身体表現法という授業を某大学の国際経営学部で受け持っている。
その授業は中南米文化研究家である先生がウン十年前に作ったもの。現在は廣瀬先生という美術の先生と私、そしてコーディネーターとして設立した先生が3人で受け持つ特殊な形を保っています。
なぜ国際経営で身体表現か
言語を超えたコミュニケーションの力を重視しようとしたのと
異文化について考えるきっかけにしようとしたのだという。
実際授業の中では様々なダンスを取り扱うことになっており、それぞれを比較しながら、最終的なレポートを書くことになっていて、実技楽しそうという学生さんが多々集まる授業(でも出席は厳しい)。
ウン十年前にこの授業を考案した恩師ともいうべき先生が急に亡くなり、その話しを学生達に伝え、その後お通夜に参列してきました。
長らくALSという難病とともに闘いつつ、執筆を続け、また最後の日まで教壇に立っていた先生に敬意を表しつつ、その先生が昔舞踏をやっていた(なんと中南米研究者でありながら舞踏家でもあったという)話しを思い出し、それもふまえてお話をしてきました。
日に日に衰えていく身体を抱え、毎日を大切に生きていたこと。そのような状況にありながら本を出版し、またゲバラの没後50年まで生きるんだと話していたこと。仕事をそして教壇に立つことを最後まで望んだこと。
身体を通していきかたを通して少しでも学生にみせておきたかったことは何だろうかと思いながら、今日の授業ではやはり死ぬまで踊りつづけた大野一雄さんの思想を紹介、その一端にふれてもらいました。
(本当は身体表現法の導入のためクラシックバレエの日だったのですが、急遽変更しました。)
人の一生は長くはなく、
そしていつ終るかわからないからこそ、毎日を大切に生きなければいけないというまだ若い学生さんの言葉はそのとおりで、とても励まされました。
その後身体表現法の初代を担当した先生(母校にいる)にお会いし、いろいろおはなしし、その先生のこと、学生さんのこと、母校のこと(明日は卒公だ!がんばれ!!)、一般の学生さんがダンスにふれるということなど様々な話しをしながら、御殿場からの長い道のりを帰ってきました。
著作を読み返していたら、生を美とし、死を思考から排除しようとする西洋文明にたいし、死を受け入れ見つめることで生がよりいっそう輝くという考え方がでていました。西洋文化もまた数多くある文化の一つでしかなく、さらに多くの非西洋文化の影響を少なからず受けて出来上がったものでしかない。つまり、私たちは様々な文化、様々な生き方があるということを知るべきだし、お互いに尊重していく必要がある。
多様性はSPACせかい演劇祭のテーマの一つ。
internationalからglobalへ。
そんなことも見据えていたのだろうかと思いつつ、先生をお見送りしてきました。
今日の授業は動いていないけれど本当にヘビーで、しかしすごく考えさせられた会でした。静かにご冥福をおいのりしたいとおもいます。
おまけ
その日、おそらくその時間、私は希少糖ソーダなる製品を自販機でみつけ、お届けしなきゃと思っていました。(現実的には希少糖とはいえ種類は違っていた)その瞬間頭によぎったのは念のようなものだったのかもと思っています。
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