2015年10月23日金曜日

一期一会 第3回森重靖宗さん

一期一会 
第3回 森重靖宗さん(チェロ、写真)
森重さんはユーグと仲良しということもあり、まえからよく知っていて、しかもよく聞いている(みている)のに、ちゃんと二人で話すということはあまりなく、謎の人だったので、今回お招きしてみました。寡黙な(福地さん曰くストイックな)イメージのある森重さんの別の一面をみることができました。

実は今回会のはじまるまえに少し早めにきてもらっていろいろお話をしていました。ちょっと反省です。
高校時代は普通にバンドやっててギターとか弾いていた話し(なんとそのせいか、灰野さんバンドでベースをやるのだそうだ)や、チェロはすべて独学でマスターしたそうで、工夫の日々という話し、練習曲としてバッハ無伴奏チェロを弾いていること(ちなみにこの日も2人で没頭してしまい、それで開場が遅れました。)など演奏のこともさることながら、写真のことが個人的には興味深かったです。
写真はあくまで、ちょっととってみたレベルのもので、自分は写真家だとは思っていない。しかし写真のなかで日常の普段通り過ぎてしまうようなことに気づく、気づかせるというのが好きで、少しずつ撮っているそう。
写真それ自体というよりもそれから選んで並べたり、並べ替えたりする作業が作品だと思うという話しは音楽等にも同じことがいえる。また、それを選んで並べるからには何かの差があるからでその差を言語化していく感じなんですとのこと。
音楽もダンスも感覚的なので、言語化するのが非常に難しい。
でもAじゃなくてBというからにはBにしようと思う理由(つまりAとBの差)がある。そこに気がついていく作業という感じでしょうか。
あとは次回のゲスト杵屋さんがきてくださっていて、型の話しでちょっといいことを言っていました。型によって皆のレベルがアップし、確かに上手くなる。しかしそれによってそれを超えることはできなくなってしまう。

芸道の多くは見て盗めと言います。
私の師牧野京子はかつてはともかく少なくとも私に関しては放任主義でそのまま放っておかれました。教わってできるようになるようなものはそのレベルでしかないし、それを超えるための方法論が盗むこと。誤解を生じることがあったとしても、それが新しい何かを見つけ出すきっかけになるかもしれない。言語化をさけることで可能性が広がるのかもと最近になって思います。

どんな動きも、演奏も、すべて模索のくりかえし。


あ、森重さんの写真集を買ってかえろうと思ったのにわすれた。。。


森のテラスリハーサル

森のテラスリハーサルに行ってきました。
森のテラスは仙川にある、とある一軒家の居間とテラスと庭。グランドピアノもあり、とても素敵な空間です。
来週末、池田千夏さん、ハーブの菜花さんたちとのパフォーマンス。これまで茶会記で開催してきましたが、ちょっと雰囲気を変えての開催です。フレッシュハーブティつき、手浴や簡単なハンドマッサージ講座(?)など、ハーブとアロマにちょっと癒される時間です。
なお、今回金子さん(オーガニックコットンで衣装や小物をつくるのが本職)が衣装もつくってくださり、私は森の妖精のようになっています。(ちょっと照れます)
既に寒くなってきているので、ハーブさんたちにも力がなくなっているとのこと。冬眠のまえの最後の会かな。はれるといいな。

行き方がわかりづらいので、表記しておきます。ご参考まで。
かわいい地図もHPにのっています。http://www.moritera.com/tokyo/map/access.htm
仙川駅の改札は1つ。
東部保育園、児童会館に向かって歩きます。(ここまでは駅前の地図等にもでているので大丈夫)
児童会館を超えた次の道を右に曲がります。
この電信柱があります。住所チェック1−29です。


その後まっすぐいくとしたにおりる階段があります。こんなふうになっています。が、そこはおりず左に曲がります。

そうすると看板がみえてきます。
お待ちいたしておりますー


アーティスト派遣事業

ここ数日横浜がよいが続いています。

小学校のアーティスト派遣事業の担当で、小学校の子どもたちにダンスの授業。
これまでSPACのこどもたちの元気の良さも見ていますが(一応元中高の教員)、小学生(しかも中学年)の元気のよさは格別!おおさわぎです。

