さんへのワークショップなども開催しました。(意外にもゆるくはなくてびっくり!)


◎DVD「Dance Potlatch」発行

まとめた感はもしかするとこの作業のせいかもしれません。
10年分の抜粋編、実は全てがはいっているわけではないのですが、それでもこれまでの作品について考えさせられました。幸せなことです。






かみさまとは

かみさまとはなんだろうか、とながく思っていた。
私が踊っているときに導かれる気配だろうか。
いやそれは義経さんが(つまり役柄としての私の思念が)ひっぱったのではないか。
気配とともに踊りながら、考えていた影の存在をIchIで実際にダンサーさんに踊ってもらうことで明らかにしようとしたが、実在することで見えなくなってしまう。
仕方がないので再び一人で踊りながらこの気配を考えている。

銀河鉄道の夜でジョバンニはこんなことをいう。

「あなたのかみさまってどんなかみさまですか」青年はわらいながらいました。
「ぼくほんとうはよく知りません。けれどもそんなんでなしに、ほんとうのたった一人ひとりかみさまです」
「ほんとうのかみさまはもちろんたった一人ひとりです」
「ああ、そんなんでなしに、たったひとりのほんとうのほんとうのかみさまです」

ジョバンニは違う神さまだと感じていたようだが、賢治はすべての人にそれぞれのかみさまがいると思っていたのではないか。それぞれの生き方それぞれの祈り、それぞれの想いがあるので他者を否定する必要はない。
さらにそれはかみさまはほかにいるのではなくその人自身がかみさまであると思っていたのではないか。すべての人がすべての生命が、すべての物質がかみととらえること。かみさまは既にその人に内在している。
彼は仏教徒であったはずだが、言葉の節々にそんな思想がかいまみれる。だからこそすべての人が芸術に携わるべきと思い活動していたのではないか。またこのようなキリスト教を連想させるシーンが挿入されているのではないか。

かみさまという自我を超えた別存在を作り出すことで、社会が成り立ってきた歴史がある。これはこれで素晴らしい人類の智慧であると思う。キリスト教の歴史をたどると迫害を受けた時代、遠方へと手紙で伝導しようとした時代など時代をおって聖書の書き方、言葉の選び方が変わっているという。本来のキリストの意思や意図を超えてその使徒たちがつくりだしてきた文化であり文明。

その中には様々な軋轢があり分離独立も多々あり、今も一口でキリスト教といえないくらいの層の厚さと幅がある。そこから学ぶことは多い。



白静ビデオができました。

今回撮影してくださっていた中川泰伸さんより白静映像がとどきました、が、現在youtube
上で公開できず。
年明けすぐには皆さんにおみせできそうです。

黒静(たきしまひろよしさん撮影)と比べ、ドキュメンタリーの映像さんらしく表情のアップなどが増えています。たきしまさんの映像のほうが全体像はわかりやすいかもしれませんが、八木さんとの距離が近くなったためか掛け合いがかなりはっきりみえます。また冒頭何をしていたのかが分かります。実はあの歩きはものすごく重要だったのではないかと思っています。両方みた人はあの大雪の記憶があるせいか、黒静のインパクトが強いようですが、ぜひ両方見比べていただければと思います。

スタジオマキノの終了について

私が長らくお世話になっていた牧野先生が亡くなり、そのスタジオもこの12月でキッズガーデンさんに移行することになりました。
この年末が最後の稽古と大片付けで、しかし先日の発表会に合わせて米井さんなど様々な方がきていたせいかあまり人もおらずさみしい感じの最終回。
私が海外に行っている間にこの高津へと移転してきたので、ちょうど10年になるそう。(それまでは都立大学)大体毎週高津にやってきて、時間があれば高津図書館に立ち寄り、駅前のドトールによるなじみの場所だっただけに、今後こなくなるのかと思うと少しさみしいです。
ハンダさんはじめ皆さんと本当に大変だった事などをお話ききつつ、それでもいいときに逝くことができたのではないかといっています。
先生は独身だったこともあり札幌のご家族なども教室を見に来てくださったりもしました。たくさんの人が発表会だ、片付けだと動き回ってくれて、皆に見送られていくことができた先生は幸せだったのではないかと思いました。

先生にも宿題出されてしまったし、普段の身体づくりからちゃんと見直したいなと思い、家稽古は既にスタート。すっかり筋力が低下している感じなので、少しずつ立て直したいです。おそらくこれまでしてきたことは牧野先生の作品を踊るための稽古であり、そのための身体づくりだったので。

