静プログラムノーツ
本日はご来場いただき誠にありがとうございます。
伝説の白拍子、静御前とはどのような人であったのかに想いをはせながら、作品作りを行ってきました。
白拍子というものが伝承されておらず、私の作品もあくまで一つのアイデアでしかありませんが、もしも静という人がこの現代によみがえったならととらえなおしてみました。
愛する人を想うがゆえに蛇となり、鐘にとりついてしまう道成寺の白拍子や、愛する人を待ちつづけ白河のように髪が真っ白になってしまった檜垣の白拍子、中世の様々な女性の姿をみてきて、私が静からうけたのは一人で生きていく覚悟と強さでした。
最終的に吉野山で義経と別れたあと再び会うことはなく、その子供も殺されてしまい、頼る人もなく静は悲しみの中なくなったと思われます。
しかしながらその強さは日本全国で伝説として語り継がれることとなります。
白拍子は遊女のように時代を経るにつれて身を落としていきます。しかし元々は神に祈るために踊ってきました。静は鶴岡八幡宮で何を踊ったのか。それを探そうとする試みです。
この作品は2010年ギャラリー招山(由比ケ浜)でのパフォーマンスと「しづ」(2012 神奈川芸術劇場大スタジオ 文化庁新進芸術家海外研修員による現代舞踊公演)をふまえて作成しました。関わり支えてくださった皆様に御礼申し上げます。
木野彩子
◎白拍子とは
もともとは拍子とともに歌う歌、その後その歌に合わせて踊る踊り、またその踊りを踊る職業の総称をさすようになった。
多久助が申(し)けるは、通憲入道、舞の手の中に興ある事どもをえらびて、いその禅師といひける女に教(へ)てまはせけり。白き水干に、鞘巻を差させ、烏帽子をひき入(れ)たりければ、男舞とぞいひける。禅師がむすめ、静と云(ひ)ける、この芸をつげり。これ白拍子の根本なり。仏神の本縁をうたふ。(『徒然草』)
とあり、曲舞のように神仏のありがたさを謡いつつといたものであり、男装の舞であったようである。
◎
白拍子舞とはどのようなものだったのか
白拍子にあわせて踊られた踊り。
まず一声(和歌朗詠など)があり
舞台を一周した後
白拍子の謡舞があり
最後に「セメ」と呼ばれる足拍子を踏むシーンがあったと言われている。
静が鶴岡八幡宮で舞った際には「しんむしやうの曲」を謡ったが、その場にそぐわないと思った工藤佑経が「セメ」とよばれる終わりの急な調子の鼓をうったので、静は「君が代の」とあげたという。(『義経記巻6』)
『今様之書』には右のような記述がある。
(沖本幸子『白拍子舞から幸若舞へ』国文学解釈と鑑賞74(10),2009)
(本来ここに図が載るはずですがウェブにあがらないようなので後日つけます)
能「道成寺」「檜垣」には白拍子がシテとして登場し、乱(蘭)拍子を踏む。この乱拍子は当時の白拍子が舞っていたところから取り入れられたという説もある。
◎ 静御前とは
悲劇の英雄源義経の愛人。99人の巫女が降らせることができなかった雨を降らしたと言われる舞の名人。吉野山での義経との別れは能「吉野静」に表されており、気の強い女性であったらしい。
鎌倉幕府(頼朝)にとらわれた後、鶴岡八幡宮で舞うことになった際、
「しづやしづ しづのおだまき くりかえし むかしをいまに なすよしもがな」
「よしのやま みねのしらゆき ふみわけて いりにしひとの あとぞこいしき」
と義経を恋う歌を歌い、頼朝を怒らせたという逸話も知られている(『吾妻鏡』)。
静
日時: 2月7日(金)21:30開演、
2月8日(土)20:00 開演(両日とも開場は15分前)
場所: BankART Studio NYK 3Cギャラリー
神奈川県横浜市中区海岸通3丁目9
料金: 3000円、TPAM パスホルター/学生 2500円(要予約)
構成•出演: 木野彩子
音楽•出演: 八木美知依(17絃箏、21絃箏、歌)
照明: 三浦あさ子
オリジナル衣装デザイン: 宮村 泉
音響効果: Mark. E.
Rappaport
記録写真: 小熊 栄、古里麻衣
記録映像: たきしまひろよし(PLASTIC RAINS)
協力: Mark. E. Rappaport、内藤久義、蔀 健、石井順也、富士栄秀也
スタジオマキノ、日本基督教団巣鴨教会
BankART
Studio NYK
主催: キノコチケット/木野彩子 kinokoticket@gmail.com
2014年 TPAM Showcase 参加作品
[www.tpam.or.jp]
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