ヨーロッパから帰ってきての私の活動はすべて継続性が鍵になっていると思う。
記憶が抜け落ちてしまうという自分自身の問題もあるが、つながっていくことが私にとって大切なことだった。
ただ、私ががんばったことばかりではない。いろんなタイミングや出会いや運があって気がつけば継続しているものが多い。
先日、民博の学芸員の方のお話で、硫黄島(鹿児島)のお祭りを記録としてとりつづけているときいた。5年6年と経過していくと、単なるお祭りの記録というだけではなく、どのように変化しているかというのがみえてくる。これまで多くの記録映像はそのときの一回をとれば終了であったが、長いスパンでとり続けることで見えることがあるのではないかという。
SPAC「タカセの夢」は気がつけば4年が経ち、こども達が入れ替わりつつも、基本的に継続している。私も、ニヤカムさんも、そしておそらく宮城さん(芸術総監督)もまさかこんなに続くことになろうとは思っていなかった。しかしこうして長く続くものとしてみると、単なる公演とは別のあたらしい視点が生まれてくる。このこども達はどうなっていくのだろうか。どのように伝えていくのだろうか(伝承)、どのように一般へと広めていくのか、どこを目指すのか。私たちも模索している。そしてこども達は毎年かわっていく。こども達のさいわいとは何か。ジョバンニのいう「ほんとうのさいわい」を考える。
4年(来年もあるので5年)というと長い気がするが、今関わっている巣鴨教会さんやコールシャンティさんの話しを聞いているとさらに長い。牧師さんは巣鴨に来て12年くらいになるが、10年たってやっとなじんできたという。1、2年では絶対変化させることができないのだという。ゆっくりゆっくり。毎週顔を合わせながら、少しずつ話しをしながら、できていくものがあるのだと思う。
シャンティさんもなにせ50年の歴史があるわけで、半年ちょっとくらいではかわった人が遊びにきていると思っていらっしゃると思われる。
巣鴨教会にはたびたび通っているが(最近ではハイデルベルグ信仰問答なる勉強会にも参加しているが)何も知らないところからで本当に無知っぷり発揮で申し訳ない。1年半近くになるがまだまだ。それでも良き学びの場であると思いつつ、創作に励もうと思っています。
運命にはめぐりあわせというものがあり、
本人の意思とは関係なく、生き方がリンクしてしまうことがあります。
「タカセの夢」に出会ったのは今から15年以上前にクナウカに所属し、しかし教員なんです!と宣言して辞めてしまった過去があったからであり、ヨーロッパに行ったりダンサーになったりしながら2009年に帰国してはじめてであったプロジェクトでありました。このタイミングだったからこそ、そしてこのわけのわからないキャリアだったからこそ、巻き込まれました。このような形で再会することになるとは当時の同期含め誰も予想していませんでした。
行く先々であってしまう人などもいます。直接あうわけでなくても、噂から、つくるものからどこにいてもリンクしてしまう。お互いにあわせているわけではなく、いろんなタイミングであってしまい、常にぶつかりあっている。アルルでもデュッセル、イギリスでも。教えにいった北区の小学校から専門学校まで、札幌でも茶会記でも。ぶつからないよう心がけてみたり。
ユーグのように5年以上そのままほったらかしになっていたのに、再び出会ったケースもある。(JOUさんの公演に出ているのをみつけて私がつかまえました)なにぶんメールアドレスがフランスからロンドンへ移動するころ(ATTからhotmail)、とロンドンから帰ってきたころ(hotmailからgmail)と二回失っているため、仕方ない話しですが反省。
ものすごく簡単にいうと、本人の意思とは関係なく、しかしリンクしてしまう運命というのがあり、それは長く続けていけばこそのこと。
踊りなさいといった高谷さんの言葉を思い出し、これまでやめずに踊りつづけてきたのはきっとその巡りあわせを信じているからで、すべてはつながっているという予感があります。私は多くのことを忘れてしまうけれど、きっとまたあえる。そういう運命であれば。
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