江口先生の死後、稽古場がなくなったように、基本的にモダンダンスは1振付家1思想。ピナのようにレパートリーがある場合は分かりませんが、それでも変質していくのは否めません。一番悪いイメージはグラハムさんのところでしょうか。
牧野先生の思想を受け継いで、それぞれが少しずつ近づき離れしながら新しく思想を作っていくのではないかと思います。

スタジオマキノ
http://www16.ocn.ne.jp/~k.makino/
従来の月曜木曜の夜の稽古と土曜午前はハンダイズミさんのクラスになります。私は過去ハンダ作品に何作品か出ています。バランスのよいバレエベースのコンテンポラリーのクラスです。ご興味のある方はぜひ。

ハイデルベルク信仰問答

巣鴨教会さんに関わり作品づくりをしていく過程で、聖書についての勉強会に参加することになった。かれこれ1年半。そのテキスト「ハイデルベルク信仰問答」がこの12月28日終了しました。

長かったです。
私の仕事の都合もあり、日曜日の礼拝になかなか伺えないので補講などもあり、なかなか大変でした。

ハイデルベルクというのはドイツの町の名前。キリスト教の中でもプロテスタント、しかもカルヴァン派と呼ばれる方々が聖書について学ぶ際に使っているテキストで、聖書の抜粋ともいえる文章とその文章の元になる聖書の箇所が示されており,それをひたすら音読していくというもの。
これをつくった人がすごいとまず思う。聖書の1文1文すべて網羅しているのか。
さらにここで基本は音読というスタイルもすごい。
大きく語らず、それぞれに悟らせるというのが基本の様子。(そういうところ仏教にも近い気がする。この分かりやすいテキストを用意しているあたりが既に違うともいえるけれど)
補講のときなどいろいろ質問し、それに答えてくれる牧師さんもすばらしい。

本当は洗礼前の求道者さん向けの講座だったらしいけれども、ごめんなさい、私はやっぱり洗礼をうけることはできませんと話しました。ゆるやかに教会さんとかかわっていければということになりました。このハイデルベルグにおける対話は本当にそのまま銀河鉄道のリンゴの青年とジョバンニの対話になるような気がして、いろいろ考えさせられました。

「からたちから」は再演しないの?と何人かの人にいわれました。ここで作りなおすとしたら、私はきっと神さまについて牧師さんとお話をするところから作るような気がしました。でもさすがにまだ私の勉強が間に合っておらず、今年は難しかったです。がんばって勉強したところで先に進まれてしまうので、結局間に合うということはないのかもしれません。幸か不幸か。

「からたち」と「からたちから」は円がひらいてとじるまでを示していて、私はかなり気に入っています。ここにすべてが既に見えているということが分かってきてそれもまたすごいと私は思う。この両方をみた人は実はあまり多くなく、それが少し残念。


コールシャンティ合唱団さんと野本先生

この2年か3年クリスマスの前日(23日)は巣鴨教会と茶会記忘年会のはしごとなっている。天皇誕生日のせいか、毎年この日で、毎年同じような時間帯なので。
コールシャンテイさんは「からたちから」の合唱を担当してくださった体育会系合唱団さん。巣鴨教会に所属しているわけではないけれど、長いこと練習場所として使用していて、その縁で毎年クリスマスのキャンドルサービスのときに合唱を披露してくれる。
団員はあまり多くない。でも長く続けている人が多く、また団結力は強い。

そのシャンティさんを指揮しているのが野本明裕さん。
70歳を超えるとは思えない若々しさで、時に冗談を飛ばしつつ、皆を引っ張る。
この合唱団の特徴としてトレーニングとしてストレッチ、縄跳び、腹筋などを取り入れており、それらも野本先生の解剖学に基づく合唱理論によって行われている。(ちなみに団員の皆さんの年齢も上は60歳代もかなりおり、その若さを保つ秘訣もこの運動部分にあるのではないかと推測している)
もう一つの特徴はトマス•ビクトリアの楽曲を扱っていること。
ビクトリアは合唱をする人は知っている、無伴奏 ポリフェニック合唱の作曲家。今年もまた新しい曲に挑戦中で、今回はキリエとアニュスデイをとのこと。(なので「からたちから」のときの曲ではない)野本先生は人数少ないからさーとはいってはいたけれど、このポリフェニックというのがすごくてお互いにお互いの出す音の倍音をききながら歌いハーモニーを作り上げていくというこのすごさ。
野本先生曰く
ビクトリアは神職を勤め上げたんだよ。世俗音楽一切書かなかったし。
マリア(皇太后)について教会を移り、そこで司祭として彼女を支え続けた。
ほれているけれど手を出せない(出さない)その葛藤から生まれる情熱の音楽。
だそうです。

