今日、私の師匠が旅立ちました。
私にはたくさんの師匠がいますが、おそらく踊ることと存在感について、また生き方について最も影響を受けた方だと思います。
今日は多くの関係者が集い、様々な話しをしました。
死期が迫るのを感じつつ、最後までクラスを続けようとしていたことも、発表会を設定しこれまで関係してきた人をつなごうとしていたことも、密かに身辺整理をきちんとしていて、スタジオ運営等様々なことの準備をしていたことなど彼女の心配りがみえるのでした。独身ではあったものの、兄弟、そして弟子たちが支えあたたかく優しい死期でした。(予想以上に早かったというのはありますが)心配させないためになのか、伝えることが多すぎたせいか最後に幸運にも私は様々な話しをさせていただきました。散々しかられました。
怒るのはエネルギーがいることだからなかなかできないことよという八木さんの言葉。
でもそのときすべてのことを返すことができなかった。
もっと話すべきことがあったのに。
昨日から予感があって、
昨日の夜も寝れなくなって、
そして今朝(?)。
今日、私は彼女が話していた作品の練習をするべく稽古場にいき、ビデオを見返していました。
「その日を摘め」という作品は2010年のもの。
他の作品の話しをしているときに
はさみよ、
ちょきんよ、ちょきん、どうなってる?
それはちゃんと踊りなさい
と先生はいいました。
何のことかと思ったらその作品のことでした。
みればわかります。そうか、きるのか、そして歩くのか。
様々な作品がありますが、その作品は多分のこる私たちのためのもの。
あえてその作品を選んだ先生の気持ちがみえてきます。
実はなんとなくそんな気がしてあまり踊りたくなかったその作品。
しかし私は踊らねばなりません。
2ヶ月後まで。
お別れの会はつづきます。
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