2014年6月30日月曜日

続 酔狂即興(追記:20140630)




6月14日(土)入谷なってるハウス
「続 酔狂即狂」(キュレーター:櫻井一也)
●第一部 set list(各20分)
 新井陽子+おちょこ+木野彩子
 森重靖宗+菊地びよ
 松本健一+纐纈雅代
●第二部 set list(各15分)
 松本健一+おちょこ+菊地びよ
 森重靖宗+木野彩子
 新井陽子+纐纈雅代
 全員+木村由(飛び入り参加)

いつもよく来てくださっている櫻井さんが声かけをしてくださり実現したこの企画。
前からよく知る人たちでも実際は一緒にやってみたことはない、そんなかゆいところに手が届くメンバーセレクションになっています。
森重さんは先日の坂田さん会以来。あこがれのチェリストさんです。
新井さんは茶会記のままともいうべき存在。
まつけんさん、きくちさんなどしってはいても今回初めてご一緒できました。櫻井さんありがとうございます。

こういう会はあくまで即興で、作品のような完成度はないのですが、見に来てくださったお客さん(初めてみた)より、菊池さんと木野の踊りをみてこんなコメントをいただきました。


凄く単純なたとえですが、Saikoさんは空間をひろげるように使い、びよさんは自分にむけて空間を凝縮するかのようです。 またびよさんは肉体そのものを提示しているように思えたのに対し、Saikoさんは肉体を、表現のためのツール、もしくは、器(うつわ)のように思えました。 「器」のたとえですが、先ほど書いた「表現のためのツール」と似ていて、自分の描くイメージを自由に盛りつけるための媒介物、といったくらいの意味のたとえです。何をどう盛りつけようが自由、と… ライヴを見ながら、Saikoさんのダンスを一言漢字で表すと、「漲」だと思ったことでした。「みなぎる」です。ちょうどそのとき、Saikoさんは動きを止め、あたかもエネルギーか気か、とにかく何かを身体中にはらんで、次の、空間を拡張させるであろう表現への爆発の一歩手前にいた感じであったからです。 ちなみにそれに合わせ、びよさんのダンスを表現する字を考えたところ「凝」という字が出ました。肉体の、肉体的要素を凝縮させ、そのまんまを提示するイメージです。

私はこれまでダンスとか舞踏とかあまりわけて考えていなかったのですが、(私自身が舞踏とコンテンポラリーとモダンとすべてひっくるめて学んできたせいもあります)
初めて見た人ですら感じるものなのだからそういう何かがあるのかもしれないと思いました。外へ発散していくエネルギー量。身体のトレーニングの仕方、考え方が見えるのでしょう。

また別のコメントで(しかも複数)どうにもエロいという感想が。
いえ、本人そんなつもりはないのですが(というかこれでエロいのであれば私の作品などはかなりヤバいのではないだろうかと思ったり)、どうなのでしょう。まあ、ダンサーだからそんなものかと思ったり。
その後いろいろ話しをしている中でどうもチェロのせいではないかと。
デュオwith celloという形はcelloを女性(ユーグ曰くワイフ)とすると演奏者とその妻と愛人(コックと泥棒ではないですよ)みたいな感じに見えるのではないか。ナチョデュアトの名作バッハの無伴奏チェロが印象深く残っているせいでしょうか。
ダンサーとしては褒め言葉にも聞こえますが、誤解はさけたいので、気をつけようと思いました。
まあ、このドラマツルグについてはいつか作品に。

楽しい会でした。
またぜひと思います。

おまけ
松健さんが映像創ってくださいました。
1セット目は残念ながら上手くとれていなかったらしくまだいただいていないのです。。。




写真を北里義之さんがとってくださり送ってくださいました。が、大量すぎて。。。一部だけのせておきます。

 松健さんは50歳のお誕生日みなさんでお祝いしました。
5年ぶりの再会のたかこさまも。
 お客様だった木村由さんもはいってみんなで踊りました。私の手にはなぜかマイクが。。。
 こちらは1セット目の新井さん、おちょこさんとのセッション。



ダンスと音と飛茶瓶洞

2014.06.29
ダンスと音と飛茶瓶洞
Start: 20:00
Cafe Flying teapot
Charge:2000yenorder


蜂谷真紀(voice.vocal)
北陽一郎(Trumpet)
菱沼尚生(tuba)
木野彩子(dance)


ちなみに飛茶瓶洞というのはflying tea pot(お店の名前)ってことです。
完全即興
各人のソロからだんだん入っていくパターンで4セット、と全員一斉参加の前半と
後半はなぜかお客さん(岩丸さん)もはいってソロの連続技、全員でなにもきめないで踊るセット。

