2017年12月23日土曜日

即興の可能性

毎年だいたいこのクリスマスイブイブ頃には「からたち」「からたちから」シリーズでお世話になった巣鴨教会と茶会記に顔を出すことにしているのだけれど、今年は何と授業がまだあり伺えず。(おまけに学生たちの発表もあり忘年会すらパスするという)
先日、附属小学校の授業を頼まれ、何か一曲軽く踊ることになり、何を踊ろうか迷っていた時に、ふと教会ダンスを思い出しました。これは「からたち」のカーテンコール用に何か一曲という話をしていて、いきなり弾いてくれたもの。でもあまりにガチすぎて、本番で弾くのは却下となってしまったけれども、その後これはやはり神の思し召しと思い、改めて「からたちから」として作り直した時に挿入しました。
実はオルガンもバッハの時代は即興要素を含むのが当たり前で、優れたオルガニストは即興演奏家でもあったのだそう。リハのついでのちょっとした演奏なので、ミスタッチがあるから恥ずかしいとおっしゃられる(牧師さん)が、それを言うなら私もろうそく蹴り飛ばさないかハラハラしていて、でも多分良い集中が出来ていた時間だったと思う。懐かしいなあ。
即興って、実はいろんな可能性があると思う。

学生さんの朗読と音楽のイベント発表後に作曲の先生とお話をしていた時に、良い演奏って何かぶつかり合いみたいなものがありますよねという話に。演劇でも朗読でもBGMみたく音楽が使われることが多いけれど、そうではないから面白い。そんな話をしていたので、ちょっと出してみよう。(珍しく画面が明るい)

夏至祭はみんなでとにかく楽しいのダンスの原型を探っていくような行為なのですが、真逆というか、周囲蹴散らかしていくエネルギーも認めざるをえない。それをいろんなところに分散させながら何とかうまく自分を実在できるようにさせているのかもしれないと最近思います。

対決してくださる方、お待ちしています。

子供達にはちょっとヘビーなので、実際の授業の時にはフジコヘミングさんのしっとりめピアノ曲に。なお、大自然の中で鳥さんがいて、お花がたくさん咲いているようだった〜との感想をいただきました。そうかー鳥さんとお花かー。

今日は授業の間の1日で、作品作りに没入することにする。私の稽古は体を動かし、読み、動かし、読みの連続で、来年作る予定の作品の資料読み(真っ暗闇突入な中身。うまくできればIchIの先へと行くはずです)を同時に行っていく。こういう没入できる時間、実は貴重。そして超贅沢な時間でもあります。

