マチルダモニエさんにあう。
滅多にみないfacebookたまたまあけたらフランスダンスの大御所がきているというので、あわててアーキタンツへお邪魔する。ワークショップとビデオレクチャーがあり、特にレクチャーはもっと時間をかけれたら良かったのにと思う「舞踊と音楽」にこだわったセレクション。しかもコンテンポラリーダンスの古典を中心にしているところも歴史をおう上でとても面白い。
彼女自身の創作法、音楽との関係性の距離感がそのままダンスの歴史の変遷と重なっているところがあり、私はとても興味深く思ったのでちょっと書いておく。
1980年代 コンテンポラリーダンス(ヌーヴェル)の起こり
経済的にゆとりがあり、文化支援が盛ん
予算のせいもあり、自由に作品をつくることができる。が一方で自由すぎて危険な側面もある。
(バレエに準じているのか)総合芸術としてのステージワーク(彼女はここでスペクタクルという単語を使う)にフォーカスがある。
彼女自身の作品でいえば「extasis」あたり。他に今回紹介されていた映像ではキリアンの「les noce」やカロリンカールソンのワークなど。
音楽にダンスが完全にリンクしている。
ダンスを音楽にあわせて振付ける場合もあるし、音楽家がダンスに作曲する場合もあるが、音楽もダンスもあわせてで1つの世界を構築してる時代。
1990年代
みせるという視点が変化し、ダンスそのものにフォーカスがおかれるようになる。
音楽、衣装、装置などをあまり使わなくなる傾向が起こる
その後ダンスがさらに「身体」にフォーカスがおかれるようになる
80年代のめちゃくちゃさの反動かダンスの歴史にをふまえて作品づくりをする作家があらわれはじめる。
最近の振付家には本番前日に曲を変えてしまう人もいる。マチルダはとても音楽は重要なコンセプトであり(たとえ無音であるとしても)、決めたことはとても大事にすべきと考えるが、そうとはとらえられていないようだ。
観客よりボリスシャルマッツの舞踏の取り込みについて(注:ボリスは土方の病める舞姫を元に作品づくりもしている)質問が出たときにはボリスはみせる、スペクタクルの意識がある人で、作品もスペシフィックなものが多いため、この1990年代以降の「身体」フォーカスとは少し違うと答えている。
2000年代
その傾向は現在も続いており、ダンスを超えてコレオグラフを超えて身体にこだわる作品が多い
彼女の作品でいえば「soap opera」(舞台上を泡で満たし、その中にいるダンサーの動きにより泡を動かすダンス)、「Twin Paradox」など
音楽との関係性もそのとき舞台上で発生する音(noise)を増幅させたり、音が独立した世界感を作りダンスと並列するなどの形に変わってきている。
そして現在の彼女はカンパニー活動などはせず、CNDのディレクターとして活動中。モンペリエから1年半前に移ってきたそう。
今年から6月にcampingというコースを開催することにしたそうで、早速今年は韓国から50人くらい参加があり大好評だった様子。来年も開催予定。(3月頃募集があるのでウェブをチェックしてほしいとのこと)ルシンダチャイルドなどが講師とある意味とても贅沢な話し。
今回みせていただいた映像はCNDのアーカイブよりとのこと。このような資料特にルシンダ「dance」(1979)などはダンスの歴史などを教える際あると非常にわかりやすく良い例なので、ウェブなどで公開したりはしないでしょうか?と質問したところ、来年新しいカタログ(映像の)を作る予定とのこと。
日本にはダンス映像のアーカイブなどがないのですが(本当は新国立劇場やきの母校さんとかができると良いのだと思いますが)、基礎資料が入手できるようにしなければと思います。ダンスだけではなく実は民俗芸能についても同じことがいえるのですが。VHSビデオからDVDへの移り変わりもあり、多くの資料が消えてしまうことをとても危惧しています。
アーキタンツの帰りに御一緒した、舞踊評論家の原田広美です。はじめて木野さんの御姿を拝見したのは、ロンドドンのダンスアンブレラでのラッセル・マリファンの舞台の上でしたが、こんなに分かりやすい、素晴らしいレポートも書いてくださるとは。いろいろと、参考になりました。
返信削除原田さん、こんにちは。ラッセル作品を見て入るとは。ありがとうございます。原田さんの本も読ませていただきました。特に扱われていた2004−9あたりは木野もヨーロッパにいたので、直接見た作品が多く、懐かしく、またこのように時代が変わってきつつあることを思い出しました。文章についてはあまりしっかりしていないのですが、、、。(何せ踊子日記なので、超プライベート状態です)今後ともよろしくお願いします。
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