2014年9月27日土曜日

孤独について

ファシリテーター養成講座のはなしも、ペンギンカフェのはなしもとても面白いのだけれど、とりあえずおいておく。

久しぶりに先生に会いにいく。
静岡やら学校の仕事やらで身動きがとれずにいてつかの間の時間。
厳しいおことばをいただく。

なんでそんな中間なのか
つくれるはずなのにもったいない
人生の半分がすぎようとしているのに何をしてきたのか

私が作ってきたものは作品といえるのか?



さいごに孤独に耐える力をもて、と。

コミュニティダンスは楽しい。
そして社会のためになるダンスを実感できる。
それは大事にしつつも、そこでとどまってはならないという。

「青、あおい空が、みえてこない。アフリカの空みてきたんでしょう」という。
カメルーンは残念ながらあまりあおい空ではないのだけれど。
大きい空は私なのだろうか。

「和物じゃないでしょう」とか。
そういうものを突き抜けるものをつくらないといけないようだ。


私は長いこと踊ってきて、ここ数年は自分の大事な人にお返しするダンスを踊ってきたと思っています。ラッセルさんに日本を伝えそびれた感があってIchIや静の和物シリーズに続いた(日本人としてのアイデンティティにつながり、私はとても面白いと思っているし、様々な民俗芸能まで意識を広げることができて日本に帰ってきてよかったと思っている)だけではなく。うちの祖母や高谷さん、石川さんなど育ててくれた人たち、ヒントをくれた言葉をくれた友人たち。

私は人を愛することができないといわれ、長い間それは私を悲しませたし苦しませた言葉でもあります。しかしながら、それゆえ私は踊るのだと思いここまできました。

孤独に耐える力。
宮城さんがタカセアフタートーク、マハーバーラタアフタートークでも話していた孤独。ユーグとの作品作りのテーマに使おうと思っていた孤独。
長い間待ちながら、見つめながらいきてきた彼女の孤独。


先生は静路線あまり好きではないみたいだけれど、(そしてみてもらうことはできなさそうだけれど、)10月再演します。2月の公演も見ていただけず(大雪だったし仕方ありません)。ただ大切なのは実際にみてもらうことではなく念をつないでいくことなようなきがします。

私は多くの人から学んでいるため特定のメソッドのようなものは持っていません。が、身体に受け取っているもの、言語化しきれていないものを大切に、宿題を少しずつといていこうと思います。







2014年9月6日土曜日

タカセの夢アフリカツアー②劇場にて

タカセの夢 アフリカツアー②劇場にて

公演にいったのですから劇場についてもお話しなければなりません。
劇場は「パレドコングレ」とよばれる国際会議場にある劇場。ちなみにHPがありますが劇場の写真はでてきません。http://palaiscongresyaounde.com
実は渡航前情報を何度も問い合わせるものの全く送ってくれず、かなり心配な状態でした。渡航直前になって、小出しにでてくる情報によれば、客席数1500、赤カーペット、イタリア式劇場(ラッセルカンパニー時代のいい方だと床斜め状態をさすので凍り付いたのですが、劇場用語でプロセニアム形式のことをさすのだそう)。リノリウムや照明機材については疑問のまま向かったのでした。
テクライダーといわれる作品に必要なものを書いたリストをとっくの昔に送っているのですが、こんな反応なので最悪何もない場合すべて向こうで作れるようにと白布(ペンキを塗るかわりにするなど応用価値は高い)などもすべてもっていくことにした結果、14個もの大荷物になってしまったのでした。

さて、劇場こんなかんじです。


とりあえず超広いです。いえ、正しくはよくある市の文化会館などを想像してください。しかし普段100席ほどの楕円堂で暮らしているタカセチームにとっては超大舞台です。作りはかなりしっかりしています。実は中国資本によるもののようで、くる途中に通りかかったスポーツセンターも中国資本によるものでした。客席の椅子等も中国で見かけるものと同じです。客席中と舞台両脇にあるのは大統領さんの写真。これはホテル、空港等至る所に飾られています。

楽屋についてたずねるとトイレを紹介されました。
なんと楽屋はないようです。(ニヤカムさん曰く昔はあったらしいがどうも事務所になってしまったらしい)
仕方がないので、舞台の奥を改良して楽屋代わりとして使用することになりました。
(洗濯機、アイロン等も全くありません。そのため今回はリセッシュで代用です)