まさかチューバ抱えてあそこまで動くとは。
そして踊るチューバと踊る歌い手を見守る重鎮北さん(たまたまセンターにいたためか守護神のような存在に)。楽しい会でありました。












2014年6月24日火曜日

「うまれる」

「うまれる」という映画をみました。4つの家族のあり方のドキュメンタリーなのですがとてもよい映画だったと思います。DVD化せず各地で上映会をして広めているのだそうで、なかなか見に行くタイミングがつかめないかもしれませんが、お近くで上演されるときはぜひ。特に私の同年代へ。ほんとは学校で上映会するといいのではとおもいます。(どうも学校向けDVD教材も用意されているようです、高校生、大学生にはぜひおすすめです)
秋には新作も発表予定だとのこと。
http://www.umareru.jp/umareru/

静 DVDが届きました。

今年2月に上演された静のDVDが届きました。
遅くなってしまいましたが、ご興味のある方ご連絡ください。
大雪の日(2月8日、あの日は電車も止まってしまい、お客さんは皆さんどのようにやってきたのか、そして帰っていったのか心配しておりました)の上演だったこともあり、ご覧いただけなかった方も多くいますが、ある意味伝説?かもしれない公演だと私は思っています。

2014年6月17日火曜日

からだのじかん2014

某美術専門学校で「からだのじかん」の授業を担当。
今回なんと受講生4人(これは在籍している学生がたまたま少ないのであって、恐れをなして逃げたわけではない)という超少人数(しかもさぼりがち)ということもあり、超アットホーム状態の授業になる。

毎年いろんな遊びをしながらいつの間にか身体を動かし踊ってしまうという展開をしてきたが、今年少し時間が長くなったため、ちょこっと脱線。超短時間ではあるけれどもダンスの歴史を学んでみるクラスを展開してみました。
正直数回の授業で学べるかといえば難しいものの、ダンス=身体理論を作っていくととらえなおせば、また美術と一緒に見返してみるとわかるものもあるということで、様々な映像をyoutubeを駆使しつつ紹介してみました。
美術の進化の歴史から10年くらい遅れているというダンスの歴史。(おそらく身体を作り替えるのにそれだけ時間がかかるということでもあると思う)でも確実に連動している。
短い時間なので、最低限ではありますが。。。

◎コンテンポラリーダンスの背景
クラシックバレエ
ポワントワーク、バレエ団システム
ビデオ①英国ロイヤルバレエ「白鳥の湖」
実際に少しやってみよう①(ターンアウト、プリエなど)
↓「窮屈!もっと自由に踊りたい!」
モダンダンス
自分の感じていることを自由に表現 例)イサドラダンカン、ロイフラー
→でもやっぱり何か伝えたい。黒人問題、女性の苦しみ、、、
ビデオ②アルビンエイリー舞踊団「Reverations
ビデオ③マーサグレアム「夜の旅」美術イサムノグチ
実際に少しやってみよう②(コントラクションとリリース)
ポストモダンダンス
表現なんていらないんじゃないか?身体の構造を追求
ビデオ④マースカニングハム
意味を超えるということ。そのための身体作り
実際に少しやってみよう③(チャンスオペレーション)
コンテンポラリーダンス(ヌーヴェルダンス)
これらすべてを背景に作り上げる新しい踊り
ビデオ⑤PInaよりピナバウシュ「春の祭典」
フェミニズムについて、舞台美術について、ダンスと演劇の境目
ビデオ⑥ウィリアムフォーサイス
再度意味を超えようとした人。コンピューターによる動作分析
実際に少しやってみよう④(ラバノーテーションとその先)
実際に少しやってみよう⑤(コンタクトインプロビゼーション)
→受け答えが難しそうだったので、再度リーダーとフォロワーにわけてお散歩
→感覚を広げることについて
ビデオ⑦ DV8「The cost of living
今私たちのまわりにある問題について真摯に向き合うということ
そもそもダンスってなに?→現代アートのそもそもアートって何?に相当
例)ジェロームベル、バルタバス、フラッシュモブなど
ビデオ⑧ジェロームベル「The show must go on(今日みせれなかったので次回以降の宿題)

ここまですすんできて、このままでは日本の話しができなくなると思い、追加
日本の伝統芸能の話し:実際に少しやってみよう⑥(すり足、郡上踊り)
◎舞踏:1960年代「日本人の身体」に着目、独自の思想を展開した 例)土方巽「肉体の叛乱」「夏の嵐」
ビデオ⑨大野一雄
実際に少しやってみよう⑦(石と水)(花のワーク)