確かに他の同時代の作家(パレストリーナ)等と比較すると感情がみえるというか、そういうところがあるような(私は専門家ではありませんが)。しかしそこでしたか、先生の着眼点は。

どう思う?とふられてさすがに答えが思い浮かばず。
しかし静だったら、そこに居て見守ることができる、それだけで十分幸せだというと思ったのでした。静の場合はいきているか死んでいるかも分からない状態で、そしておそらく死んでいるだろう予測はしながらも、自分は生き続けたわけで。過去の記憶の中に居る人との対話に比べれば、直接力になれるのにそれ以上何を求めるかと思うのではないか。

交わらなければ永久に平行をたどったままあるいていくことができるのかもしれない。

愛情のかたちはさまざまです。



コールシャンティさんは団員募集中。
かなり、本気で探しています。特に男性!http://shantey.net



初四国・初愛媛

パソコンが無事なおり、なんとかもどってきました。
ラッキーなことにデータもそのまま。助かります。
あの微妙に反応のおかしかったキーボードも作動するようになり、かなり助かります。

ここしばらくにあったことシリーズでまとめてかきあげます。

なんと四国愛媛にいってきました。
木室さん(三重であった踊るみかん農家)が原因ではなく、木室さんが愛媛に居るということを知るだいぶん前から大学時代の友人を訪ねることを決めていたのです。
(なお、さすがにこの友人とのつながりはなく、いつか愛媛仲間としてつながねばならぬと思いました)
からたち、からたちから、Pieceとソロ作品ばかりと思われているきの作品に密かに最多出場の彼女は故郷に戻り会社員をしているので、お休みが取れるときにということで連休を利用して、ジェットスターを利用して(おかげさまで大分安くいけるようになりました)いってきました。

何と初四国、初松山です。

彼女は札幌にすんでいたこともあるので(話せば長いが私がヨーロッパに行っている頃が札幌期間)、とてもよくしっており、今回は彼女のすむ土地をみにいくことにしました。

私は結構人と直接あって話さないといけない感じがしているくせに腰の重さでなかなか動けないので、かなりの思い切り。でもやっぱりあえてよかったなと思います。
今年は本当にたくさんのことがおき、ものすごく迷いのある日々でした。それらについてちょっとずつ話しはじめ、話しながら整理をしていきました。とにかく人と話さねばならなかったのだと思う。朝から晩までずっと話し続けるくらいの勢いで実際ずっと話し続けていたのですが(お互いに)松山観光もちゃっかり行い、道後温泉にもはいって(ついでに霧のパフォーマンスとかも楽しんで)満喫してきました。
なぜかみかんのオーナメントのクリスマスツリーとか(一応アートの一部らしく、みかんの皮のなかにLEDをしこんでちかちかするようになっている)。どこもかしこもぼっちゃんとか、なぜか鍋焼きうどんやさんがたくさんあることとか,すべての味付けが甘いらしい(甘い物好き)とか。松山、よかったです。

