2013年11月13日水曜日

Dance and Music

札幌での公演の終了後、杉吉さんに「こっちのほうみてくれないんだもん」といわれた。空間をきめたのは杉吉さんだが、その空間作りを行い、構成を考える上で、私は杉吉さんは壁の向こうの人で、神さまのようなもの。つまりその気配を感じつつみることはない存在として設定していたことに気がついた。お客さんからみても実際そのように見えるのだけれど、基本的に私にとって音楽や墨絵という要素は「神さまの声」のようなものだということがわかったのでした。
作品をつくる上で普段私は設定、コンセプトを考え、このような形でつくりたいんだけれどと様々な方にお話をします。照明、音楽、舞台美術、そこで話した結果変化することはあるものの、基本的にきのがつくりたいものに寄り添いつつ、自分らしさを発揮してくれる心強い人たち。逆に私はそれぞれの人が発揮しやすいように構成や空間を整えるということをしている。それぞれのよさが見えるように任せつつ、しかし話しながら決めていきます。
即興のアーティストが多いので、自由度を保ちつつ、押さえるべきポイントを押さえていくのが演出家としての仕事だと思っていたし、そのようにしてきたと思います。

今回茶会記ライブ後、ユーグとダンスと音楽のスペシャルな関係性をちゃんと作品にしようという話しをしました。全く何もないところから、一緒に作り出すというのは実は箱女以来ではないかと思いました。

箱女は
立川の焼き鳥屋さんで”きえることの美しさ”について話しをしたところからはじまり、私が精神不安定になって箱の中で生活するようになったりするのをみながら、模索してできた作品で、おそらく私一人であればあのような形にはならなかっただろうと今でも思う作品です。

思えば大学時代から一緒につくろうといわれたことはなかったと思う。
一人でつくるか出てもらうか、あるいは出演するかであって、同じレベルで誰かと一緒にもの作りをするということがあまりない。ラッセルワークもラッセルが考えていることをいかに広げてあげるか考える仕事であり、基本的にラッセルの判断がまず1番になる。
即興とコンポジションの間、しかもダンスとか音楽とかの垣根を取っ払った関係性、それをどのように形作るのかはよくわからないけれど、でも一緒につくろう、つくらなきゃといってもらったことはとてもうれしく、私はきっとその言葉を待っていたんだということに気がつきました。


長い間、私の作品は私の思考の中でつくられてきました。
いろんな人に関わってもらいながら変化しつつも私の思考ありきで動いている。
ダンサー音楽家様々なコラボレーションの相手はいても、基本的にいつも一人。人間は孤独であり、その中で神さまと対話し、自分の中をのぞく。それはかなりしんどい作業で、実際つくっている間はずっと泣きながら踊っている。いろんなことを思い出してしまう、そしてそういうものだと思っていました。


気楽なセッションをのぞいて、基本的に楽しくって踊ることはまずないし、踊ったあとに落ち込んで動けないことも多い。でも今回本当に久しぶりに楽しく踊って終った感じがします。当たり前のようにする対話のような時間。久しぶりに思い出さなかった時間でもあった。
普通はそれが当然なのかもしれないけれど、私はやっとそういうことに出会えたのだと思っています。
様々な方とのセッションの間も何度も何度もボールを投げつづけている自分がいたことを思い出しました。
そしておそとダンスなど様々なイベントをやってきて、一緒にやろうという人を探していたんだということも思い出しました。


Dance and Musicはタイトルがどうなるかはともかく、即興とコンポジションの間、そしてダンスや音楽としてわかれる前にあくまで人間であるということ、ただそれだけのところから派生していてどうなるかはわかりませんが、何らかの形で続けようと考えています。ただし、時間はかかりそうで(なにぶんユーグいないですし)2年計画か4年計画か。まるでオリンピックです。少しずつ練習をしながら話しながら組み立てていくというのが野望です。



8年前にもそう思った。とユーグ。



時間はかかっているけれども、いつかかならず。


今期のホームワークは
リズムとテンポ。

のりさんとのリハでテンポの維持、自分のリズムを持つことは一番の課題でした。(1+1=3)おかげで相手の音を聞くことができるようになったものの、きっとそういうシンプルなことが大事なのではないかと思っています。やっぱり、そこですか。痛いところをついてくる、、、。




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