運動会でマラカスをつくったダンスを踊ったとのことで、それをベースに、各クラスごとにダンスをつくってもらったりしました。
ふりふりの術と
まねっこの術と
みんなで協力しないとできない

マラカスなしでもみんなの身体がマラカス!というわけで、アフリカンダンスモードでいってきました。
なぜかコスタちゃん(イギリスの人的にはスタバなみのコーヒーチェーン店の名前)なるキャラクターもでき、別人格。こういうのはこういうのでいいなと。

でも携帯電話をどこかに落とし、かなり苦しんでいます。うーんどこにやってしまったのでしょう。。。。


2015年10月3日土曜日

2%

「室内」(@KAATクロード•レジ演出作品)みてきました。
長く(2013年初演@SPAC楕円堂)上演されているものの、実は見るのをおそれてこれまで逃げつづけてきた作品なのです(実際満席だったり、タカセと重なってみることができなかったせいもあります)。私自身がヨーロッパ時代につくった作品にIchIというのがあるのですが、ヨーロッパにいて、日本らしさを考えたときに一番はじめに浮かんだのは闇でした。はじめの3分は薄暗い照明のまま、その後も全体的に暗く、わたしはその気配や音そして広がる想像力こそがダンスだと提案しました。暗闇と光そして影をテーマにつくっていて、室内の話しを聞きつつ、レジさんが暗闇に惹かれた気持ちはわかるような気がしていました。
楕円堂の美しさに惹かれてつくりはじめた室内、きっと美しい作品になるだろうことはわかっていたし、SPAC俳優ゆえの身体技法だと私は思いました。砂の上を音もなくゆっくり歩くこと、ただシンプルなことですが日々の訓練があればこそです。そういう意味で本当にコラボレーション作品で、よい意味で期待を裏切られた気がします。

メーテルリンクはあまりよく知らず、盲点たちで衝撃を受けたのですが、
このような考えるための作品は今の世の中で必要な気がしています。
私たちは何ものか
生きるとは、死ぬとはどういうことか
神と何か
生きるための言葉、作品がこれから必要になっていく、そのように思いました。
家にかえりつつ、私がしている作業は間違ってはいないと思いました。

最近民俗舞踊をいろいろ調べていて、
お祭りのイメージだとすごい踊っていたり、祝祭のイメージがまずくるのですが
神さまはみえないものなのです。春日若宮御祭なんて神さまが出てくるときわざわざ全ての光を消します。
なぜならそれぞれの人の中に既に神さまがいるから、1つの造形を見せる必要はないのではないか。
ニヤカムさんのお祭りに関わりながら、多分その反動だと思うのですが、
最近は静かに見つめる作品が続いています。

うならせるよい作品だったと思います。

拍手喝采みたくならないですが、きっと見た人はダメージをうけながらかえるのだと思います。うぐぐ、、、

さて、2%
Angels冒頭のシーンの作成中に照明の調整を行いながらこの暗さだと1、2%の違いが大きいんですよという話しをこの夏照明さんとした。その1、2%の差を感じる演出家さんがいて(レジさんもそのひとりだし、鈴木忠志さんなども非常に厳しかったらしい)照明家は気を抜けない。そしてそういう人は毎回ちゃんとみてる(笑)。ラッセルさんも結構気がつく人で、公演回数が増えていくうちに照明の芯にいるいないみたいなことまでダンサーはわかるようになってしまう。(それは確かにプロフェッショナルだけれど稽古で何とかなるものではないし教えれるものでもない気もする)その1、2%を決めるためのリハーサルの繰り返しをできる環境って実は日本にあまりない。そういう意味でなかなかありそうでない作品ではないかと思います。
実はEn attemdant,,,,,の照明は2%単位で調整をして、加藤さん(照明)と話しをしながら、そんな話しを思い出しました。
なお、海外だとおそらく電圧のせいだと思うのですが、大分見た感じの印象が変わります。コントラストがはっきりする。本当の意味での闇しかもその奥に何かいるかもしれない闇は日本でしかつくれないそんな気がしています。
闇のかわりではないですが、私が好きなアンソニーゴームリー作品で霧でみえない(でもみえる)ものがあります。TATE Modernでみたのですが,なにものかにふれるその瞬間、私はとても面白いと思っています。