2009年12月31日木曜日

札幌より

札幌に帰ってきて様々な人に片っ端からあっています。
昨日もコンカリーニョの忘年会ということで、かりっと(コンカリのボランティアスタッフ)野皆さん、スタッフの皆さん、高橋さん(前回の照明家、非常に評判がいいのです)、他多くの皆様にお会いしました。高校のときの同期つるまきは(同期といっても高校は違う。札幌演劇業界には高校の合同公演つながりというのは意外に根強くあるものなのです。)あいかわらずよくしゃべり、しかも止まらないし。ジャスコ発寒についてえらい語ってくれました。ジャスコ発寒だけでこれだけ語り尽くすとは。やはりだてにうさんくさい演出家という仕事をいていないぞと思わされたりしました。(これだけかいていますが、きっと笑って許してくれるだろうと踏んでいます)

私はふらふらしていますが、来年はきちんとしなければと思いました。
やらなければならないことがたくさんあります。
まず名刺を作るようにとコンカリの母ちずさんにはいわれました。
かかねばならないプランも差し迫っています。
正月だからといってのんびりもしていられません。

来年の目標はいくつかあって
お前ほんとはもっと踊り馬鹿だっただろう路線
 再びアフリカンダンスに挑戦するみたいです。あと子供と一緒に暴れることになるでしょう。

自分が踊るだけでなくちゃんとみんなで踊ることを楽しむ場を作ろう路線
 ダンコレおそとダンス企画は今年もやろうと考えています。we danceもお手伝いスタートしました。参加者募集中。 

踊るの前にいろんな表現について考えてみよう路線
 私は踊る人だけれども、踊る以外の様々な表現をする人のお話をきいてみようということで、勉強会を開こうと企画中。

さあ、たくましく年を越しましょう。
皆さんもよい年越しを。
来年もよろしくお願いします。



Time Lapse Plant

という名前の展覧会をバンカートでは行なっています。
これは藤本隆行さん他3名の作品でLEDライトを使ったインスタレーションです。クリスマスには安藤洋子さん/平井優子さんのパフォーマンスも行なわれました。(私も踊ればいいのにという小さな声もありましたが、ちゃんと働いていました、はい。)
なお、この作品11日までバンカートで、その後2月には恵比寿映像祭(写真美術館)でもみることができます。
光りがとんでもなくすごい完成度なので、下手に動くとまけます。というか動くとうざいかんじになります。非常に難しいパフォーマンスだと思います。光りの構造はプログラムされているんだとは思うのですが、短いリハーサル期間とインプロという形態だとこれをフルにみせるのは難しいです。True(前出)をみているだけに余計にそんなことを思いました。
Trueよかったんですよ。ほんとうに。

しかしどこへむかうのでしょう。
美しき明滅は。
それでも身体はあるべきなのでしょうか。
ダムタイプの作品をいくつかみていて、確実にS/N以降かわったと思うのはその点で。
大ファンゆえに複雑な心境になります。


煉獄とは

えらい時間があいてしまいましたがロメオさんの神曲第2部についてかこうと思います。
煉獄とはキリスト者として罪の贖いを受けて救済を約束されていながら、小罪および罰の償いが残っているため、浄化を必要とする者のためにある場所(fromうぃき、ごめんなさいね、ちゃんと調べていなくて)とあります。
描かれているのはごく一般的な、しかし裕福な父、母、子供のいる家庭。アシュフォードさんがいっていた日本では上演できなさそうというのはセクシャルな表現(性的虐待を思わせるイメージさせる表現)とあまりにセットが大掛かりすぎてどうやってもっていくんだ?日本の小さな劇場機構でできるのか?という意味だったようなのですが、いずれにしてもこの救いのない描写は、このタイトルによって救われるという構造があります。
これは演劇である。リアルではない、という前置きがあるからこそ見ることができる。
さらにこのような家庭はどこにでもあり得るかもしれない。しかしそれらはすべて煉獄の中での浄化の過程である。どんなことも、どんなつらいこともすべては浄化の過程とみることでどれだけ救われるだろうか。
地獄編の方がまだ作品そのものの救い効果は高く、だからこそ煉獄編だけ見るのはお勧めできないということだったようで、かなりずっしりとこたえて帰ってきたのでした。
私の知人の演出家は最高傑作といっていましたが、それは同感で、これだけ全く異なるアプローチを連作でみせる手腕には脱帽です。そして、非常に美しい。


なお、見ながらまちゃみ(大学の同級生)の三島論を思い出しました。なつかしい。

2009年12月26日土曜日

さっぽろふたたび

さっぽろにかえってきました。
実家というかなんというか、とりあえずかえってきたかんじがするのでただいまです。

ここ数日は実はかなり忙しくてわけのわからないことになっており、ブログ上更新できなくなっていますが、かかなければならないことがたくさんあります。
また、後日まとめてかきます。