そう、ここは会議場。普段表彰式などの公行事に使われているのです。

前にニヤカムさんより伺った話しではカメルーンの首都ヤウンデには劇場は2つしかなく、一つがここ、もう一つはアンスティテュートフランセ(フランス文化センター、略してIF)の劇場(客席数100−200)。IFはバカンス中でしまっているとのことで今回は選択の余地がなかったのでした。

とはいえこのような状況だったので、ここからが大変。
IFにリノリウムや音響用機材をかりにいったり、パネルを作るための木材を買いにいったりという所からのスタートです。舞台さんはなんとカメルーン人に指示しながら14枚ものパネルを作成。結局こんな舞台になりました。


ぱっと見きれいなかんじでしょう?後ろが赤と青という超ド派手な感じなのはカメルーン限定仕様です。

しかしながらここまでも大変でしたが本当に大変だったのは照明さん。照明は俗にいう照明卓がなく、更につけけしをするところも地下で舞台がみえません。しかもつけてけすくらいしかできないというかなりの悪条件(一時は一回消したら3分つけられないと地元のスタッフにごねられ大変だった)。さらに照明の向きだけでも変えてフォーカスをと思いきや機材がはがれてくる(!)有様。どうもかなり古いようです。この劇場が作られたのはおよそ30年くらい前と思われ、照明機材も年代物だった様子。


人手不足だったこともあり私も衣装担当で裏にいたため実際の舞台がどうなったのかはわからず。ビデオはまだみていませんが、ある意味伝説の舞台となったことでしょう。


宮城さんが撮影した仕込みの様子
http://youtu.be/OCWKMaZoqW0

タカセの夢アフリカツアー⑥ small boat

別に木野家にはアフリカ人はいない。
が、なぜかアフリカには縁があり、私はずっと気にかかっていた。
大学時代の親友がアフリカンダンスにはまった(留学先でガーナ人にスカウトされたくらい筋がよかったらしい。経済学学びにいってアフリカンダンスってどういうことだろう??)あたりからちょっと気になっていた。
パリ時代にはまったものの一つがアフリカンダンスだった。
ラッセルカンパニーの2作品目はSmall Boatというまさしくアフリカの奴隷制度をテーマにしたものだった。Issac はアフリカ出身の映像作家だったし、シチリアの海に沈む奴隷という感じの映像をとった。(ちなみにシチリアは奴隷たちの船の寄港地、流されてたどり着いてしまう土地でもあり、シチリアまでもたどり着けず転覆してしまう奴隷船も多かった)
非常にバブリーな感じの作品作りだったこともあり、そのお話とその映像制作時のギャップは衝撃的すぎた。更にそれを訴えるのだとすれば、もっと何らかの形で社会へとアプローチすべきだと思った。
美術業界のお金のまわり具合をかいま見て気持ち悪くなったりもし、日本に帰ろうと思った私にとって重要な意味を持つ作品だった。
(どうでもいいがそのときから私は鹿革のようなものをかぶっている。最終的に女優さんの役になったが、鹿踊を思い出したりもする。)
ホテルに滞在し、行政中心地(つまり日本でいえば赤坂見附と永田町みたいな)に滞在している私はあの時のつれていかれちゃったダンサーさんとあまり変わりはない。それでも貴重な経験ではある。
貴重な経験の繰り返しは私に積み重なっていくが、それでは世界は変わらない。

あの時からずっとアフリカは心の片隅にあり、気になっていた。
今アフリカの経済問題やルワンダの虐殺についての本を読み(Hate Radioという作品もSPACの演劇祭で拝見している)、あらためて訪れなければと思っている。