離れていても存在しているだけで感謝。
いつもありがとうー。


おそばせながらメリークリスマス。

2014年12月25日木曜日

津の熱い人たち

三重県津。
日本で一番短い名前の市とかそういうことで名を知られる地名。

たまたまだけれど友人が集まってきていて、お祝いダンスのために訪れた。
もともとは中沢さんに会うためだったのですが、ついでにこんな皆様にお会いしました。

●Theatre belleville
http://theatre-de-belleville.tumblr.com/
巣鴨教会パフォーマンスでお世話になった鳴海康平さん。第7劇場という劇場を率いていて、当時は北池袋に小劇場を持っていました。とても気さくなよい人ですが、その後フランスへ一回渡り(私と違って言葉もばっちり。優秀な方です)かえってきて、なんと津に劇場をつくりました。
津は車文化でどこへいくにも車で移動するそうで、津駅からおよそ30分ほどいったところにその劇場はあります。津エリアでは陶芸などの作家さんが多く住む地域だそうです。(私のワークショップのお客様できてくれた方はここのそばでカフェをひらいていたらしい。)
劇団ということでみんなで津に移住。
もともとあけぼの座さんという劇場が駅に近いエリアにあり(つまりれいさんのおうちから徒歩5分)、そこと連動しての活動を行い始めました。11月終わりには杮落としを。今は寒いのが難点ですが、少しずつ手を加えながら、自分たちの活動をする場を作るところからはじめる人たちです。
ダンスの場合音楽ほど気軽ではないものの移動が簡単だったり、少人数での活動が多いのですが、劇団は練習期間も長く(場合によってはセットなどもつくるし)劇場を借りていると採算がとれなくなってしまいます(ダンスも採算が取れない具合は同じかも。。。)そこをみこして、いいものをコンスタントにつくるための場所をつくるそこからスタート。
いつかここでお祝いダンスも踊らねばなりません。(倉庫なだけに静でしょうか)
鳴海さんの彼女さんもダンサーさん、というわけで今後津で何かがおこるかもしれません。
れいさんをここにつなげるのも今回の重要なお仕事だったのです。




●Kalas編集部
http://www.kalasbook.com/
津のれいさんスタジオから徒歩5分くらいのところに四天王寺というお寺があり、その中は文化エリアになっております。前述のあけぼの座さんがあるほか(残念ながらこの日はあいておらず)、文房具屋さん、雑貨屋さん、ギャラリーさんそして地域雑誌であるカラスさんの編集室もあります。
ギャラリーの方の紹介でお越しくださったお客さんはぶーけを作る人で(なんてよんだらいいのかわかりませんが)今度は中沢さんとの何かがみられそう。
カラスさんの最新号には中沢さんが。なので中沢さん、既に有名人。


ちなみに上のホンツヅキは津のカフェや雑貨屋さんなどのが本をご紹介。
下はKalasなんとカラスのしおりつき(スキャンのときにきえてしまいました)。よみごたえがあります。

津でがんばっている人結構多い。
保守的だとか、なかなか知られないとかいろいろ話してはいても、地元愛あふれる場所でした。やさしい。ありがとうございました。




中沢レイさん

ブログを書いている途中でそのまま眠ってしまったらしい。

津にいくことになったのはそもそもこの人に会うため。
昨年も洞窟即興でお世話になりました。
当時もリストラクティブのヨガスタジオ(静かに横たわったままのワーク。)

1児の母(しかもシングルマザー)でありながらカフェとスタジオを開いてしまったレイさん。すごいパワフルです。実はその上にすんでいて、泊めていただきました。こどものそばにいてあげたいというお母さんゆえの仕事の選択です。

スタジオはまだ始まったばかりで今ならクラスもプライベートに近い贅沢な感じでうけられるとのこと。津だから東京、札幌の人はいきづらいのですが。
ほかにもユーグだけではなく友人ダンサーのやすきちさんや奥田純子さんなど様々な人がおとづれていて、様々なワークショップがひらかれています。
今回愛媛の人と神奈川人が三重でであうとなったように関西と関東の中間みたいなところでもあるので、予想外の出会いを生み出す場になっていくのかもしれない。

スタジオやカフェの写真もとってきたのにパソコンが使えないので、写真などアップできず。でもれいさんは相変わらずとても元気、エネルギーをもらったのでした。ふうくんはちょっとダウン気味(インフルエンザ大丈夫かなあ)
たぶんここしばらくかなり精神的に疲れていたので、逃避したかったのだと思う。関東圏ではなく、静岡と三重と愛媛にいかないといけないというのがなかなかなさけない。



れいさんカフェ。うっかりヨガスタジオをとり忘れてしまいました。

木室陽一さん

木室陽一さん

今回何を思ったか突然やってきてくれた愛媛在住のダンサーさん。
もともとはハンダイズミ作品「ハコニワニハニワトリ」で競演したダンサーさん。
ケイタケイさんのところのダンサーさんを長く続けていて、私が最後にあった箱庭再演時は震災の影響を受けて九州(実家)と大阪を拠点に活動しているときいていた。

