無事終了しました。
思えば長い道のりでした。なにせはじめのプランは2007年の年末に作っているのです。で、インタビューやら制作やら延々と続いて今に至る。お金も時間もかかっています。本人の環境変化もあって、正直かなり厳しい精神状態だったところをこの作品が救ってくれたのは事実で、無事こうして上演できたことが素直にうれしいです。
(無事とはいえ、舞台からおちかけました。で擦りむいて血が出たままおどりました。暗闇には強いのが私の得意な点だったのにだめじゃんというかんじです。)
この作品には多くの人が関わってくれています。
私の名前で作品がでているけれど、正しくはチームが作ったものであって、それぞれの人が自分の得意分野をだしたらこうなったというかんじなのです。であってしまったものに感謝して、次につなげていきたいと思いました。
ダンストリエンナーレは昔日本にまだいた頃(2004年)ショーケースとしてださせていただきました。そして2006年にはなぜかソウルのトリエンナーレ(ビエンナーレ)にいくことになり。当時からずっと私の作品を応援してくださった皆さんがいらっしゃいます。懐かしい円形の舞台に再び帰ってこれたことを、そしてこの作品を持ってこれたことを幸せに思います。
日本版をだすにあたり照明のコードや電球ライトを作りなおさねばならなくなり、照明片田さん自ら買い物から手伝ってくださいました。(きのがかってきたものもあるのですが、あまりに素人っぽくて不安になったのでしょう、、、)舞台の皆さんはセットを直してくださいました。(スペシャルサンクスにプレイスプライズのテクチームの名前がありますが、あの作品は劇場舞台さんが強くなければできない作品だとも思います。本当に結構細かいんです)
音楽3人組(上原さん、新木さん、田中さん)は、暗闇の中で演奏するとか、ダンスにあわせてひくとかなれないことばかりで大変だったと思いますが、あの所々抜け落ちたスコアからよくも音楽を紡ぎだしてくださいました。
そして上野君はやっぱり上野君で、しかしあきらかに1年前とは違う上野君でした。体格的にも強くなったということもあるし、やはりロンドンがあわなかったのだなあと思ったりもして。(衰弱していったもので、あのスピンのあと本当に力が抜けるようでした)日本でのパフォーマンスはやはり力強かったです。
そして見に来てくださった皆様方。
チケットがない(当日券も2枚しかでない)という状況で超早くきてならんでくれてゲットしてくれた人もいます。(驚くべきことにその2枚両方私の友人がとりました)静岡から見に来てくださった方もいます。このパニック状態の中(実は引っ越しを間近にしていて本当に忙しいです)めずらしく見に来てくれた木野母(なお、母が私の作品を見たのははじめてです)。
ありがとうございました。
いろんな人の支えがあって、ここまできました。
でもまだはじまったばかりかもしれません。
これからもどうぞよろしくおねがいします。
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