タカセの夢アフリカツアー⑤接触について

タカセの夢アフリカツアー報告がなかなか終っていない。

しかしとても気にかかったことを2つほどあげておく。
このツアーの頃ちょうどカメルーンをめぐって問題になっていたのはテロ(カメルーン極北で副大統領婦人が拉致されたなど)、そしてエボラ出血熱。
現在も感染が広がり続けるこの病気、感染しただけでは症状がでず、気がつかないうちに広めてしまうこの病気は今もなお治療薬がなく(未承認薬を試験的に使いつつ検証している段階)、致死率は50%を超えるといわれている。(90%を超えるというネット情報もある)
未来にあふれる子どもたちがかかわるプロジェクトであるだけに最後の最後まで引率者側はもめていました。
現地の方との接触をさけること、
またニヤカムさんはじめ大人スタッフも現地の方(ニヤカムさんにとっては家族なども)にふれないようにする。
ふれるのであれば子どもたちにもふれるべきではない(マッサージなど)
ではふれるとはどこまでをさすのか、
握手は、ビズ(フランス語圏なので普通にビズの習慣があります)はどうなのか、、、、
現地にいる日本人の方はいいのか?
ハグやビズが当たり前の国で断るというのは失礼に当たるのではないか?コミュニケーションとして必要ではないか。
何度となくメールのやり取りをしながら、またニヤカムさんやスタッフの方々にもお話しながら非常に難しい問題であると感じました。

おそらく私の感覚だけでいけばエボラであろうとなんだろうと死ぬときは死ぬときとし、その土地の習慣に少しでもなじみ学ぶことを優先させる。
しかしながら子どもたちは?あるいはこの場にいない親たちはどのようにとらえるだろうか。もしも感染が起きた場合の責任問題など。

帰ってきてほっとする。(検査入院がでたりなど心臓には悪いものの、皆無事かえってこれました)帰ってきてしまえば、ここまで心配しなくても大丈夫だったよねなどいいながら笑うこともできる。また、実際カメルーンには現在も60人くらいの邦人(逆にそれしかいないということにも驚く人がいるかもしれない。ちなみにヤウンデ(首都)には20人ほどの日本人がいるそうだが、このツアー中はそれが倍増していたわけだからそれもすごい話しだと思う)が、またニヤカムさんの家族も含め普通に暮らしている人々がいる。
そのような事実がありながらも、心配してしまう、また警戒してしまう自分たちに気づかされる。
この感じはAIDS差別のときを思い出させる。

帰ってきたらデング熱で大騒ぎだった。
感染症という点でとても似ている。
情報に踊らされすぎないように気をつけねばならない。



おまけ
カメルーンの情報はなかなか集めることができない。
あの地球の歩き方ですら東アフリカと南アフリカしかない。(ちなみにカメルーンは中央アフリカに含まれる)
静岡大学の先生、カメルーン日本大使館の方々(直前になって情報がはいったそうで、そこからの追い上げサポートは心強かったです)などが現地情報を送ってくれたものの、いくまでわからない!こともたくさんある。
図書館にいってアフリカコーナーをみてみれば、それもわかるだろう。あんなに大きく、あんなにそれぞれに全く異なる歴史を持つ国の固まりなのに、書籍はほとんどない。
それでも最近アフリカ本をよみ続けている。


2014年9月5日金曜日

ビデオと格闘中

パソコンの調子はかなり怪しく、いきなり終了したり、文字が突然大きくなったり、結構苦労している。文字化けなどならないとよいのだが。

普段私は一つの仕事をしている間他のことはできるだけいれないように心がけている。タカセをしているときはタカセ限定(タカセについては自分は踊っていないもののテクニカル作業の手伝い等もあり)とか、静モードとか。ただこの秋いろいろ急に入ってしまった仕事等もありごちゃ混ぜになっている。

特に今回9月ペンギン、10月静ホワイトバージョン、11月ユーグ、12月マキノ(私の師である牧野先生の過去の作品をあわせて発表することになった@川崎。ただし発表会的なもの)と続く。(こうみるとあのユーグですら結構おまけイベントなことに気がつく)

ダンス公演は通常半年がかりで準備をする(会場によっては1年前に予約しなければならない)のにこの異常事態。とにかく少しずつリハを繰り返していくが、どうしてもかぶっての稽古になってしまう。
静の後マキノとかペンギンの後静とか、更に教えの仕事がはいったり。

今はひたすらビデオをみ、それをおこし、発展させる作業が続く。
(静についてはDVD化どうするかという大きな問題が関わっていて過去の木野作品全作品のチェック等もしていたりする)
マキノ作品の昔のものは今から10年以上前のもの(若い!)だし、自分の作品も2003年くらいから見直す。
正直あまり自分の踊りが好きではないし、上手くないと思っているので、本当に悲しくなり鬱になったりする。(ダンサーなのに。)