それがいつのまにか愛媛中島に。
ちょうど翌週愛媛松山(大学時代の友人が住んでいる)に行くことになっていたので大盛り上がり。
愛媛。
いいですよ(笑)
農音というNPO法人の協力をうけ、みかん栽培をはじめ、レモン、そして今年はお茶へと手を広げる踊るみかん農家。(お茶が取れるようになるには5年くらいかかるらしいが現在も島のお茶としてパッケージ販売をしている)
http://noon-nakajima.com/
毎週水曜には松山でバーをひらいたり。
自由な活動をなさっています。

ぶっちゃけ現状は採算が取れていない様子。
でも先輩農家にも恵まれ(ちゃんと採算が取れている方もいるし)もともと生活費があまりかからない分(周りの農家の皆さんがさまざまに助けてくださっている様子)もありなんとかなっている様子。
広島、ふくやま、岡山おすすめだそうです。
みかんは特に農家をやめる場合木を切らねばならない(いのししなどの害をさけるため)のと、段々畑なども多く休耕畑を紹介していただけることも多いのだそう。

さらにみかんなどは比較的手間がかからず収穫できるらしい(?)


思えば白州田中みんさんのところも農業だった。(熱烈におすすめされた)
身体を考え、生き方を考えたときに農業にいくというのはひとつの流れなのかもしれない。
今年は時にしおレモンがはやったこともあり、無(あるいは減)農薬、国産への意識も強まっている。これからが楽しみです。


今回選挙で九州に帰り(実家に住民票があるため)ついでに津まで。結構長旅。なにせ九州から。
でもあえてよかった。2年ぶり?3年ぶり?いずれにしても。


私はパフォーマンスの終わりがわかるというのを結構大事にしている。
音楽だろうとダンスだろうと、ここだという終わりがわかるかどうかはとても大きいと思う。
何回共演してもわからない人はわからないし、一回でもわかる人はわかる。
言葉や時間ではなく。
二人で並んで手をつないだ瞬間、わかってしまったことも多い。

これもまた運命。
また踊りましょう。







スタジオソノリテ パフォーマンス

ゆるのび企画とあわせて踊ることになってしまった夜企画。
12月15日(月)19時より
木野彩子ダンスパフォーマンス
特別ゲストダンサーあり!
1500円

となっている。

そもそも今回の来津(こういう言い方するのかは疑問)はれいさんがカフェとスタジオを開いたのを聞いていて、なかなか学校などがあり動けなかったけれど、ご挨拶お祝いダンスを踊らねばと作った企画。(ギャラはすべてソノリテさんに。大事なことはこういう場が広がっていくことと思っています)学校の都合などもあり(あと年末をさけようとした)、静岡ついでにしたこともあり(交通費は激減)、微妙に平日。
それでもお越しくださった皆様本当にありがとうございます。

なんと大雪静(2月)を見に来てくださった方、津では知られた古民家カフェのオーナーさん、実はヨガの先生などなどさまざまな方が集まりくださりました。
れいさんの提案もあり一風変わった感じになりましたが、きの作品もまたいつか見てください。

今回はれいさんがパフォーマンスに参加してくださっただけではなくいろいろあって愛媛にいるらしい木室陽一さん(ハンダイズミ作品ハコニワニハニワトリでご一緒した)がお越しくださりとんでもなく贅沢な会になってしまいました。
そういう出会いがあるのもまたお外企画ゆえ。

カフェの経営はまだまだ始まったばかりで大変そうですが、少しずつ津の輪が広がることを祈っています。

終演後みんなでお話。ちなみに真ん中にあるのは愛媛中島のみかんとレモンだそうです。

2014年12月24日水曜日

ゆるやかにのびやかなからだをつくる時間@津

「ゆるやかにのびやかなからだをつくる時間@津」
チラシ後日アップいたします。(スキャンもつかえません)
2014年12月15日10:40-
スタジオソノリテ(中沢レイさん主宰の津のヨガスタジオ)
http://studiosonorite.blog.fc2.com/blog-entry-15.html
アルテリオ(川崎市アートセンター)ではじまった「ゆるのび」の基本コンセプトのうちおかあさんは身体をのばし、こどももその周辺で遊びながら過ごすが中沢さんのご協力により実現しました。元祖町田成瀬よりは金額があがってしまいますが(2000円)気持ちよくのびにきていただければ幸いです。
おそらくこの平日昼のひとときの過ごし方で1日が大分かわると思うのです。中沢さん自身もヨガ指導者なので、いろいろお話を聞きつつ、このシリーズの可能性を考えてみようと思います。





