静という作品は静御前の伝説からふくらませて作られています。
そもそものきっかけは由比ケ浜の招山さんというギャラリーで八木さん、michiさん(映像)と私がパフォーマンスを行ったことがきっかけです。
静御前の伝説は多数あり
◎静の母、磯の禅師が男舞をならい娘に伝えた(徒然草)
◎99人の巫女が雨乞いを行ったがふらなかった雨を降らせた
◎義経の愛妾となり、敵に追われ危険なめにあったときにも機転をきかせ彼を支えた
◎彼とともに逃げようとしたが吉野の山で別れる
◎頼朝に見つけられ鎌倉につれられる
◎天下に知られる静の舞を見たいといわれるが拒み続ける。しかし頼朝側が鶴岡八幡宮に奉納するためのものとして強いてくるため、舞わざるをえなくなる
◎その際
「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」
「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」
と歌い、頼朝の怒りをかう。しかし政子になだめられその場はおさまる。
◎その頃既に静は身ごもっており、そのこどもが女であれば生かすが男の場合は殺すといわれる。(頼朝自身が仇をうたれるのを恐れたため)
◎生まれたこどもは男の子。逆らったものの由比ケ浜に流される。
◎失念した静はその後母磯とともに放浪、消息は不明。日本各地にその墓がのこされている。
これらは義経記、吾妻鏡に記述があるものの、義経記の書かれた時期を考えるとどこまでが真実かは曖昧である。
ただ非常に魅力的なキャラクターであることもあり、能、歌舞伎の演目にたびたび登場していたり、鶴岡八幡宮でも静御前の舞が毎年奉納されている。この舞は日本舞踊として創作されたものであり、実際の白拍子舞(静が舞ったもの)が伝承されているというわけではない。
静はどんな気持ちで舞ったのだろう?
静の舞った舞はどんなものだったのだろう?
静の想いで今舞ったらどういうものになるのだろう?
そんなところから私はこの作品を舞台化しはじめた。
実際に白拍子舞について調べてみると、伝承はされていないが、今様之書に記述があったり、それに近いだろう幸若舞などの資料はでてくるものの幸若舞、あまりに動きが少ないためダンス作品にいかせるわけではなく、そこから派生した踊りを探りはじめました。(綾子舞を学びにいったり、花祭を見に行ったりといった民俗芸能リサーチもつながりました)
乱拍子から道成寺やら檜垣やらに話しは広がり、でも今っぽく考えてみたらもっと踏むだろう(アフリカンダンスとかフラメンコとか)乱は激しいの意味ではなく崩すの意味ではないかとか、日本の芸能をみにいって、カオスのようなものにとても惹かれたり、またそれが聖なるものと近い関係にあることを知ったり。
最終的に
一人の女性の中にあるドラマ(義経を思う気持ちやこどもを失った悲しみ)
神(自然)への祈り(元々白拍子は巫女的要素もあったと思われる)
その2つの要素が混ざったときのカオスのようなもの。
それもできればトランスのちょっと手前くらいのところを目指したい。
とある批評家さんに前回公演後「ユーモアがないと」という話しをされた。
ユーモア、
この現代においてここまで真面目に祈りの形を作ることそれ自体が最大のユーモアであり、たくさんのエンターテイメントがある中で今私が作り出せる色はこういうものだと思う。
そして多分私にしか踊ることができず、他に人に振付けることができないという点でも私らしい作品だと思う。正しくは私のではなく、八木さん三浦さん皆さんの力があってのもの。
私の勝手な勘ですべて女性陣で作られているのも特徴(音響で後ろにいてくださるMarkさんをのぞく)。なかなか再演できるものではないのでこの機会にぜひお越し下さい。
なお、前回(2月)公演とは空間が異なることにあわせ、1シーンが全く変わってしまったうえ、振りおこしをしなおしています。その違いもまた楽しめます。
前回静公演についてはこちらを。
http://saikokino.blogspot.jp/2014/02/blog-post.html
静にいたるまでの過程として
しづ
http://saikokino.blogspot.jp/2012/12/shizu.html
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