2017年9月14日木曜日

旅に出る6

インドの長距離電車

インドの長距離電車に乗る。オリッサの州都ブバネシュワルまでコルカタから8時間ほど。(この距離感やっぱり鳥取的)そのため行きは寝台電車、帰りは昼便で行ってみた。なお、飛行機が一番楽。1時間もしないらしい。
行きは体調が悪くそのまま昏睡してしまったので全く覚えがない。帰りは起きていたので(昼間だし)覚えている。とりあえず切符を買うときにご飯いる?と聞かれたので、せっかくだから物は試しで頼んでみた。そうしたら電車が動き始めた途端に①枕とシーツが配られる②1リットルのペットボトルの水③新聞④マンゴージュース⑤辛いトマトスープと謎のスナック菓子⑥ご飯(機内食みたいなもの、カレー2種とご飯と薄いクレープのようなもの、サラダ、ヨーグルトデザート)が次々にやってくる。

そもそもこの枕は一体なんなのか??と思って隣のお兄ちゃんに聞いてみたら、いや、寝るんだよという。8時間は長いから寝るのか。確かに2時間程度するとうっつらうっつらしてきてて、寝よう寝ようと周りも言い始め、椅子をベッドに作り変える。(背もたれのところを持ち上げて金具で止めると2段目のベッドになる)
ベッドは3段になっていて、でも3段あるから横にはなれてもそこで座ることはできない。(ただ座るだけで頭がぶつかってしまう状態)仕方ないからシーツを敷いて、横になり、うっつらうっつらしていたら、ご飯がやってきて流石に驚く。この状態で食べるのか。
下にいるお兄ちゃんに聞くと「うん、インドではこれが普通」とかいう。かなり怪しい。こぼしそうだ。でも普通に美味しく食べる。そしてそのベッドを作るのも、ベッドに上がるのにも、トレーを下ろすのにも周りの皆さんのご協力が必要で、みんなで助け合いがなされる。面白い。なかなかできない体験でした。


コルカタのマダム
まさこさんの紹介でコルカタに住むマダムのおうちにお邪魔することになる。このかた、実はものすごく陶器が好きで、日本にいつか行きたいと思うのだけれど、なかなか一人じゃ行けなくてねという。(なお、フランスにかなり頻繁に行っているらしく、フランスで自分のコレクションを収集しているそう。え、日本から輸入すればいいのに、、、)陶器、しかも民藝のような素朴な、しかし使いながら味が出てくるようなものが好きだそうで、いつか1ヶ月くらい滞在して実際に作るところを学びたいのだそう。
民藝!鳥取じゃないですか。と鳥取猛アピール。どこかの窯元で民藝について学ぶ体験とホームスティとかパックにしたらものすごく喜ばれると思うんですが、いかがでしょうか。
帰ったらとにかくたくみ工芸店に行って英語の本を送ってあげたいと思う。

カーリー神
インドには無数に神様がいて、シヴァとかヴィシュヌとか名前を知っていても、今ひとつどれがどれだかわかっていないところも多かった。今回コルカタにはカーリーテンプルと呼ばれるカーリー神を祀る寺があり、彼らの名前の呼び分けなども学んだ。なお、このカーリーテンプル、ラーマクリシュナがいたことでも知られている。このクリシュナさんも今回の旅でちゃんと認識した人。宗教多元説、賢治さんと似ています。その破天荒っぷりもまた。
さて、このカーリーさん、殺戮と戦いを好む女神。破壊する人。ヒンドゥ教の面白いところはこの生み出すものだけではなく、破壊を受け入れていくところ。破壊するエネルギーをも受け入れるかどうか。
いろんな意味で壊し続けている私の状態を表すような神様のところにきてしまった(たまたまだけれど)。本人がそれを好んでするかどうかは別だけれども、この世の中にはせざるを得ない瞬間がある。そしてそれもまたこの世の必然かもしれないのだ。舞踊とは本来そのようなエネルギー量ではなかったか。おそらく全ての人に内在するそのどうにもならないエネルギー量をどこかで発散させなければいけない。
なお、カーリーさんあまりに感極まって血まみれで踊り狂い、あまりにもその踏み足が激しすぎたのでシヴァさんが下敷きになって(レリーフなどはお腹を踏まれている、ちょっとかわいそう)その反動を吸収しようとしたという逸話があります。
カーリーさんにはヤギが生贄に捧げられるのだけれども、(その姿に衝撃を受ける人は多い)インドでは普通に市場でヤギの首がはねられる。土曜日なんかは何十匹とだそうだ。街のあちこちで鶏を絞めてる。(そういうのがダメな人はインド旅行は向かないかもしれない)私たちが毎日食べてる鶏さんたちを思うと見えていないだけで当たり前のことで、死と生は隣り合わせだったということを思い出す。


タゴールさん
タゴールさんはアジア初のノーベル文学賞受賞者。詩人。ギータンジャリで知られる。私の作品「En attendant,,,,」ではゴドーを待ちながらがベースになっているものの、解説として彼の詩をあげている。(ギータンジャリ英訳版102参照)
神との対話、および神への賛美が主題だが、愛の物語のようにも読むことができる。
私は宗教を特に持たず暮らしているが、この何年かでキリスト教始め様々な学びをしてきた。また、その前から「何者かとともに踊る感覚」はもちづづけていて、この何者とは何かという問いはかなり前から続いていた。その考察はIchI(2008)で具体的なデュエットとして構築したほか、からたちから(2013)、静(2013,4)、En attendant,,,,,(2014,5)、ダンスハ體育ナリ(2016)、MOBIUS(2016)でも扱っていて、おそらく今後も続いていくものと思う。
今回詩集を持ってきた先が彼の活動していたコルカタだったのが面白い。そこで空港など待ち時間に少しずつ読み進める。読みながらベンガル語訳と英語訳からの散文詩訳がかなり異なっていること、また、あえて英語にしていない詩がかなり存在していることが気にかかった。
ヴィクトリア博物館(サダルストリート側にある美術館、名前の通り英国調)を見ればわかるように今でも英国の影響は色濃く残っている。そしてヴィクトリア博物館は英国が入ってきてからの歴史しか語っていない。しかも英国側から。その前の歴史はなかったことになっているという事実。歴史は常に勝者によって作られる。支配している側からの歴史しか私たちは知ることができない。そんな英国人たちには聞かせる気もなかったベンガル語にしか残っていない詩の数々に自国を思う思いが溢れていると思う。

一方でこの英文訳がなかったらノーベル賞も取らなかっただろうし、ここまで有名な作家にはならなくて、ましてや私が読むことになどならなかったのかもしれない(私はそんなに本を読むわけではないので、この本を手にしたこと自体が奇跡的だと思っているけれど)。人に知ってもらうこと、知らせる努力は必要で、でもなかなか難しいことなんだよねとちょっと思う。

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