札幌関係者に一気にあってきます。がんばろうー

2009年12月17日木曜日

ロメオカステロリッチ

このブログ上で書いたロメオさんですが
ロンドン友人情報(アシュフォードさんですなつかしいなあ)によれば
「前もって余計な情報をいれないでただみること」
「2作目は衝撃的なので(日本では上演できないだろうといっていた)1作目を見ないで2作目だけを見るのはお勧めしない。やめといたほうがいい。逆(1作目だけ見る)のはまあ悪くないんだけれど。」
だそうです。
がーん、もうすすめちゃったよ。
そういうわけでお気をつけ下さい。

2009年12月14日月曜日

なぜ人は死ぬとかなしいのでしょう

ある朝、禅問答のようにはじまった会話。
喪失感ともう二度とあえないという感覚がそうさせるのだろう。そしてその感情を浄化させるために人は泣くのでしょう。
そしてその喪失感を緩和するべく(解決?)宗教は生まれ、それが拡大していったのでしょう。
その翌日みにいったロメオカステリッチの神曲はそれをずばり取り上げたともいうべき作品。
(その質問をしてきた本人にみせたかったと心から思うが、間に合わなかった)
40人もしくはもっと多くのエキストラが登場する。行なうことはたつこと、歩くこと、倒れること、起きて再びあるくこと、誰かと抱き合うことそして倒れること。その繰り返し。
いやいくつかのシーンがあってそれぞれに意味が深いのだけれど、していることはとてもシンプルだ。
なぜ人は殺しあうのでしょう
なぜ人は戦争をやめることができないのでしょう
なぜ私たちはいきているのでしょう
その日のなぜなぜ問答(ちなみに上記はすべて質問された言葉)に答えはなく、
その答えをいつか見れるのではないかと私たちは生き続けている。
ただもっと大きな時間の流れがあり、私たちはその中の1つのいのちでしかなく、いろんなことがありながら、ただ生きてただ死んでいく。

そのなぜなぜ問答の前日に、これまたたまたま友人(別人)が資本主義を進めていけば戦争へいくことは目に見えている、それをさけるには中国のコミュニズムしかない、しかしそれでいいのかという話しをしていたところだった。そのときにも私はやはり人は増えすぎたと話した。人は増えすぎた。多くのことを得すぎている。極端にいえば戦争がおこるのも自然や地球全体を見てみれば必然ともいえるのではないか。そんな話しをしていた。

たまたまだが、この作品は、そのままの世界をみせてくれた。
それはまた厳しい現実であり、しかしだからこそ救いでもある。ただそれだけのことでしかない。ただ生きてただ死んでいくこと。

アフタートークでロメオさんは演劇はセラピーではないけれど、僕が生きていくのを助けてくれているという話しをした。彼はこの作品を作ることで、世界を見、考えるのだろう。

ひさびさに直球ストレート
私は自分で見てよほどよくなければおすすめをいわないが、今回は何人かに即メールを送った。それくらい出会えてよかった作品でもあった。

しかし、私の友人たちは皆やんでいるんだろうか、、大丈夫だろうか。ブログに書いてみてちょっと思う。


Sacred

Sacred Monsterきます。
とうとう。
IchIでお世話になった針生康(しずかさん、セット)、Alies(作曲、バイオリン演奏)、Laura(チェロ演奏)皆これでやってきます。従っていまなら(正しくは12月24日にツアーが終了するので24日?)IchIのほとんどのメンバーが日本にいることに。肝心のうえの君がいないので実際には上演しないんですが、、、。

すごい、美しいデュオが1つ、あとアクラムのカタックは必見です。
(作品全体としてはロメオさんほどすごくおすすめとまではいきませんが、とてもよくできた作品です。ギエムさんがコンテンポラリーに転向してラッセル以外の振付家に挑んだはじめての作品だったはず。彼女のソロはクラウドゲイトのリンホワイミンが振りつけています。)
上野の文化会館、高いけれど、みにいきます。

2009年12月12日土曜日

ダンテ神曲地獄編

明日まで。池袋芸術劇場中ホール。
非常にいいです。
ロンドンのアシュフォードさんの話しでは
「レビューとか他の人の感想とか聞く前にみること。絶対なにもみないでみろ」
という話しでした。だからコメントは明日以降にのせます。
でも時間がある人はぜひみてください。
ダンスではなく演劇の枠にはいるようですが、シンプルなにんげんをみることができます。老若男女。タルコフスキーを思い出します。
実は3部作だそうで、この舞台がつづく(だからお金も飛んでしまう)12月に痛い出費ですが、だす価値ありと思われます。(アシュフォード情報ではインスタレーションは別に見に行かなくても、、、とのこと。どうなんでしょうね。)