平日昼間、しかも津という条件ではありましたが、とても興味深いお客様に来ていただき、身体について様々なお話をしながら展開しました。しかも大幅延長、そのあとカフェに流れてさらにはなす(夜は踊ったのですが、その時のお客様はそのままきてくださった)。
普段あまり気にかけていなかったのですが、私はすごく人に飢えていたのかもしれません。これについてはまたパフォーマンスのほうで。

ゆるのびのワークは基本的に
2人組のマッサージ
1人で行うストレッチ
その場所で動けるような簡単なダンス的動き(1人で)
相手がいることによって動きの幅がひろがるもの(2人あるいは集団で動く)
かるいクールダウン
で構成されており、これはそのまま

日常のコリを強制的にほぐす(ゆるめる)
でも一人でも継続できるような簡単なストレッチの方法を教える(のばす)
表現の前段階的遊びから生まれた動き(ほぐし)
そとへとひらく(人にふれあう)
からだについての質問などをうける

となっていて、私はうまく構成されているように思っています。(手前味噌ですが)
面白いことに子供の場合は日常のコリがないためマッサージ時間を短くしたりしますが、ほぼ同じ内容で展開できるのもミソです。

ただこれらはあくまで短期ワークショップの形態で長期的に行っていく場合はある種の技術の習得とかがないと飽きてしまうのかもしれません。つまり短期でやっているうちに自分で覚えてお家で展開していくのが理想です。
ストレッチ、マッサージともに覚えるまでには2,3回か行わないと難しいとは思いますが、ご興味のある方、場所あれば出張いつでもいたします。



スタジオマキノ発表会

ここしばらくパソコンが使えないこともあり書ききれないでいるが、あまりにもたくさんのことがおきている。
なので少しずつまとめていきます。

スタジオマキノ発表会
時間等全く決まっておりませんが、牧野京子作品過去作品を上演します。
牧野京子舞踊研究所(という名前だったようです)最後の発表会となります。
http://www16.ocn.ne.jp/~k.makino/index.html


第33回スタジオマキノ発表会
2014年12月13日(土)開場15:50 開演16:30
川崎市市民プラザふるさと劇場
http://www.kawasaki-shiminplaza.jp


私には数多くの先生がおり、札幌時代の先生から大学時代の先生、フランスの先生、演劇、狂言、整体さまざまなジャンルにわたっているが、おそらく師匠というとしたらこの人のことをあげねばならない。

とても美しいダンサーであったし、優れた振付家であったと思う。
私がかかわったのは大学に入ってからのころで、リサイタルなどをとっくに開かなくなっており、2年に1度くらい現代舞踊展に10分くらいの作品をだすだけになっていたが、それでもほかの作品と全く異なる独自の視点をもっていたし、私はそこから多くのことを学んだと思う。
今回彼女の過去作品を踊ることになり(ただし私が踊ったのは「危険な岸辺」「その日を摘め」の2作品)、あらためて見返してみて彼女の作品の面白さを思う。ダンサーの力量が足らず申し訳ないと心から思う。

ながらく踊り続けているが、私はほめられたことがない。
最後にお会いした日もおこられたくらいだ。
ずっと禅問答のような問いかけが続いている。
そして多分これからもつづく。

私の踊りは青い空になるのだろうか。
つきぬけるような青い空。



ちょうど昨日「からたちから」でお世話になったコールシャンティさんの合唱をきく。先生になかなかほめられなくて(ただしたまに褒められるとみんな動揺しちゃう、、、)という団員さんの声に、野本さん(指揮者)は、「合唱は哲学なんだよ、プレジャーじゃないんだ、カルチャーだから。ほめたらそこで終わってしまう。その先を常にめざさないといけないんだ」とはなす。長い年月をかけて育ててきた団員たち。だから言える。
でも一方でそれがわかる人ばかりではないしわからない人のほうがはるかに多い。
昔ながらの徒弟制度のような考え方は減りつつあるけれど、本当は言葉をこえて伝わっていくものがたくさんあり、それは短期的なワークショップなどでは決してえることが出来ない。
私にとって何のために踊るのかは大きな宿題である。



 


