2015年7月29日水曜日

Mathilder Monnier

マチルダモニエさんにあう。

滅多にみないfacebookたまたまあけたらフランスダンスの大御所がきているというので、あわててアーキタンツへお邪魔する。ワークショップとビデオレクチャーがあり、特にレクチャーはもっと時間をかけれたら良かったのにと思う「舞踊と音楽」にこだわったセレクション。しかもコンテンポラリーダンスの古典を中心にしているところも歴史をおう上でとても面白い。

彼女自身の創作法、音楽との関係性の距離感がそのままダンスの歴史の変遷と重なっているところがあり、私はとても興味深く思ったのでちょっと書いておく。


1980年代 コンテンポラリーダンス(ヌーヴェル)の起こり
経済的にゆとりがあり、文化支援が盛ん
予算のせいもあり、自由に作品をつくることができる。が一方で自由すぎて危険な側面もある。
(バレエに準じているのか)総合芸術としてのステージワーク(彼女はここでスペクタクルという単語を使う)にフォーカスがある。
彼女自身の作品でいえば「extasis」あたり。他に今回紹介されていた映像ではキリアンの「les noce」やカロリンカールソンのワークなど。
音楽にダンスが完全にリンクしている。
ダンスを音楽にあわせて振付ける場合もあるし、音楽家がダンスに作曲する場合もあるが、音楽もダンスもあわせてで1つの世界を構築してる時代。


1990年代
みせるという視点が変化し、ダンスそのものにフォーカスがおかれるようになる。
音楽、衣装、装置などをあまり使わなくなる傾向が起こる
その後ダンスがさらに「身体」にフォーカスがおかれるようになる
80年代のめちゃくちゃさの反動かダンスの歴史にをふまえて作品づくりをする作家があらわれはじめる。

最近の振付家には本番前日に曲を変えてしまう人もいる。マチルダはとても音楽は重要なコンセプトであり(たとえ無音であるとしても)、決めたことはとても大事にすべきと考えるが、そうとはとらえられていないようだ。

観客よりボリスシャルマッツの舞踏の取り込みについて(注:ボリスは土方の病める舞姫を元に作品づくりもしている)質問が出たときにはボリスはみせる、スペクタクルの意識がある人で、作品もスペシフィックなものが多いため、この1990年代以降の「身体」フォーカスとは少し違うと答えている。



2000年代
その傾向は現在も続いており、ダンスを超えてコレオグラフを超えて身体にこだわる作品が多い
彼女の作品でいえば「soap opera」(舞台上を泡で満たし、その中にいるダンサーの動きにより泡を動かすダンス)、「Twin Paradox」など
音楽との関係性もそのとき舞台上で発生する音(noise)を増幅させたり、音が独立した世界感を作りダンスと並列するなどの形に変わってきている。


そして現在の彼女はカンパニー活動などはせず、CNDのディレクターとして活動中。モンペリエから1年半前に移ってきたそう。
今年から6月にcampingというコースを開催することにしたそうで、早速今年は韓国から50人くらい参加があり大好評だった様子。来年も開催予定。(3月頃募集があるのでウェブをチェックしてほしいとのこと)ルシンダチャイルドなどが講師とある意味とても贅沢な話し。


今回みせていただいた映像はCNDのアーカイブよりとのこと。このような資料特にルシンダ「dance」(1979)などはダンスの歴史などを教える際あると非常にわかりやすく良い例なので、ウェブなどで公開したりはしないでしょうか?と質問したところ、来年新しいカタログ(映像の)を作る予定とのこと。
日本にはダンス映像のアーカイブなどがないのですが(本当は新国立劇場やきの母校さんとかができると良いのだと思いますが)、基礎資料が入手できるようにしなければと思います。ダンスだけではなく実は民俗芸能についても同じことがいえるのですが。VHSビデオからDVDへの移り変わりもあり、多くの資料が消えてしまうことをとても危惧しています。







