2014年5月30日金曜日

学生になって思うこと

ここしばらく、ブログの更新ができていない。
というのも春から学生になってしまったがゆえに、大変すぎてブログまで手が回っていないのだ。
たまたま静岡仕事で4,5月が怒涛だったせいもあるが、毎日のように追加されていくレポートの山に追われている。

現在私が在籍しているのは筑波大学夜間大学院で、スポーツプロモーションを学んでいる。
夜間なので平日夜と土曜日に授業が開講されていて(日曜日の時もある)かなり目いっぱい盛りだくさんの内容である。
というのもスポーツといっても種目によって、だいぶん歴史背景、団体やイベントの規模、抱えている問題点が異なるし、健康問題を扱っている分野(ヘルスプロモーション)もあるためかなり幅が広い。

そもそもダンスはスポーツではない。
体育の中に含まれて、しかも小中学校のダンス必修化で注目をされているが、筑波教員から見てもスポーツとは別のくくりである。
そもそもそれを話すには遊び論のカイヨワさんまでさかのぼり、遊びの4分類のうちスポーツはアゴン(競争)の原理に基づくがダンスはミミクリ(模倣、模擬)に基づくという。(個人的にはダンスには多分にイリンクス(眩暈)の要素を含んでいると思うがそれは置いておく)
つまりダンスはそもそも上手い下手といった評価をできるものではなく、また勝ち負けのような基準はつくりえない。競技スポーツは常に勝利の追及が目指され、学校の部活動のシステムもそれに基づいてきたが、ダンスはそうではない。(一部の高校大学のダンスコンクールは置いておく。私自身が出身者なので複雑な心境)純粋に楽しさゆえにあるいは自己探求のために作り続けるわけで、体育の枠からみるとだいぶん異なっている。
私自身はなぜダンスは体育の枠に入っているのだろうと感じてきた。そして体育の中でやろうにも学校教員も球技など他の種目出身の教師が多く、ダンスを教えるのを難しい、不安に感じると感じているというさまざまな報道を見るたび、実際のアーティストがこの現場に携われるようにならないだろうかと感じていた。私自身が保健体育教員であったこともあり、また私が教えに行っていたようにダンスを年間通じて行うような学校は多いため、実際の現場はどうなのだろうと話を聞いている。

入ってみたら、意外にもヘルス分野の先生方が、運動のとくにダンスの効用に着目をしていて、様々な話を聞くことができて興味深い。中高年齢層の中で社交ダンスがはやっていること、あるいは競技スポーツではない運動のあり方、長く続けていける運動としてのダンスの可能性を多く指摘された。

また、たくさんの書物を読むにあたり身体哲学まで落とせば、ダンスも時を超えうるのではないかという気がしてきた。限界芸術論は柳田と宮沢賢治とコミュニティダンスと私にはよめたし、ホモルーデンスを読めばダンスは最終的に儀式に向かうのだと思ったりもする。
多くのスポーツ関連の哲学系の文章にはさりげなくダンスについての記述があり、ダンスへの憧憬が見て取れたりもする。面白い。

一方で「あなたコミュニティダンスとかじゃないでしょ」と山田せつ子さんに指摘されたこともあり、自分のダンスはダンスで作っていかねばならない気がしている。ちょっと横道にそれたようだが、かなり密度の濃い時間を過ごしているように思う。
それがいかに今後の作品制作に役立つのか、、、。
がんばります。

0 件のコメント:

コメントを投稿