2015年5月18日月曜日

文字起こし中

一期一会山崎阿弥さんの会の文字起こしを行い中。
様々な話しに飛んだけれども、その中で人の振付作品を踊り続けることについて話したところを今日は起こした。ラッセル作品を何十回と踊るのはつらかったなあと。ただし、普通のダンサーさん(同僚たち)はもう飽きてきた、そろそろ新しい踊りを踊りたいといっていたけれど、私は常に自分が満足できる踊りを踊れなかった。記憶力も低いので常に新鮮。そして常に完璧には踊ることができない。そのつらさ。
どれだけ拍手されようと、ラッセルさんが喜んでくれようと、できなかった感は残ってしまい、それは結構つらい。
何がおきてもカーテンコールでは笑うこと、お客さんに感謝する気持ちを忘れないこと、それが最高かつ最大のノーツだったと私は思っている。

お客さんあってのプロフェッショナル。当たり前のことだが、私は本当にプロフェッショナルといえるのだろうかと考えたのはラッセルカンパニー時代のこと。それだけの特殊技能を持っているのだろうか。お客さんを笑わせる(あるいは喜ばす)ことに徹しているだろうか。

コンテンポラリーダンスの表現が多様化するにつれて、プロフェッショナルの意味みたいなものが薄れたときに、そもそもコンテンポラリーダンスのプロとは存在し得るのだろうか?という疑問を持っていた。
ラッセルは「自分たちのしていることは2、3日のワークショップなどで習得できるはずはないし、だから教えを行う意味はない」という方針を持っていて、それはコミュニティダンスに流れているイギリスダンスの主流からは明らかに逆行していた。それは半分くらいはうちのカンパニーメンバーの極端な英語力不足によるものでもある。でも、私はその気持ちがわかるような気がする。

プロフェッションとして成り立たせていくためには特異性が必要で、それと一般への普及というのは全く別な行動である。もし一般への普及という視点を重視するならばファシリテーターあるいは教職者としてのプロフェッションと考えるべきであり、社会に役立つダンスという視点は今後も大事にされていくだろう。
現在かかわっているSPACで行っている作業や、学校への派遣時事業などはある種の公共性において成り立っている。社会のためのダンス。

だがそれとも自分のダンスは乖離しているような気がしていた。これまでもそういわれてきたし、最近自覚できるようになった。私が本来おこなっていることはそれほど社会的ではないし、かなり特異なものであるのを、かなり噛み砕いてかつさも意味がありそうに作っている。お客さんがわかるように、あるいは必要にされるように説明をつけている。

でも本来はダンスとは自らのために行うものではないか。純粋な信仰心や祈りの気持ちかもしれないし、愛情表現かもしれない。そしてそれ故にダンスは続いてきた。私自身の納得できる踊りを踊るためにいるのであって、お客様はそこに立ち会ってしまった人(よくもわるくも)でしかない。そう思ってからはおそらくお客が1人だろうと私は踊り、話しをし、また考えるそういう作業が続いている。
それは経済効果や社会性から外れてしまうし、助成金などもらえなくなってしまう活動だけれど、ダンスとはそもそもそういうものではないか。何度も禁止令が出て、しかしそれを打ち破るかのように様々な騒動はおきてきた。それも結局ダンスは本来全ての人のなかに眠っているがゆえのこと。全ての人が私と等しく踊る人であり、誰かの表現だけが特別ではない。公共性の根拠が見出せなくなってきている。

私が既にみてしまった円をきちんと形にできるように。
支援を受けず闘える力をもてるように。
そして全ての人が表現の可能性に気がつくために。
私は今活動をしていて、多分それは既にダンサーとしてのプロフェッショナルではない領域であるということを感じている。ではなにか。なにものでもない存在になりつつある。


空気を読まないは今年の演劇祭の標語。
でも空気を読めないというのもある。
本当に困っているのは空気を読めないからであり、それゆえに苦労をする。
その元になっている土台からして違う。
読めないということは読もうとして読めないのであり、一生懸命読もう読まなきゃという意識はあるだけに悲劇的だ。
土台が違うなりに海外だとパンダ的に生き延びることが可能だったりする。パンダだから許されることもある。でも日本で土台違う人がいたら結構迷惑だ。それを自覚しつつ居続ける。それはそんなに楽しいことではない。
踊ることはその違和との戦いである。
日本でも、海外でも。結局はどこにいても。




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