Adam

ここしばらくなんだか知り合いの人がたくさん日本へやってきている。
先週あいにいったアダムベンジャミンはインテグレイテッドダンスカンパニーつまり障がいを持つ人持たない人が混ざったおそらく日本でははじめてのカンパニー「響」に振付にきていました。
イギリスではかなり広まりつつある、障がいを持つ人のダンス。Davidのcost of living が有名でyoutubeなどでも発見できるのでぜひ。様々な障がいを個性とみなし、身体の可能性を広げている。スポーツでいうとアダプテッドスポーツに相当するが、ダンスの場合は勝敗や記録ではないので、本当に対等に存在することができ、また存在できるはずでもある。
アダムはその第1人者ともいうべき存在で、カンドゥーコなどを率いていた人。実はラッセルワークに入ったころ、英語が話せなくてしかもコンタクトワークが非常に苦手で(ラッセルワークの基礎)苦労していた頃、教えにきてくれていた恩人でもある。(振付はラッセルなのだが、コンタクトワークの部分でいろいろ模索しているときに協力してくれていた)かれこれ10年。ちゃんと覚えてくれていてよかった。
その10年くらいの間にアダムは日本人の奥様と結婚し基本ベースはイギリスだけれど、時々日本へくるようになったという。

実はイギリスのコミュニティダンス路線ではLucaも城崎温泉にきていた(さすがに遠くていけない)し、先月はDarrenも。2人ともplace prize同期でダレンは特に麻子さんの親友でもあり、数少ないイギリス酒飲み仲間。皆えらくなってびっくりしてしまう。思えば当時から日本行きたい行きたいと言い続けていたことを思い出す。
日本に行きたがっていた人といえばラシュパとホへだなあ。

アシュフォードさんをはじめとして思えば日本が好きな人が私の周りには多くいたことを思い出し、日本イメージってすごいと思う。



2015年7月20日月曜日

Angels⑧ チラシができました。

いよいよ夏休みですが、ニヤカムさんがいない間はきの稽古です。ごめんね、こどもたち。今日も日帰りで静岡いってきました。
今日は先日隆夫さんとのセッションを思い出してコンタクトインプロ初歩をベースに行いました。ニヤカムさんはバレエベース、アフリカンとコンテンポラリーの融合という事もありあまりコンタクトワークをいれていないのですが、今回床の動きが増えること、身体で遊ぶことを学ぶことを考えていれてみました。

チラシができました。
それに伴いウェブ情報も新しくなっています。
http://spac.or.jp/angels_201508.html
夏休みに入る前にチラシ学校でくばらないと!という意味もあります。
今年はシアタースクール(SPACが開催している演劇学校)と合同チラシということもあり、お互いまけないぞ!と思っているだろうと推測されます。
静岡県内の皆様、どちらも気合いの作品ですのでぜひどうぞ。

 毎年言われますが、グラビアアイドルみたい(笑)な私、アルテリオでのゆるのびワークショップの後に須藤さんにとっていただいた一枚です。



2015年7月18日土曜日

Speak Low

ハンダさん作品「白いカラス」で使われていたのは「Speak Low 」というジャズの名曲。
牧野京子作品「アリエルー空気の精ー」で使用されていた曲。
今回作品最初のリハーサルで対訳が配られた。牧野先生らしい選曲だなあとつくづく思う。


恋を語る時は

小声で囁いて。


夏の日は

瞬く間に色褪せる。
恋を語る時は

ひそやかに。
二人の時は駆け足で過ぎ、

海に漂う舟の如く、

あっと言う間に離れ行く。


愛しい人よ、


ひそかに甘く囁いて、

恋は一瞬の火花、
すぐに闇へと消え去るもの。


どこにいようと、

すぐに明日は来る。


時はあまりに速く、

恋はあまりに短い。
恋は輝く純金で、

時は泥棒のように恋を奪う。


愛しい人よ、


私たちは遅れているよ、

カーテンが降りると、

全てが終わる。


私はじっと待っている、

愛しい人よ、


お願いだから囁いて、

愛の言葉を

さあ早く!