2009年12月9日水曜日

膝の火

黒沢美香作品膝の火をみにいく。
そもそも私の仲良しサラリーマンダンサー後藤さん(前出、サラリーマンなのに一ヶ月ヨーロッパを放浪の旅してしまう舞踏家さん)がでているのでみにいくことにしたもの。
後藤さんはひさびさにちゃんと舞台で見たけれど、とても美しく、いい踊りをしていた。すじのとおった、いい踊りだった。ここしばらくやってきた太極拳や能や自然体操やいろんなものがちゃんと身体の中で練られてきているような気がした。おつかれさま。
で、後藤さんもよくがんばっていたのだが(なにせ黒一点でおいしいところをもっていくんだ、これが。)作品自体もとてもよくできていた。いくつかのシーンがあるのだけれど、人と人がちゃんと向き合って身体で話す瞬間があるという気がした。そんなに美しいダンサーばかりではない。でもちゃんと大事なことをわかって踊るということができている。それが美香さんのダイレクションだったのだろうと思う。その瞬間ゆっくりとてをおくことだったり、顔を上げることだったり、そういうこと。
たくさんのダンス作品を見てて、エネルギー量がとにかく高く、たくさんけいれんしたりあばれたり、そういうものをたくさん見ててこういうちゃんと丁寧な瞬間があると単純にいいなと思う。丁寧さ。よいものはよいというシンプルなこと。
ミニマルダンスというけれど、私はそうは思わない。
シンプルだけれどミニマルではない。
言葉がちゃんとだせたらまた書きます。



Cargo

リミニプロトコルのトラックにのってきました。
天王洲アイルから横浜(あのワールドポーターズの裏側が終着点です)間での2時間半。普段見ないような裏側をとおりながらおっきなトラックにのせられてどんぶらこどんぶらこ。本当は新潟から横浜までの7時間ほどの道のりだそうです。(実際途中高速にのったり、トンネルに入ったりするときに地名をあわせてあったりするのが心憎い)
運転手のおじさんが家族のことや、荷物のこと、燃料のことなど解説しながら進んでいきます。ちなみに片面がガラス張りでスクリーンがあがったりおりたり。途中わかりやすい解説映像がはいったり、外の景色を見ることができたり、飽きさせない展開でした。
デコトラのおじさんが(なんと特別出演)
「助手席側の絵はやさしめに(でも般若)、後方は安全運転してほしいからちょっと怖め(天狗)、対向車線は迫力の竜」と絵の解説をしてくれたり、
フォークリフトのおじさんが
「こまわりきくから自転もできちゃう」とぐるぐるまわってくれたり。
(これをみてドミニクボアヴァンのショベルカーダンスを思いだしました、またみたいです)
すてき。小技のきいた作品でした。
3時出発なのも夕暮れと夜景という最も美しい東京横浜ルートをみるには仕方なかったのかも。(ということはこの平日にこれだけ多くの人が仕事をさぼっているということか?)
これを学校の授業の一環で(社会科見学など)みれたら、考え方も変わりそう。
もうチケット売り切れ(ものすごい争奪戦でした。)なのが残念ですが、もしももしもまだいけるかもというひとはぜひ楽しんでください。


2009年12月3日木曜日

踊る衝動のようなもの

踊りにいくぜ川崎をみにいく。
川崎といっても一番うちの近所のエリアで(急行とはいえ駅2つ分だからかなり近い、新百合ケ丘)、ありがたい。こんなところに劇場が7つもあるエリアがあるとは知らなかった。
福岡の子たちがきていたのだが、とにかく暴れる。とにかくなんだか訳の分からないまま叫び暴れ、そして踊る。何が彼女たちをそうさせているのかわからないけれど、とにかく止めらんない感じ。でも話しているのをみているととても普通の子のようで、そのギャップも不思議。
多くのダンスをみているけれど、これはいったいなんだろうか。
確実にこういうダンス増えている。(というか結構ある。はやりだとするとそれもすごいことだと思う)
なぜ、この子たちは踊るのか。
どうも楽しそうという感じのダンスでもない。
どちらかというと狂気の世界に入っている。
なぜそこまでする、なにがそうさせる、なんのために?
世の中が必要としていてそれを感じ取ってしまうのだろうか。だとしたらいまの日本はどういう状況なのだろう。
いぶし銀室伏さんの対極で非常に考えさせられてしまった。