2014年12月19日金曜日

閉所空間のコンセプチュアルダンス

横浜赤煉瓦倉庫で開催されているダンスコレクションは来年20周年を迎える。
記念誌になにかかいてということで文章を書くのが苦手な私が珍しく文章をかいた。
字数制限があり、かなりはしょっていてわかりづらい。正直倍の文字数で書きなおしたい。が、とりあえずのっけてみる。
「閉所空間のコンセプチュアルダンス」
なぜかお題がこうなっていた。
私の今の作品みて、あえてそういっているのだろうか?と思いつつ、、、。



振付とは身体の状態を規定する運動を作ることとすると、環境を制限し「せざるをえない」身体を作ることも振付といえるのではないか。縛られるからこそ表現は生まれる。Edgeも箱女もそのようにして生まれた。
私は狭い所で踊る人と思われているらしい。狭い所で踊れば踊るほど私の踊りには青い空が見えるという。その逆説こそが私の特性ではないかと最近思う。コンセプトはねらって作るものではなく、後から見えてきてしまうものだ。作家の意図を超えるものを作るために、私はそのときの私をそのまま出すだけである。
劇場もまた一つの箱にすぎない。すべての人に等しく与えられたその空間で、とある人生を見せようと作家たちは格闘している。
忘れがちなのが観客もまた箱の中にいるということ。その人生を自分の経験を通じて共感していくが、あくまで自分の価値観でしかない。箱から出ても箱。
「ここもけっきょくは閉ざされた空間の一部であることに変わりはなさそうだ。」(安部公房「箱男」)

箱の中も外もどこにいても変わらないと最近思う。




追記
タイトルに閉所空間のお題がはいらないそうで急遽少し書き直しました。
このままでは狭いところの人と思われてしまうので。


振付が身体の状態を規定する運動を作るのならば、環境を制限し「せざるをえない」身体を作ることも振付といえるのではないか。縛られるからこそ表現は生まれる。Edgeも箱女もそのようにして生まれた。

私は狭い所で踊る人と思われるらしく今回閉所空間のコンセプチュアルダンスについてというテーマを与えられた。狭い所で踊れば踊るほど私の踊りには青い空が見えるという。その逆説こそが私の特性ではないか。コンセプトはねらって作るものではなく、後から見えてきてしまうものだ。作家の意図を超えるものを作るために、私はそのときの私をそのまま出すだけである。

劇場空間とはすべての人に等しく与えられた箱であり、その中で作家達は「表現」しようと格闘している。しかし観客は既に箱の中に巻き込まれていて、しかもそれぞれの価値観で見ていることを忘れがちだ。箱から出ても箱。

「ここもけっきょくは閉ざされた空間の一部であることに変わりはなさそうだ。」(安部公房「箱男」)

劇場も、世界も、また一つの箱にすぎない。


2014年12月18日木曜日

パソコンをこわしてしまいました

何度目になるかわかりませんがパソコンを壊してしまいました。
ただいま修理中。
そのためこの数日にあったいろんな出来事がブログにアップできません。
そもそも発表会、静岡、三重、静岡、このあと松山。
ちょっと怒涛になっていてしかも企画書がまとまらず、今は学校のパソコンのお世話になっています。まとめて一気に書きます。

でもとてもよき出会いのある日々でした。
ここしばらくはあまえさせていただいています。
ありがとうございますです。

2014年12月9日火曜日

限界芸術論

限界芸術論 鶴見俊輔

大学に戻ってよかったなと思うことの1番はダンスを踊っていることは必ずしも悪いことではないと思えたこと。それと同じくらい「限界芸術論」という本に出会うことができたのは嬉しいこと。
私の修論ではイギリスのコミュニティダンスについて書こうと思っていたが、なんとこの人は1960年代にそれを柳田国男、柳宗悦、宮沢賢治を元に書いている。柳田国男と宮沢賢治というだけで私がここ数年引っかかっていたものがつながる。
宮沢賢治については今SPACが取り組んでいるので多くを語らず。しかしポトラッチ(DVD)をつくってここ数年の活動はすべて銀河鉄道から生まれ、銀河鉄道へつながっているということを実感したため、いつか私はつくるに違いないとおもっている。
様々な宮沢作品にふれてくれていて非常に分かりやすい。
以下の文章は賢治の農民芸術概論にある。青空文庫にあるので興味のある人はどうぞ。


職業芸術家は一度亡びねばならぬ
誰人もみな芸術家たる感受をなせ
個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ
然もめいめいそのときどきの芸術家である
創作自ら湧き起り止むなきときは行為は自づと集中される
そのとき恐らく人々はその生活を保証するだらう
創作止めば彼はふたたび土に起つ
ここには多くの解放された天才がある
個性の異る幾億の天才も併び立つべく斯て地面も天となる




