2010年7月12日月曜日

コンプレックスについて

現代舞踊展及び世代間の対話終了しました。
さすがに飽和状態でかなりしんどいです。体力的にももちろん。

世代間の対話は各人が2分ずつ何かダンスの経験等を話し、その間に誰かが自分のダンスをみせるというのを連なってずーっとやっていきます。
本番でお話しした内容は
ダンサーはまず貧乏ですが、どんなに小さな小屋だろうと、ギャラリーだろうと、スクワットだろうと、私は踊るとおいしいビールをいただきます。作品とかでなくとも、それこそイタリアのおっちゃんたちが集うバーみたいなところで、わいわいおどれおどれと踊ったら、おじちゃんがビールおごってくれたように。お店の人や、みていたお客さんや、そういう人がみんないいものみたよとおいしいビールをくれる。
銘柄なんてわからないし、すっごい安ビール(特にフランスはそういうのが多かったように思う)だったりするけれど、その瞬間、おいしいビールを飲むために踊っているのかもしれないと思うというような話し。

リハーサルでは
昨日の現舞展の話しをしようとして、うまく話せなくて、とまってしまいました。
なぜ、話せないのか。

やっぱりそろって踊れないんだよなあ。と反省。
先生の振付けいいんだけれど、ダンサーの力量不足だよなあ。と反省。
思えば(たまたまだけれど、大学の後輩や先生やこれまたいろんな人に会ってしまったこともあり)私、やっぱりうまくはなれなかったんだよなあ。と思い落ち込みはじめ、立ち上がれなくなりました。

赤煉瓦用コンセプトをまとめる作業(実はタイトルの締め切りがもうそろそろで、それこそ今日も打ち合わせ)をしながら、私は今でもコンプレックスのようなものと戦うことでしか作品を作れていないということに気がつきました。
できないこと、できなかったこと、おそらく一生忘れないことでしょう。
10年以上が経過し、今でもすっとひいている自分がいます。お互いに。

通常作品を作るときにはいろんな人が関わりますが、今回赤れんがというとても大きな空間であるにもかかわらず、結局私は一人で組み立てています。煉瓦スタッフの皆さんが制作方面をサポートしてくれています。照明音響といったスタッフさんもいます、が創作過程は一人です。本当に個人的なことだけで作っています。それもまたコンセプトからくるものではあり、そういう密度実はあまりないと思っていて、確信犯ではありますが、それと同時にまだ人を信用できていないその感覚のあらわれでもあると思っています。

若松先生がなんだかとてもたくさんいいことを言いました。たくさんあったのですが、書ききれないので程々に。
辛抱なんだそうです。
辛抱、表現とはそういうものなんだと。
楽しいなんてものじゃない。
長く辛抱できたから、長く踊り続けていたというだけのこと。
そうして新しい身体理論を作り出すのだと。
全く新しいものを作り出すのではなく、あるものから学び、つきつめていくのだと。

たまたまその日みたテレビ番組で教育問題を扱っていて、コンプレックスは最大の個性となるという話しがでていました。



しかし終演後笑えなかったなあ。
どんなときにも笑うことっていわれていたのに。(これはラッセルさんからですが、おそらくプロとして舞台に上がる以上最も重要な資質だと思います。)
終わったあと、なんだかすごく考え込んでしまって、単純な楽しい!にはもっていけなかったなあ。と、また反省。それもまたいつか個性として花開くのでしょうか。




いつ?

2 件のコメント:

  1. お疲れ様でした。
    私も色々考えてしまいました。

    若松先生のお話、いいですね。
    今関わっている事がかなりきつくなっていたのでどんよりしていたのですが、「辛抱」の言葉を噛みしめて、あとちょっと頑張ろうと思えました。
    ありがとう。

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  2. こんにちは、
    ちなみにその前藤巻先生のお言葉
    20代、30代のひとの踊りはみんな似ていて、顔だけ付け替えても同じに見えるわ
    という言葉にうぐぐとなったきのでした。
    なお、同じように長井さん(最近とてもご一緒しています。まことクラブ)もうぐぐとなったらしく、昨日も話していました。
    あの会はそういう点で楽しいというものとは少し違いましたが、ものすごい破壊力のあるイベントだったように思います。
    広太さんにありがとうです。

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