修論をあげました。
1年たってしまったけれど、その間に少し書き直していたりします。(3分割しているので内容も微妙に重なり複雑な心境)大学の紀要にあげていて、一種論文扱いにならないから、恩師には怒られそうだけれど、時間がない。この論文は今出さないと意味がない。
今回修論的には第4章、限界芸術論について述べている部分をあげました。この限界芸術論、鳥取に来てここまで「地域学部」を表す文章であったことに衝撃を受けました。この文章にであったのは結構たまたまのことだったのです。内発的発展と合わせ、今の地域の問題を全て捉えていると私は思っています。
今回かなり追加を入れました。
それは舞踊とは何であったのかというのが見えて来たせいでもあります。前回カーニバルと祭の持つカオスについて取り上げていますが、舞踊の本質は基本的に宗教に近く、個人的で、かつ混沌を生み出します。破壊し、そして新しい概念を生み出す。薄々感じていて、「からたちから」などで私の周囲が壊れていく様を話して来ました。
舞踊とはそのエネルギーであり、それは民衆から起こるもの。
私は民衆を煽るつもりはありませんが、歴史を振り返ればそれは明らか。
壊したくないものから離れていく、それゆえ舞踊家は流浪のたみであらねばならなかった。
演劇も同じように民衆からのエネルギーの現れですが、その成立が異なります。ギリシャ悲劇をみれば明らかなように公共のため、その倫理、秩序を一般市民に知らせるためのものでした。
秩序と混沌、それはギリシャ的にはアポロンとディオニソスで対比されます。
そうだった、バッカスは舞踊神だった。
演劇人も流浪の民ですが、、、。
言葉を持たない踊子が、言葉を綴ってみたらこうなったというようなささやかな文章ですが、この3作とダンスハ體育ナリを合わせると密かに木野作品が網羅できます。
大学院の恩師は論文は道しるべだから。自分が書いたことをいつか誰かが掘り起こして、そこから何かを導き出すかもしれないと言っていました。大学に務めるようになって(良くも悪くも)一番大きかったことはこのささやかな言葉が残るということです。ダンスはなくなってしまう。アーカイブとか、映像記録とか色々言ってはいても、それでもその場にいなければ味わうことはできないし、それゆえ時間芸術と言われます。言葉がないから国境をも越えることができる。そして消えるからこそ美しい。
でも、もしかしたら、そんなことを思い、論文をかくその感じは届かないラブレターを書いているような感じに似ています。
さらにいうと全ての作品(舞踊に限らず小説だろうと、絵画だろうと、音楽だろうと)は今必要な誰かのために作りながら、その先にいる何者かのために届くか届かないかわからない手紙を書いているようなもの。
ルソーさんに引きづられました。
ルソーさん、近代教育の父でそういうイメージしかなかったんだけれど(実際ダン体ではダンスを軽視し体操を愛する人として扱われています)、読んでいくとちょっとかわいい。
0 件のコメント:
コメントを投稿