2015年7月13日月曜日

白いカラス

白いカラス@現代舞踊展
2014.07.12 メルパルクホール

ハンダイズミさんの作品「白いカラス」に出演してきました。
(ハンダさん作品はこれまでもたびたび踊っていますし、しず・静の衣装を担当してくださった宮村泉さんでもあります)

昨年亡くなった牧野京子の弟子達が集合し、彼女のオマージュとして踊りました。亡くなる前に鎮痛剤などの影響からか、壁から白いカラスがあらわれてとんでいるのよとおっしゃっていたそう。それも何百羽と。

夏ですが分厚い男物コートを着て踊る作品で、なかなか過酷な練習でありました。
それぞれ学校、仕事忙しいこともあり人数も揃わずかなり大変でした、、、。
見に来てくださった関係者の皆さんなどからは先生がみえたなどとも言われ評判はよいようです。(実は半回転多く回転してしまい、凍り付いた瞬間があったりしました,,,)

見に来てくださった皆様ありがとうございました。



多くの方にご覧いただき、とてもありがたい舞台ですが、リハーサルや照明合わせの時間の短さや制限の多さを考えると、厳しいなあと思う自分もいます。振付家が経費をすべてチケットノルマとしてかぶるこのシステム(その結果出演ダンサーを増やし、なんとかまわそうとする)、何かおかしくないでしょうか。

作家として作ることができる環境ではないと思う自分がいます。
お稽古事で成り立っているところならよいのかもしれませんが、今にあう形態ではないのではないか。勿論そんなこと考えなくてもよいのですけれど。



このリハーサル中に一緒に組んでいるダンサーさんの旦那さん、ハンダさんのお母様が亡くなり立て続けにお葬式に出席しました。その間にも大学時代の友人含め結婚や出産の祝いをしました。たまたまなのかもしれませんがこの1年は特に不幸が多く、また幸も多い1年でありました。生まれて死んで。
命はずっと続いていく。
記憶とともに。
長く生きることが必ずしも幸せではない。
自分のなすべきことを見出すことができればそれが幸いではないかと私は思います。
だからきっと大丈夫。


2015年7月7日火曜日

Angels⑦ 夏に向けて

声はでません。
あれから既に5日になりますが、現在も声は出ないままです。
でないままですが、子どもたちの稽古はあり、微妙に声の出ないままみんなに歌ってもらって稽古をこなしました。友人によれば多分1週間くらいかかるよとのこと。

静岡の子どもたちはとても元気で、これまでの動きのおさらいなどをしました。動きの基本的なことをまずはやらないと。ニヤカムさんがきてからは怒濤の振付期間になってしまうので、まずはケガをしない、強い身体づくりをめざします。

公演情報が公開になりました。
http://spac.or.jp/angels_201508.html

今年のチラシはシアタースクールと合同。SPACは夏子供たちであふれます。

2015年7月3日金曜日

声がでません。

珍しく声が出ません。
風邪気味だったのと、昨日の授業で声を使ったせいでしょうか、声が出ません。そして夕方になると咳が出ます。
本当は今日は札幌Amanogawaの出演者のかたが東京で踊るので見に行こうと思っていたのに、どんどん咳がひどくなり、お家へ帰ることにしました。なさけないかぎり。
電話聞けますが話せません。メッセージなどテキストメールでお知らせください。

数日前からお茶でうがいなどいろいろしているのですが、駄目です、、、。既にのドヌールスプレーも購入済みです。

Amanogawa札幌映像チェックをきょうまでかかってとりあえずまとめ、おとどけには伺いました。でも残念ながら踊りが見れないのが悔しい。(作品が無音らしくって咳まずすぎです)

あさっては静岡なのに。とにかく今日は早く寝ます。