2015年11月26日木曜日

目がみえないということ

ファシリテーター養成講座にいく直前、依頼を受けて視覚障がいをもつ方のためのワークショップを行いに埼玉県にお邪魔する。
2回という短い時間ではあるものの、1年に数回このようなダンス(身体表現)のワークを行っているとのこと。9名ほどの当事者の方とそのサポートの方(同数)が参加する。
コーディネーターの方とはじまる前、あとにいろいろお話しし、何度もプランを書き直してなかなか苦労しつつも無事終了しました。

今回私は「根の国」という蜂飼耳さんの詩(かめりあのときに使用している詩もこの作家さんのものです)を元にワークを組み立てたのですが、目が見えない分、いかにイメージを広げられるかと言うことが大事になってきます。一般には暗闇のなかの怖さの中をすっと歩くことができる強さがあります。そしてサポートの人の方がむしろ困難に感じるそんな環境をつくってみました。(メーテルリンクの「盲点たち」の話しをしようか迷いつつしませんでした)
動きをいかに伝えるか、導入するか等もなかなか難しく、普段使っている手法(マッサージや様々な遊び)も見ることが前提になっていて模倣をベースに広げているため、そのままではできません。コンタクトワークが中心に自然となるものの、パートナーチェンジはできないなど様々な制約があり、なかなか難しい回でした。

体操ではないダンスにしてほしい
(これまで少しずつうごく講座はやっているので)からだを動かすところまでは結構できているので、(私にとっては初めての現場だけれど)その先の発展にしてほしい
などなかなか大変。
しかし良い勉強になりました。

その話しのなかで
やはり音にのるというのは難しく、音楽じゃないと、しかもよく知っている音楽でなければ
イメージの広がりが欲しい
などの言葉も出てきており、”ダンス”と”運動”の違いを改めて考えさせられました。私は運動を通じて生じる(現れる)心の変化に注目しているところがあり、音楽によって盛り上げたりという発想はあまりなかったのではないか。

どんなワークショップも経験の積み重ねとはいうけれど、なかなか入ることができない現場でした。ありがとうございました!

0 件のコメント:

コメントを投稿