2018年6月30日土曜日

鳥取夏至祭の考え方

東京芸術祭の記者会見があり、宮城さんがオリンピックについて触れている。
東京芸術祭はニヤカムさん作品が2つ並んでいて(ANGELSの改訂版ととアダルト版タカセの夢(ユメミルチカラ))またFT(もともとアルテリオ時代にお世話になっていたANJの皆さん)も合体したりと盛大なお祭りになることが間違いなく、ある意味オリンピック文化事業の目玉でもある。宮城さんのお話は結構好きで、父のように様々な側面で影響を受けているけれども、それを受けて少し書くことにします。

私は鳥取にいてコツコツと作品を作っているわけだけれど、ここのところダンスハ体育ナリ?の関係で幻の東京オリンピック、およびベルリンオリンピックを調べていて、(そもそもこのシリーズを作ることになったのは体育学の修士をとるべくいろんなオリンピックやスポーツ事業の視点を学んだことが大きい)、私の学生たちには公的資金を得る方法ではなく、公的資金に頼らなくても自分の力で場を作り、やってしまう行動力を身につけてもらいたいと感じている。日本もドイツも芸術が政治に利用され、またそこにおもねなければ生きていけなかったと語られる。表現者として生きることは何らかの哲学を持ちそれを表明し続ける必要がある。だから自活しつつ、時には支えてもらいつつ、でもいざとなった時に自分の意思を押し通すことができるような状態が望ましい。
イギリスのコミュニティダンスはもちろん素晴らしいコラボレーションもあったけれど、お仕事としてこなしているような場もあり、先日もそれを目の当たりにし、経済活動と結びつけることの難しさを感じ、ある種の歪みのようなものを感じてしまった。

私は鳥取でソロ作品を作るダンサーとしては多様性を表現できないため、鳥取夏至祭では様々な人に来てもらうことにし、様々な生き方に触れてもらうことにした。私にとっても学生にとっても踊れる場所やシチュエーションを開拓し、場合によっては照明などの技術も学び、自分たちがやりたいことをやってみるそのような実践の場である。
プチパトロンシステムはその一つのボタンの受け渡しを通じて、観客とパフォーマーをつなぎ、コミュニケーションを生み出すためのものである。その小さなボタンが特別な意味をなすようになる。使わないでとっておこうというダンサーさんの声にそれは現れていて、本来お金をもらうということはそういうやりとりだったと思う。
経済活動としては小さいが、そういう小さなやりとりから物事はつながっていくものではないか。
私は作品はもっと大切にされるべきだと考えていて、夏至祭ではアーティスト同士のネットワークの構築にフォーカスを当て、即興に限定することにしている。体一つで遊びに来る場。お互いの出会いと町のとの出会い、そしてそこで得たものを地域の皆さん(特に子供達)へと還元していく。次の世代への種まき。なのでこの3日間は実はわらべ館のワークショップにすべて集約されている。(この認識は今年特に強く感じていて、この内容については後日記載します。それくらい重要な試みだったと思っています)
この3日間はアーティストも学生ももう一度表現の原点に立ち返るための会であり、巨大なワークショップなのではないかと私自身は捉えました。


若いアーティストが生き延びていけるインフラを作っていくことは確かに大事だけれど(だからお父さんには頑張ってもらいたいんだけれども)、この鳥取で、この鳥取から発信するような学生たちは大都市部とは異なるこの辺縁から、自分たちの持っているものから、作り出す人になってほしい。そんなことを思っています。それが今の私にできることかなと。
自分の道を自分で切り開く、それが『空は翼によってはかられる』ということなのだろうと私は思っています。


鳥取夏至祭の写真が少し届いたので、簡単なレポートを作りました。全貌はまた後日!
https://tottori-geshisai.jimdo.com/鳥取夏至祭2018ホーム/report2018/



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