正直言って盛りだくさんすぎて大変なことになっている。しかもこの隙間にバウハウスとかみせてて(大爆笑)、怒濤の展開です。でも身体ってこんなに変わってきているんだということが伝わるといいなと。もしかしたらダンスに興味を持って作品を作ったりダンス作品の美術などに参加する子が出てくるかもしれない。時間が短いのがすごい残念!次は9月楽しみに計画を練ります。




2014年6月8日日曜日

ジャコメッティと頭部

ジャコメッティの展示があるときき駒場博物館へ展示をみにいく。
《終わり泣きパリ》、そしてポエジー

東京大学駒場の中にあるこの博物館、昔友人が展示していた時以来10年ぶりくらいに伺った。なお、この中にはあの「彼女の独身者達によって裸にされた花嫁、さえも」(通称大ガラス)の世界で4枚しかないレプリカの1枚があるそうで(しかもこの展覧会作った小林先生が若かりし頃制作に携わったという)それもみることができた。

コルビジェこんな絵かくんだーというのが最大の驚き。

ジャコメッティの最後の絵、空白やっぱりかっこいいなあというのが最大の感想。
ジャコメッティは女性の図もたくさん書いており、あの針金のような感じではないこともとても興味深かったり。

その後フランス文化学院で行われた哲学の夕べの中でこのジャコメッティに関しての講演(あとでちゃんとみたら話し手の桑田さんはその展示のアシスタントキュレーターだという)をききにいった。その中で様々な描き方をしていた時代を経た後頭部だけをひたすら作り続ける時代があるとのこと。しかも具象の。
そして大量の絵をひたすら描き続けたのだという。
常に時代は変わる。
常に時代は進む。
それをひたすら描き続ける。
描いても描いても時代は進行していくので、描ききることはない。

一人の人をみていても常に変化をし続ける。だから描ききることはない。
常に追いつづけ、常に切り取りつづけていくことしかできない。

様々な画法を尽くしてしかしそのシンプルなところにたどり着いてしまったのだろうと思い、大量の頭部の写真(のプロジェクション)がちょっといとおしく思われる。

福島と民俗芸能

今日家に帰ってきたらNHK教育の番組で福島県の民俗芸能を扱っていたのでみてしまった。(2014.06.07ETV特集あの舞をもう一度)

ここ数年、花祭にはじまって様々な民俗芸能をみる機会に恵まれてきた。白拍子舞に興味を持ったこともあり、いろいろ調べていくうちに、民俗芸能はその地域のコミュニティを作り出すための地域の知恵であることがみえてきた。私の大学時代の民俗舞踊の先生は田んぼの水争いを防ぐべく作られただろう芸能について論文を書いていた。つまり皆の楽しみである芸能を成立させるためには争いをおこすわけにはいかず、支え合っていかねばならない。多くの芸能が地域の結束を作っており、私は個人的にコミュニティダンスは継続性を考えると、将来的に民俗芸能のようなものになっていくのではないかと感じていた。

今日の番組では神社の天狗舞の伝承と消防団の活動が結びついていたものの、震災以降若年層の移住により継続が難しくなっているということがでてきた。また、請田では田植踊を仮設住居に神をおろして上演するという試みを行っていた。(なお、請田の田植踊は元々青年男女が踊るものであったが原発始動により労働力へとまわり、衰退の危機を迎えた結果、小学校の女子が踊るものになったという驚くべき事実も出ていた。)

様々なことがおき、様々な生活の変化もあり、その中でそれでも祭を復活させたいと思う思いは何なのか。

私は残念ながら北海道札幌市の出身で俗にいう民俗芸能的なものがほとんどないエリアに住んでいた。現在有名になったよさこいソーランも10数年前に北大学生がはじめたイベントにすぎず(しかしあそこまで大きなムーブメントになっていることはすばらしいことであり、とても興味深い)伝統や伝承というたぐいのものではない。ただ、多くの民族舞踊をみてきて、小さい頃からその踊りを踊りつづけてきたこと、その練習を通じてうまれるコミュニティへの思いはわかる気がした。
福島県内の800もの民俗舞踊、中でも原発の影響を受けている253の民俗芸能のほとんどが失われたままになっている。
人が伝えていくものだからこそ、このような災害が起きたときにのこしていくのはかなり難しい。どのようにのこしていったらいいのだろうか。
岩手や宮城の民俗芸能の復活率と比べ福島はかなり遅れているという話しが出てきており、これは確実に原発による自主避難などの影響であろうと考えられた。(なお、他の岩手、宮城などもやっと50%を超えるかどうかであり、まだまだ時間がかかるだろうことが予想される)

流された神具などは作りなおせばよい(もちろん伝統的かつ貴重なものではあるのは確かだが)が、そこに住む人は取り戻せない。

民俗芸能は
重要無形民俗文化材などとよばれる。無形。形のないもの。
そんなことをつくづく思う。