そして現実逃避。

谷川俊太郎「私にとって必要な逸脱」(少しずつぬきがいています)より
心から詩を信じるということが私にはかつてなかったし、またこれからもないと思う。詩において私の信じることのできるものがあるとしても、それは詩以外の何かであって、決して詩ではない。それは私において不快なことである。

また私には心から詩にほれたということがかつてなく、これからもないと思う。

詩において、私が本当に問題にしているのは必ずしも詩ではないという一見奇妙な確信を、私はずっと持ち続けてきた。私にとって本当に問題なのは、生と言葉との関係なのだ。

私も自分自身を生きのびさせるために、言葉を探す。

ペンギン稽古

山田せつ子さんの振付がはじまった。
今月末のペンギンカフェオーケストラ公演で踊るペンギンダンスの練習。
ペンギンカフェはせつ子さん世代にとって思い出の曲が多く、私も小学校くらいの頃に踊ったことがある。ただ現在はアーサー(息子)が後を継ぎ、ちょっとテンポや雰囲気もノリが良い感じになっている。

今回は岩切明日香さんがペンギン頭を作ってくれていて、それをかぶって練習。(なのでコンサート見に来てもどっちが木野かわからないかもしれないですよ。。。)
衣装も作ってくれた。
とりあえずかぶるとほとんど見えないから。。。
おうちでも麦わら帽子かぶって練習です。

駱駝館の小田さんもいろいろがんばっている。
せつ子さん曰く基本ベースが違うからとのこと。確かに。
とにかくがんばります。

オーディション(追記20140904)

SPACenfantプロジェクトは今後も続く予定です。
タカセの夢は終ってしまいましたが、それをベースにニヤカムさんの振付で新しい子どもたちとまた作品作りをはじめます。
そのためのオーディションがこの週末3日間で行われました。
新しい作品ということで踊りを作りそれを教えてみたり、即興で踊ってみたり、楽器演奏等一芸を披露してもらったり、本当に密度の濃い時間でした。

オーディションというものは上手いから、下手だから選ばれるのではなく、そのときのメンバー全体のバランスや作品の方向性によるものだったりします。特にコンテンポラリーというジャンルでは個性という名の下、かなり幅広いセレクションなため、神経質なダンサーさんはかなりつらいです。ましてや小学校ー高校という多感な時期の子どもたち。
大切なことはこのオーディションを通じて自分が何をえたかということです。
あきらめないで自分の表現したいことをひろげていくこと。道をきわめていくこと。
いろいろ迷いながら3月にも追加オーディションを行うことにしました。

新しい作品はまだはじまったばかり。これからどうなっていくか楽しみです。


追記
その後の様々なミーティングの末、今回オーディションでのニヤカムさんの要求レベルがかなり高く、混乱をきたした子どもたちのための補講(?)ワークショップを開催しながら少しずつ成長していくためのプログラムを組み立てていくことになりました。月1くらいのペースですが静岡に通いつつ、ケガをしないための身体の使い方などを伝えていきます。半年の間に子どもたちはどんどん成長していく、その間に何ができるか、それぞれが考え行動できるようにと思っています。
オーディションは単純に選ぶ選ばれるというだけの場所ではなく、出会い、学ぶための場だとすれば、その後のフォローも必要ではないか。最終的にはどうしても(人数の制限はあります)何人か選ばれないことになるだろうけれども、その期間学んだり考えたりということが大切ではないかと考えます。
大人役者(ダンサー)の場合オーディションというとその場で切られたりというシビアな現状があります。が、このプロジェクトは小学ー高校生という世代であり、ダンサーではありません。ダンサーではないからこそできる表現も多くあり、この作品はそれゆえに成り立ってきました。
ワークショップにきたらオーディションにうかるというわけではありません。
毎回必ず来たって、たまたま新しくうけにきた子がインパクトが強く、自分のタイプに似ていて落とされちゃうかもしれません。
それでも今日、その日1日、考えたりいろいろやってみたことはきっとあなたの人生に役に立つ。そう思ってチャレンジしてくれることを私たちは待っています。

夏にオーディションを受けニヤカムさんにあった子どもたちは、きっと何かを受け取っています。でもこれからうけようという子どもたちも私たちは待っています。オーディションとはもともと出会いの場。いつからでも遅くありません。

こうしたときに私たち(we)といってしまう自分がちょっと怖いです。