2018年2月14日水曜日

檸檬について

檸檬

今回作品の最後に檸檬を渡す。(落とすという案もあった)
空襲警報の中、どうしようとなって私が残そうとするもの。
意味深すぎて、気になってしまうのだろう。いろんな人に聞かれる。

梶井基次郎の檸檬に基づく檸檬爆弾。
丸善の本屋に置いて行く爆弾のようななにものかだけれども、
私にとってはちょっと意味深い。
私の古い友人にはわかる。
なぜなら私のあだ名は檸檬であったから。

おそらく深く考えず作られた名前にすぎないが、名は体を表すというがこんなところで思い出すとは。

私が初めて公開して作った作品は檸檬という作品だった。
身を呈しても表すべき何かだったのだと思うし、それは今も昔も変わりない。
絶対的な権力や価値観に対し疑問を投げるのは個人だからこそできること。
たとえ一人でも私はきっといい続けてしまうと思う。

判断はあなたに託します。

それがdance potlatch .

0 件のコメント:

コメントを投稿