すべての人はきらめく星である。
舞踊とはすべての人における本能であり、その人の人生が出てくるものでもある。だからこそ職業舞踊家ではあらわせない個性が生まれる可能性がある。

先日コミュニティダンスについて発表をしたらイベント論の先生に「そのモデルはもしかしたら2次元では表せないものなのかもしれないよ、4次元とか5次元とか」とコメントされた。まさかそれは幻想第4次のことでしょうか。
すべてのことはつながっている。

なお、今没頭中なのはニーチェさんです。
これもまた衝撃のリンク具合。

2014年12月1日月曜日

コントーション

コントーションを学んでいる皆さんにダンス基礎編ワークショップを行いました。
2014.11.16/30
コントーション(サーカスの軟体系曲芸)を学んでいる方々にむけてのワークショップ
18:00-20:00。新宿THスタジオ。


そもそもコントーションとはサーカスなどで目にする軟体芸で、おなかつけて寝ているところからぐぐっと足を持ち上げ、顔の前に足がくるみたいな技で、なぜかモンゴルではとても盛んだそうです。ここで普段教えている長屋さんはモンゴルでコントーションに出会い「なんだこれは!!」と学んできたそう。
詳しくは
https://www.facebook.com/contortionjapanをみましょう。
特訓の成果がみることができます。

この練習も少し見学させていただきましたがかなりきついです。ちなみに本場はもっとハードだそう。。。
軟体芸ということからぐにゃぐにゃな身体をイメージすると思うのですが、実はかなり筋トレ要素が高く、全身筋肉痛になるそう。おそらく本来あるべきではないところにある身体を筋肉で支えなければならなくなるから。
なのでコントーションを終った後なのに、身体をほぐすマッサージからスタートです。

コンテンポラリーの基本であるまっすぐ、
バレエの基本であるまっすぐ、
それぞれにあわせての横や後ろの感覚などを説明しつつ、やってみつつ、みせつつ進みます。
が、なにぶんコントーションのことはわからないので、このラインに足をのせてコントーションをすると危険とかがあるのではないかとハラハラドキドキしながらいろいろ質問しながらお話しました。
クラシックバレエの昔の写真などをみれば分かるのですが(これはフィギュアや新体操にもいえます)体型が明らかにある時期からかわっていて、それまでのぽっちゃりあるいはムキっとしたかんじがなくなり、すらりと細い人がでてきます。これは確実に脚のあげ方がかわったからで、筋肉を使わないであげることができるようになったから。細く真ん中に集めてしまうことで無駄のない動きをめざす、その結果技術レベルも飛躍的に向上しています。
細ければよいということではなく、筋肉を痛めつけずにできるところがあるということで、これを参考にするのはとても重要なポイントではないかと思われました。

コンテンポラリーの場合はその人の個性が見えることの方が大事なので、体型を「理想」に近づけていく行為自体意味がない(好きな振付家の好みに合わせたいみたいなのがあるにしても)なのですが、クラシックバレエベースの演目は動きの特性上細く、長く、より大きくとなるのですね。(リフトとかもありますしね)

コントーションの場合も物、人の上にのるなどの将来性を考えるとある程度細身の方がよいだろうと予想されます。

またコントーションは特殊に背中をカーブさせているため前屈はどうなのかという問題がでていました。(これはタカセのこどもからの疑問)急激におったところから戻すなどのことをしなければまず問題はなさそうです。が、一回おってしまうと腰を戻すことが必要となるため、コントーション型ではないそり方もマスターした方がダンスとしては踊りやすいだろうと予想されました。
そるという動きは大きな空をイメージさせるとても美しい動きです。足からいかにつなぐかが見えていればそる大きさは実はあまり関係なかったりします。そのかんじ。
今回は動きを冷静に分析しながら、進めていきましたが、ダンスを専門とする身として教えるとして最も大切なことはイメージをいかに動きとつなぐかではないかと思います。おそらく技術的なことであればこのような短期のワークショップで数回行った後、できればクラシックバレエそのもののクラスをうけてもらうのがよいのではないか(俗にいう身体トレーニングとしてもバーレッスンは結構便利です)と思うのですが。

未知なる身体の可能性をかいまみました。
また近々行うみたいです。ご興味のある方はぜひ。