静岡の子供達が大道芸フェスティバルで盛り上がっている頃、私は竹富島という島にいました。
この竹富島、種子取祭という民俗芸能にかかわるなら是非一度は見るべきだと前から言われていた有名なお祭りがあります(正しくは1年じゅう何らかの儀式が続いており、祈りのクライマックスのようにこのお祭りがあります。この島自体が祈りの島であると言った方がいいかもしれません)
静を作成する時に習い始めた「綾子舞」を教えてくれていた民俗舞踊研究者須藤武子さんが10何年かぶりに行くというので(高齢ということもあり、体調がなかなか優れず、昨年も諦めていた)同行させていただき、様々なお話を伺いました。
静に限らず、私は舞踊には本来祈る気持ちがなければ成立しないと考えており、それが神であれ、仏であれ、自然であれ宗教行為に近いものなのではないかと考えています。ここにはない何者かの存在を感じながらそのために舞うのが本来で、観客のために踊るようになったのはごく最近なのではないか。
そして本来は神に見せるためのものとして技芸を磨くようになり、それが伝承されるような仕組みも生まれていった。
もちろん現在も素晴らしい民俗芸能があり、神楽など大変素晴らしいのですが、私はその元を知りたい。ここ数年数ある芸能の中でも特に集団での熱狂を生み出すものを中心に観に行くようになりました。コミュニティを形成し、継続していけるのは芸能の持つ力ゆえ。民俗芸能の残る土地は大抵島や、山間部など非常に不便なところです。でもそのような生きるのに困難な場所だからこそ祈ることを続けることができたのではないか。
残念なことに学校があるため9日間にわたる全ての日程に参加できるわけではありません。一番盛り上がる奉納の2日前より見させていただきました。
竹富島は石垣島よりさらに南。人口360人の小さな島です。
島では米は作れません。かつては隣の島まで出稼ぎならぬ出稲作をしていたのだそうで、粟を食べていたとのこと。その名残でついたら「いいやち」なる粟餅のようなものを作るところからスタートです。
泊めていただいた民宿の方がとてもよくしてくれて色々教えていただきました。
港のそばのゆがふ館では島の歴史を学ぶことができます。(後から聞いた情報だと映像資料がたくさん残っているそうで、それを是非見たいと思っています)
竹富島は景観保護をしているので家並みがとても美しく(特に祭りのため道路にも砂が撒かれる)、観光客も多数います。某Hグループのリゾートホテルも建ち、石垣島にLCCが来るようになった影響もあり、観光業はかなりの潤いを見せています。若い人の移住も増えているようで、(しかし某Hリゾートさんの従業員は石垣から毎日フェリーで通うのだそうです)活気を感じましたが、かつては2000人くらいが住んでいたというので、大分少なくなっているとは言えそうです。
小中学校は島内にありますが、高校からは石垣(あるいは沖縄など)に行かねばならない、そして帰ってこない、というのも大きく影響しています。(これは鳥取でも同じようなことが言えそうです)
人口が減ると祭りの継続が難しくなるのですが、現在のところ石垣、東京などにある竹富の郷友会の皆さんが参加したり、支援して続けているとのこと。狂言の衣装などそれなりにお金もかかるため、観客の寄付(お花代というのでしょうか)や郷友会のサポート、そして村の税金などとは別に集めているみんなの出資でなんとか持ちこたえてはいますが、なかなか厳しいのだそうです。(お話を聞いた方には「人頭税じゃないけれどさあ」と言われる)
ただ、このお祭りに参加するために多くの竹富人たちが島に戻ってくることもあり、この祭りをなんとか継続していこうという意識が見えます。この辺りについては鳥取大の家中先生がきっとまとめてくれるだろうということで、置いておき、祭りについて次は書こうと思います。
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