そんなこんなでみなさま、ちょっと早いですが、鳥取よりメリークリスマス、です。

2017年12月18日月曜日

教大協@宇都宮

日本教育大学協会全国保健体育・保健部門舞踊研究大会@宇都宮に行ってきました。元気の良すぎるダンス部さんにつれられて(学生的には合宿で都会に遊びにいくぜモードな予感がする)昨年から参加しています。
元々は国立大学の教員養成系の勉強会だったところもありますが(なので前任の先生から引き継ぎましたが、実は鳥取は教育学部ではなくなってます)、最近は私学の先生方の参加も増えているのだそうです。
今大会は高橋和子先生(横国)と原田奈名子先生(京女)の退官講演もあり、「舞踊教育の未来に向けて」と題されたシンポジウムも開催されました。2人は大学同期その時の指導教官川口千代先生もお越しになるという。
実はそのシンポジウムの前に「「ダンスハ體育ナリ?ー体育教師としての大野一雄を通して」クリエーションの経緯と芸術としてのダンス教育の可能性について」というタイトルで研究発表をさせていただきました。ある意味、この保健体育研究会に喧嘩売っています。?は元々の作品にはついていないですし。
でも、高橋先生は大野一雄さんについて論文にまとめてくださっていて、その中にある一文がこの作品のきっかけになっています。
「ダンスを教えることは難しかった」
そこから私は、彼が考えているダンスと学校で行われているダンスの差異、ズレがあるのではないかとさらに体育にあるからこそ多くの子どもたちに、そして大野さんにダンスを広めることができた、その一方で彼の信仰心や亡き人への思いの部分が溢れるダンスはその枠組みの中では教えられず、クリスマスのページェントとして現れたのではないかと考えました。
高橋先生は体育の中にあったからこその部分を大きく扱っていました。
大野さんは既に世におらず、実際どんなことを思っていたのかはわかりません。
ただ今回のお話を受けて、すごく思ったのは、大学教員と現場教員の感覚のズレです。
教育指導要領を見ると決まった踊りを習得することや技の習得は目指されていません。いかに自由に身体を解放していくか、コミュニケーションが取れる身体にしていくかにかなりフォーカスを当てているけれども、見せる段階で”うまく作る”ことや”見栄の良さ”にとらわれて、あるいはメディアなどの影響を受けた子供達の声に煽られて、とりあえず振り付け覚えさせて踊っとけ型指導がある事実。
指導要領よんで!という言葉はよくわかる。
一方でダンスに触らないまま教員になる多くのアスリート(国体要因なども合わせ、競技色は強いと私は思います。)の困惑もわかる気がします。
この研究会やワークショップちゃんと外に開いてやらなきゃいけないのではないか?もはや学校だけではなく、いろんな人の声を取り入れるべく外へ広くか、なくすかしなきゃいけない過渡期なのではないかと感じました。
また、アーティスト派遣事業があるべき意味というのも論じなければいけません。限界芸術論の時に書いたのですが、多分今は私の考えている段階の前なのだと思う。教員が教師という立場から自由になるためにファシリテーターが必要であるという事実。それでも教員(上から見る立場)でいたい人もいますが、子供と同じ目線で立てれば楽になることもたくさんある。ずっと子供と一緒の目線でいることができなくとも、(時には叱ることも必要です)ファシリテーターのいる時間は特別として一緒にただただ遊ぶ時間を持つことができる、それだけでもたくさんの発見があるはず。

私は研究発表に上げたように体育にあるからこそダンスは全ての子どもたちが触れるようになったと思っていますが、体育だけではなく、他の芸術分野とも連合しながら身体表現とか表現系みたいな授業ができたら楽しいんじゃないかと勝手に思っています。歌も踊りも演技も美術も全ては同じところからはじまっている。さらに言えば舞台芸術とは限らなかったはず。

いろんなものを混ぜながら新しいものを作る力が生まれていけばそれでいい。でもきっとそのコアの部分には自分のカラダがついてくる。
そんなことを思いました。

2017年12月5日火曜日

奈義町に行ってきました。

大学の先生なので、大学の研修授業ということで、学生さんに連れられて(今回は本当にお供のお供のよう)奈義町に行ってきました。

岡山県勝田郡奈義町は人口6000人の小さな町ですが、合計特殊出生率が2.81(!)と日本一。子育てがしやすい環境づくりを行っていると聞いて、その取り組みをまちづくり戦略室の方にお尋ねしに行ったのです。

そもそも、この奈義町の決断は市町村合併を行わないというところから始まります。そのためにどのように緊縮財政をしくか、また若い世代が移住したくなるような町を作るにはどうするかということを町民が話し合い、タウンプライドとグランドプラン、長期目線で見た奈義町の将来、未来予想図を作りました。
詳しくはナギカラをご覧ください。
http://nagikara.jp/about/
町長が変わっても、みんなで作った理想を追い求めていこうと頑張っていたら、気がついたら近隣の町が衰退していく中、小さいなりにまとまりのある、団結力のある町に育っていました。

20年以上前に作られた(一時期はお荷物という声まであった)磯崎新渾身の現代美術館(こちらもかなり素敵です。その場所と、その展示品のための建築になっているため展示替えなどができません。でも時事刻々日差しが変化していくため、ゆっくり時間を過ごすのには良い場所です)もあります。自然も豊かです。アートと自然の町としてイメージを作り、平田オリザさんはじめとしていろんな協力者をえて実現に向けて動いています。

何よりその戦略室のおじさまたちのエネルギーがすごくて、人の力って大きいと思いました。奈義町、元気です。


ここの人たちの誇りにしているのが横仙歌舞伎
http://www.town.nagi.okayama.jp/kankou/kankou_spot/miru/yokosen-kabuki.html
松神神社で毎年4月29日に古い舞台(なんと回舞台が付いている)を用いて上演するのだそう。気になります。

