2014年6月8日日曜日

福島と民俗芸能

今日家に帰ってきたらNHK教育の番組で福島県の民俗芸能を扱っていたのでみてしまった。(2014.06.07ETV特集あの舞をもう一度)

ここ数年、花祭にはじまって様々な民俗芸能をみる機会に恵まれてきた。白拍子舞に興味を持ったこともあり、いろいろ調べていくうちに、民俗芸能はその地域のコミュニティを作り出すための地域の知恵であることがみえてきた。私の大学時代の民俗舞踊の先生は田んぼの水争いを防ぐべく作られただろう芸能について論文を書いていた。つまり皆の楽しみである芸能を成立させるためには争いをおこすわけにはいかず、支え合っていかねばならない。多くの芸能が地域の結束を作っており、私は個人的にコミュニティダンスは継続性を考えると、将来的に民俗芸能のようなものになっていくのではないかと感じていた。

今日の番組では神社の天狗舞の伝承と消防団の活動が結びついていたものの、震災以降若年層の移住により継続が難しくなっているということがでてきた。また、請田では田植踊を仮設住居に神をおろして上演するという試みを行っていた。(なお、請田の田植踊は元々青年男女が踊るものであったが原発始動により労働力へとまわり、衰退の危機を迎えた結果、小学校の女子が踊るものになったという驚くべき事実も出ていた。)

様々なことがおき、様々な生活の変化もあり、その中でそれでも祭を復活させたいと思う思いは何なのか。

私は残念ながら北海道札幌市の出身で俗にいう民俗芸能的なものがほとんどないエリアに住んでいた。現在有名になったよさこいソーランも10数年前に北大学生がはじめたイベントにすぎず(しかしあそこまで大きなムーブメントになっていることはすばらしいことであり、とても興味深い)伝統や伝承というたぐいのものではない。ただ、多くの民族舞踊をみてきて、小さい頃からその踊りを踊りつづけてきたこと、その練習を通じてうまれるコミュニティへの思いはわかる気がした。
福島県内の800もの民俗舞踊、中でも原発の影響を受けている253の民俗芸能のほとんどが失われたままになっている。
人が伝えていくものだからこそ、このような災害が起きたときにのこしていくのはかなり難しい。どのようにのこしていったらいいのだろうか。
岩手や宮城の民俗芸能の復活率と比べ福島はかなり遅れているという話しが出てきており、これは確実に原発による自主避難などの影響であろうと考えられた。(なお、他の岩手、宮城などもやっと50%を超えるかどうかであり、まだまだ時間がかかるだろうことが予想される)

流された神具などは作りなおせばよい(もちろん伝統的かつ貴重なものではあるのは確かだが)が、そこに住む人は取り戻せない。

民俗芸能は
重要無形民俗文化材などとよばれる。無形。形のないもの。
そんなことをつくづく思う。


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