2017年7月6日木曜日

動かされる感覚

夏至祭以降鳥取は異様な晴れが続く。時々一気に降るのだが、また晴れの日が続き、梅雨が吹っ飛んでしまった様子。(一方で大雨に悩まされる地域もあり、非常に困ってしまう)何かよくわからないエネルギーのようなものを感じる。

ここしばらくは移動が続いている。
方違えではないけれど、何か必然的に動かなければいけない時というのがあり、バランスを整えるために、見越して動く。
Mobiusで気がついてからは結構気をつけるようにしている。今ここにいなければいけない必然や動かねばならない瞬間やそういうものは全てのバランスのようなものの上に成り立っている。うまい具合に昔からの友人と話ができたり、新しい出会いがあったりするので、そういうものなのだろう。

今日は鳥取。授業をこなし、最近のカルチャー研究会で日本のコンテンポラリーダンスの歴史について語り、そして踊りつつ、今私がいるところでとにかくこのわけのわからないエネルギーを発散し続けてみる。とりあえず友人も来てしまうし、コンサートも入れてみる。普段基本的にいつまでも寝ているパンダ体質なのに、動き続けている。そして突如訪れる謎の昏睡状態。この3月末くらいにもわけのわからないざわざわ感があった。何に私は動かされているのだろうか。




山口で発表した作品「みみをすます」はこのやばい感をちゃんと収めるために、心をしづめ、遠くの気配に意識をまわしていくところからはじまった。最終的には自分の朗読も含めある意味作品の表現方法というか手法という点で大きなチャレンジになったのだけれど、わかったこと自体は近くにいても遠くにいてもどこにいてもつながっているということだった。しかも一つとか一人ではない。
この動いている状態の時にはちゃんと認識しきれていなくて壊してしまったりもするし、それも必然であったりするという。
私はまだちゃんと固めきれていないのだけれど、作品として見えることと、作品制作過程で私が得るものとは異なってしまうことはある。まだまだ踊ることで学ぶことは多い。






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