翌日はOibokkeshiの菅原さんのワークショップを受けさせていただきました。介護福祉士としての生活から老い、ボケ、死と言ったネガティブなイメージをいかに受け入れていくかをテーマに現在91歳の岡ジイさんほか個性豊かな役者さんを率いて劇団を運営しています。
かめりあを作った時を思い出しました。
今の時代にとって必要な演劇とは何かと突いているような気がします。

地域学部という学部にいますが、
今地域において必要なもの、ことは何かということも考えます。
便利になったり、経済的に豊かになることだけが幸せではない。
今ある生活を受け入れていくこと、その中にある光を見出すこと。

奈義町はこの決断(市町村合併の拒否)は自衛隊があったからこそできたとも話していました。日本原演習場や駐屯地があり、自衛隊関係者も多く住んでいるからこそ、なんとかなるかもしれないと思ったとも。きれいごとばかりではないですが、それもまた勇気かと。


おまけ
なんと奈義町全域wifi freeです。
神山状態です。
あまりに居心地が良いせいか、移住者が増えて、空き家整備が間に合っていません。頑張ります!と戦略室の方はおっしゃっていました。



ゆるやかにのびやかなからだをつくる時間@ちいさいおうち(米子)

ゆるやかにのびやかなからだをつくる時間(通称ゆるのび)は新百合ケ丘アルテリオのサポートを受けてワークショップを始めたのがきっかけでした。その後成瀬(町田市)でも開催しています。
ダンスというと敷居が高い、ヨガほど頑張らない。
ただただからだをゆるめてほぐす、そして穏やかな時間を過ごすこと。そんなリラックスした状態から踊りは生まれてくるし、人とのつながりも生まれてくる。平日の午前中というママ世代、シニア世代対象のワークショッププログラムでした。

そのゆるのびはAmanogawaプロジェクトでも冒頭に取り入れられています。やっているうちに覚えて、家で旦那さんにやってみたり、お子さんとやってみたりできるよう簡単なマッサージと踊りのような体操のような、「気がついていたら踊っていた」状態になるように工夫しています。
ちなみにそのあとお茶を飲んでまったり過ごし、午後からの子供達の帰宅に備える!というのが基本パターン。個人的には同年代のママたちの話を聞いたり、シニア世代の皆さんが子育てのコツを伝授したり、小さな子供たちもいるので途中で一緒に踊り始めたり、という当たり前の生活がちょっと素敵に見えて楽しい時間でした。
保育士さんを雇う都合もあり、会場費、人件費などを考慮すると助成金などをえないとなかなか難しく中断してしまっていましたが、こういう異年齢交流は大事だなと思っています。

普段の生活では忘れてしまう身体のこと。凝り固まっていることにすら気がつけない人も多くいます。ちょっとゆっくり時間を過ごしてみる、ちょっと呼吸を深くしてみる、そういうダンスになる前段階のからだのことを知るための時間です。小学生以上であればだいたい全ての人が同じプログラムでOK.今後も少しずつ行っていこうと思います。

今回久しぶりに依頼を受けて米子まで行ってきました。
ちいさいおうちは米子に住む友人が行っている子供の人権広場の活動拠点。毎月1回様々なアート活動を通じてこどもたちに家でも学校でもない第3の居場所を提供しています。みんなで山に行ったり、音楽を作ったり、今回はダンス。
午後はBe mellow (米子で活動するアカペラグループ)のコンサート付きのクリスマス会もあって、ほのぼの楽しい時を過ごしました。

帰りに急いで電車に飛び乗ったら違う電車だったらしく、思いっきり根雨の方まで行ってしまうという失敗をおかしました。山陰は1時間に1本くらいしかないので、帰りが2時間以上遅れてしまうという、、、。相変わらずのあわてんぼうぶりです。

写真は参加者のプライバシーの観点で公開していないのです。
これは年間スケジュールのチラシ。これも参加者のかえさんが書いてくれたもの。かわいい。(そしてきのこだ!)